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忘鬼の謂れ〜鬼と戦い続けた男  作者: 吾瑠多萬
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【決戦】水溢る

この物語はフィクションです。


翌朝は朝から雨になり、支度をして出立した。実穂高が近くの旅籠に寄って京の玉記との文のやり取りを確認したいと言った。旅籠に寄ると文が届いていた。その旅籠はこの周辺の文を配達する拠点で、京から来た文が留め置かれていた

「確認する。暫し待たれよ」

外は雨も降っているので、一同中に入り貸し部屋を借りる。実穂高は文を読むと、それを水師に渡し自らは目を瞑り思案した

「何が書かれている」

太方は水師に尋ねる

「玉記殿からだ。知り合いの天鷲(あまわし)殿の従妹が重い病を患らったので見て欲しいと書いてある。容態が悪く一刻を争うようだと」

重い沈黙が流れる

「如何致す実穂殿」

実穂高は暫く黙していたが

「行くしかあるまい」

と呟いた

「我と水師は一度京へ戻る。皆はそのまま信濃を目指してくれ。京での用事が済み次第、合流する」


予定が変わったので、出立は明日に延期する。水師と実穂高二人が別行動になる為、旅装を変える必要もあり今日はこの旅籠に急遽泊まる事にする

皆、荷物のやり取りをして一息ついたのは少し日が傾き出した頃だった。雨が上がり、外は明るくなっている。やる事もないので各自休息になった



逸彦は外に出て晴れ始めた空を見上げた。空は残る雲が(くれない)に色づき始め、彩りが刻々変わって行く。すると実穂高がその先の草原に居るのが目に入った。同じく夕焼け空を見ているようだ

逸彦は歩いて実穂高に近づいた。

「空が染まって、良い彩りだな」

声をかけると、実穂高は振り返る。ふいに、逸彦の胸の奥に、安心するようなそれでいて苦しいような熱い感触が起こる。逸彦はその心地良くも悪くもある不思議な心を抱いて、そのまま無言で隣に立って居た


二人が空を見ながら佇んでいると、鳥がやたらに集まって来た。頭上の木々に止まり、盛んにさえずる。それを聞き、実穂高は上を見上げて訊く

「逸彦殿、あれは何事だ。導きの何かなのか」

逸彦もこのような事は初めてだった

「我も初めて見る」

二人で鳥達を見上げている

「誠に顔映(かわ)ゆいのう…ほら、あっちはまた違う種類だ」

指して歓声をあげる。顔映(かわ)ゆいのはこっちの方だ。鳥よりも実穂高から目を離せない。取り繕うのをつい忘れた声は女のものだ。やはり、女子(めなご)であろう、あの身体つきも声も。男なら幼く見えるが、女子ならば、年相応だ


「麻呂が鳥を好いても、鳥はいつも逃げてしまう。逸彦殿は良いのう、鳥が寄って来て。愛されているの、鳥にも、木々にも、神にも、風にも…、我も…」

思わず言う

「我も?」

「あ、ああ、羨ましう思う」

若干誤魔化すように言う。鳥や木々に愛されているのが羨ましいとはどう言う事だ。実穂高は周り中の者達から愛され、大切にされている。

「実穂高殿は周りの者皆に慕われて居られる。何故我を羨む必要がある」

すると答える

「汝は困った事はあらぬだろう。いつも最も必要な機会に、必要なものが与えられておるだろう…」


考えてみれば、村に行けば保存食を貰い、必要なものがあれば誰かが金をくれる。そこで支払ってくれる額を己で決めた事は無いが、いつも不自由は無かった。水が欲しい時には内の声が小川の場所を教え、少し何か口にしたい時には、声が野いちごや食える草を教える。冬篭りに最適な家なども、声が示した通りにするだけだ。己に無頓着で叱られた事はあったが、本当に困った事は一度も無かった


