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忘鬼の謂れ〜鬼と戦い続けた男  作者: 吾瑠多萬
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【上京】遠乗り

作中に歴史上の人物が登場しますが、この物語はフィクションです。


翌朝、(まこと)殿は俺を馬での遠乗りに誘った。鬼に襲われた昨日の今日で家の者達は渋った。従者は昨日の物忌みがあると言い出した。しかし例によって口滑らかに事は決まり、逸彦が居るなら安心だ、と言う話に持って行き、誰も従者を付けずに二人だけで出掛ける事になった。終始こんな感じで、家の者は誰も一度(ひとたび)信殿が決めた事は覆す事が出来る者はいなかった。その様子を見て俺は腹の底で笑いを堪えていた。台所に言って、外で食べられる弁当をこさえさせた。信殿にとって、誰もついて来ぬ遠乗りは、俺と二人きりで話をする絶好の機会として言い出したのだろう


馬に乗るのは初めてだった。最初、信殿が馬具の使い方や、こなし方を教えてくれ、馬に手綱を通じて指示を送るやり方を見せた。実際乗ってみると、馬は言う事を聞くもので、問題無く乗りこなせそうだった。だが、己の足の方が自由が効くしある意味早いのに、とは思った。


信殿が馬を速足にさせると、俺もそうする。信殿が歩みを緩めさせると、俺も馬をゆっくりにする。信殿は俺を見て嬉しそうにしている。そんな風にして馬で駆けているうちに、俺は馬との気持ちの通い合わせは、導きの鳥の時と似ていると思った。

信殿にそう言うと、また興味深々に、導きの鳥の事を尋ねてきた。俺にはあまりに普通の事だったが、確かに今迄に鳥に連れられて歩いている他人は見たことが無かった。鳥の好む玄米と食べ進まぬ玄米があると言うと信殿は答えた

「麻呂や那由殿のように、そうなりたい米かどうか、役を見ているのではあらぬか」

俺は納得至った


日が高く上がり、馬から降りて弁当を食べる事にした。

馬を小川に連れて行き水を飲ませ、草を食べられる場所で繋いだ。俺が馬の首を撫でると、その身体を震わせた。それを見て信殿は言う

「逸彦殿は馬に好かれて居る」

「そうなのか。馬が賢いから言う事を聞くのかと」

「馬は心を見抜く。馬を大事にする主人を、馬も大事にする。(なれ)は誠に愛されて居るな。鳥にも馬にも、神にも」

俺は黙っていた。とても戸惑っていた。鳥や馬に懐かれるのが神に愛されている事なのだろうか。ただ心の奥で嬉しいような、くすぐったいような感触もあった。


草の上に二人胡座をかき、弁当を食べた。

馬は背を日に照らされ気持ち良さそうに目を瞑っている。馬は立ったまま寝るのだと信殿は俺に教えた。

信殿は弁当を食べ終わると、そのまま両手を枕に仰向けに転がった。頭巾が外れて、角が見える

「この角は触れる事が出来るのか」

「触れてみたいか。(なれ)ならば出来るやも知れぬ」

どう言う意味なのか考える

「やってみたら良かろう」

俺は角に触れようとしたが、すり抜けて実体は無かった。

「幻なのか」

「いや、そうではない。幻の手で触れようとすれば触れられぬ。霊と一体となって触れれば触れられる」

俺はその言葉をよく身体の内に反芻した

果たして、俺は角に触れた。それは古代から生えている樹を連想させる感触だった

俺は昔、那津を通して語られた事を思い出した。


お美代の、子が生存し成長して欲しいと言う願い、それは叶った。ならばその子には肉体は必要か




その晩は、また食事を二人でして様々な事を話した。

(まこと)殿は己の出生について話した。

「劣り腹と呼ばれてな。麻呂は本当は嵯峨天皇の子。子が多過ぎて、皇族から下げられた」

信殿は笑った

「兄弟多いと複雑でな、仲良いのも、相性悪いのも居る」


「妹人の潔姫が儂と同じく角があり、他の者には見えぬともわかった。互いに触れてみたが、潔は角に触れる事できなんだ。妹人は引っ込み思案の無口な女子(めなご)で、麻呂とは逆よの。角あるを恥と思うとった。藤原良房の妻となったが、篁殿に続き、亡くなった。何ぞ役あったろうか、あまりそういう話もせなんだが」

