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忘鬼の謂れ〜鬼と戦い続けた男  作者: 吾瑠多萬
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【コウと共に】放つ風

作中に歴史上の人物が登場しますが、この物語はフィクションです。

1 放つ風


風は潮の匂いを運んでいる。昨晩の荒れとはうって変って、今朝は凪である

そろそろ新芽が吹き出し、砂浜の向こうの森は緑に覆われるだろう

揺れる身体は波が腹の下を寄せては返すからだ

砂浜に打ち寄せられた浜藻に紛れて、うつ伏せて潮に浸されているのは一人の僧である



これまでの彼の人生は散々だった

親の七光り(本人は全く必要ないと思っていた)で陰陽寮に入り修行したのだが、彼には寮で必要とされる感性(センス)が全くなかった。本人はこれ幸いとそこを辞め(正確には勘当され)、当時流行りの高野山の門を叩く。下働きから僧兵を経て僧のお付きとなるが、僧侶達のあまりの裏表の激しさに嫌気が差してそこを脱走した。その後、隠岐から商船に乗って外つ国を目指すが、途中で難破、嵐の中を必死に泳いだが意識を失い、気づくと何処かの海岸に流れ着いた。彼が意識を戻した時、最初に感じたのは低い唸り声。その方に目をやると鬼が浜の外れの林からこちらを見ているようだった


((おん)(:鬼)だ、隠が見ておる。ああ、我もこれで畢命(ひつみょう)か。我は死んだら極楽へ行けるのかの)

彼はあの高僧達の行いを思い返すと、その仲間だった己も絶対に無理だろうと思った。仏は許しても神は許さない。俺が神なら絶対許さないと思い、黄昏(たそが)れた

鬼の気配はじわじわと近づいて来る。彼は死んだ振りをした。いや恐怖で動けなかった。どうか鬼に喰われませんようにと必死に何かに祈る


突然、何かの強く神々しい気配を感じると鬼の叫び声と共に何か大きなものが倒れる音がした。

彼がそーっと目を開けると、目を剥いた鬼の顔が目の前にあった

「ぎゃー!」

彼は反射的に飛び起きた


鬼は倒れていた

「良かった、生きていたのか。死んでいるのかと思った」

男の声がする。

彼は恐怖で息を止めていた事に気付き、必死で呼吸を繰り返した。声のする方を向くとそこには着物の上に皮を身に着けた男が剣を持って立っていた

「我は(おん)退治の逸彦。汝の名は」

「拙僧は訳あって実名(じつみょう)を名告っておりませぬ。坊とでもお呼びくだされ」

逸彦は剣を鞘にし納め背に担ぐと、坊に手を差し出す。彼はその手を取り起き上がった

「いや助かり申した。もう駄目かと思っておりました。乗っていた船が難破して気づいたら此処にいた。まさか隠に出会うとは思いませなんだ。ところで此処は何処かお分かりか」

「あの沖の難破船か。此処は越後国の寺泊(てらどまり)だ」

「おお、あの蒲原津(かんばらのつ)の近くであるか。魚が旨いですな」


和御坊(わごぼう)殿、これからどうされる」

坊ではあまりにぶっきらぼうなので、逸彦は親しみを込め和御を付ける事にした

彼はしばらく考えていたが

「飯を食いたいと思いまする。衣も汚れており洗いたく。逸彦殿、近くに川はありませぬか」

二人は近くの川まで歩く。和御坊は衣を洗い近くの木の枝に吊るす。川に入ると、魚を手づかみで獲っていく。次に近くの森に入り、何かを一杯採ってきた。竃をつくり火を起こしていた逸彦が聞くと

