【コウと共に】祈(うけい)
作中に歴史上の人物が登場しますが、この物語はフィクションです。
それから三日三晩、雨はずっと降り注いだ。まるで何かを念入りに洗うかのように雨は強くなったり弱くなったりの繰り返しだった。実際、大地は洗い清められていた
ようやく晴れ間が出て、二人は旅籠を出た。
コウや鳥に導かれたわけではないが、鷲林寺の近くにある金剛と出会った場所へ行くことにした。二人は理由はわからないが、そこへもう一度行きたいと思ったからだ
「和御坊は鷲林寺の辺りに行った事があると言っていたが、それもお山の仕事か」
「あの寺はお山と関係があるので、お使いによく行かされた。そうだ、あの寺には逸話がある」
弘法大師が寺を建てる場所を探していた時、仙人が夢の中に出てきて、この地に寺を建てよと言われた。そうしようとしたら火を噴く大鷲に妨害された。大師は大鷲を撃退し不動明王に封じた、と話す。それと同じ話を、源信殿にも聞いた
「火を噴く大鷲とは如何にと思っていたら、金剛様に出会って何か納得出来た。この話は本当なのだろうか」
“金剛は封じられていないが本当だ
金剛は何故妨害したと思う”
逸彦は話を伝えると
「寺があると困るからか、寺は何か隠(:鬼)と関係があるのか」
“そうだ
京を襲う予定だった隠はここから放たれた
金剛が土地を治める役として身を置いて居たのが
あの寺があった地
留守にしている間に建てられた
元は金剛を祀る社があった
それを寺に変え
土地の力を奪った”
和御坊にこの話を伝える
「ならば大師が行ったのは土地を奪う目的だったという事か」
“違う
夢に出てきた仙人に騙された
単に利用されただけだ
世には命に反する意識の集まりがある
その大元が伝えた
仙人ではない”
「我が神の啓示を受けるように、反命の大元が啓示を降ろし、それに惑わされる人がいるという事か」
“そうだ
何故そうなるのかは心向きだ
愛と神の方を向いている者には愛と神の声が届き
命や運命に疑いをもつ者には
邪なるものが話しかけて道を外させようとする
表向きの行い似て居ても非なるもの
心ならずしてそうなったとしても
それを信心するは反命に力を与える
よって愛に基かぬ信仰こそが隠を広げる因子
己の運命を嘆きそれを停めようとする意思は
伝染し隠の心取り付き易くなる”
“負のものに己が存在意義を依るはそれを信仰と同じ事
隠に頼る寺も陰陽寮も
隠を信仰し力を与うる
それが先ず隠を広げる因子だ”
「心の向きか…同じ事を言ってもやっても、心が何処に向いているかで結果は全く異なると」
“そうだ
生きようとするものと生きる事に目を背けるものが
同じ言葉を発してもその意味は異なる
命の本質は言葉ではなくその心にあるからだ”
これは心して生きねばならぬと逸彦は思った。神の使命があるのに心が神や愛に向いていなけば、鬼を斬っても使命を果たしていない事になる
「生きる事にもっと真剣であらねば」
我御坊も逸彦と同じ事を思い、言った
“肩肘を張って生きろと言う事では無い
愛と神の存在を感じようと思うのなら
その囁きに注意を向ければよい
内なる我は唯一無二の命を持って生きている
決して悲観することも下卑することもない
現れ結ぶ果は人智を越えて愛である
それを恐れず受け止め満たせば良い
汝の道は愛へと繋がっている”
二人黙ったまま道を歩く。
この一足ひと足の踏みしめる道は愛へと繋がる。その先に結ぶ果とはどういうものだろう
逸彦は思った。己は鬼を斬ることのみを考えていた。
しかし、鬼がこの地に居なくなったならば、それはどんな世なのだ
鬼が居ないという事を思い描く事ができなかった。それについて考えようとすると、底知れぬ不安が腹の底に靄のように渦巻いた。己と鬼の存在が同意義のように思えて仕方無く、それ以上考えたくなかった。鬼に頼る寺や陰陽寮と己は何を違うと言うのだろう
母様が己の苦労が続く事を想い流した涙を思い出す
母様、愛と神の為に、使命をやり遂げる事を再び心に誓った
鍛治の親方がくれた鍋を思い出す。あの時、刀を溶かした金が命を絶つものではなく命の糧となるものになりたいと言ったという
そしてそれができる事の証しとして、愛が鍋をもって見せたと那津は言った
俺をそうしてくれ、どうか俺を命の為に、愛の為に使ってくれ。そういうものになりたい。そうならば、鍋でも何でも良い。我が身を尽くして喜んで愛の道具となろう
コウは心の声を聞いたが何も言わなかった
人物紹介 コウと共に
逸彦…鬼退治を使命とする。宿世の記憶をずっと受け継いで生まれ変わりを繰り返している
コウ…逸彦の心の中で逸彦の疑問に答えたり、導いたりする内なる声。コウは逸彦の命であり、鬼と戦う時刃を動かしている。
和御坊こと安倍瑞明…目指す相手の居所をわかる特技がある。安倍家の三男だったが性格が正直過ぎるので親兄弟に勘当され、陰陽寮から追い出された。その後、仏道を志すが色々あって寺から逃げた
宿世の登場人物
源信…京で流刑から戻った篁と親友になり、篁の死際に隠岐の島の那由とギョク(逸彦)の事を聞く。その後上京した逸彦と出会い、友となる。逸彦が初めて深く関わり友として愛し信頼を寄せた人物。逸彦は再会するがその臨終に遭遇し、助けられなかった事を深く悔やむ 「上京」に登場