【護衛】与津の都
宮地家へ行く迄の間、亮野佑と護衛二人、駕籠舁き二人、荷車曳き四人は短い休暇だ。亮野佑は色々な見世を知っているので、皆を連れて朝から出かけている。俺は風呂があればそれで良い。風呂以外は刀の手入れや保存食を仕入れ、出立に備える事にした。
露店の並ぶ通りを歩き、保存食を買い込む。都というだけあって、行き交う人々の服装や髪型は少し派手である。あまり好みではないが、唐趣味の流行りだろうか。女の中には花の模様の縫取りをしてある着物を羽織る者もいる。那津もここに住めばあのような衣装を纏うのだろうか。那津ならば何を着ても似合うだろうと考え、俺は己の考えに一人赤面した。
見世で鳥にやる報酬の米を選ぶ。鳥は玄米を食すが好みがあるらしく、食べ進まない嫌いな玄米もあるようだ。米が売られている店先で真剣に悩むが違いがわからない。少量なので単価が高い米でもいいと思ったが、己の内側に意識を向けて神に問うと、これと示された米は安い米だった。首をひねるが、神に尋ねた米は鳥に何時も好評だ。当たり前だが。
「お米を買われるのに随分と真剣ですね。しかも少量だけで」
途中から気配に気づいていたが、やめる訳にもいかず、気まずく恥ずかしい思いを抱きながら米を選んでいた
「那津殿、これは導きの鳥の報酬で己は食べない」
那津とお付きの女子が可笑しそうに俺を見る
「そんなに真剣に選ぶ必要があるのですか。何でも食べそうですが」
「いや、そうでもない。好みがうるさくてな。嫌いな米は食べない。それでは報酬にならないので真剣に選んでいる」
那津は声を上げて笑った。そんなに可笑しいのだろうか。俺はつい困った顔をした
「申し訳ありません、逸彦殿。とても逸彦殿らしいお答えでつい笑ってしまいました」
俺らしいとはいかなる意味か。何故か恥ずかしいと思えてくる
「これ以上は逸彦殿のお買い物の邪魔になりますね。それでは失礼致します」
嬉しいような悲しいような、それでいて何か胸が熱くなるこの想いは恋なのかと思った。
女子らは見世で唐物の簪や櫛を見て歓声をあげ、手に取って互いの髪に合わせあったりする。那津の髪に当てて見せると、見世の女主人が鏡を取ってそれを映した。
俺は次の探し物があると装いながら、足早に賑やか様子を後にした
宮地家へ入る日になった。朝から晴天で風もあまりなく、暑い日差しを予感させるような空模様だ。朝餉を食した後、亮野佑を先頭に一行は旅籠を後にする。出立の時には旅籠の主人、女将、番頭、女中や小間使いなど大勢の人々に見送られる。俺は一番最後についていく。正式には俺は八乃屋殿の配下ではなく雇われだ。今だけは鬼は勿論、賊が出ても俺が一番先に対処する必要がある
宮地家の前に到着する。大勢の人が玄関前に立っていた。亮野佑は那津の主人となると思しき人の前で止まり、挨拶をする。駕籠から那津が出て、宮地家の家族と思われる人々と挨拶を交わし屋敷の中へ亮野佑と共に入っていく。後は番頭らしき人が、持ってきた荷物をこちらへなど細かに指示している。俺はその後について屋敷の中へと入った
二人の護衛と共に宮地家の使用人が使っている建物の休み所と思われる部屋に案内される。俺たちがそこで休憩していると、若い年頃の女中さんがお茶を持ってきた
「遠くから来はって難儀やったな」
「なに、これもお勤めよ」
護衛の一人が茶を飲みながら答える。この人は道中、この旅に参加した事を後悔していると散々に言っていたはずなのだが。見栄を張りたくなる気持ちはわかる
「このお方はしこ(鬼)退治の逸彦殿だ。道中しこがたくさん出てな…」
俺の鬼退治の話が始まる。間違ってもいないが本当でもないような誇張された表現で、俺の話をしている。もう一人の護衛も混じって話がどんどん大きくなっていく。若い女中と話したいのだろうが、俺をダシにするのはやめて欲しい。女中は珍しい話なのか熱心に聞いている。途中歳上の女中が、女中を呼びに来たと思われるも一緒に聞き入る始末に、俺はあきらめ余所事を決め込み、黙って茶を飲んでいた
