【コウと共に】再会
作中に歴史上の人物が登場しますが、この物語はフィクションです。
束の間風呂を堪能し、身体を癒された逸彦は、和御坊はこの先の事を訊かれた
「この後はどうされる」
「京へ向かう」
「わかり申した。では早速出立の準備を」
和御坊はいそいそと旅籠を出る準備を始める。雨は小ぶりになっており、雲の向こうは晴れ間がみえる。逸彦も出立の準備をはじめる。和御坊ばかりにさせる訳にもいかず、自らも市に出向いて食べ物を調達して来た
「比叡山の麓辺り落ち合おう」
「承知した」
今回も和御坊から日毎に分包された食料をしっかり渡され、逸彦は和御坊を置いて先に出立する。
琵琶湖沿いに京へ向かう。森の中を移動していくが、時折鬼を見かける程度で集団で移動するものはいない。途中、導きの鳥が来て他の場所で討伐したこともあり、比叡山の麓に辿り着いたのは三日後だった
逸彦が森を抜けて拓けた場所に出ると、鍋を煮ている和御坊の姿があった
「おお、逸彦殿。ちょうど鍋が煮えた故、飯にしましょうぞ」
逸彦は驚いた。都合が良過ぎる
「我が此処へ来る事を知っていたのか」
「いや、知りませなんだ。途中、導きの鳥が来て此処に案内したでござるよ。腹が減ったのでそろそろ逸彦殿も着くと思い、二人分用意致した」
こう言う時の合い方は導きの鳥や、神の手の者だ。驚きはしたものの、この和御坊ならあり得るかも。本当に那津でも取り憑いているのかも知れない、と思った
愛が遣わしたのだから、和御坊が導かれるのは当然である。まだ逸彦は和御坊が何故一緒に旅をしているのか、わかっていなかった
二人は食事を摂りながら、互いに見聞きした事を話す。和御坊は街道を来たが鬼に出会う事もなく、また行く先々で鬼について聞いたが、誰も見た者はいなかった
「念を入れて寺の住職にも聞いたが、何も知らんと申した。隠し事しているようにも思えず、本当に知らんと思う」
どうやら鬼の群れは居なくなったようだ。後はそこから外れたものが少しばらばらにいる程度か、と逸彦は思った
そこから二人は共に京を目指す。街道や家々に何か異常がある様子もなく、鬼の姿も無論ない。大内裏の近くまで来たが、何かあるわけでもない。幸い、此処には鬼の影響は及ばなかったようである
「逸彦殿、どうされる」
逸彦が悩んでいると、内側から声が聞こえた
“逸彦、鷲林寺へ向かえ”
はっきり聞こえた
「和御坊、鷲林寺へ向かう。何処だかわかるか」
「摂津国の雄家郷であるか。あの辺りは何度か行ったことがある」
二人は共に歩き出した。
逸彦は今回の鬼の集団について考えていた。これだけの数の鬼が集団で移動する事は記憶を探ってもかつてなかったこと。しかも直線に移動しているように思う。普通は人がいる村落は避けて移動するが、今回はそれがない。何かに取り憑かれたか、暗示をかけられたようだ。この動きに違和感を覚えた
京は通らず迂回して嵐山を経由する。
嵐山の山を登ると、木々の向こうに川とその先の四角い区画が見えた
和御坊は急に黙りこんで思い耽るようになった。終始喋っていた和御坊の無口に、どうしたのかと逸彦が尋ねる
「いやお恥ずかしい話、昔恋した女がおって…」
和御坊は小さい頃、恋におちた。相手は和御坊の家に奉公していた女の童だった
「好きで好きでたまらなかった。我は家の者故、けじめなき事を父上は許さなんだ。だが、好きなものは好きで、我はその女子に好きだと言った。その子は驚いて振り向きもせず、我の側から走り去った。それ以後姿が見えなんだ。嫌われたのですな」
和御坊は悲しげだった。彼は振られたと思っていたが、女子は嬉しすぎて照れてその場から走って行ったのである。その後、返事もせずその場から離れてしまった事に気後れして、姿を見せられなかったのが真相である。彼女は彼が勘当され家を出た時、後を追って行こうと思ったが、余りに小さい為、親に止められ三日三晩泣いていた
「勘当され家を出る時、女子に害をなす者が現れぬように結界を張った。我の力は大したことないが、此度の事、女子は無事であったろうか、今は如何にして居られるのかと」
力が大した事無いとは、真逆である。力が強すぎて京に女子を害するものは一切入れない。だから鬼は京を避けて通った。無論、女子が嫌だと思うものは人でも近づけないから何の心配もないのである
それから、元服して間も無いのに早々に勘当されたのは、陰陽師の才能が無かった訳ではなく、和御坊が素直で正直で率直過ぎ、空気が読めなかったからである。家の恥にも関わる事を公家のお客の前で明け透けに話されては仕事にならない。本人は意味のない事を意味が無いと指摘し、相手の為では無く、私腹を肥やす為に腹底に秘めるという事を親兄弟のようにはできなかったという訳だ
誰かが笑う声が聞こえた。逸彦はそれが誰だかわからなかった。
鷲林寺についたのは朝だった。
逸彦達は昨日は宿には泊まらず野宿し、夜明け前に此処を目指し動き始めた。
辺りが明るくなった頃だった。二人は門前に佇んでいた
