【決戦】道交わる
この物語はフィクションです。
童部が下膳すると、実穂高は逸彦を連れて庭に出た。それなりに敷地に広い邸だった。少し裏手に行くと、納戸木屋がある。その中に入ると、荷物はあるものの、壁に寄せてあり、真ん中に高さのある机と周りに腰掛けがあった。机を囲んで話せるように設けてある。机の上には紙の束や巻物が積んであった
しばらくして童部に案内されて他の者が集まって来た。
小屋に居るのは男達が五名と実穂高、水師、逸彦だ
「この小屋は汝らがこの計画について話す時に使えるように空けておいた。他の者は一度会うた事あるが、逸彦殿は今日初めてだ。どうぞ皆、彼を宜しう。鬼退治で名を馳せる逸彦殿だ」
皆に紹介した。そして逸彦に向き直り、他の男らを一人ずつ名を呼んで紹介する
逸彦はつい癖で、相手の動きや身体付きからどんな人物なのかを読んでしまう
「西渡、佐織、津根鹿 である」
其々応答する
「宜しう」「おう」「宜しうお願い致します」
西渡は、動きの基本を良くわかっている。動作が洗練されていて無駄が一切無い。見ていて危なげなく安心できる
残りの二人を示す。二人は似ている。親子のようだ
「そして此方二方は宮立だ」
「見ての通り親子だ。己が父で太い方、倅は細い方、細方で良いぞ」
倅も軽く頭を下げ会釈する
太い方の父は四角い顔で筋肉がしっかりとついて胸板が厚い。細い方と言われた方は、父と比較すれば若い分細いが、充分に筋肉質で動くのは得意そうだ。
「昨夜親交を深めたかも知れぬが、水師がこの件の指揮を取る。集団で動く時は水師の指示に順ってくれ」
「我らは恩義ある実穂高様の声かけで集まり申した。自身であれ、家族であれ、皆実穂高様のご助言によって救われた」
「何を大袈裟な」
実穂高は一笑するが、佐織は続ける。この中では一番歳上に見え、翁と言っても良いくらいだ。見た目は身体つきも含め強そうに見えないが、眼光にも動作にも一切の隙が無かった。こう言う筋肉のつき方は日常的に鍛えて、息を吸って吐くように武闘できる者だ
「いや、本当であるぞ。我が妻は実穂高様の措置によって、長く患っていた病から回復したのだ。その因となる心持ちについても明らかになり、もう再び起こらぬと言われた」
若い津根鹿は言う
「我妻の赤児産む時助けてもろうた。母子共に危なかったのだ。子を育てる助言も役に立っておりまする」
年齢もあって、この中では一番戦闘経験が少ないと見えた。だが誠実そうで、実に好感が持てる雰囲気がある
皆は口々に実穂高の世話になった件を申し立てる
「己らはその後も友人として、迷うた時には実穂高様のご助言を伺うし、実穂高様にお困り事あらば駆けつけるのだ。先程も通りに置かれた牛車を引いて来て洗うたぞ」
太方は言った。あの牛車の件か
「まあ、此処へ来るついでだ。大した事はあらぬ」
周囲の者から慕われているのだなと、他人ながら嬉しい。当の実穂高も嬉しそうだが、くすぐったげに肩をすくめ俯く。その仕草を見て逸彦は愛らしいと感じた。そして己の感情に己で驚く。愛らしいだって?まさか彼に?幼くは見えるが…
「しかし、実穂高様に謀とは、愚かな」
「そうよ、見透かされるに決まっておろうに」
しかし実穂高は、真剣な表情で言う
「此れが我などを狙ったのならば良いが、汝らに及んだ時に必ず察知できるかは分からぬ。皆もくれぐれも気をつけたし」
「おう」「わかり申した」
実穂高は逸彦を振り返ると言った
「こんな感じだが、引き受けてくれるだろう。汝が居なければ成り立たぬ」
その顔は最初に宮で見た時と違って、子供がせがむような表情だった。それを見て、この人は宮ではかなり緊張して強がっているのだと思った
