【コウと共に】ひしづめのまつり
作中に歴史上の人物が登場しますが、この物語はフィクションです。
大きな川に着くと、川渡しの船頭に金を払い川を渡る。ここで一息つく。日は天頂からやや傾いたくらいで、雲の峰の間合いから日を注いでいる。二人は大きな岩に座り、川を見ながら旅籠で作って貰った朴葉に包まれた飯を食う。川音以外に聞こえるものもなく、川が川自身の道をゆく様を見ていた。逸彦は川はそこを流れることが使命であり、愛なのだろうと思った
「逆らわずゆくことは川の流れに身を任せる様なものか」
“そうだ
今現れる様を受け止めることだ
川の水は下へと流れるが
水の中の動きは複雑だ
それを一つ一つ受け止めれば良い
只流される事ではない
時にそれに逆らい行こうとしても
それも愛だ”
「川の流れを見ていて飽きぬのは愛である故か」
和御坊も逸彦と同じ事を思っていた
二人は川を見る事に満足すると、再び鷲林寺を目指す。寺を経由して見える峠を登ると、ゴツゴツした岩場につく
「着いたか」
和御坊と二人で周囲を見回すが、特に何もない。さて、どうしようかと思っていると、
突然、気配を感じた。金剛だ。前回はひれ伏したが、今回は会えて嬉しい喜びで一杯になる
空から光の球がゆっくりと降りてくる。それが地面に降りると光が溶けて金剛が現れた
二人は金剛との再会を喜んだ。金剛に天河と会った事を話す
「天河殿が篁なら、金剛殿は信殿と思っても良いのか」
金剛はそうだとでも言うように目を瞬いた。
「そう言えば、もうひとり角がある者がいると聞いた
源信殿は妹君にも角があると言っていた。その方も何か役があり、龍に戻られたのか」
金剛は少し哀しそうな顔をした
“妹の潔姫は役から逃げた
己が己である誉れを受け取らず
その身を世に置く事を厭い
誰にも心を開かなかった
感じることを味わわず
存在せぬかのように自らを扱った
その者を通じて行われる筈の事は起こらず
その役では無い他の者によって穴埋めされた
それも政事が善き方に向かわず
信が帝になれぬ因の一つだった
それだけではあらぬが”
「そうなのか。愛の役があるにも関わらずか」
逸彦には全く理解できなかった
“力を貸していた龍は
貸したものが返されず
完全なる姿に戻れぬ故
困っている”
「それは誠に残念な事だ。我がそのような事が起こしたら恐ろしいと思う」
“逸彦と和御坊は起こさぬだろう”
「何故だ」
二人は同時に声を揃えて訊いた
コウは可笑しそうに言った
“湖であれだけはしゃげるのだからな”
二人は少しきまり悪そうにした
“それは良き事なのだ
二人は愛を愛して居ろう
そして愛に愛されるを無視できまい
潔姫は信を愛していたが
その愛を表現せず認めず心底に隠した
その愛を認めたならば役をやらねばならぬと
薄々気づいておった故だ
誰しも己を知り己の中の愛を知る為に愛する他者が居る”
和御坊は京の恋する女子を想い、逸彦は母を想った
逸彦は那由や那津を愛するに己が値するのだろうかと思った
俺を愛する事で母様は、愛は何を得る事があるのだろう
和御坊を見た。和御坊はその女子の事を考えるだけで幸せそうだった
母様は俺を想うだけで幸せなのだろうか。母様は偉大で遥か多くを知っている
いつも笑を湛えている。そうで無いのは俺の苦労に涙した時と、俺が倒れて介抱された時だけだ
コウは言う
“愛は愛しい命である汝を見るだけでも幸せなのだ
逸彦、汝の幸せが愛の喜びなのだ
素直に受け入れよ”
和御坊は言った
「我はかの女子の事を考えるだけでも愛おしさに顔映ゆる。もしこのような望み烏滸がましいやも知れぬが、向こうもとなったらもう…」
顔が緩む。そして気恥ずかしさについ頭を抱えしゃがみこむ
「これの何処が己を知るのであろう」
“愛を愛と見出す者は己の内に愛を持つ故だ
相手に愛される代償に愛するのではない
見返りを求め愛するのでも無い
相手は愛の呼び水だ
愛が起こるは然り逆らう事も留めることもできぬ
己の内の愛を感じることこそ大切なのだ
それが己の内にある事を誇れ
愛がその身体を通じて表される時にはいつも道の只中に居る”
