【決戦】実穂高
この物語はフィクションです。
あんなに楽しく呑んだのは久しぶりだ。頭が痛い。逸彦は隣で未だ寝ている水師を見る
あたかも、あの頃のようだ。これでこの男に妻子がいたら。毎年幸せで暖かい冬を過ごした。我が家のように寛ぎ、帰る所があるというのは良い事だった。
やがてうめきながら水師も起きる。怠そうだ。
「汝と話すと楽しうてつい呑み過ぎた。あー、こんなに呑むは久しぶりぞ」
「着替えて来る。また後ほど会おう」
水師は帯紐も緩んだまま、着物を引き摺って客間から出て行った
実穂高の言っていた、我がこの話を受けるだろうとはこういう事だったのだろうか。嵌められたか。思わず口元が緩む。悪い気はしなかった
朝餉を一緒に食おうと実穂高が言っていると言う
童部に案内されて食事の用意される間に通される
そこには、実穂高が膳の前に座って待っている
逸彦の前にも膳が運ばれた。実穂高が先に食べ始めても構わない筈なのに、己の分が揃うまで待っていた。冷めてしまうだろうに。水師の言う、見た目で測らず、誠実という意味がわかった
「昨晩は水師と話したか」
気遣うように言う。実穂高は本当に若く見えるのに、口を開くとその雰囲気や語り口は年老いた者のような雰囲気があり、全く外見と合わぬ
「話した。友になるよう言うてくれたそうで、礼を言う」
実穂高は己が箸を運ぶよりも逸彦の食べている様子を見詰める時が長かった。それは母様である那由が子供であった己の食べる様子を見ているのと似ていた。子供扱いされているかのようで、きまり悪かった
「かように見られると食べづらい。母に見られているかのようだ」
実穂高は目を細めて言う
「麻呂は汝の母ではあらぬ」
「昨夜宿世がわかると水師殿から伺ったが、我の事もわかるのか。どれくらい知っているのだ」
実穂高は微笑んだ。
「汝と同じくらいか、それ以上か、それ以下かにわかる」
よくわからぬ答えだ。逸彦は実穂高の頭上を見た
「角はあらぬ」
実穂高は声を立てて笑った。何故角を確認したとわかったのだ。角の事を知っているのか。
逸彦が知っている鹿のような枝分かれした角がある者は、源信とその妹、小野篁と母様、那由だった。角ある者は愛の役と力を持っていた。信殿と篁殿は龍の化身だった。母様もそうだったのだろうか。だが、あの後会えて居ないのだ
「疑問が沢山ある事はわかっている。まずは我の事を話そう」
実穂高は親が不明だが、公家に拾われその家の童部をやって居た時に、賀茂の陰陽師に才を見出され、引き取られたという。そのまま陰陽寮に入り、術を覚えた。元から薬草にも勘が働いた。人の心に興味が強く、相手の問題を解決したいと思って話を聞くと、その因となる考え方が塊のような姿で見えるようになり、それを外すと相手は思考が柔らかく広がるようになる。そのうちにその塊の因は何かと奥を見ると、その者が宿世から抱えている業を己の目でも見えるようになった。忘れていても宿世の業に縛られる者は多く、どうしても人は同じような体験や失敗をなぞろうとする。宿世の事を話すだけで解決する事も多いと言う
「未だ目の前に会うてなくてもわかるのか」
「離れていても、相手の姿や出身、取っ掛かりになる情報がある程度あればわかる。それに、もう昨夜会うた。だから夜通し汝の事を観ていた。汝の心の記憶を」
逸彦は落ち着かない心持ちがした。昨夜見られているような気がしたのはそのせいか
「ああ、悪かった。見透かされるのは恥ずかしいよの。だが麻呂はそれが生業で性分なのだ。汝がどのような人物かを知りたいのだ。許してくれ」
軽く頭を下げた
「水師の心を観た時に、汝がはっきり見えた。どうしても会うてみたくなった」
「まさかそれで探し出したのか」
実穂高は答える。
「まさか、私情のみではあらぬ。討伐の依頼は朝廷より正式のもの。依頼主は巽の右大臣だ。だがその責任は我へ丸投げだ」
むしろ好機とばかりに実穂高は笑う
「鬼には困っておる。それでもここまで減ったのは誠に汝のおかげである。国を挙げて礼をすべきと我は思っておる」
「我は我が使命としてしているだけだ。国の礼言われる為ではあらぬ」
逸彦は話を変えた
「昨夜のあれは何だ。牛の乳酒が鬼に好まれるを知った者の謀か。水師の言うを聞くなら、現れるを知っていたようだ」
実穂高は溜息をついた
「左様だ。予兆があったと事前に水師に言うた。誰かが牛車に乳酒を塗ったと見える。明るくなってから牛車を取りに行き、香油を混じえて洗わねばならぬ。通りにあっては邪魔よの」
問題はそこでは無い。謀の方だ。この御方も少しずれている
実穂高は笑う
「そうよの、謀を行ったのは誰ぞ、の方だ。汝その件に何か引っかかる事があるな。話してくれぬか」