辿り着いたが良いが、どうすれば良いのか。
「それでこの後はどうされる」
空を見上げる。いつもは導きの鳥がいるのだが、何故か今日は現れない。
風がそよぐ。木の葉を揺らす音紛れて声が聞こえた
“此方だ
此方を見よ”
少し離れた峠の方だ。逸彦はそこに向かって歩き始める
「こちらで良いのか。わかるのでござるか、逸彦殿」
和御坊が言う
「声が聞こえる気がする。己でもわからないが」
峠を登ると大きな岩がごろごろと沢山あるところに出た
「此処なのか」
“此処だ”
逸彦は突然、気配を感じた。あの圧倒されるような感覚。あの老狼の時と同じ気配だ。
逸彦と和御坊は思わずひれ伏した。空から何かが降りてくる
まさか御使か、と思った
空から降りて来たものの威光を感じながら、逸彦と和御坊は伏して顔を上げる事ができなかった
逸彦は、畏れ多く思うのに、己の内側にそれに対し旧知に会ったような懐かしい感覚があるのを感じた
“面をあげよ”
声が言う。見上げるとそこに龍が薄赤く輝いていた。逸彦は気配から感じられるものとは少し違う印象を持った。威厳のある強面で描かれた絵や像を見た事があるが、もっと柔らかだ。身体は長く蛇のようだが脚はあり、赤銅のようだが角度によって目に映る色が違う。大きな顔の首にはたてがみがあり、その中で見た事も無い深い湖のような青い大きな目が此方をじっと見つめていた。その眼は優しげだった
“彼の龍は金剛と名告っておる
神の使にしてこの地を治めるもの”
龍が話しているのでは無いようだ。それではこの声は一体何処から聴こえて来るのだろう。逸彦は和御坊を振り返った
「和御坊、この声が聞こえるか」
「いや、我には何も聞こえぬ」
「この龍は金剛というそうだ」
「何故わかるのだ」
「声がそう言うのだ」
“己の声を聞け
我は我であり、己だ
時満ちた故、話せるようになった”
逸彦は夢の中で語りかけて来た存在と同じである事に気付いた
“我をコウと呼べ
我の事は後程話すとして
今は金剛の話伝えよう
金剛は会うた事あると言っている”
「老狼の時でしょうか。お久しゅう」
逸彦は和御坊に向かい言う
「以前、老狼の亡骸を運ぶと龍になって戻られたことがある」
“金剛は汝に探し出して欲しいものがある
先先代の逸彦が信より貰い受けた石だ
それは金剛にとって大切なもの”
逸彦は記憶を探る。確かに先先代の時、源信殿が生まれてきた赤児の時に握っていたという石を貰い受けた
「金剛様は先先代の逸彦が持っていた石を探して欲しいそうだ」
和御坊は驚く
「先先代の逸彦殿の。名を継承される事は知っておるが、何処にあるのかご存知なのか」
「ああ、名だけでなく、人格を継承している。何処にあるのかも思い出せる」
「人格を継承する。ならば逸彦殿は遥か昔の記憶があるのか」
「そうだ」
「いや、そうだと簡単に言われても。後でお聞きする」
逸彦は金剛に顔を向ける
「承知しました。手に入れて参ります」
“いや、金剛も供をする
無論、和御坊もだ”
「金剛様もですか」
逸彦と和御坊は驚く。和御坊に向くと
「和御坊殿も一緒だ」
「拙僧も」
逸彦は頷く
“金剛はこのままの姿ではないぞ
変幻できる”
金剛は姿を変え両手広げた程もある大きな鳥になった。これ程大きな鳥はそこら辺に飛んでいたりしない。二人は龍よりは目立たないものの、周囲から浮くなと思ったが、口には出さなかった。コウは可笑しそうに
“金剛はこの姿が限界だ
汝達の気持ちはわかるがな
逸彦この大鳥を何処かで見た事はないか”
逸彦はこれが大鷲であり、神の眷属として、信と最後に会った時の導きであった事を思い出す。
「まさかあの大鷲は金剛様なのですか」
金剛は口を開け嬉しそうな顔をした。その顔は懐いた犬のようであり、漂う威厳との差が激しいと二人は思った。和御坊が好奇心に満ちた目で説明を求めた
「先先代の逸彦は源信殿と親交があって、最期を看取った。その際の導きの鳥は金剛様がこの大鷲の姿で我を導かれた」
和御坊は興奮して
「お名前から察するに高貴な公家ですな。その様な御方と交流お有りとは流石逸彦殿」
「偶然、隠(:鬼)から助けたのだ」
和御坊はまだ興奮している。後で色々お聞きしますからね、と興味深々の目で訴えていた。逸彦は後で大変かもと苦笑いしていたのだが、嫌な気持ちにはならなかった
石のある場所は此処から一日半位の距離にある。明日の朝から出発する事になり、今日はここで野宿する事になった。和御坊は早速飯の準備を始める。逸彦は竃の準備と枯れ枝を集めてきた。
人物紹介
逸彦…鬼退治を使命とする。宿世の記憶をずっと受け継いで生まれ変わりを繰り返している
コウ…逸彦の心の中で逸彦の疑問に答えたり、導いたりする内なる声。コウは逸彦の命であり、鬼と戦う時刃を動かしている。
和御坊こと安倍瑞明…目指す相手の居所をわかる特技がある。安倍家の三男だったが性格が正直過ぎるので親兄弟に勘当され、陰陽寮から追い出された。その後、仏道を志すが色々あって寺から逃げた