「そうだな、考えた事も無かった。我は食うにも行先にも困った事はあらぬ…。恵まれていたのやも知れぬな」

もっと神に感謝せねばと思った。

実穂高はそのように答えた逸彦を見つめ、また顔を背けた。逸彦は先程思った事を口にした

「実穂高殿、汝は女であろう。何故偽る」


驚いたように振り返る

「わかったのか」

「何故わからぬと思うのだ。他の者は気づかぬのか」

「これは霊的な皮を意図的に被っているのだ。それをはっきり見破るにはそれなりに勘の働く者でないと難しい筈だ」

実穂高は逸彦を見て言う。逸彦をというよりも身体の周囲の空気を観ているような感じだ

「汝もしておろう、普通の人の振りや、ある程度以上に他者と親しくならぬように、霊的な皮を被って居ろう、特に…」

だがそれ以上言わなかった

「我も偽っておるのか」

実穂高は逸彦の問いに無言で頷いた


木々を見上げる。鳥の数は先程より減った。気紛れに集まって居たのだろうか

(うつく)しいのう、ありのままがありのままであると言うのは」

何処にでもある木が、何処にでもあるように繁っている。なのに今それは確かに(うつく)しく思われた。逸彦は言ってしまった

「汝が木だった事があるなら、我はどんな木を見ても(うつく)しと思うな」

実穂高は驚いたようにびくと肩を震わせた。だがそのまま逸彦の方を見はしなかった


「今の世では、女は退屈だ。待ってなくてはならぬ。今のような役職に就く機会はあらぬ」

独り言のように言う

「賀茂家の流れに、拾いっ子である麻呂よりも才ある者は現れなかった。よって麻呂は後継ぎ候補として育てられた。だがもし麻呂よりも相応しい者が現れたなら、その者がそうすれば良い。麻呂は己のやりたき事の為に、動きやすい男の姿で居るだけだ」

「左様か」

それに対し逸彦は何も言えなかった。女が女である立場をどう思っているのかなどわかりようが無かった。これ程才のある者が居るならば、周りが捨て置かないのも当然だ。ただ、知ってしまった秘密は、誰にも話さないだろう

「だが偽るものは少なければ少ない程良いな…」

何か色んな意味が含まれているような気がした。だが己も偽って居ると言われた以上、黙っていた。己が何を偽っているのか、まだ充分には思い当たらなかった


空気は透明感を残したまま、その色を少しずつ深い青に浸していく


どれだけの時が経ったのか

「入るか」

沈黙を破って実穂高が言った

ただ隣に居る事が、不思議な程自然でありながら、胸が騒ぎ居た堪れない。明日離れてしまうと思うと、今此処に居る事を少しでも引き延ばしたかった。

先に立って歩き出す実穂高の後ろを歩く。そのまま逸彦を見ずに実穂高は言った

「汝を愛しているのは鳥や木々ばかりではあらぬ…」


先程から感じていた事が何かを朧げにわかったような気がしたが、頭からそれを振り払う。(おん)退治が終わらねば、そのような事を考える余裕は無いのだ。


部屋に戻ると、夕餉の支度が出来ていると言って、大部屋に集まった。しばらく別行動である事、二人同行が増えた事もあって、酒を呑んでも良いと実穂高から許しが出た

「ただし、程々にだぞ、わかって居るな」

念を押され、皆わかっている、と返事だけは良く答える

実穂高は困ったような、嬉しそうな顔をする

少し前ならばその様子に吹いていたところだが、もうその様な気にもなれなかった。女だと知ってしまった以上、前のように接する事ができるのだろうか。いや、それは女だからなのか。何故実穂高が他の者と話すのを見ると苦しい様な気がするのか。何故側に居て欲しいと心の奥で求めながら、己でそれを避けるのか

混乱する己から逃げるように、酒を呑む。逸彦はとりあえず、一人ひとりともっと話して、まだわからぬ(えにし)を感じてみようと思った。


酒盛りがお開きになり眠る時になって、皆と話す間にわざと忘れていた実穂高の事を頭がまた考え始めた。折角忘れられたと思ったのに。夕焼け空を見ながらゆっくりと過ぎた時が、また思い出され、その満たされた感覚に浸った。それは心地良く、繰り返しその感覚を思い出していた。これは愛なのか。

