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忘鬼の謂れ〜鬼と戦い続けた男  作者: 吾瑠多萬
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老狼

漆黒の闇は意外と心地よい


俺は木の上の寝床で身体を少しずらした。時折風に揺れる葉音は昼間のように饒舌でもなく、サラサラとなびく。まるで静かな水面の波紋を見ている時のような感覚になる。虫や蛙の鳴き声は相変わらずだが

夜の地上は面倒だ。狼や闇の猛者がうろつく世界は休むことなく常に緊張を孕む。俺にとってそれほど危険では無いが、四六時中緊張しているのも休まる暇がないから嫌だ

丁度木の下に来た狼が俺に意識を向けてきたので、少し威嚇の念を送るとすぐにそいつは立ち去った。動物はいい。威嚇すればどちらが強いかすぐ判ってくれるし、変なちょっかいも出してこない。人はそれがわからないやつが多くて困る


頬を何かがつつくので目を開けると案内役の鳥が目の前にいた。促すようにチッと短く鳴いて地上に降りた。どうやらついて下に降りろということらしい。夜に鳥が活動するなんてことはまずないから、急ぎ知らせたいことでもあるのだろうか。俺は起き上がると枝を伝って下に降りた。鳥は少し先を飛んでは枝に止まって俺を待つ。やがて石がごろごろある岩場に出た。足場も悪い。鳥が岩のひとつの上に降りて俺を仰ぎ見る


近くにいくと、毛玉のような塊があった。狼だ。動かない。鳥はその周りをちょんちょんと跳ねてこれのことだと示す。身体が呼吸で上下もしないから既に息はなく、こと切れているらしかった。怪我をしていた様には見えない。身体を触ると、毛の奥に少しだけ暖かみが残っていた。息を引き取ってから間もないようだ。老いてはいるが、割と立派な身体だ。さっき俺の威嚇でそそくさ逃げ去ったやつとは格が違うのが見て取れる。


鳥はその骸と俺の顔を何度も見比べる。促され、俺はそれを担ぐ。

「で、どうするんだ?」


鳥は飛び上がり、森の寝ぐらとは逆の方へ飛んでいく。俺はそれを追いかける。

道などない急斜面を登り、老狼の身体は案外ずっしりと肩にのしかかる。

「重いな」

その重さは俺の普段だったらなんてこともないが、つい口から漏れた

自覚しないうちに、心の奥でこの狼の人生に思いを寄せていた

どんな風に他の獣と戦い、どんな思いで森を駆け抜けたのだろう。彼に愛する者はいたのだろうか、そしてなぜ今俺は彼の死に居合わせるのだろうか

背負っているものが単に獣の死骸である以上の、重みを感じたのだ

「随分と奥だな」

気づくと森の木々はまばらになり、尾根の頂上に出た。視界が急に開け、なだらかな丘の上に立っていた。鳥は目の前の地面に降りて俺を振り返った

「ここに降ろせばいいのか?」

俺は狼をそっと地面に降ろした

「まさか埋めろとか言わないよな。道具はないぞ」

鳥は何か抗議する様に鋭く鳴くと、少し飛んでその場を離れる。俺もそれについてその場を離れた途端、空気が張り詰め、止まった。


「降りて来るのか?御使いが」

俺はその場で正座し狼の横たえた身体を前にこうべを垂れる。以前にもあった。御使が降りられる時は空気が止まる。一切の音も動きもなくなる。まるで世界中の時間が止まったかの様に


闇の中で何かが起こると俺の感覚が伝える。強い畏怖は顔をあげてそれ見ようとは思わせなかった。だが見ていなくてもわかる。狼の身体から、その身を剥がすように生まれくる圧倒的な光。だが日の光のように輝いているわけではない。目で見える明るさとは違う光だ。やがて上方からも別の何かが降りてきた。それは生まれたものとひとかたまりになった。高位の者の気配が俺の身体の奥をざわめかせた

「これは我が半身、分かれて地上の役を負った。それを遂げてここに再び元に戻る」

どこから聞こえてくるのかわからない、身体の芯に響く声だった

「汝が役もまた荷重しと知るが、道に順う者は報わると覚えよ。愛を知る者よ。その(めい)の真の意を判る日には、その報い受け取れ」


声が止むと、その気配は細長く尾を引きながら、煙が立ち昇っていくかのように上方へと消えていった。やがて周囲の空気が、動き出す。俺は顔を上げて立ち上がる。先程まで目の前にあった老狼の遺体は消えていた。痕跡すらない

あの老狼は御使の化身で、元へ還ったのか

驚いているのだが、不思議とそれを当然と思うかのような自分もいる


「これで終わりか?」

鳥は肯定するかのように ツィー と高くひと鳴きすると、寝ぐらがある森の方角へ飛び立った。俺もそれに着いて引き返す。神の御使の圧倒的な気配は畏怖以外のものを感じない。人が自然の猛威に抗えないのと同様ものを感じる。以前、御使について神から降りてきたイメージは龍だった。どこぞの屋敷で見た龍の像の顔は厳つい顔だったが、自分が感じたのは優しい顔つきをしていて、不思議に思った事がある。本来は優しい顔なのだろう。あの圧倒的な気配が、顔を厳ついものと人に思われたのかもしれない。そんな事を考えながら歩いているうちに、寝ぐらのある木へと辿り着いた


鳥達の鳴き声で目を覚ます。周囲はまだほの暗いが直に朝日が差すだろう。俺は木の下に降り、近くの川辺で身支度する。川原の石で簡単なカマドを作り鍋を掛ける。村で貰った食材を鍋に入れて火を起こすと、俺は目を閉じ己の内面を眺めた。神との繋がりを感じ始めると昨日の御使がお話しされた事が気になり出した。その命の真の意とはなんだろう。俺は鬼をこの世から殲滅する事を神と約束した。命とはその事だと思うが、その真の意は教えられていない。自分で見つけ出せという事か。もし成し遂げられたら、その日に真の意が判ると思いたい。神の御意志はもっと別にあるかもしれないが、今の俺にはわからない。また報いを受け取れとはなんだろ。報いとは褒美なのだろうか。鬼をあやめることしか出来ない俺に褒美があるとは思えない。鬼は元は人だ。人を殺しているのも同然なのに

ただ、何か労ってくれていることはわかって、少し力が湧いた。その向こうの、大きく、すべてを包み込むような奥深い眼差しに見られたような気がした


「ヂヂヂヂヂ」

鳥の鳴き声に意識が戻る。あたりは明るくなっていた

俺に向かって叱言でも言うような鳴き方をするが、俺の考えが読めるのか。どこかおかしいのだろうか、その意味はわからない。

「なんだ説教か。飯でも食えよ」

俺は袋の中にあった玄米を数粒、鳥の前に置く。鳥はちょんちょん寄ってきて、米粒をついばむ。丁度鍋も煮えている。中の粥を椀によそって食べ始めた

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