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忘鬼の謂れ〜鬼と戦い続けた男  作者: 吾瑠多萬
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【コウと共に】風の時

作中に歴史上の人物が登場しますが、この物語はフィクションです。



辺りが明るくなると二人はそこを離れて京を目指す。京の街並みが見えてくると、あちこちの建物が崩壊していた。街道では京を離れた旅人と思われる人々とすれ違う。その会話の中でどこそこの寺の巨鐘が落ちたとか、あそこの寺の回廊が倒壊したとか、東にある寺の塔が破損したとか、色々聞こえてくる。中にはどこかで津波が起きたらしいなどの話もあり、京の被害は大きいようだ。


その話が耳に入る度に、和御坊は口の中で女子(めなご)への心配を口にしては、己が内でそれを打ち消していた。


京では、家を片付ける人、行方のわからぬ家族を探す人、崩れた土砂を掘って片付ける人、皆何かしら追われるように動き回っていた


和御坊と逸彦は、和御坊の想いびとである女子の家のある区間に向かっていた。


「家はあちらの方の筈なのだが…」

和御坊は首を傾げた。そして家とは反対側に歩いて行こうとする

すると向こうから水の入った桶を抱えてこちらに歩いて来る女子が見えた

和御坊はその女子を遠くからじっと見つめた

女子もその視線に気づき、こちらを見た

「あの女子だ」

女子は気づいて、桶を地面に置いてこちらへと駆けて来た。和御坊と逸彦もそちらへ走り寄った

「もしや瑞明様ですか」

「おお、ご無事であったか。この地揺れ、如何したかと心配して居った。心配で走って参った」

「我の為にでございますか」

女子は見た目にも明らかな程に顔を赤らめた

逸彦は思った。これは、絶対に嫌われていないだろう。

逸彦はその女子に会った事があるような気がした。女子も逸彦の顔を見て、僅かに首を傾げる。コウは言う


“ 宮地家に嫁いだ那津の乙子(おとご)(:末の子)だ”


思い出した。あの宿世、那津は宮地家の跡取りに嫁いで二児がいた。その妹の方だ。

己の腰くらいにも届くか届かぬかの背丈で、己を見つけると嬉しげに走り寄り、己の袖先や指先を掴んで離さなかった。草木や鳥の名を尋ねては喜んでいた。那津に似て賢くなりそうだと思った。


逸彦は嬉しかった。女子には那津の微かな相があった。宿世だったとしても、また覚えていなかったとしても、あの母に育てられた事があるなら何の憂いもなく和御坊を任せられると思った


「この方は逸彦殿だ。今しばらく、共に旅をして居った。唯一無二の友だ」

「それはそれは。我も瑞明様の大切なお方にお会いできて嬉しう思います。どれ程の時か長うありましたが、瑞明様、その後、僧になられたのですね?ご立派でおられます」

女子は和御坊の衣を見て言う。僧侶の着物を着ているので、もちろんであるが、既に着物はぼろぼろだ

「ああ、いやあ、これは。我は種々あって、もう僧侶は辞めようと思って居る。それで、これからは…」

和御坊、いや瑞明はじっと女子を見つめた。女子もその熱い眼差しを見つめ返す

「そのう、あのう…、お、お、おひとりでありまするか」

「はい?」

何を尋ねられたのかわからず女子は戸惑っている。いや、此処には一人しか居ないだろう。その言い方ではわからぬだろう。逸彦は心の中で応援する


「あのう、なんだ。えー、未だ誰とも契り交わして居られぬか」

女子は上気した顔を両の手で抑え、俯いた。

「はい、申し訳ありませぬ」

瑞明は何を謝られて居るのかわからなかった。

「その節は、我嬉しうて、恥ずかしうて、逃げ申した。折角言うてくださったのに」

女子は後ろ向いてしまった。そのまま続ける

「そのまま見送る事もなくお別れとなり、どれ程己を責めたかわかりませぬ。このような我を、瑞明様がお許しになられる事はありませぬ」

瑞明は女子の顔を後ろから覗き込んだ

「いや、そのような必要はあらぬ。我は今も汝を思うと、あの、その、つまり…」


「其方様が我にとっての愛だ」

女子は吃驚して瑞明を振り返って見た

「我が愛の呼び水は汝だ。我が心を喜びで満たすのは汝だ。我が愛を知る鏡は汝だ。汝と離るるは恋しい。これから、一緒に生きていきたい。共にいたいのだ」


女子は時の永遠に触れた

「嬉しう思います。我も…」

二人は見つめ合った。二人の間の空気は光に彩られ、濃くゆっくりと流れる水のようだった

瑞明もまた、時は永遠なのだと知った


逸彦はその光景を見て嬉しく思った。何かが報われた気がした。大切な友の大切な場面に居合わせる事が出来た事も、愛の恵みと思えた。己が時の永遠に触れる様子を、外から見る事は無いからだ。二人の周囲にはあたかも輝きが満ちるようであり、見る者の心に素直な祝福の気持ちをもたらすのだった。


周囲を道行く京の人々は、この災害を心憂く思っていた。こういう光景をその時に見たならば、我が不幸と比べて僻む者もいるのだが、二人に漂う愛は真実であり、あまりにも純粋だったので、誰もが微笑ましく祝う気になった。その場に居合わせるという幸に恵まれたのは命の時を生きようとする者のみだった。それこそが愛の為せる調和である。

此処に居る二人はその中にある一条の光のように見えた。見る人々は口には出さなかったが、この最中(さなか)に行方不明の大事な者に出会えたのであろう光景を吉兆として受け取り、心の内で自らを勇気づけた


