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忘鬼の謂れ〜鬼と戦い続けた男  作者: 吾瑠多萬
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【城】禁忌の地

明朝俺が屋敷を出ようとした時、昨夜の木之下の妻君と娘が主君からと言って、弁当を手渡してくれた。気を使わせてしまったようだ。俺は礼を言って受け取り、夕方には戻る事を告げて出た


俺は大きな滝を目指して道を走り始める。あまり人目につくところで、木々を飛び移っているとびっくりされてしまうので、ここは普通に地上を行く。ただ、誰にも会わないところでは駆け足で走り抜く。

途中、小川で一休みしながら誰か着いて来るものはいないか周囲の気配を探るが特にはなかった。ここで今朝もらった筍の皮を開き、中の飯を腹に入れた。多分美味いのだろうが、今はやるべきことが頭を占めていて、それどころではない。俺は再び滝を目指し、やがて轟音響く池に着いた。

以前と変わらず大きな滝だ。滝の裏の崖を岩をつたって登ると中腹に洞窟があり、そこに小さな祠がある。逸彦は昔から度々ここで神と交信を行った。普段はあまり神と長い話はできないのだが、ここではより深く神と繋がって会話ができるので、様々な疑問や問題を神に教えを請うことができる。無論神にここへ行くように言われた時だけだが。今回はその啓示がないので滝には登らない。この後、禁忌の地へ行くが正面から入る訳にも行かないので、隠密行動になる。俺は近くの森に入り、木に登ると木々の枝を伝って禁忌の地を目指した


風穴の地について驚いた。祠の封印が解けているが、風穴を封じている岩は閉じたままだ。何者かが封印を解いたなら、風穴の岩を壊すなり外すなりして内部に入るはずだ。目的もなく封印だけを解く意味はない。普通は鬼の死を確認し餓死した鬼の骸を弔う為に、岩や戸板を壊し運び出す筈だ。だが当主は弟の墓は空だと言った。ならばここに鬼の骸がある筈だ


「お久しゅうございます逸彦殿。お美代にございます」

俺の中に声が響く。これは神が話しかける時と同じだ

「美代の方であるか・・・やはり其方も神の声が聞こえていたのだな」

「左様にございます。逸彦殿はあの頃とお変わりありませんね。

逸彦殿がここに来るのを、ずっとお待ちしておりました」


「俺が来るとわかっていたのか」

「はい、生前にそれも含めて神に仰せつかっておりました」


それから美代の声は、これまでに起こった事を話した。美代自身も、幼い時分から、時折何かが話しかけるような感覚があった。十を過ぎる頃には、会話が成り立つようになり、その声は野に出ている時に、食べられる木の実や山菜を教えてくれた。また家族が怪我をした時には、薬となる野草とその使い方を伝授された。それにより、美代は薬草に詳しくなり、才女として知れ始めた。逸彦が村に訪れたのはその頃である。この地に久しく来た役人がお美代に懸想し、契りを結ぶと、神からはこれから自らの身に起こる災いについての言葉が降りるようになった。自分の産む次男が幼いうちに鬼になること、そうなった場合には柿渋を飲ませて風穴に閉じ込めて封印すること、美代が亡くなったら風穴の側に墓を作ること、時が来たら封印は解けてしまうので鬼をこの地に留めるよう鬼を慰めること、がその内容だった


「しこをこの地に留めるとはどういうことか。弱い封印だったとしても数年は解けない。それまでに鬼は飢えて骸になっている筈だが」

「逸彦殿の疑問、最もでございます。それはこのもの、いやこの子が何も食べずとも生きていける、不死の体質を持っていたからです」

俺は驚いた。鬼は身体に損傷がなければ不死身だ。寿命というものもない。だが食べ物を食べることを必要とするのは人と同様であり、鬼を力で組み伏せることができなければ閉じ込めて餓死を待つ方法を取るのだ

「ならその子は風穴の中で今でも生きているということか」

「左様にございます。身体も成長し、大人の男のしこ(鬼)の姿になりました。封印は徐々に弱まっていたのですが、完全に解けると、この子は風穴から岩を動かして抜け出し、その度に兎や狸を、時折牛を引きずって帰り、食べるようになりました」


「封印が解けたのはいつだ」

「ユキヤナギが咲いていた頃と記憶しております」

これが昨日当主が対応していたという、牛が居なくなる原因か。しかし外に出れたのに、封印されていた地へわざわざ戻るものだろうか

「何故ここを出たその子はまた帰って来るのだ。そのまま自由になろうとは思わないのか」

美代は明らかに優しい声で俺に告げた

「それは我が子だからです。人として幼い頃にしこになりました故、そのまま大人のものの姿になりました。身体は大きくとも中身は童のまま。母として戻るように言いつける事は容易い事です」


「ただ...」

美代は少し悲しげに声を落とした

「外へ出ることを止めることは出来ませんでした。ずっと食べずにいた飢えはおいそれとは抑えられぬものだったのでしょう。野の獣と違って繋がれて動けぬ牛は恰好の獲物だったろうと思います。領地や近隣の村にご迷惑をお掛けしていると察しております。申し訳ないことです」

鬼は何十年も、何も食べず閉じ込められていたのか、幼い心のまま

「昨日、近くで争いがあったのだが、そこにしこが出た。儂が見た時には既に幾人かが流されしこになっていたのだが、もしや最初にいたものはこの子か」

「ええ、恐らく。帰ってきた時に沢山の人がいて遊んでいると思って近くにいったら、戦っていたので驚いて逃げたと申しておりました」

心が幼いから何かの遊びだと思って行ったのだろう。合戦場にいた人々は鬼がこちらに向かって突進してくるように見え、恐怖したに違いない。このまま放置するとまた同じようなことが起きる