もうとっくに掘は埋められ、逸彦が引き受ける前提で計画は立てられているようである。逸彦は困った顔をして笑いながら頷いた
「その確認、今更だな」
「そうか。実に良かった」
安堵したらいその笑顔は華やかな花のようで眩しく、また逸彦は見惚れた。
「汝が居なかったら、人員が百も要る。だが謀があるとなれば、信頼の置けぬ者を加えられぬ」
わかっててやっているとしても、実穂高にも読みきれぬ事があるのだろう。彼も気を抜け無いのだ。
実穂高は皆に話す
「逸彦殿は鬼を退治しながら諸国を旅しておられる。その時に導くのは神の啓示か、鳥だそうだ。その旅は何世代にも及び、内容は口伝で次世代の逸彦殿に語り継がれているそうだ。よって彼程諸国の地形に詳しい者も、鬼に詳しい者もあらぬ。鬼の性質については、よく彼に尋ねよ」
皆は一様に驚き、感心する
実穂高は逸彦に尋ねる
「その神の使いの鳥は、我らが人数居ても協力して頂けるのだろうか」
鳥に敬語を使う実穂高が可笑しい
「鳥は歩調を合わせてはくれぬだろうが、以前に瑞明と旅した時には、我が鳥を追い、瑞明は我を目指し探した。瑞明の勘は奇しきが正しくいつも必ず必要な時には我が元まで辿り着き遅れた事はあらぬ」
「それならば、我は得意であるから、我が他の者を率いれば追いつけるであろう」
水師は言った
常に旅をして所在が不明な逸彦をどのように実穂高が見つけ、連絡を取り得たのか
逸彦が茶屋に入ると、茶屋の主人が文を持って来た
「逸彦殿でありますか。かのような風貌の御方がお越しになられたらこの文を渡すように言付け頂きました」
文には京に来いと書かれていた
宿世で瑞明に勧められた風呂自慢の旅籠に泊まり、名前を帳面に書いたら、番頭が言伝られたと言って文を出して来た
文にはまたもや京へ来いと書かれていた
ここまでされると無視もできない。狐に抓まれたようだった
そう言う訳で、逸彦は今京にいるのだ
それは宿世で瑞明の、今世では水師の、目指す人物を探し当てると言う特技であった
実穂高が水師の宿世を観る事で得た情報を元に、水師の才でもって探させたのだ
「それでは、これより当分の間は、各地に鬼の残りの調査を兼ねた討伐、逸彦殿の補佐として同行し、皆は鬼の性質や習性について学びながら、旅に共する。それで良いだろうか、逸彦殿」
「承知した。やってみよう」
「そうか、助かる。足手まといかも知れぬが、頼む」
「それで、実穂高様はいかがされる」
「腹心の水師が居なければ、謀ある中で京に残るのも危ないであろう」
皆が口々に言う。すると意外そうな顔をする
「何を言うておる。我も同行するに決まっておろう。都に用がある時だけ戻る」
一同は呆気に取られる。野宿など当たり前となりそうなこの旅に、公家であり、身体も華奢な実穂を参加させる事に躊躇している
「いやいや、逸彦殿と鳥を追って旅できるなど、このように面白き事、麻呂を除外するなどあり得ぬ」
そっちか
逸彦は腹の底の笑いを抑えきれず、思わず吹いてしまった。
「何故笑うのだ」
他の者も皆笑い出す中、実穂高だけが納得できぬような顔をしていた
昼餉も台所で弁当のようなものをこしらえさせ、また小屋に持ち寄って食べた
実穂高は過去の鬼出現の記録や、その写しを小屋に運び入れていた。逸彦も薄々感じていたが、もう海を渡った地域では、ここ八十年位は鬼が出ていなかった
「だからと言って海を渡らない国を全て見て回る訳にもいかん。ここに朝廷に届いた鬼の報告書がある」
実穂高は部屋の隅にうず高く積まれた木簡を指差す