“さあ、此処でなすべき事を成そう
汝らは己が心の呼ぶままに此処を目指した
信と鷲林寺について話した時に思った事を思い出してみよ
と金剛は言っている”
逸彦は目を閉じて遠い記憶を呼び覚ました
「物や道具に役があるように、地にも役がある。それを人が無理してねじ伏せると何が起こるのか」
「人がその地に住むはその地の役を全うする事でもあり、地と己の役が調和しているものが人だと信殿は言われた」
「我は人がその地に生まれるのは理由があり、地と人の目的が調和するなら、人は地の一部なのかと思ったのだ」
「それで良いか、金剛殿」
金剛は目を閉じて考えるようなそぶりを見せた。それを見て逸彦は嬉しくなる。信殿が人の話を深く受け止めようとする時に見せる懐かしい癖だったからだ。
“信が金剛のとある化身であったと同じく
人はその縁ある土地のとある化身である
そして金剛は更にこの地全体の化身である
金剛は地の龍だ”
地の龍、金剛は誇らしげに胸を張った。その姿は威厳に満ち、だがやはり愛らしかった
金剛は叫んだ
“これぞ我が時 我が望み
今此処に我は己が本来の姿へとこの身をもって献じよう”
その声は言葉を超え、コウが伝えなくても伝わった
その響きに、何故か二人は心打たれて立ちすくんだ
龍は天を仰ぎ吼えると、そのまま山に向かって突っ込んで行った。ぶつかると思いきやそのまま大地に吸い込まれるように消えた
その時、地は揺れた。その揺れは激しく、もはや立っている事もままならなかった
二人は尻を地につけ、我が身を庇った。だがこの地震が悪いものでは無い事をわかっていたので、恐ろしくは無かった。
逸彦は笑いが込み上げて来た
声を立てて笑った
和御坊も笑った
しばらく笑い、その波が引いた
そして二人は泣いた
金剛の姿はもう無かった
その献身は愛への愛だった
龍だったものが愛の役を終えて還る様を見た
そして、地の揺れが収まると、景色はまた違って見えた
同じく見える岩の山が、違う国のように神々しく美しく見えた
日は傾き始め、夕暮れの赤に色を変えていた
かかる雲にその色が映え、岩肌も赤く染まった
二人の顔も黄金に染まった
「金剛にはもう会えぬのか」
逸彦は呟いた
“今の金剛には会えぬかも知れぬが
次に金剛のなりたかったものには会える”
「そうなのか。会えるのだな」
また巡り会えるのだ。失っても失っても、それは真の意味で去る事はない。大切なものにはまた必ず巡り会えるのだ。その時に、金剛のような崇高な愛を表せる者に成長したいと思った。あの姿を見て龍の威厳と圧倒されるような存在感が何処から来るのかわかったような気がした。
二人はその場所で野宿する事にした
携帯食を少し食べ、少し眠った
前にも此処で野宿した
その時には逸彦の代変わりの話、和御坊の生い立ち、種々(くさぐさ)話をした
同じ場所だが遠い昔のようだった。あの時には苦しいと思っていた事も含めて、今は全てが楽しかったと思い出された。
眠りながら、心の中でコウと話していた。
火鎮の祭
人物紹介 コウと共に
逸彦…鬼退治を使命とする。宿世の記憶をずっと受け継いで生まれ変わりを繰り返している
コウ…逸彦の心の中で逸彦の疑問に答えたり、導いたりする内なる声。コウは逸彦の命であり、鬼と戦う時刃を動かしている。
和御坊こと安倍瑞明…目指す相手の居所をわかる特技がある。安倍家の三男だったが性格が正直過ぎるので親兄弟に勘当され、陰陽寮から追い出された。その後、仏道を志すが色々あって寺から逃げた
宿世の登場人物
小野篁…逸彦の幼き頃、隠岐の島に島流しになった篁と出会う。篁は那由に恋心を抱きながらもこの母子との関わりで心眼を開き、京に戻り己の使命を果たさんと政事に関わった 「流刑」に登場
源信…京で流刑から戻った篁と親友になり、篁の死際に隠岐の島の那由とギョク(逸彦)の事を聞く。その後上京した逸彦と出会い、友となる。逸彦が初めて深く関わり友として愛し信頼を寄せた人物。逸彦は再会するがその臨終に遭遇し、助けられなかった事を深く悔やむ 「上京」に登場




