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忘鬼の謂れ〜鬼と戦い続けた男  作者: 吾瑠多萬
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【流刑】教授

作中に歴史上の人物が登場しますが、この物語はフィクションです。


篁はこれまでよりも早く目覚めた。取っておきの伽羅の鬢油(びんゆ)を使い髪をきちんと結う。伸び放題の髭も見辛い鏡に目を凝らして刈り込み、狩衣(かりぎぬ)指貫(さしぬき)を着込んだ。篁は己は男前(イケメン)だと思っている。あまり大きな声では言えないが、色事には強い(モテる)、そう思っている。普段の宮中の勤め人としての姿であれば那由殿も、などという無粋な考えはなく、単にギョクの師として威厳は必要であろう。昨日の姿を見られている事は棚に上げて…今更である。


「めかし込んだな篁、(かか)様はそんなことで口説けんぞ」

那由の家に行くと戸口の前でギョクが待っていた。篁を見るなり開口一番これである。このクソガキしばくぞと思ったが、そこは師として威厳を出さねばならない

「何を言っている。(おれ)はギョクの師として当然の(なり)をしているだけだ」

「宜しくお願いします。師匠」

ギョクはしれっとした顔をして頭を下げる。どうにも釈然としないが、篁は那由に挨拶をし、剣の指導を始める事にした。


近くの少し拓けた原っぱに出る。篁は弓が得意で剣は基本しか知らない事を話し、基礎についてやって見せながら話す。素振り、型、足の運び、相手の出方を読む、剣の試合と戦場では剣の使い方と考え方が違うこと、などだ。

「大体こんなところだ。今話した事を全て出来れば基本は習得した事になる。後は実践を重ねていけば更に磨かれる」

ギョクは一言も発せず篁の話を聞いていた

「わかりました師匠。やってみます」

ギョクは昨日と違い立派な木刀を持っている。篁はそれは身の丈に対し長いように思ったが、ギョクが素振りを始めようしていたので黙って見ていた。


この童も那由同様、何者なのだと篁は思った。素振りは己よりも早く美しい。しかも()れない。明らかに身体に合わない、しかも長い木刀を振れば普通は軸が振れる筈だ。だがギョクはその事をわかった上で振り方を調整している。型、足の運びも完璧だ

「ギョク、以前に剣を誰かに習ったことがあるのか」

「ありません。師匠」

剣に詳しくない己でもわかる。天賦の才がある、それも非凡だ。都や宮中には剣の達人が数多(あまた)いるし、己も試合を何度か見た事があるが、ここまで早く美しい剣筋は見たことがない。ギョクの剣は更に早くなっていく。己はその美しい剣技に見とれていた


どれほどの時が経ったのかわからない。ギョクの木刀が止まる。篁はまるで(まじな)いが解けたように我に返る

「ギョク、それだけ出来れば基礎はいい。後は実践だが、俺が相手というのも…」

一体何をしたらこの田舎の童に剣の才が備わるのだ


「筋がいいな、何か鍛えていたのか」

「はい」

「どんな事をしていたのだ」

「えーと、枝に日が暮れるまでぶら下がるとか、高い崖から海に飛び込むとか、崖を真っ直ぐに駆け登るとか、地面に降りないで木々を伝って何処まで行けるかとか、夏のすごい藪を棒で払いながら走るとか、飛ぶ虫を棒で叩き落とすとか、雲をどうやって掴めるかとか」

「昨日は水の上を歩く筈だった。篁に会ったからやらなかったけど」

「結局ずぶ濡れになったから、母様に叱られたのは同じだったぞ」


何の役に立っているのかわからないが、突拍子も無い事を考えつく童だ

身体能力が高いのは確かである

これではあっという間に篁が教えたことなど習得してしまうのも当然だ。もう教える事がない。ギョクと手合わせしたらすぐに己の威信を失うのは確実だ。どっちが師匠かわからない。

篁は困った。これではここに来る口実がなくなるではないかと。だが嘘をついても意味がない。


少し話をしようと持ち掛けて、二人は近くにあった倒木に腰掛けて一休みする



「ギョク、ぬしは文字を読めるのか」

「あまり好きではない」

「書くのはどうだ」

「あまり好きではない」

篁はこれならいける、と思った

「いかんな、それでは。読み書きが出来んと将来困るぞ」

「何に困る」

「人に文を書いたり、先人の記録を読んで学ぶ事ができる」

ギョクはつまらなそうに下を向く

「必要ない」

「何故だ」

「人に何かを伝えたければ、そこまで走って言いにいく。記録を読んでも今のことでないから意味がない。必要なら神に聞く」

篁はこいつなら何処でも伝えに走っていくだろうと思った

「記録は先人の知恵だ。知識の蓄積であり、同じ過ちを繰り返さない為に必要だ」

ギョクはしばらく黙っていた

「今を生きないから過去を見る。今すべき事を完了させれば同じ事は二度と起きない。りすが穴蔵に蓄えたものを見て、満足したり心配するのと同じ。今すべきことは穴から出て餌を探したり、風を感じたり、(つが)いを探す事だ。愛は過去を残せばまだ足りないと思い、同じものを与える。人が満足するま何度でも。だから同じ事が何度も起こる。それは願いを叶える愛だ」

篁は思う。こいつもか、と。何でこんなに親子揃って凄いのか。と言うか、本当に童なのか。興味深い内容ではあるが、今の話に応じれば、もっと話についていけなくなる。那由は大人だから上手く話してくれるが、ギョクはそうはいかない。篁は困って何と言うべきか思案していた。