「話さなくてもわかるのでは無いか」
「話してくれた方が勿論より一層わかる。我が観たのと本人の受け止めにズレがある事もあるし、見落とす事もある。知るべき時にならぬと見えぬ事もある」
逸彦は源信殿の事を話した。
「嵯峨源氏の信殿か。その臨終に居合わせたのだな。心中察する。辛かったの、初めて信頼した友であったのに」
その声は嘘偽りなく、心から己の心内を思いやってくれていると感じさせた
「その死の責務は汝にある訳にはあらぬ。彼は全うしたのだ、その死も死に方も含め、彼の命であった。そのような暗示を見ては居らぬか」
何故ここまで己の事を見透かされてしまうのだろう。言われている事の全部がそうだった。信が龍の化身だと知った時に、それはそれで良かったのだと思った筈だったが、やはり心の隅では受け止めきれず、二度とそのような事を起こしてはいけないと気を張り続けている己がいた。しかしその死も命の内なのか
「そうだ。信殿は逸彦殿の前で引き継いで死にたかったし、逸彦殿もそうだ。それにより彼は龍へと戻れた。起こった事の全ては由があり、調和となり得る。ありのままに受け止めてこそ、その過去は成仏し、調和へと戻って行く」
「過去が成仏とはどういう事なのだ」
「過去は過ぎ去った時だ。今此処にはあらぬ。だが心残りあらば、引っかかって過ぎ去らぬのだ。だから受けとめ、よく味わい、その出来事がそうであったのはそのままであるとし、己が視点での由をこじつけるのをやめ、流れるままに委ねるのだ」
言われている事はそうだと思うが難しかった
「その出来事が神と愛の図りならば、そこに人智の由など付けても及ばぬ。汝自身を苦しませるような由を自ら増やす必要はあらぬ」
まるで愛と、那由と話しているかのようだ。心に安堵と潤いが戻るのを感じる
「実穂高殿、誠に汝は我が母、那由と関係あらぬのか。女が男に転生もあろう」
「転生で性別が変わる事もある。だがどうであろう。麻呂はあまり宿世を覚えて居らぬのだ。我が事が一番見えづらい。心して観るようにしている。過去も己自身が一番受け入れるよう心がけて居る。それでも至らぬところはあろう」
何やらこの御方はご自身に厳しいと見えた。それをつい指摘すると笑って言った
「どうしても、己でやらぬと納得できぬ。己に厳しは逸彦殿と似た者同士かの」
釣られて笑った
「那由という御方、観えるものも考えも似て居ると、水師の宿世を観と時思うたが、麻呂がそのように立派とも思えなくての。だが何か縁あろうか」
やはり似た者同士である。
「それで、お忘れのようだが、謀を行った者に心当たりあろうか」
「そうであったな。昨日の巽、奴にその度胸あらぬ故御自身ではあるまいし、依頼主である以上、失敗は望んではおらぬ。巽殿の周りのどなたかだな。誰かが居るとはわかっておった。昨夜のあの痕跡によって前より観えやすくはなったが、未だ特定できぬ。無関係の者を金で雇ったなら更に分かりにくい。もう少し痕跡あらば辿って観えよう」
実穂高は目を瞑って答える。何か目で見えぬものを観ているのだ。
「それはまた謀を待つという事か。実穂高殿、何か狙われる由あるのか」
「何かあるのだろうな。麻呂の牽制、そして逸彦殿には殺意であるな」
驚いた。都に来たばかりの己が殺意の対象というのは、どういう訳であろうか
「鬼退治されると都合悪い者が居るのであろうな…」
実穂高は目を閉じたまま、腕を組んだ。何か観ているのだろうかと思ってその顔を見入ると、実穂高は全く違う事を言い出した
「それで、水師は宿世の瑞明と同じ男か。どのように違うのだ」
興味深々なのである。若干呆気に取られる。何というか、鋭いのか和やかなのかわからぬ御方である
逸彦は、宿世の瑞明と顔も、性格も表現も同じでは無いが、根底にある流れのようなものは同じだと答えた。以前よりも落ちいついて見えるとも言った
「そうかそうか。そうであるな、成る程。されど汝の答える視点も的確であって、麻呂も話の通じる者が出来て誠に嬉しい」
何やら喜んで貰えたようであった
人物紹介、決戦
逸彦…鬼退治を使命とし、鳥に導かれながら旅をする。宿世の記憶をずっと受け継いで生まれ変わりを繰り返している。移動は常に、山も崖も谷も直線距離で駆けるか木々を伝って行けば良いと思っている。寝る時は木の上
コウ…逸彦の心の中で逸彦の疑問に答えたり、導いたりする内なる声。コウは逸彦の命であり、鬼と戦う時刃を動かしている。宿世「コウと共に」で登場
実穂高…鬼討伐の責任者。陰陽師。実穂高は実名ではなく通称
水師…実穂高の側付きであり弟子。目指す相手の居所をわかる特技がある (宿世 和御坊、瑞明「コウと共に」に登場)