出来事は大地が本来に姿に戻ろうとして起こった身震いだ。災いと受け取る者にとっては、これは災いに過ぎぬ。だが失う事を経て見出されるものを受け取れる者は新しき器を受け取る。今日をどのように生きるのかはその人に掛かっている


逸彦は二人が落ち着いた頃、話しかけた

「我も祝う。瑞明良かったな」

女子に向いて言う

「瑞明は誠実で、正直だ。一緒にいてこれ程安心できる者も居るまい。その気持ちの表現は率直で、豊かさで、飽きぬ。汝らは良き夫婦となるだろう。あと瑞明は商いも上手い」

「我は飽きぬか、逸彦殿もだが」


[命は常に新しきを知るを求め

愛は常に新しき道を紡ぐ]


それから二人は女子の家に行った。家には殆ど被害は無かった。井戸水が濁った為に少し先の川へ水汲みに行っていたようだ。両親は彼らの訪れを喜んだ。仕えていた安倍家の三男が行方不明になったその当時、娘は大層塞ぎ込んで両親はとても心配をしていたのだ。安倍の家では瑞明を勘当したと言わず逃げたと言ったそうで、年頃になっても誰とも会わず、誘いも断って今までいた。己のせいで居なくなったのかと思い悩み、己は誰とも結ばれずに尼になって寺にでも入ろうかと言う始末だった

「いや、寺に入っても良い事はあらぬ。寺に求めた事の全ては逸彦殿と汝が持って居た」

瑞明は言った。また女子は顔を赤らめた

それから、様々な話をした。寺での事、何故安倍家を出たのか、逸彦との出会い、龍との旅。龍が地揺れを起こした事は言わなかった。それは二人の秘密である


暖かく迎えられ、二日程その家で過ごした


やがて時が来る予兆を感じた

また逸彦は旅立たねばならない。今までになく去り難く、寂しく感じた

思えば、このような気持ちになる事を恐れて、親しい者を作らずにいたのだった

コウが言った


“しばしば会いに来れば良い”


「良いのか」

己にそのような事が許されるとは思わなかった。己の意志で何処へ行きたいとか、誰に会いたいとか決めた事は無かった。それは神が決める事だと思っていた


[神が決めるが

それは己の願いによって

何処へ行くのかを決めているのだ]


逸彦は驚いた

神の言うことは一方通行なのだと思っていた


[愛は命を喜ばせたいのだ

己の望みを叶えない訳あるまい]


逸彦は再び鬼退治の旅に戻ったが、毎年雪の降る時節になると、瑞明夫婦の家に寄った

逸彦にとって移動も食べる糧もままならぬ冬は、廃村の空き家を借りてか、小さな掘立小屋を建てて、冬篭りするものだった。このように家の者が火を囲んで過ごす日々がある事を初めて味わった


逸彦は瑞明に会っている間は笑ったり、泣いたりを素直にできた

瑞明は友であり、己を知る鏡であった。瑞明を見て、己もそうだと思う事も、瑞明を見て己もそうあらねばと思う事も沢山あった。その先も沢山の人と関わったが、何を良きと感じ、何を愛しきと感じるかが同じ心である事は稀有であり、その出会いは尊い事なのだと悟った


やがて夫婦の間に生まれた子も、毎年冬の逸彦おじさんの訪れを楽しみにしていた

夫婦は毎回逸彦を大歓待し、送り出す時にはまた保存食をしこたま詰めた荷を持たせた。夫婦は睦まじく、いつも楽しそうにしていた。


それを見て、逸彦もまた、唯一の妻が居る幸せに少し憧れた。だがそれを己が望んで良いのかわからなかった

女の経験が無い訳では無い。だが逸彦にとって、それは神の如き力や権威を利用しようと近寄って来るものか、その力を恐れて近寄って来ぬものだった。鬼退治の逸彦として目に映るが、その奥にある己自身を見られた事は無かった

我を見てくれたのは那津であり、母である那由だ。

愛する女と思って思い浮かぶのはそれだけだが、それは果たして女に対するものなのか。母の本質が愛だから、そう感じるだけなのか。わからなかった

あの時、同世代の那津として生まれ、那津が嫁ぐ身で無かったならば、己はどうしたのだろう。だがそれ以上考えるのは怖いのだ。正直、母で良かったと思っていた。何処かに真に好いた女が出来たならば、己はもう旅など出来ないだろう。鬼を斬る厭わしい己が誰かと人生を共にするとは考えられなかった


それでも

それでも、瑞明を羨む気持ちはどうしてもあった。深く愛を知る事の出来る相手が居るというのは

愛の呼び水となる伴侶が居るというのは

そんな誰かが居たら良いと思わずには居られなかった

それは誰かを愛したいという願いだった


コウはそれを待っていた

最も尊い願いだ

コウはその願いをそっと拾い、愛の元へ預けた


人物紹介 コウと共に


逸彦…鬼退治を使命とする。宿世の記憶をずっと受け継いで生まれ変わりを繰り返している

コウ…逸彦の心の中で逸彦の疑問に答えたり、導いたりする内なる声。コウは逸彦の命であり、鬼と戦う時刃を動かしている。

和御坊(わごぼう)こと安倍瑞明(あべのずいめい)…目指す相手の居所をわかる特技がある。安倍家の三男だったが性格が正直過ぎるので親兄弟に勘当され、陰陽寮から追い出された。その後、仏道を志すが色々あって寺から逃げた


宿世の登場人物


那津…那由の子供として暫く生まれて来ない時に、同じくらいの年齢で生まれた人格。商家の娘那津を嫁ぎ先まで護衛する「護衛」に登場

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