「ツルマメであります。鍋で煮ると美味いですぞ」

用意した鍋に入れていく。魚が焼けると二人は食べ始めた

「逸彦殿は一人で旅をされておられるか」

「そうだ」


和御坊はツルマメを口に入れてモグモグすると、鞘だけ地面に吐き捨てる。器用な奴である

「寂しくないので」

「親しくなった者はいた。別れは辛かったが、また何処かで会えると思っている故、それ程でもない」

逸彦は魚を齧る

「そういうものでありまするか。我にはとても耐えられませなんだ」

和御坊は少し考える

「拙僧は高野山で僧兵をしていた事もあり申した。門番をしていると一人でやってくる人が大勢いるが、どれも寂しそうであった。中には一人が嫌だからという御仁までおった」

そして身を乗り出し訊いてくる

「逸彦殿は真に使命を果たそうとなさるので、神が共についておられるから寂しくあらぬのか」


逸彦は驚く

「我が神と共にあると何故わかる」

和御坊は然りと頷く

「逸彦殿には人を圧倒される何かをお持ちだ。隠を斬られた時、その力を感じて思った。

汝は孤独だ。真に力持つ者は持たぬ者にはわからぬ責がある。それを推し量り理解する者はおるが、真にわかるものはおらぬ。故に孤独だ」


言われて初めて、逸彦は孤独なのに孤独だと感じていない事に気付いた。

「そうやも知れぬ。我は孤独に背を向けてきた。誰かにわかって欲しいと願ってはいけぬと思っていた」


焚き火が弾ける音がした。二人は押し黙ったままだった。和御坊は火を暫く見つめていたが、焼きあがった次の魚を手に取り、独り言のように語った

「拙僧は初めて門番をした時の事、幼児を抱きかかえた女が来た。子が高い熱を出して下がらない、どうかこの子を助けて欲しいと言った。此処は高野山で弘法大師様の地。拙僧はこのような人をこそ助けねばと思って、上役に話をすると捨て置けという。何故かと問うと金がない者は助けぬと」

和御坊は魚に齧り付く

「弘法大師様は人を救う為に即身成仏になられた。なのになぜ金を取るのか。金があるならそもそも此処へは来ぬ。我が呆気にとられるいると、その女は若いかと聞かれたので、そうだと答えると連れてこいという。意味が分からず連れて行くと、その上役はどこかに連れて行った」

逸彦も焼けた魚を火から下ろし、かぶりつく

「拙僧が門番の仕事に戻ると暫くして母子が出てきた。女は泣いていたが、拙僧に何度も礼を言って帰って行った。まさかと思い上役のところへ行くと、卑しく笑いながら、次は女が若かったら連れてきて良いと上機嫌で言う。此処は寺ぞ。我はこいつこそ隠ではないかと本気で思い申した」

和御坊は食べ終わった魚を火にくべる。魚が燃える匂いと白い煙が立ち上る


それから逸彦に向き直り、顔を真っ直ぐ見て言った

「汝はあの山の者とは全く違う。拙僧は今日真に神と共にある者の凄みを知り申した。その覇気、それを背負う者の責は幾ばくかと

逸彦殿、御身は低いから見えぬのではない。立ち居られるが高いから見えぬのだ。拙僧からすれば、御身は遥か(そび)える山の如し。我は汝を拝みまする」

和御坊は逸彦を拝み平伏する。


逸彦は何が起きたのかわからず、思わず魚を食べていた手が止まり呆気にとられた。

「何言ってる…」

「なので逸彦殿、拙僧は逸彦殿についていきまする」

畳み掛けるように和御坊は続けた。逸彦は手で制止しながら言う

「待たれよ和御坊。我は導きにより各地を周る身。居を構えてはおらん」

「心配ご無用。拙僧は勝手についていく故、お気に留めるめるな。外つ国へ行かず此処で逸彦殿にお逢い出来たこと、神に感謝致す」

坊主は神に感謝しないだろ、と逸彦は思ったが彼なりに何か思うところがあるのだろうと思う事にした。


和御坊の衣も乾ききる。彼は逸彦に袋を借りると、森に入り薬草を採ってきた。流された時に荷物は全てなくなっていたので金もない。これを寺泊の港で売ればそれなりの金になるという

「あの港には()つ国の船も来る。欲しがりそうな薬草を採って、乾燥させて売れば良い金になり申す」

和御坊は火の側に棒を立て、いくつも吊るす

「天日で干すのが一番だが、これでも乾燥できる」

「だが、船に持って行って言葉が通じるのか」

「無論。拙僧は山の高僧のお付きもしていた故、外つ国の言葉はある程度知り申す」

逸彦は随分博識だと思った。それに逞しい。僧とはもっと浮世離れしたように思っていたが、和御坊は泥臭いように思う。この僧なら、庶民にも人気があったのではないかと思った


「随分と詳しいのだな」

「高僧はわがままで無理難題を修行と称して申しつける。何でもこなさねばならんのだ」

二人は火の前で色々話す。今日は此処で野宿する事を決め、火を絶やさぬ様に枝を集める。逸彦は旅の話をし、和御坊は山の話をした。互いに知らない世界なので、興味が尽きない。相手を知るほど、尊敬できる。逸彦は、孤独とは単に一人だという事だけでなく、己を知り得る為の相手がいないことでもあるのだと知った。


