【コウと共に】水の音(おと)なひ
作中に歴史上の人物が登場しますが、この物語はフィクションです。
逸彦の内なる命、コウが問う
“ 和御坊に問おう
汝の名にみずを意味する語があるのは
汝がみずと関係があるからだ
みずとはなんぞや”
逸彦は伝える
「うーん」
和御坊は頭を抱える。逸彦も考えてみたが、コウが何を聞いているのかわからない
「和御坊、コウが最初に言った汝の名から考えてはどうか」
「名であるか。我は瑞明故にみずを明らかにすると言う意味か。我はみずを知っているという事か」
“そうだ
みずを知るものだ
みずは渇きを潤し木々を育てる
みずは高きより低きに流れ逆らわぬ
みずは雨となって降り地を流れ海へ注ぎ
また天に昇り雲となる
地表渇いても地中には見えぬみず流るる
みずはあらゆる隙間に入り埋める
みずは器を満たし溢れるもの
ならば汝の使命はなんぞや”
和御坊は再び頭をかかえる
「水のようである事か?」
“そうだ
それはすなわち愛だ”
逸彦は宿世で子供の頃に雲を掴む修練をしようとした事を思い出した。あの山に雲がかかっていると思ってそこまで走って行くが、辿り着くと雲はそこには無い。追ううちに頂上に着いてしまったが、雲は依然として頭上にあった。その事を母様に言うと諭された
「雲は愛なのです。愛が掴めぬように、雲も掴めぬのです」
「愛は手に入らぬのか」
と問うと笑って言われた
「いいえ、愛は全てに満ちているのです。掴む前に、既にぬしの手にあるのです」
“今はこれくらいで良いだろう
飯を食え”
二人は夢中になってコウと話をしていたので、食べる事をすっかり忘れていた。椀の中身は冷えていた。和御坊は椀の中身を鍋に戻してかき回し温め、逸彦は魚を焼き始めた。
二人は飯を食べた後、衣を着てそこを発った。何をすべきかわからないが、コウは何をせよとも言わぬし、導きの鳥も現れなかった。逸彦は何か試されているのかと疑ったが、二人で話合い、川に沿って行く事にした。水の話があったからだ
水は高きより低きに流れる
水は水源から湧いて幾筋かの小さい流れが集まって小さい川となり、また地形に合わせて分流するが、川は海に注ぐ
この川の流れを辿って登って行くと琵琶湖がある筈である
海かと見紛う広い湖だ。海水では無い。初めて見た時は驚いた。島に住んでいたから、ここも島の外れなのかと思った。しかし、岸に沿って行くと、向こうへ辿り着ける。同じ水なのに、見える様はそれぞれの場所によって全く違う。湧いている場所によって味も違う。
これが愛なのか
海は繋がっているのに、島によって見える景色が全く違う事を思い出す。あの時は、隠の因子となる古代の黒岩を斬った。それから、那由と時の話をしていた。時は喜びであり、永遠なのだと。
二人は道々疑問をコウにぶつけていた
「命の時から外れる事は罪で愛が裁くと言うのか」
コウは笑う
“言ったように罪も罰も無い
命の時から外れ道無き者に喜びも無し
生きながらの死
死にながらの生
その苦しみは如何なる罰より重きもの
本人の求め選びしものだ
既に罰は自ら受けている”
「何故愛はそうするを許すのだ。愛の力でそれを停められぬのか」
“愛は逆らわぬ
愛は命を命のままにする
その願いが他愛なきものでも
その願い叶える
道から外れしものにも
機会を与える
愛は世に満ち
いつも囁く
しかしその声聴くも聞かぬも
その者の願いのまま”
“愛は知る
満たされ満たす事こそ終わらせ
満たし溢れる事こそ地の理を戻す事になると
故に愛はままに与える
それをそれたらしめるもの
愛の力”
二人は愛がいかに愛であるのかという事に、心染みた
それは偉大で、確かに人智を超える視点だと思った
“愛は命の全てを知る
命の苦しみを感じ共に苦しむ
だが苦しむ望み哀しむ望みあらば
それを叶える”
「苦しみたい、悲しみたいと願うのか。何故だ」
“喜びを喜びと知る為
苦しみ哀しみは喜びを浮き彫りにする
恋は愛を浮き彫りにする”
二人は黙ってしまった
確かにそうだ
しかし、自分の苦しみが己の願いだとは受け入れ難かった。誰しも楽しく幸せになりたいものなのでは無いだろうか。
“その知己の崇高な願いの前に
全ての苦しみ哀しみは幸と喜びへと姿変えん”
難しかった。受け入れる事が難しいと思った。心に留め、それを噛み砕く時がかかると思った
黙して歩くうちに日は暮れて夜が近づいて居た
二人は食事の準備に取り掛かった
食べている間、二人は軽く口を開く気分にはなれなかった
あまりに素晴らしき事を聞き、また深き事を聞いたので、よくよく心に留めて己が内を振り返りながら受け入れるしか無いと思っていたのだ
口に出すと、己の受け皿にやっと留めている思いが、溢れてしまいそうだった
眠りながら、何かが行われている事を知らない
眠っている内に、彼らの整理しきれぬ思いを整理するのはコウの役目だ
目が覚める時には前夜の己とは違う己に生まれ変わる
肉体の死を経ずとも、人は生まれ変わる事ができる
己の使命を行わんとする二人は、包むような眠りの中で、その殻の破れる時を待つ
人物紹介
逸彦…鬼退治を使命とする。宿世の記憶をずっと受け継いで生まれ変わりを繰り返している
コウ…逸彦の心の中で逸彦の疑問に答えたり、導いたりする内なる声。コウは逸彦の命であり、鬼と戦う時刃を動かしている。
和御坊こと安倍瑞明…目指す相手の居所をわかる特技がある。安倍家の三男だったが性格が正直過ぎるので親兄弟に勘当され、陰陽寮から追い出された。その後、仏道を志すが色々あって寺から逃げた




