【桃語る】鬼退治
この物語はフィクションです
醜、醜つモノ、モノーいずれも鬼の事を指す
毘古が目を覚ますと剣を捧げ声を聞いた頂きだった。起き上がると眼下には森が見え、遠くには海が見える。陽は雲間からさすがそれほど強くもなく、毘古の周りに落とす影は気怠そうにぼんやりしていた。毘古はしばらくそのままだったが、やがて腹が減っている事に気づいた
彼は嫗から貰った弁当を食べた。命を果たせばあの声の主と結ばれる(:結婚できる)、それを想うと内から溢れる愛で一杯となり幸せだった。声が誰なのか分からなかったが、それでもいい、と思った。何があっても命を果たそうと心に誓う
なみはやの月日千歳に秀でれば
吾は一切の言祝ぎを惜しまず
(意味:月日が速い波のように沢山過ぎ去り、立派に(命を)成したなら、私は(あなたに)祝福を惜しまず与えましょう)
毘古は何か美しい音がしたように思ったが、それが何かわからなかった。何処かで聞いたようにも思うが、それが何処だか思い出せなかった。
お腹が膨れ、これからどうするのかと思っていると、笛のような鳴き声がする
「ピユーーーー」
影を落とす鳥があった。しなやかで大きい鳥が上空を回りながら飛んでいる。鳶だ
内なる声が言う
あの鳥に順え
鳥が導く
鳶は大きく旋回し、降り立つ為に羽ばたきながら脚を伸ばして近づいてくる。毘古が自然と右肩を其の方に差し出すと、そこに止まった。肩の毛皮から伝わりくる爪が掴む確かな感覚に、鳶の信頼を感じた。毘古は思わず鳶の身体に頰を寄せてみた。心地の良い触感に少し頬ずりすると鳶も身体を寄せてくる。互いの絆をわかりあえると、鳶は毘古の肩を強く蹴って飛び立った
「ピユー ヒュロロロ」
鳶は眼下の森の方へ飛んでいく。毘古は頂きから飛び降りた
鳶が飛んだ森の中に道はない。獣道すらない。毘古は鳥を見失わないように、木の枝伝いに移動していく。森は鬱蒼と茂り光もあまり届いていないが、時折枝葉の隙間から木漏れ日が差し、その間に見える空に鳶の姿が見える。毘古はそれを頼りに追いかけた
しばらく行くと森が切れる。毘古が木の枝から飛び降りると、人の悲鳴や足音、何かぶつかり合う激しい音が聞こえた。鳶は其方に向かって飛んでいく。
最初に目に入ったのは、毛深く頭に角が生えた異様な姿のモノが、人を襲っている処だった。散り散りに逃げ惑う者が幾人かいた。これが話に聞いた醜つモノであろうと思われた。毘古は剣を抜くと意識を失った
気がつくと、倒れているモノと、先程襲われていた人がいた。二体のモノを斬ったようだった
「助けて頂き礼を言う」
人々は集まり、礼を言った。その中の男が進み出て言った
「どうか吾らの村へ来てくださらぬか。他にもこのようなモノが居るのだ」
毘古は上空を見た
鳶はその者の指し示す村の方角へ飛び去った
「わかり申した。伺おう」
村へ来てくれと頼んだ男は伊布津古と名告った
毘古はその男から事情を聞いた
村の中で初めて醜つモノが現れたのは一年ほど前だった。森から現れ、皆で追い詰め、その時には退治した。しかしその時に止めを刺した男に、変化の兆候が見えた。最初その家族はその事をひた隠しにしていたが、やがて完全に角が生え醜つモノへと変わり、家族はとうとう家に居られなくなった。他の家に逃げ込み、その事を話したが、その家族も立て続けに変化し始め、四体のモノに村は混乱に陥ったそうだ
「由はわからぬが、醜つモノと関わった者が、その呪いを受けるのであろうかと思う」
伊布津古は言った
「変化の兆候が顕著となる前は、家族以外の者も関わっていたのであろう。その者らは如何した」
