【護衛】旅路
天気も良く道も往来がそれなりにある道だ。一日は何事もなく順調に進む。俺は歩きながら護衛の男達と旅をして来た話をする。皆興味しんしんで俺の話を聞く。亮野佑は体格が大きく、いかにも強そうに見える眼つきの鋭い男で、その厳つい面には触ったら刺さりそうな髭が栗のイガのように生えている。その風貌のせいか、お付きの女子はあまり話しかけようとしない。それで女子らも道程のあれこれを俺に尋ねてくる事が多かった。俺は責任者では無いのだが
女子らは故郷を離れる寂しさもあるものの、旅の期待に浮ついているようだった。黄色い木苺を見つけた折には、片掌一杯に摘み取って、駕籠の中の那津にも差し入れていた。
女子らは、来たことも無い知らない道にさしかかって来ると、道すがら出会うものを珍しそうに見ていた。名も知らぬ花や鳥が飛び交うのをこんなに多く見るのも初めてなのだろう。俺にも色々尋ねた。俺はこれとこれは似ているが、食べる事ができる草と食すと腹を下すものがあるとか、秋にはこのような実を付けると話すと、さも大事のように聞いていた。おそらく向こうに着けば仕事には使わぬ知恵故、直ぐに忘れるだろうが、それでも童のように知りたがる様子には感じるものがあった。俺が話すと那津が駕籠の中で耳を澄まして聞いている気配がした。女子らは愛らしい花を見つけると摘んで駕籠の窓から中の那津にも差し渡して、俺が言った話をもう一度那津に繰り返したりした
幾つかのなだらかな峠を超えたが、一回荷車を狙った賊と思しき三人組に会っただけだ。森から現れた男らは刀を腰に挿している四人を見ただけで、道を譲るふりをしてそのまま手出しもせず逃げ去った。
大きな峠を越える道に入った頃、女子らは言葉少なになった。道が少し細くなり、荷車の運びも遅くなった。
そこで鬼に遭遇した
「しこ(鬼)がいる。我が相手いたす」
俺は刀を抜いて鬼を斬る。今回も意識が完全に消える事もなく、身体が勝手に動くように鬼に対処する。終わると身体が戻った。鬼を斬る時、前回よりも意識をはっきり持っていたのだが、俺の中にもう一人の俺がいるように感じた。俺だと思えるが俺ではない、そんな不思議な感覚だった。
二人で鬼を森の中に運び横たえた
「いや凄まじき剣だな。お館様から話は聞いていたが、それ以上だ。神気宿るとはこの事だ」
亮野佑は鬼に近づくと傷跡を検める。確かに俺が斬ったが剣は神剣だ。自分が全部やったとは思えないのだ。俺は無言のまま鬼の骸に手を合わせる。そこへ駕籠の方から那津とお付きの女子三人の近づいて来る足音がした
「しこが斬られた身体を見る事は遠慮願いたい。まだ他のものが近くにいるやも知れぬ。危ない故、駕籠へ戻られよ」
俺の声に背後の気配が立ち止まる
「我も手を合わせ供養したいと思います故、近くへと参りました。ではここにて」
三人は手を合わせると、直ぐに女子の気配のみ戻って行った
「那津殿も戻られよ」
俺は先程から姿勢を変えずに手を合わせている
「逸彦殿は一人で背負い過ぎます。神は嘆いておられます故」
那津は俺にだけ聞こえる小声で伝えると遠ざかった。
俺は胸が少し痛み顔が赤くなるほど火照る。知っているのに見ないふりをして、そのままに心の奥にしまっていた事を見透かされ、言い当てられた。それは苦しく、恥ずかしく、また言われ事が嬉しいような、複雑な思いを湧き起こした。俺はどうしていいかわからず身じろぎも出来なかったが、那津が駕籠に入る音がすると我に返り立ち上がった
一行は再び動き出し、峠を越える道を行く。それ以降は鬼も賊も出なかった為、日が沈む少し前に目的の旅籠へたどり着いた。荷を解き足を洗って客間へ通される。亮野佑をはじめ護衛二人と俺は同室となった。
食事をとっていると女中が白く濁った酒の入った甕を二つ持ってきた。それを見た亮野佑は言った
「酒は頼んでおらんぞ」
「お連れの那津様よりお酒を差し入れるよう仰せつかりました。なんでも供養にとお話しされました」
女中は酒とつまみの味噌を置いた
「おお、那津様が。かたじけない、ありがたく頂戴致す。さあ逸彦殿もわれ達も飲め」
