【城】戦さ場
そこは混乱の極みだった
鳥の導きでたどり着いた先は、眼下が大きく開けた高台だった。下を見ると棒や鍬のような物を持った人々が互いに向き合って戦っているように見えるのだが、何故かそこに鬼の姿が混じっている。鬼は人を見れば見境がないので、戦いをしている人々を関係なく襲っている。あちらでは鬼に追われて人々が逃げ回っているし、こちらでは人が敵味方に分かれて戦っているし、向こうでは敵味方関係なく鬼を取り囲み戦っている。戦いの場には違いないが、人同士の争いなのか、鬼退治なのか、そこは混沌とした状態だった。将と思われる鉢巻をした人物も大声で叫んで指示しているようだが、多くの者が自分を見失っている為か全体に届いていない。このままでは両者共に鬼にやられてしまう
俺は崖を駆け降った。全速力で最も近いところにいた鬼にむかい、肩に手を伸ばし背の刀を抜くとそこで意識が飛んだ
次に意識が戻った時、俺は時が止まっているかのような戦場の中にいた。
俺は戦っている時、意識がない。神の憑代になっているからだ。神が俺の身体を使って鬼を退治しているので俺は鬼にならないのだろう。だが身体は覚えている。対峙した時の動きや切った感覚などは朧げに思い出せる。特に切った感覚は手に残るものだ。
周囲を見渡すと鬼の骸があちこちに散らばっており、さっきまで戦っていたと思われる男達が茫然と俺を遠巻きに見ている。崖の上から見下ろした時より人数が少ないので、敗走した者もいくらかいる。俺は鞘を背から抜いてそれに刀を納めた。鞘と柄の嵌るくっきりした音が鳴ると、周囲の男達も我に返った。俺の近くの男達は口々に俺を褒め始める。すると鉢巻をした他より少しだけ也の良い男が俺に近づいてきた。どちらかの陣営の将と思われる
「いやお見事、お見事」
「不躾ではあるが助太刀致した。無礼の段お詫び申す」
「いやいや不躾など詫びは不要。こちらこそ御礼申し上げる。このままでは我等も皆鬼になっていたに相違ない。この近辺に見ない上、戦いぶりも尋常とは思えない。
名を尋ねても良いか」
「我はしこ(鬼)を退治する旅をしておる逸彦と申す。導きによりここへ参上したところだ」
「われは木之下と申す。お初にお目にかかる。いにしえより鬼退治の逸彦殿の話は我が地にも伝わり聴いておる。父の代にはその話を知らぬ者は居らん。こんなところでお逢いするとは嬉しい限りだ 」
鬼は人の心を侵す。鬼の力は強いが、人が対抗出来ない程という訳ではない。だが鬼は人の恐怖や怒りなど負の感情を強くし、人を鬼へと変化させる。それは人の意思とは関係なく鬼と対峙しただけで侵してくる。多くの人は抗えない。だから合戦のような感情の起伏が激しい集団の中に鬼が出現すると、集団全体が鬼になる可能性がある
人が鬼に対抗するには、閉じこめて餓死させるしかない。それも親類縁者が殆どの小さな村ではどうしても感情が揺れ動くので周囲の者も鬼になりやすい。そこで古より鬼が出たら近隣の村から人を呼び、洞穴などに閉じ込める協約がある。情のうつっていない他人の方が比較的冷静に対処しやすいからだ
「敵将は巻き込まれてしこ(鬼)になり申した。それを見て敵兵も散り申した故、逸彦殿のおかげで合戦は終わりじゃ。どうだろう、我が主君の元へ一緒に来て頂けないか。御礼もしたい故に」
俺は一瞬己の内側へ意識を向ける。神が招きに応じるよう言っている。まだ何かやるべき事があるのだろう
「承知した。今のご当主はどなたであるか」
「主君は布師見と申す」
木之下は皆に戦場の後処理を指示すると、俺を屋敷に案内するため、先に出立した
途中、木之下は何かと話しかけてきた
「祖父と父は酔う度しこ退治の逸彦殿の話をしていた。頭に白髪の混じった、貫禄、威圧感は一度見たら忘れられないものであったとな…汝、お若いな、聞きし相貌とちと違うな」
まさか不死でもあるまいし、遥か昔から生まれ変わり続け、その上記憶が残っているとも話せない。ややこしいので皆には鬼退治の逸彦は世襲制で口伝があるという事にしている。
先代の逸彦が後継者となる男児を見つけ、自らの記憶と剣技を教え込み、継いだ者も逸彦という名を名乗る。
木之下は、どのような修行をしたのか、どうやって強くなったのか、剣技を教えてくれないか、模擬戦をしてくれなど色々聞いてきた。確かに剣は神と約束した時、ある程度は稽古し学んだ。だが憑代となるには技や技法よりも神との強い繋がりと、身体を大いなるものに預けられることの方が重要だ。剣技は全て神の御技であり、俺の剣技ではない。寧ろ終わった後にくる疲労感の方が遥かに強く、俺はその御技に着いていけるよう筋力と体力を重点的に鍛えている。剣技よりも筋力と体力が大切だと思うと伝えると、いかにもわかったかのようにやはり基本は重要だということに同意してくれたので、話しは終わったことにした
相手が十話すことに対して俺が一言二言返すのを繰り返すうちに、向こうも言葉が少なくなって、目が泳いできた。果ては年頃の娘がいるのだがどうだろうなど、これも何時ものことだ。まだこの目的の旅が続くので、そういうことは考えていないと言うと、さすがに口数も減って来た
俺は歩く事に集中し始めた
途中、木々の向こうに、どどどど、と轟く音が聞こえる。森の高い木々の上に隠れている滝があり、岩肌を掠めながら落ちる水の音がここまで届いているのだ
森の道を抜けると、水田と畑が見えてくる。その向こうのなだらかな丘に集落があった。家々は、竪穴を基としてそれぞれながら、戸板や板壁は一様に赤茶色に塗られており、集落の調和があった。印象が随分と違う。以前の記憶では、ここはもっと鄙びた村だった。前の当主がいい加減な上、鬼の出没が頻繁だった為に恐れて畑をできず、村は貧しかった。前回俺が去って程なく領主が交代すると噂に聞いた。
集落に入るとすれ違う者も数人いて、木之下に挨拶をした。その者達の多くが色のついた着物を着ていることも、珍しいことだった。一番奥、少し上がった平地に大きな屋敷がある。前の当主と同じ屋敷を直して使っているのだろう。日も傾きはじめているから、夕餉の準備だろうか、各々の家から煙が上がっていた。全部の家から煙が上がっているという事は、次の当主はうまくこの地を治めていると見てとれた