「これを調べて、行くべき場所を絞り込む」
「これを全部か?」
太方は呆れたようにそれを見る
「全部だ」
何故か実穂高は勝ち誇ったように太方を見て頷く。彼らはそれを見て笑った
「見ていても始まらん。仕事をしようではないか」
佐織の翁は木簡を一つとって読み出す。皆も釣られて其々木簡を手に取りると読み始めた
その日は日が暮れるまで、彼らとその小屋にいた。朝廷に届いた膨大な報告書を皆で手分けして場所を書き出していく。すると京より西と武蔵、上野、岩代、羽前の国より北や東にある国の報告はなかった
「越後は一つだけで越中はいくつかあるな。この境辺りと信濃、甲斐もある。この辺りを見れば良いか」
彼らが書き出した木簡を見て、実穂高はひとり呟く
「それで良いと思う。昔の逸彦の口伝を思い返してもその辺りが境になる」
隠岐があるがそれは例外だろうと思ったので、逸彦は言わなかった
討伐の計画の為に集められた面々は、側に居ると落ち着いた
集まる中に居ると、安心感があり、仲間や家族と言うものがあるならばこう言う感じなのだろうかと逸彦は思った
佐織の翁は逸彦を息子のようだと言い、嫁を世話してやろうかと言い出す。逸彦は笑いながら断った。宮立の父子も、太方はその包容力に頼もしさと尊敬を感じたし、細方も兄弟か幼馴染に出会ったような心の知れる感覚があった。最年少の津根鹿は逸彦を兄のように感じるらしく、どんな話をしても感心しきりで、目を輝かせ聞いている。西渡は無口で余計な事は言わぬが、目を見ると常に暖かい眼差しが返って来た
こういう関わりが、これ程多くの者と同時にある事が初めてなので、逸彦は喜びを感じると共に、戸惑いも感じていた。
翌朝、朝餉を実穂高と水師と共にした
「麻呂が不在の間、邸の事などは知り合いの玉記殿に頼む事にする。万一の事あらば彼に伝令を出すよう頼む。彼は麻呂と水師の剣術の師匠だ」
実穂高は言った。そして逸彦に向き、問うた
「その玉記殿に会うが、逸彦殿も共に行くが宜しかろう」
何かあるのをわかっていて誘って居るのだろう。逸彦は頷いた。もう、この人には敵わない。順っておく方が良い
昼頃に、玉記殿の邸に行く
邸は応天門の近くだ
実穂高と逸彦と水師は、広間で待っている。どたどたと足音がする。戸が開くと、長身で浅黒い男が現れた。
「おお、実穂高殿、お待たせ致した」
玉記と言う男は、どかっと己の席に座り、逸彦を認めると、感心したように頷いた
「此方が己に会わせたいと言う御方か」
「そうだ。鬼退治をされている逸彦殿だ。此度、我の計画する鬼討伐にご参加願う事になった」
「左様であるか…」
玉記は彫りの深さで際立つ目で、逸彦をじっと見つめて沈黙した。逸彦も見返す。
逸彦はその面差しを見た事があった。琵琶湖の龍だ。小野篁だ。しかしおそらく相手は覚えていないだろう。逸彦は胸が一杯になった。言葉が出なかった。ただ頭を下げ、やっと一言挨拶をした
「宜しう…」
「此方こそ」
玉記は応えた。それから、実穂高は玉記に計画の事を簡単に話し、それは何週間か、もしくはひと月の廻りにも及ぶだろうと言った。
「よって我が留守の間、邸の事と、陰陽師の依頼があった時の中継ぎ、伝令を頼む。移動の度旅籠などから文は送り続けるつもりである」
「承知致した。実穂高殿もくれぐれもお気をつけて」
玉記は実穂高を見詰め、実穂高も真っ直ぐにそれを返した
その話の間耳では様子を聞きながらも、逸彦はほぼ黙っていた
三人は退席した
玉記は実穂高は何故鬼退治の逸彦を、此処に連れて来たのだろう、と考えた。あの男の存在感、部屋に居なくなっても尚、残り香が漂うかの様だ。忘れられぬ印象だった。鬼退治と聞くからもっと厳つく粗野なのかと思えば、洗練され芯の通った男だ。