伊布津古は考え込んだが答えた
「特に何も変わりあらぬな」
それについては決めつけずにもう少し考えた方が良いと毘古は思った
彼らは残りのモノがいる村へ急いだ
村は誰も見えなかった。倒れて喰われた亡骸と、まだ見つかっていない者は家屋に入り息を潜めて隠れていた。モノも居なかった。既にそれ以上獲物を認める事ができず去った後だったのだ。
彼らは家を一軒ずつ見回って安否を確認した。様子を伺い、森へ逃げ込んだ者達も戻って来る。殆どの者は無事で、襲われ亡くなったのは三人だった。その亡骸を村人で葬った。逃げたモノは二体いて、森へと逃げて行ったと隠れながら見ていた村人が言った。
村人は毘古を見た
「吾が行こう」
伊布津古も言った
「伊布津古も共に行く」
伊布津古は彼の持っていた弓を携えた
二人は森へと出発した
森に入ると、異様な雰囲気がする。毘古が良く遊んでいた頃に感じていたものと異なり、獣らが何かに怯え息を殺しているような、そんな気配だ。毘古は仰ぎ見て導きの鳥を探したが見つからない
「吾に任せよ」
伊布津古は先頭に立ち、森の中へと進む。
毘古は行く方角が違うような気がしたが、言われるままに後に着いて行った。暫く進むと木立の隙間から、開けた崖の上に一人モノが立っているのが見える。そのモノはこちらではなく、別の方角を見ている。森に行ったというモノのうちの一体だろう。伊布津古は毘古を手で静止すると、顔を寄せて小声で話す
「二人でもう少し近づいて、吾が矢を放ったら汝は飛び出して斬れ」
毘古は頷いた
二人は音を立てないように近づいていく。間近になり、矢も届くと思われた瞬間、モノはこちらに振り向き目を剥いて咆哮した。毘古は矢が放たれるのを持ったが、放たれない。毘古が伊布津古の方を向くと白目になって気絶している。毘古は瞬時に飛び出して、剣を抜くと意識を失った
毘古は意識が戻ると、モノがいた崖の上にいた。モノの亡骸は二体あり、己が斬ったのであろう、切り傷で絶命していた。彼が伊布津古のところへ行くと、まだ気を失ったままだった
「起きろ」
彼を揺する。やっと目を開けると、毘古を見る
「奴は逃げたか」
「吾が斬った」
伊布津古は起き上がり崖の上に行く。亡骸を暫く見ていたが、やがて矢をつがえると、亡骸に放つ
「何をしている」
「止めを刺した」
「いや既にこと切れている」
伊布津古は何も答えず、村の方へ一人歩き始めた。毘古はその後に続き、二人は村に着いた
「皆聞いてくれ、吾が退治したぞ」
毘古は怪訝な顔をする
「いや、既に亡骸だったモノに矢を放っただけだろう。汝は気絶していた」
それから宴会が始まり、伊布津古はその中で己が如何に勇猛に戦ったのかを演説した
毘古はもう諦め、そのままにしておいたが、その話を聞かされながら呑む酒は旨くなかった
「気にされるな。あれは口先だけだ。弓の腕が大した事あらぬ事皆も知っておる」
「そうそう。吾らは皆、感謝しておる。礼は皆から集めできるだけ致す」
その晩は村人の家に泊まり、翌朝、皆の家から少しずつ集めた塩と保存食を包んで渡された
村を出発し歩きながら、それまで黙っていた内の声は話した
あの時己が行く方角が違うのではと思ったのは正しかった
風上から近づいたのだ
よって吾らの動きはモノに知れていた
崖に見えた時は一人であったろう
誘い出そうと目立つ所に居た
もう一人は隠れて居った
「そうだったのか。獣のようになると聞いたが、知恵が回るのだな」
獣の勘くらいは持ち合わせて居る
充分気をつけよ
鳶の鳴く声が聞こえた
見上げると鳶は旋回し、誘うようにある方角へと飛んだ
毘古はその方向へと走った