宿世で瑞明と旅した時の事を思い出す

コウから学び、瑞明が恋する女子に語った愛の言葉を思い出す



“愛を愛と見出す者は己の内に愛を持つ故だ

相手に愛される代償に愛するのではない

見返りを求め愛するのでも無い

相手は愛の呼び水だ

愛が起こるは然り逆らう事も留めることもできぬ

己の内の愛を感じることこそ大切なのだ

それが己の内にある事を誇れ

愛がその身体を通じて表される時にはいつも道の只中に居る”


「其方様が我にとっての愛だ。我が愛の呼び水は汝だ。我が心を喜びで満たすのは汝だ。我が愛を知る鏡は汝だ。汝と離るるは恋しい。これから、一緒に生きていきたい。共にいたいのだ」


己の思いはそんなに純粋なものではない。瑞明のようにはできない。己は寂しさを紛らわす為にあの女を抱き締めたいだけなのだ。誰に対しても共感し、愛する事ができるあの人を、利用したいだけなのだ。他の誰に対しても、実穂高は同じように優しく接し、受け入れるだろう。それは己を特別に扱っての事ではない。己の手であの清らかな人を汚したくない。今まで己を騙す為に近づいて来た女とは全く違うものだ。相手は公家で、政事にも影響力がある。己と関わらない方が余程良い人生が送れる。鬼退治しかやった事がない己が釣り合う訳も無い。



“愛を愛と見出す者は己の内に愛を持つ故だ

相手は愛の呼び水だ

愛が起こるは然り逆らう事も留めることもできぬ

己の内の愛を感じることこそ大切なのだ

それが己の内にある事を誇れ

愛がその身体を通じて表される時にはいつも道の只中に居る”


もう一度コウは言ったが、逸彦は自分が思い出しているのだと受け取った。逸彦は己の心に結論をつけて、眠ろうと努力した。だがなかなか寝付けなかった。ようやく寝付いた頃には夜明けが近かった。


人物紹介、決戦


逸彦…鬼退治を使命とし、鳥に導かれながら旅をする。宿世の記憶をずっと受け継いで生まれ変わりを繰り返している。移動は常に、山も崖も谷も直線距離で駆けるか木々を伝って行けば良いと思っている。寝る時は木の上

コウ…逸彦の心の中で逸彦の疑問に答えたり、導いたりする内なる声。コウは逸彦の命であり、鬼と戦う時刃(やいば)を動かしている。宿世「コウと共に」で登場

実穂高…鬼討伐の責任者。陰陽師。実穂高は実名ではなく通称

水師(みずし)…実穂高の側付きであり弟子。目指す相手の居所をわかる特技がある (宿世 和御坊、瑞明「コウと共に」に登場)


実穂高が集めた討伐の面々

宮立 父 太方(ふとかた)…亡き妻の口寄せを依頼して実穂高と知り合う。(宿世 宮地家の御当主で那津の義父「護衛」、村長(むらおさ)「桃語る」に登場)

宮立 倅 細方(さざかた)…(宿世 宮地家の息子でご当主、那津の夫「護衛」に登場)

津根鹿(つねか) …妻子出産の祈祷で実穂高と知り合う(宿世 宮地家の孫で那津の長男「護衛」の最後に登場)

西渡(さえど)… 妻の死体が蘇って歩き回ったという件で霊を鎮める祈祷を依頼し、実穂高と知り合う(宿世 男「桃語る」で登場)

佐織の翁…婆の病の相談で実穂高と知り合う (宿世 翁「桃語る」に登場)

伏見…親不知子不知の海沿いの難所を通り抜けるのに困っていたところ通りかかった討伐の一行と合流。自分達の領地周辺の鬼調査をしていたが、以降行動を共にする(宿世 布師見「城」に登場)

木ノ山…伏見に仕える。話しぶりが大袈裟(宿世 木之下「城」に登場)

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