「水をお持ちしました。稽古は終わられたのですか」

那由が竹筒を持ってやって来る。篁は筋が良いのでこれ以上教える事がない事を話した

「今は少し休んで文字の読み書きの話をしていました」

ギョクは一瞬身体を硬直させる。篁はこいつ何か隠してるなと思った

「まあそれはそれは。小野殿に習うといいでしょう」

「母様でいい」

「いつも逃げ回るではありませぬか。母よりも他の人の方がより多く学べるものですよ。小野殿、稽古の合間で良いですからギョクに読み書きを教えて頂けないでしょうか」

篁は渡りに舟とばかりに、その言葉に乗った

「ええ、無論です。剣よりも教えられると思います」

ギョクは篁を恨みがましい目で見ていたが、那由が味方についたら勝負は確実に勝ち。したり顔でギョクをみる。大人げない大人である。


那由は少し話すと家に戻った。篁は浮き浮きしていた。ここに来る口実が出来たと喜んでいるが、那由は愛の啓示で助け舟を出しに来たとはついぞ思わなかった


ギョクは訊いた

「篁は何故ここに来たのだ」

「知らぬのか。流刑に処せられ流されたのだ」

「どんな悪いことをしたのだ」

「遣唐使の任を拒んだのだ。そんなわりなし事に命かけられぬ。唐にそこまで学ぶべき事があるのかとな」

「ふうん。何も悪い事してないではないか。外つ国の事学びたければ、ここにも沢山流れ来るし、商人も来る。誰が篁の刑を決めたんだ」

「帝と上皇だと思うぞ」

「なら神と話せないのも確かだな。賢いやり方とは思えない」

篁は胸が空くような感じがし、目を細めた

「小気味好い男の(をのこ)じゃな」

那由もそうだがギョクの聡し事普通ではない。何につけ、教え甲斐もありそうだ



篁は家に帰ってから久しぶりに剣の稽古をした。ギョクの剣を振る姿を見て、己ももっと腕を磨きたい思ったからだ



翌日から稽古の後に読み書きを教える事になった。稽古が終わると家に戻り、文机の前に座る。ギョクは読み書きが全くできない程でもないが、その場にずっと居られない。座っているのが苦痛なのだ

「ギョク、座っておるのが苦手なのか」

「苦手だ。どうにも尻が稜稜(そばそば)する」

お尻をもぞもぞさせながら、居心地悪そうにしている

「今思ったり、感じた事を書いてみたらどうだ。己が少し前に作った唄だが」


思ひきや (ひな)のわかれにおとろへて 海人のなはたき いさりせむとは

(意味:田舎の地で(都から)遠く離れ落ちぶれて、漁師の縄を手繰って漁をしようとはおもわなかった)(古今和歌集961)


「篁、漁師に失礼だぞ。魚は誰が獲ってくると思っている」

「その時はそう思ったのだ。己は凄いと自惚れていたのだ」

「そうか、ならそうだな」

それを後ろで聞いていた那由が笑う

「面白い話をされていますね」

そう言うと話しはじめた


むかし、ある商人が魚を仕入れて山奥の村に売りに行った。生魚では日持ちしないから、捌いて開きにし、日干しにしたものを持って行った。魚を売っていると一人の老人が商人のところへ来た。老人は魚を見ると、これは魚ではない と言った。

「これは我が捌いて日干しにしたから間違いなく魚だ」

「その魚は本当に捌いて日干しにして欲しいと言ったのか」

老人は魚は人に食べられる使命を持って捕まるが、どの様に食べて欲しいかはその魚が決める。この魚は焼いて欲しいと願っていたのに商人によって日干しにされてしまった。だからこの魚は魚の使命を果たせずそのままの魚ではなくなった、と言った


「商人は日持ちをさせる事が目的で日干しにしましたが、魚は焼いて食べてもらうことが目的でした。小野殿が漁師の手伝いをされた目的は都から離れて寂しいと思う事で、魚を捕ることではありません。小野殿の寂しい思いを十分に寂しいと思い尽くせば、その思いは果てます。この魚も日干しにされた無念を充分に思い尽くせば、次に食べられる時は思いが通じます。日干しになった境遇もまた、無駄ではありませぬ。それが今を生きるという事です。何かに備えて心配したり蓄えておく事は要らぬのです」


篁は困った。穴があったら入りたい。己の恥を簡単に見破られた。それもギョクのいる前で。これでは師匠の威厳が崩れる


「篁、思った事を書いてみたぞ」

よかった、ギョクは那由の話を聞いていなかったようだ

「どれ見せてみよ」


人の恥 聞いて嬉しと思いなば、俺は先の見えぬ童のやうなり

(意味:人の恥を聞いて嬉しいと思うならば、俺は将来不安な童だな)


此奴(こやつ)本当にいい性格してるな、と篁は思う。

那由はギョクの書いた木簡を見ると

「人のことを何か言える程ぬしは今を生きて居りませぬ。ぬしはぬしの思いをそのまま書きなされ」


それからギョクは種々(くさぐさ)書いた。書いている時は座っていられる。退屈だっただけのようで、唄を作ることに興味を持ち始めたようだ。唄は知識も必要になる。篁は知っている唄をいくつか書き出し、その読み方や意味、言い回しなどを話した。


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