【決戦】守
この物語はフィクションです。
一行は更に巳の方角へと進む。少し大きな都があると、市場で話してみる。やはり同じように人々の反応に違和感があり、一行は焦燥感に駆られながらも更に巳の方角へと急ぐ
甲斐国に入ると更に違和感が強くなる。道や家の前で立ち尽くしている人や、ずっと座って何もしない人などを見かける。周囲の人達もそれがおかしいとは思わないのか、誰も気に留めて声を掛ける人もいない。全体に気力に乏しく活気も行き交う声も少ない
「異様だ。少し先に行って様子を見るから此処で待て」
伏見が先に進む。少し行ったところですぐに引き返して走って来た
「鬼が群れで此方に向かってくるぞ!」
「固まって寅の方角にある森へ行こう」
一行は集団となって速やかに北東にある森へと移動していく。逸彦が先頭になり駆け足で進む。その間も鬼の群れは続々と一行が来た方角へと進んでいく。最初の集団と接触する前に避ける事ができたのは幸いと、森の中へと入ると崖を登る。峠までくると、一休みすることができた
「酷いありさまだな」
「然り。ここまで多いと、どうにもならんて」
「此方には追ってこんな。何かから逃げているようにも見えたが」
太方と細方は木に持たれかかり、疲れたように呟く。逸彦がコウにどうすべきか尋ねると、突然己の内から押し上げられるような強い風が吹き、身体を突き抜けて空へと吸い込まれていった。逸彦は思わず空を見上げた
「空に何かあるのか逸彦殿」
佐織の翁が問う
「いや、何かあるわけではないのだが」
逸彦が返事に困っていると、今度は空から何かが降りて来た。それはそのまま逸彦の中に吸い込まれ弾けた。逸彦の中に、夢で見たあの巨木と実穂高の笑顔が思い浮かび、今後何をどう行動すれば良いのかを理解出来た
「この少し先に休める場所があるようだ。急ごう」
「神からの啓示か」
「おそらくは」
コウは神ではなく実穂高なのだろうと思ったが何も言わなかった。一行はその地へ赴く。そこは少し開けた崖のようなところで、小さい岩室があり直ぐ側に湧き水が湧いていた。下から見上げるとただの崖に見えるが、そこからは下がよく見える
「守りやすい地だな。水が近くにあるのもありがたい」
西渡はあたりを見回す
「中に火焚きが出来る竃の跡がある。煙も上に抜けるようだ。薪も大量にある。以前誰かが使っていたようだ」
太方が岩室から出て来て話す
「周辺には兎もいるようだから、食い物には困らないと思うぞ」
周囲を見てきた細方が手に草を持って帰ってきた。佐織の翁は
「ここで当面籠城じゃな。まずは飯を食おう」
と言って岩室の中に入って行く。皆もそうだと同意し、飯の準備を始めた
鍋を囲み一息つく。鬼の死骸に囲まれて食べた時に比べれば良い環境である
「それでこれから如何致す」
西渡が逸彦に聞いた
「皆にはこの地を中心に周囲に及んだ鬼を斬って欲しい。我は一人で導きに順い集団を斬る」
「全ての鬼をか。凄い人数だぞ」
「一度にではない。何度かに分けてやる」
皆沈黙する。あまりに逸彦の負担が大きいが、それ以外に打てる手もない。
「それしかあるまいか。逸彦殿ばかりに頼る事になるが」
西渡は呟く
「それはあまりに酷。我は逸彦殿に助太刀したい」
津根鹿は一緒に戦いたいと申し出る
「あの人数を相手するには、我らではかえって逸彦殿の足手まといになる。ここはこの地の守りに徹すべき。忸怩たる思いは津根鹿殿と同じだがな」
佐織の翁は津根鹿の顔を真っ直ぐに見て答える。津根鹿は何か言いたげに口を開こうとしたが、結局何も言わず下を向く
「あいわかった。逸彦殿に託す」
呟くように答えた。西渡は慰めるように津根鹿の震える肩に手を置いた
「ではそのように進めよう」
太方が宣言した
翌朝、あたりが少し明るくなった頃、一羽の鳥が岩室の入口に降りたった。人の腕程の大きさもあり、威風堂々とした精悍なその鳥は、岩室の中に歩いて入って来ると逸彦の前で止まる
「汝が導きか。頼むぞ相棒」
逸彦は玄米と鹿の干し肉を置くと食べ始める。食べ終わると満足したのか毛繕いをした後、逸彦をじっと見つめる。皆もその様子を見ていた
“隼は覚悟せよと言っている
これから七日此処へは戻らぬ
疾風閃光の如く地を駆けよ
我の命のままに
願いは果たされる”
逸彦はコウに言われた事を皆に伝える。隼は津根鹿を一瞥すると、外に向かって歩いて行き、そのまま真っ直ぐ飛び立つ。逸彦はそれを追い、崖を飛び降りた
残されたものは皆、時が止まったように沈黙していた
「逸彦殿は行かれた。我らもやるべき事をしようぞ」