朝まで交代で火の番をする事にした。逸彦は寝ている時、遠くから誰か呼んでいる様に思ったのだが、それが誰なのかわからなかった



翌朝、薬草の乾燥は仕上がった。それを持って港へ行く。まだ朝早いが、港は荷揚げする船や魚を仕入れに来た人でごった返していた。


「凄い人だな」

逸彦はこんなに沢山の人が何処から来るのかと思った

「なに、蒲原津はもっと人が多いところ。おお、運が良いぞ」

和御坊は外つ国の船を見つけ、そこに向かって歩き出す

「あの船は買付け船だ。高値で売れる」


和御坊は船に近づき、近くにいた船人と話している。何やら楽しげに笑いあうと、金と薬草を交換した

「さあ、逸彦殿。儲かりましたぞ、何処かで酒を飲みましょう」

「坊主が酒を飲んでいいのか」

「酒屋の一等客は坊主だ。拙僧はどれ程酒屋へ遣らされたか分からん。さあ、行きましょう、行きましょう」

二人で酒屋へ行って酒を呑む。そういえば、坊主は魚や肉は食べていいのか、と疑問に思う逸彦だったが、和御坊を見ているとどうでも良い様に思うのだった


翌朝、和御坊は再び森に入り薬草を取る。今度は旅で必要な切り傷や虫下しなどの薬草を採ってきて、火で乾燥させる。逸彦に火の番を頼むと、旅支度に必要なものを買い出しにいった。

「嵐の様な御人だな」

和御坊が居なくなると、急に静かになる。火が燃える音に時折爆ぜるパチンとい音が、その静けさをより一層引き立てる。逸彦は昨日、立ち居られるが高すぎるから見えないと言われた事を思い出していた。

己は比べるものがないから劣っていると思っていたが、和御坊はその逆だという。彼は那津の愛の人格が言っていた、器が大きい故に入るまで時間がかかると言われた事と同じ事なのだろうと思った。己の孤独を認める事が、今必要な事なのだと思った


風が鳴った

見えずとも(くう)を動く風が木の葉を回す

その描く螺旋の上昇を観よ


和御坊が帰って来る

「逸彦殿、お土産ですぞ」

彼は笹で包んだ団子を買って来たと逸彦に渡す。彼は旅支度が終わった様で、いつでも発てると意気込んだ


「導きは鳥だ。その後をついて行くので速いぞ」

「なに、拙僧に構わず先に行ってくだされ。我は後から追いかけまする」

「行く場所がわかるのか」

「いや、わかりませぬ。ただ昔から目指す人が何処にいるのかを分かる特技があるのです」

逸彦は和御坊は簡単に言っているが、それは凄い事だと思った


「それは凄い特技だな。何かの痕跡を追いかけているのではないか。我には出来ん」

和御坊は驚いた表情で逸彦を見る

「その様に言われたのは初めて。皆、気持ち悪いだの、来るのが遅いだの非難轟々である」

「それはおかしいだろう。その者は和御坊と同じ事が出来るのか。とてもそうだと思えないが。仮に同じ事が出来る人なら非難などせんだろう」


和御坊はじっと逸彦を見ていたが、やがて声を上げて泣き出した

「何ということか。逸彦殿にわかって頂けることが、こんなに嬉しいとは思わなんだ。真の徳があるお方のお言葉、この安倍瑞明(あべのずいめい)、しかと受け止めまする」

和御坊はびしびしと鼻を鳴らしながら言う


逸彦は和御坊の読めない反応に戸惑った

尚且つ、逸彦は和御坊の本名を知った。言った本人は気づいていない。あの安倍晴明の三男である。本人は一生気づかないが、彼こそ晴明の跡取りとなるべき実力の持ち主だった。だが、性格的に実直過ぎて向いていなかったのだ。兄弟から陰陽寮を追い出され勘当された。それが彼にとって最も幸いであることに気づかずに


「キリリリ」

空を滑空して逸彦の前に降り立つ。彼は目の前に玄米を置くと食べ始める

「よろしくな、相棒」

「これが導きの鳥であるか」

和御坊は急いで火を消し、周囲を片す

「ああ、そうだ。この後飛び立つから後を追う」

「承知した」

和御坊は興味深々の顔で鳥の様子を見ている。鳥は食べ終わると飛び立つ。逸彦はその後を追い走りだす。そして和御坊も走り出した


風は見えないが運ぶものだ

愛を知るものが放つ風は

それをそれとして天界津(あまかつ)へと運ぶ

開き示したるその御印(おんしるし)

我を運ぶ道となる


人物紹介


逸彦…鬼退治を使命とする。宿世の記憶をずっと受け継いで生まれ変わりを繰り返している

和御坊(わごぼう)こと安倍瑞明(あべのずいめい)…目指す相手の居所をわかる特技がある。安倍家の三男だったが性格が正直過ぎるので親兄弟に勘当され、陰陽寮から追い出された。その後、仏道を志すが色々あって寺から逃げた

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