どれ程の時が過ぎたのか、亮野佑がやってきた
「逸彦殿、少しよろしいか。こちらの御当主がお会いしたいと申された故、来てもらえんか」
「承知した」
護衛と女中はまだ話をしている。俺はここから抜け出す口実が出来た事を少し喜んだ
亮野佑についていく。屋敷の奥へと進み、戸板の前で止まる
「逸彦殿をお連れ申した」
「お入りくだされ」
中には宮地家の当主と思われる人物が一人いた。俺は中に入り挨拶する。当主は白髪で老練な雰囲気を持つ老人だった。見た目は温和で優しそうな好好爺だが、隙がなく相当な武術の心得があるように思われた
「しこ(鬼)を退治されるだけあって逸彦殿は隙がありませぬな」
こちらに殺気を送る気配を見せる
「いや御当主も何の武術か存ぜぬが達人とお見受けするが」
俺は反射的に刀の位置を確認している。この人物が本気で俺をあやめに来たら防げるかどうかわからない
翁は気配を解く。俺も緊張を緩めた
「初対面で我が武術を嗜む事を見抜かれたは久し振りよの。先程、亮之助殿にご活躍ぶりをお聞きしてな。どのような方なのかお会いしとう思うた。ご無礼した」
領主は俺に頭を下げる。話が本当なのか知りたかったのだろう。
「いや、こちらこそ客分の身で構えてしまい、お詫びいたす」
俺も慌てて頭を下げる。
「那津殿を八乃屋殿のところで何度か見かけ、是非我が息子の妻にと申し込んだのは我じゃ。幼き頃から聡い子と思うとったが、歳頃になりて益々の愛しさじゃ。我が妻なら尚良かったのだがの」
翁は大声をあげて はっはっは、と豪快に笑い、殺気立った妙な空気は吹き飛んでしまった
そこから普通の話になり、この屋敷でゆっくりしていくよう勧められ、亮野佑と共に席を立つ。廊下を出て先程の部屋へ戻る途中、亮野佑は
「最初に御当主と話されたのはいかなる事か。我には分からなかったのだが。御当主が武術を嗜むなど聞いた事がない」
亮野佑は気づかないのか。あの御当主なら鬼を斬れる。神に頼って鬼を斬っている俺よりも凄い人物なのだが、あの優しい表情に皆惑わされるようだ。俺は 何となくそう思ったので言ってみただけだ、と答えた
夜は宴になった。亮野佑や護衛の二人、共に旅をして来た者全員だ。無論、那津と女子はいない。護衛と話をしていた女中が仲居になったので、最初から楽しい雰囲気で始まり最後まで盛り上がった。俺も一緒に飲み楽しいひと時を過ごす。一人旅が多いので大勢と仲間意識を持つ事はあまりない。得難い体験が出来た事を神に感謝した
身体を休める意味もあり、七日後に出立する事になった。それまでに食料の買い出しや、荷車の点検と補修、宮地家で買い付けた物を載せなければならず、意外と忙しい。俺は皆の手伝いをして過ごす。ここに風呂はなく、盥で身体を拭くだけだ。俺としては残念だった。
出立の日、外が明るくなりはじめた頃に屋敷を出る。見送りに当主をはじめ大勢の人が出ており、その中に新しい唐物の簪を挿した那津もいた。亮野佑は当主と那津に挨拶すると出立の合図を出す。
その時、お付きの女子が走り寄って言った
「お部屋にお忘れ物ございました」
忘れ物の覚えは無かったが、手早く渡されたのは掌に収まる麻の小袋だった。袋の口は紐で縛ってあり、中に硬い小さな手応えがあった
「かたじけない」
俺はさりげなく懐に仕舞った
「何だ、恋文か」
荷曳きの一人が肘で小突いてきたが、俺は携帯食を忘れただけだと言った。
一行は動き出し、見送りは一様に頭を下げた。手を振る者もいた。俺は那津を振り返らないように前を向いた。御当主も頭垂れつつ目はこちらを外さずにいるのがわかった。あの御当主の元ならば、那津を安心して残して行けると思った。きっと那津の才気を発揮させてくれるだろう