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忘鬼の謂れ〜鬼と戦い続けた男  作者: 吾瑠多萬
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【護衛】帰路


帰りは駕籠を使わないので駕籠を解体し、荷車に載せてある。駕籠舁き達も荷曳きに加わる上、男足のみなので、自ずと速度は早くなる。


一泊目の旅籠に着くと、俺はずっと気になっていた那津のお付きから貰った袋を開ける。今日一日中この事ばかりが気になって、他の事を殆ど覚えていない。袋の中には紙で包んだ硬いものが入っている。包みを開いて見ると、それは浅葱色の紐を結んだ翠の玉だった。あの滝壺を想起させる、那津の頭で揺れていた簪の翡翠だ。簪から外し、持ちやすいように紐を通したのだろう。袋を良く見ると、外側は麻だが、内側は淡緑の絹を合わせて二重に縫ってある。見覚えのあるそれをしばらく眺めるうちに気づいた。それは初めて商人の屋敷で会った日、那津が着ていた着物の布だった。胸に熱いものが込み上げた。あの数日のうちに、那津は自らの着物の生地でこの小袋を縫って作ってくれたのだ。


己が誰ぞに大切にされているという事が、俺の心を打った。これは身を案じ守りとして渡されたのだと悟った。握りしめると玉はそれ自体が熱く熱を持っているかのようだった。俺は翡翠の紐を首に掛け、袋を懐にしまう。これまで多くの人と出会い別れを繰り返した。その中で別れを惜しいと思う人は沢山いたが、悲しいと感じたのは那津が初めてだった


天候に恵まれ峠越えは順調だった。二日過ぎ海が見えてくる。海を渡るのは船の都合で一日休みになった。

俺は朝のうちに船着場近くの市に寄り、刀の柄巻きに使う糸を買った。色は那津が玉に通してくれたものと同じ浅葱色だ。我ながらどうかと思うが、揃いにしたいと思った。俺はその夜、柄を巻き直した。糸を巻いて見ると、剣は少し立派で、那津が海で唄った唄の恩方の剣のようにも見えた。



それから俺は鬼が大量に出た事を調べる為に、この地のことを良く知って、情報が集まりやすいところは何処か考えた。その地域には寺があった。寺は船着場から見上げると良く見える高台にあるのをすぐに見つけたので、探す事なく着いた


寺に入ると住職が庭の雑用などをしていた。俺は声をかける

「ごめん。少し聞きたいことがあるがよろしいか」

住職は顔をあげて俺を見ると手を止めた

「ええ、構いませんとも。こちらへどうぞ」

住職は本堂へ手を向ける

「いや、それには及ばん。本堂に入るのは恐れ多いのでここにて。我はしこ退治の逸彦と申す。この辺りから与津の都までの峠で、しこ(鬼)が出始めたのはいつ頃か知りたい」

住職の目が俺を見定めるように舐めた。俺は懐から銭を出す

「これは寄進だ」

住職の手に握らせる。寺はその地を収める領主から領民まで顔が広い。色々な事を知る機会が多いので、寄進する事で聞き出す事が出来る


「おや、これはこれは。ありがたく頂戴いたす」

住職は表情を緩めると銭を懐にしまった。

「しこが出始めたのはここふた月前でしょうか。最初は此処と与津の丁度中間の素破と呼ばれる小さな村で、しこが出たようです。ある村でしこが突然出たので閉じ込めたそうですが、訝しんでその村の者が素破に調べに行くと人はおらず、しこの亡骸が沢山あったそうです」

「素破からしこが森の中に逃げて周囲の村を襲っているのか」

俺は問いただす

「ええ、そのようです。素破の近くの村や峠で襲われたものがおったと聞いております」

「他の場所でしこが出たことはないのか」

「さあ、聞いておりませぬな」


これ以上はわからないようだ。俺は礼をいい寺を出る。先日俺が大勢退治した事はまだここまで届いていないようだ。今の話だけで決める事は出来ないが、少なくとも素破から出た鬼は退治出来ているだろう。ただそこから遠く離れた鬼がいると、いつか戻ってくることは否めない。当面は大丈夫だと俺は無理矢理納得した




海を渡り島を横断、再び海を渡る。そこから玖野戸(くのべ)を目指す。途中雨の日もあったが、男足なのでそのまま歩く。雨中歩くには、柿渋染めの上着は役に立った。ここからは旅籠に泊まらず野宿で進む事にしたので、行きよりも長い時間歩き続けた。そして出立から丁度九日目、一行は昼頃帰還した


八乃屋の屋敷に入らせてもらうと、俺は早速風呂で旅の汚れを落とす。温泉は無くとも風呂だ。野宿のように川ではないのが嬉しい。暖かい湯はそれだけでも安堵する。風呂場の外から声がかかった。

「新しい着物置いておきますのでお召しくださいませ」

風呂から出ると己の着物の代わりに見たことがない新しい萌葱色の衣が置かれていた。着物も洗おうと思っていたが、小間使いが洗うよう言いつけられたのかも知れない。身に着けると、袖も袴も細めで裾に括り緒がついていて、実に動き良さそうだった。俺が客間に戻って一息ついていると、八乃屋殿が呼んでいると言われたので部屋へ赴いた