俺を向き直り、言う

「まあそう言う訳でな。麻呂を(このえ)とでも思っていくらでもここに居てくれ」

どこがそう言う訳なのか繋がらないが、兄と言うより父くらいに歳の離れている男は言ってくれた。


「篁殿を島流しにしたのも、我が父よ。皇を退いても口は出す」

「帝は国を治める偉く賢い方。神と話す事も出来るのでは」

俺が言うと信殿は答える

「それが、できぬのだ。父も、現帝もできぬと思うぞ」

「できぬのか。どうやって大きな決め事をするのだ」

そして首を捻る。何かこの会話、以前にもしたような気がする

「汝は己が特別だと言う事をもっと知った方が良いぞ」

信殿は笑う。



「帝が言い出して決まる事もあるが、沢山の者が審議して決め事をする事もある。それで、篁殿は悩んでいた件があった。確かに誰が見てもその者が言うことは正しいと思う、だがその者の意図が他にあった時はどうなる」


これはもしかして、ものの役と同じ話だろうか。

焼いて食われたい魚を開いて干したならばどうなるのか


「誰かを見た目上は正しく告発する事が、その者を陥れて立場を失脚させ、己の権力を強くする目的を持ったならば」


俺は驚いた。

国全体を治めようとすればやる事は沢山ある。政事を行う宮がそれに全力を尽くさず、自分達の中での争いに時間を費やしているとは。


「良いのだ、汝は隠の退治が使命故、わの愚痴に心煩わされる必要はあらぬ。しかしの」

信殿は俺の目を見て続ける

「隠と無関係ではあらぬのだ」


母様が篁殿に使命を話される時、隠の広がる因が都にもあると言われたそうだ。母様は俺にそんな話全くしなかった。篁はその事を仏教と政事であろうと踏んで、それを使命として取り組んだそうだ。母は篁に仏教の何が問題だと言ったのだろうか


(なれ)の母は、篁に言ったそうだ。空海は即身成仏になり永遠に生きようとした。これは時の外に出ようとする事。存在とは(めい)を生きる(さま)であり(さち)。それを捨てるは存在するを捨てると同じ、と」

俺は驚き、言う

「それは隠と同じだ。隠は時の外に出て、寿命が無い。そして人の命を食う」

信殿は頷く

「汝の母君は、隠が生まれるその因は、光遮り心を翳らせ暗くする事と言われたそうだ。ただそれ以上は言えぬと」


「汝はギョクの時に、篁殿から空海の話を聞いて何と言ったか覚えて居らぬのか」


そういえば、篁に空海の話をされた。その時俺は何を言ったのだろう。しばらく考えた


「我の知りたい事を言ったのは覚えて居る。何故隠が生まれたのか、どうして人は隠に関わると巻き込まれて隠になるのか」


信殿は ギョクは人格が変わる事があったそうだ と付け加える

「汝はこう言ったのだよ

自らを救わない者が他者を救うなど出来る筈がない。とな」

「覚えて居らぬ」

俺がそんな事を言ったのか

「そうか。だが、この言葉、真理なり」


「他者の世話を焼きすぎる者は、己の事を見ぬ事がある。だが他者を労わる事は正しきと思う者は多い。それ故、己が道をやらぬ逃げ口上として、他者を思いやる者も居る。仏教はそう言う者を増やす」

信殿は手に持った杯を揺すった。沈みかけた白濁はまた浮き上がり、酒の表面は小さく波立つ

「永遠に生き永らえたいと思う者は居るだろう。人生の痛みから逃れたい、運命(さだめ)を避けたい者も多く居るだろう。恐らく那由殿はそれを言っておられたのではあるまいか」

信殿は溜息をついた

「麻呂と篁殿が隠岐の母子からの学びによってどれ程の洞察を持ち得たのか、わかるかの?」

「如何だろうか。麻呂もそうする故、何故隠が生まれたか、何故人は巻き込まれて隠になってしまうのか、共に考えて見ぬか。儂も知りとう思う」




その晩俺は横になりながら思い廻らせる

寺は確かに増えている。僧が各地を歩くのを見かける事も近年増えて来た。政事の一環として仏教を広めているのなら、当然良い内容なのだろうと思っていた。正直、興味が無かったので、あまり知ろうとした事は無かったが。


俺は鬼退治しかしていないが、ずっと諸国を歩き、長く見続けている。その中で、同じ地域でも民の様子の変化を感じる事がある。もう少しこれをこうすればこの者達も楽になるのだろうと思う事もあった。そこを去ればすぐに俺はそれを忘れてしまうが、ずっと住んでいる者や、治めている者が、俺が考えつく事くらい直ぐに考えつくだろうと思っていた。

そうならないのは、政事の使命持つ筈の者がその使命を全力でやろうと思わないからなのか


しかし、政事は俺の使命では無いし、俺がそれに関わろうとすれば、先程の話の様に、己の道の逃げ口上かも知れぬ。神は俺に一体何をせよと言ってこの話を聞かせたのだろう


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