そもそも、実穂高、何故鬼退治に熱心なのだ。昔から気になっていた
実穂高に初めて会ったのは、実穂高の元服とその披露の麦畑の豊穣祈願の儀の時だ。その風貌は幼くあどけなく頼りなげなのに、いざ儀が始まると誰も口挟めぬ程の威光で、儀式を進めた。その割に通年よりも早く終わり、周囲の公家は狐に抓まれたような呆けた顔をして、賀茂の当主はえらく自慢気でいた。これで安倍の鼻を明かせるとでも思っていたのだろう。何か面白くて、胸が空くような思いがし、腹の底で笑っていた事を思い出す。
その渦中で終始神妙な顔をして居た実穂高は、玉記を見つけると走り寄って来た
そして玉記を見上げると言った
「汝、麻呂と我が側付きに剣術を教えてたもれ」
玉記は長身を屈めて童の目の高さに合わせた
「己で良ければ構わぬ」
「礼を言う。それで、汝の名は何と申す」
何だこの童。己を誰か知らずに剣術を習いたいと?では己の剣術の腕、何処で見たのだ
「玉記と申す。何処ぞでお会いしたか」
すると、実穂高はそれまで硬くしていた表情を初めて緩めた
「いや、汝を見たのは今日が初めてだ。会えて嬉しいぞ」
そして側付きを従えて走り去った
その年の秋、その麦畑の収穫は通年の三倍は実った。その件を元に、華々しく披露目を飾った若き陰陽師は、実穂高と呼ばれる事となった
以来、実穂高は玉記の剣術の弟子であり、友であった
「実穂高が剣術を習得したかったのは鬼討伐をあの頃から念頭に入れての事だったのか」
玉記は独り言を言った
牛車の中で逸彦は言う
「我が黙っていて、玉記殿には失礼致したな」
「玉記殿はそのような事気にせぬだろう」
少しの躊躇いの後、実穂高は尋ねた
「やはり、宿世の知り合いか」
「そうだ。小野篁だ」
「左様か…、友だったか。また後で聞かせてくれ。話したいと思った時で良い」
実穂高は逸彦をそっとしてくれた。目を逸らし、逸彦が声を忍んで泣くのを見ないようにした
逸彦は龍になった篁に謝り己を許したと思ったが、まだ何か心につかえるものがあることを知った。玉記と話してそれを知りたいと願った。コウはその願いを拾い、愛へ渡した
人物紹介、決戦
逸彦…鬼退治を使命とし、鳥に導かれながら旅をする。宿世の記憶をずっと受け継いで生まれ変わりを繰り返している。移動は常に、山も崖も谷も直線距離で駆けるか木々を伝って行けば良いと思っている。寝る時は木の上
コウ…逸彦の心の中で逸彦の疑問に答えたり、導いたりする内なる声。コウは逸彦の命であり、鬼と戦う時刃を動かしている。宿世「コウと共に」で登場
実穂高…鬼討伐の責任者。陰陽師。実穂高は実名ではなく通称
水師…実穂高の側付きであり弟子。目指す相手の居所をわかる特技がある (宿世 和御坊、瑞明「コウと共に」に登場)
玉記…実穂高の京での信頼できる友であり、実穂高と水師の剣術の師 (宿世 小野篁「流刑」。水の龍 天河「コウと共に」にて登場)
実穂高が集めた討伐の面々
宮立 父 太方…亡き妻の口寄せを依頼して実穂高と知り合う。(宿世 宮地家の御当主で那津の義父「護衛」、村長「桃語る」に登場)
宮立 倅 細方…(宿世 宮地家の息子でご当主、那津の夫「護衛」に登場)
津根鹿 …妻子出産の祈祷で実穂高と知り合う(宿世 宮地家の孫で那津の長男「護衛」の最後に登場)
西渡… 妻の死体が蘇って歩き回ったという件で霊を鎮める祈祷を依頼し、実穂高と知り合う(宿世 男「桃語る」で登場)
佐織の翁…婆の病の相談で実穂高と知り合う (宿世 翁「桃語る」に登場)