「逸彦殿をお連れしました」

小間使いが声を掛けると中から入るようにと八乃屋殿が応える。俺は中に入り八乃屋殿の前に座る


「逸彦殿、此度は誠にご苦労であった。亮野佑に聞いたが、しこ(鬼)がたくさん出たそうだな。同行を願ってよかった」

「我は雇われた仕事をしただけ。金を貰う事になっているから、お気になさらず」

八乃屋殿は俺の前に膨らんだ小袋を差し出す。おれはそれを受け取り中を見るとかなりの額の銭が入っていた

「随分と多いのだが」

「いやいや、しこをたくさん退治したとの事。逸彦殿がいなかったら、那津が無事に着いたとはとても思えぬ。亮野佑もそう思っているし、この(ふみ)にもある」

八乃屋殿は俺に竹簡を見せる。それは那津が八乃屋殿に宛てたもので、俺がどんな仕事をしたのか書かれていた。那津が一行の出立前に亮野佑へ託したのだそうだ


「那津は逸彦殿は祖母様の歌に出てくる恩人のようだと申しておる。あの子がここまで人を褒めるのは今までない事」

八乃屋殿は笑いながら竹簡を畳む

「お役に立てたのなら重畳。ならばありがたく頂く」

俺は今着ている新しい着物のことを尋ねた

「この着物は、明日お返しすれば良いか」

「その位、礼のうち。逸彦殿の為に仕立てたのだ。今後も是非召されたし」


俺は那津がここまでしてくれた事に感謝し、褒めてもらえる仕事が出来た事を素直に受け入れようと思った。俺は寺の住職に聞いた事を話し、与津の都周辺は当分鬼が出ないと思うが、油断は禁物だと伝えた

「そうであるか。ならば逸彦殿にいつも同行して頂けると助かり申す」

八乃屋殿は俺の顔を気持ちを測ろうとするように見つめた

「それが出来ない事は分かっているであろう、八乃屋殿。名残惜しいが明朝ここを出る」

「わかり申した。先々の事、那津も案じておった故…。確かに、此処は汝には居辛い場所やも知れぬな」

ひと時項垂れると、八乃屋殿はついと立ち上がって、部屋の隅の行李(こうり)を開けて、布で包んだものを取り出して来た

「これは汝が鋳潰す刀を持ち込んだ鍛治から預かった」


布包みを開くと中身は鍋だった。旅に良さそうな小ぶりのひとり鍋で、持つと見た目よりも軽く感じる。できるだけ薄く軽くなるよう叩いてあるようだ。

「旅路に重宝する。後で寄って親方に礼をする」


鍛冶屋へ行く

「ごめん」

俺は戸板を開き中に入る。親方が何かの作業をしていたが、手を止め顔を上げ、俺を一瞥した

「八乃屋殿から鍋を貰った。金払おうと思って来た」

親方は俺に背を向けたまま言った

「要らねえ」

俺はそれに応えず土間からの上がりに勝手に腰掛けた

「旅に助かる。軽くて良い鍋だ。実に良い腕だ」


親方は俺の方を見ずに、手だけは動かした。

「金はいらん。それは先祖の礼だ。ぬしの先代が来ねば、我は今ここに生まれて居らん」

俺はしばらく沈黙した。火がしゅうしゅうと鳴った。

親方は何か思いに耽って、手を止めた

「ぬしの刀を潰しても、他の何かは作れねえと思った。それしか作れねえと思った」

親方の誰に言うとなく溢す言葉は、何故か火の音の中でも俺にははっきり届いた

「その(かね)は鍋になりとうと己に言った。命を絶つものではなく、糧となるものに…」


俺は火を見ていた。親方も手を止めたまま火を見ていた。火は赤く燃えて次の仕事を待っている。

「左様か。ここに古い鍋を持って来た。溶かして何用にでもしてくれ」

俺は立ち上がって、出口に向かった。

「鍋は大事に使わせて貰う」


俺の背中を親方の視線が追った。戸を閉めると、再び鍛治仕事の音が鳴り出した

俺の胸の中で親方の言った言葉が繰り返し繰り返し鳴った

「命を絶つものではなく、糧となるものに…」

それは俺の思いを代弁しているかのようであった。刀がそのように願って我が元に戻って来るように、己にもいつかそんな日が訪れる事があろうかと思いを馳せた。神はその時、俺を命の糧となるもの、何かを生み出すものに生まれ代わる事を赦してくださるのだろうか。今は鬼をあやめる事しかできぬ俺を


その晩、八乃屋殿は皆の労を労う宴を催してくれた。俺も別れの挨拶もあるので出ることにした。宴が始まると明後日ここを出ることを話し、皆に礼を言う。荷曳きの一人が恋文を貰った女子(めなご)に会いに行くのかと言いだし、酒の肴にされた。俺はそれが何故か楽しくて嬉しいと思った。

翌日は旅の物を少し調達し、荷に詰めた。俺が着ていた着物は洗われ、綻びを繕われて返って来た。


皆にはいつものように、見送りしないように断った

翌々朝早くに出立した

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