西渡は我に帰ったように呟き動き出す。皆もそうだと言いながら、どの様に周囲を警戒するのか話し合い、それぞれの役割を決め動き出した
夜になった。役割を交代して休む者は火を囲みながら食事を摂っていた
「あの隼は何故出て行く直前に我を見たのだろう。目が合った時、内から熱き思いのようなものを感じたのだが」
「津根鹿殿の逸彦殿と共に戦いたいという願いを果たす為だろう。隼はそう言いたかったのではないか」
佐織の翁は薪を焚べながら答える
「隼が津根鹿殿の代わりになって逸彦殿と戦うという事か」
細方は佐織の翁の方を見て訊くと翁は頷く
「逸彦殿はご無事だろうか」
津根鹿が呟くと太方は
「己の心配をすべきだぞ。我らは何があっても此処を守らねばならん。数は少ないとはいえ、今日だけでも皆で合わせると数十人は斬っているのだ。己の成すべき事に集中すべし」
「然り。我もしっかり成すべき事をせねばな」
細方も己に言い聞かせるように呟く
「人には皆見えない器がある。逸彦殿は我らよりも遥かに大きな器をお持ちだ。器の小さき者は大きな者の心配など無用。我らはその小さき器を満たして大きくすべく努力せねばならん。逸彦殿に憧れ、目指す事は良きこと。ならばやるべき事は己を成す事だ」
佐織の翁の言葉に太方と細方は頷く。津根鹿は大切な事を教えてもらえる事に深く感謝した
逸彦が戻るまで、岩室に残った者は戦い続けた。鬼の数が多い日もあれば極端に少ない日もあり、その時にならないと状況がわからぬ中で皆疲弊していた。だが己の事を成そうとする思いは誰も折れる事はなく、八日目の朝を迎えた
夜が明ける少し前、岩室の入口近くで誰かが入ってくる気配がする。佐織の翁は見るまでもなく逸彦だと悟り、鍋から白湯を椀に入れ、入って来た人物に差し出す
「これは有難い」
逸彦は白湯を飲みながら火の側に座った
「此方は終わった」
「そうか。此方は見ての通りだ。誰も欠けておらん」
逸彦は室の中を見回し安堵した
「飯を食ったら一休みされよ」
佐織の翁はいつのまにか作られた鍋の中身を椀に移して渡す。逸彦は笑みを浮かべ椀を受け取ると食べ始めた。腹が満たされると、火の側で横になって眠りだす
「戻られたのか」
起きてきた伏見は眠る逸彦を見ている
「今し方だ」
佐織の翁が伏見に鍋からよそった椀を差し出す。それを受け取り火の側に座る
「終わったそうだ」
翁が言う
「それだけか。想像もつかぬ様な事を為してそれだけか。何とも凄い御仁だな」
「我らには測れぬお人よ。器が違う」
「然り」
伏見は黙々と食べ始めた
逸彦が目覚めると既に日が傾き始めていた。皆はこれまで通り周囲を警戒していたが、鬼が来る気配はなかった。夕方になり皆が戻り火を囲む
「この地に鬼は居なくなったようだ」
逸彦が皆に報告する
「この後はどうする。富士川を下るのか」
「いや巽の方角へ進み、右左口宿から精進海へ抜ける」
皆、この辺りの地理に明るくない為に良くわからないが、佐織の翁だけは難所だと呟いた。逸彦は驚き
「翁はこの道をご存知か」
「昔、荷を背負ってこの道を行き来した事がある」
「さすが翁、歳は飾りではあらぬな」
西渡は笑う。逸彦にとっては峰や峠は無視して真っ直ぐに進むのものなのでどこも同じだが、普通に道を往来する普通の人にとっては難所だった。一行は明日の朝此処を立つことになった
人物紹介、決戦
逸彦…鬼退治を使命とし、鳥に導かれながら旅をする。宿世の記憶をずっと受け継いで生まれ変わりを繰り返している。移動は常に、山も崖も谷も直線距離で駆けるか木々を伝って行けば良いと思っている。寝る時は木の上
コウ…逸彦の心の中で逸彦の疑問に答えたり、導いたりする内なる声。コウは逸彦の命であり、鬼と戦う時刃を動かしている。宿世「コウと共に」で登場
実穂高…鬼討伐の責任者。陰陽師。実穂高は実名ではなく通称
水師…実穂高の側付きであり弟子。目指す相手の居所をわかる特技がある (宿世 和御坊、瑞明「コウと共に」に登場)
実穂高が集めた討伐の面々
宮立 父 太方…亡き妻の口寄せを依頼して実穂高と知り合う。(宿世 宮地家の御当主で那津の義父「護衛」、村長「桃語る」に登場)
宮立 倅 細方…(宿世 宮地家の息子でご当主、那津の夫「護衛」に登場)
津根鹿 …妻子出産の祈祷で実穂高と知り合う(宿世 宮地家の孫で那津の長男「護衛」の最後に登場)
西渡… 妻の死体が蘇って歩き回ったという件で霊を鎮める祈祷を依頼し、実穂高と知り合う(宿世 男「桃語る」で登場)
佐織の翁…婆の病の相談で実穂高と知り合う (宿世 翁「桃語る」に登場)