俺は己の内側に意識を向け神にいかにも対処すべきか尋ねると、答えは鬼を斬れだった

美代の心境を考えると、気の毒な気もするが仕方ない、おそらく俺はこの為にここに呼ばれたのだから

「神からかのしこを斬るようと降りてきた。お美代には申し訳ないが俺は使命を果たさねばならぬ」

「覚悟は出来ております。よろしくお願い致します」

美代の震える声が言った

俺は剣を腰の鞘から抜き、もう一方の手を塞いでいる岩にかけた


意識が戻った時、俺は薄暗い洞窟の中にいた美代の押し殺したように泣く嗚咽だけが聞こえていた。俺は刀を戻した。足元には牛の骨と思われるものが散乱していた。差し込む光を頼りに目を凝らした。奥に倒れている子供の姿が見えた。鬼ではない。近くに寄って顔を見ると何故か満足そうに笑みをたたえており、目を閉じながらも天児(あまがつ)を握りしめていた。たった今、遊び疲れて眠ってしまったかのようだった。童なのだが、その顔は童のあの未だ経験の刻まれていない顔とは違う。大人の男のようにも見えるが、それにしてはあどけない。美代が封じる時に我が子の為に入れておいたと思われる、幼な児の好みそうな玩具が、他にもいくつか転がっていた


俺は子供を斬ったのか…

一瞬混乱が頭を占めた

「逸彦殿は本当にしこを斬られたのです。しこだけを。この子は人の姿で死ぬことができました。何とお礼申し上げたら良いか」

お美代は涙声で何度も俺に礼を言う。鬼だけを斬ったのは神技であり神だと言ったのだが、それでもお礼を繰り返す

「逸彦殿だけが、我ら親子を救うことができると神に伺っておりました。いつ終わるとも知れない全てから置き去りにされる苦しみから、解放されたのです」


「この子がそうなると聞いた時、少しでもそれを遅らせることが出来ないか必死に神に祈りました。神は大きな滝の中腹にある祠へ行けば判るとおっしゃいました」

あそこに行ったのか。美代のような普通の女が簡単に行けるような場所ではない。どれほどの覚悟を持っていたのか良くわかる

「あそこへ行くのは大変だったろ」

「夢中でしたから。登っている時の事はよく覚えていないのです。祠に行くと神の声がよく聞こえるようになりました。渋い柿を絞った汁を甕に入れ、数年寝かせた物を薄めて飲ますように言われたのです。作り方も教えて頂きました。柿渋はしこ等が嫌がるものでもあるから衣や戸板などに塗ると多少の効果があるとも言われたのです。領地に柿を増やすには干し柿を名産にすれば良いと思い、沢山の柿を植えました」お美代が領地に柿を植えた理由は干し柿ではなく柿渋の為か


「チチチチ」

突然鳥の鳴き声がした。いつの間に入って来たのか、見上げると一羽の黒い鳥が旋回し俺の目の前に降りた。童の亡骸と俺を数回見比べると洞窟の外に出て行った

「運べということか」

俺は天児を掴んだままの童の遺体を抱きあげ、外へ出る。鳥がすぐ近くの地面にいる。燕だ。燕は神の眷属なので何か起こると知らせているのだろう。俺は鳥の近くの地面に童の身体を横たえた。するとその横にお美代が姿を見せた。村で見た少女の余韻が残る時と違って、大人の女になっていた。まるで生きているようだが、身体は少し透けて向こうの緑が見える。美代は今にも起き出しそうな童の身体の側に座って、透けた手でその頰を撫でた。透けた手で頰の感触が感じられるのか、俺にはわからなかった。


そして俺を見上げた

「逸彦殿、本当にお世話になりました。神からこの子と共に戻るよう言われました」

それから少し躊躇っていたが俺の顔見た

「今の領地は平穏でしょうか」

長男の様子が知りたいのだろう。息災かとは聞きづらいに違いない

「俺は昨日ここへ来たばかりだが、領地は落ち着いているし、屋敷の中も穏やかで皆良く働く。嫡男の長男にもお会いしたが、貫禄もあり部下にも慕われているようだ」

美代は安堵した様子で頷く

「あの子も大人になったのですね、それは安心しました。それでは逸彦殿もお元気でお過ごし下さい」

俺は頷く


燕がチと鳴くと、空から一筋の淡い光が美代と童を包む。二人の身体の輪郭が見えなくなった。燕が飛び立つとそれに合わせるように二人を包んだ光は空へと登り、やがて見えなくなった。童の亡骸も消えて無くなり、天児がひとつだけぽつんと残った。俺はしばらくぼんやり空を見上げ佇んでいたが、やがて空の光は雲に遮られた。俺は祠へと視線を戻す


それから風穴を塞いでいた岩を戻し祠を封印し直した。この件は当主にだけは話しておいた方が良いだろう。領内のことだし、母君と弟君だ。俺は祠と美代の御墓の前に、咲いていた白い花を二輪摘んで供えた。天に戻ったのだからここに眠っているわけではないのだろうが、そうせずにはいられなかった。手を合わせ、天児を手に取るとそこを立ち去った。


来る途中に休んだ小川に着いた

俺はそこで身体を清めた。身体を拭きながら、天児(あまがつ)を握りしめた子供の顔が何度も浮かんだ。お美代は鬼だけを斬ったと言っていたが、意識が飛んだ状態なので確信を得なかった。また当主にどう話を切り出そうか、考えていた

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