俺の持った盃に亮野佑が酒を注ぐ。四人で酒を飲むうちに、出立した玖野戸の地の話になる。噂話、何処の店が美味い、あそこの女子は愛し、など護衛の三人は故郷の話で盛り上がる。俺は少し夜風にあたると言って席を立った
旅籠の内庭に出て空を見上げる。星明りが思いの外明るい。俺は星を目の端に映しながら昼間に出会った鬼について考えていた。一人だけしか出会わなかったが、道にいたのなら何処かで発生した鬼等が散って、森の中を徘徊していたとも考えられる。小さな集落で鬼が出て、他の集落に助けを求める間もなく集落全体が鬼になった、という事は俺の記憶の中に幾つかある。他の集落に辿りつくまでに鬼が餓死することもあるが、近ければ大抵他の集落を襲う。こうなると鬼は広い範囲で出る事になり、急速に広まる事になる。それを討伐する大仕事をした嫌な記憶を思い出し俯いて顔を顰めた。
「何か嫌な事でも思い出されたのですか」
俺は驚き振り返り、外廊下に灯籠を持った那津が立っているのを見上げた。気配が全くしない
「気づかなかった事を驚かれているのですね。神がここへ遣わしたのですから、当然です」
那津は俺の驚いた顔に少し嬉しそうだ
「ぬし殿が悩むことではありませぬ。神はぬし殿を導き通されるのですから」
「我が何を思ったのかわかるのか」
「しこ(鬼)が多数様々な地にいるのではと悩みなされたのではありませぬか」
「何故わかる」
「神は何でもご存知です」
那津が笑う。俺は己の内側から湧き上がる全てに包まれる感覚を覚える
「神はぬし殿が要らぬ心配をして、全てを背負われようとなさる事を嘆かれています。それは神が背負う事であり、ぬし殿が背負う事ではないと」
那津は灯籠を床に置く。帯に差していた扇を手に取ると開いた。那津が俺に向かって扇ぐと俺の己の内側から何か強烈な光が湧き上がり、視界は光だけになる。俺はその光で焼き尽くされるようだと思った。光が収まると那津はいなかった
俺が部屋に戻ると三人はまだ話をしていた
「逸彦殿、随分と早いな。先程出て行ったばかりだろ。さあ一献」
亮野佑は俺に酒を注ぐ
「そんなに早かったか」
「ああ、そうだ」
他の護衛二人も頷く。那津と一緒にいた時間も含めてそれなりの時間が経ったと思うが、この三人はそう思っていないようだ。俺は那津が言っていた神が遣わしたことだからと一人納得することにした
この大きな峠を越え、更に二つの緩やかな峠を越えると海が見えてきた。護衛の一人は
「なんだ、地がなくなり大きな池があるぞ。橋もないが。小舟で渡るのか」
「あれは海だ。池ではない。向こうに見える島まで大きな船でわたるのだ」
亮野佑は八乃屋殿の護衛で何度か来た事がある。初めて同行する護衛の二人は、もの珍しそうに見ている。那津も駕籠を降りて女子と海を見ている。
皆が満足するまで少し休む事になり、俺は近くの岩に腰を下ろす。時折吹き上げる海からの風は、少し潮の香りがする。海と空は碧く、海の白波の煌めきがその境を分けている。俺は雲がのんびりと動いている様を見ていた。那津と女子の気配が近づいてくる
「逸彦殿は海を何度もご覧になっているのでは。随分と眺めているのですね」
「海は好ましい。雲が海の上を動く様は特に」
「我も雲の動く様は愛しいと思います」
そのまま海を見ていると、那津が唄を唄いはじめた
はいたえの いむちといせのおんかたは ひかりかがやき せんとし ちはるる
(廃退の 忌地問いせの恩方は 光輝き閃とし 地晴るる)
「これは我が小さき頃にご祖母様からお聞きしたもの。しこ(鬼)や乱れた忌む地を嘆かれ、それらを光でなぎ払い元に戻された恩人を讃える唄です。ぬし殿がしこを退治されたのを駕籠から見て、この唄を思い出しました」
那津は神剣の光の事を言っているのだろう
「そのような御方が早く現れてくれると良いな」
俺は鬼だけで精一杯だ。戦乱などを抑える力はない。那津は俺の目の前に来るとしゃがみ込んで目線を合わせた。簪の翠の玉が揺れる。俺が何事かと驚いていると
「自覚ありませぬか。我は逸彦殿の事だと思いました」
那津は俺に微笑むと海に向かって立ち上がった。簪がよく見える。玉は滝壺で泡立つ白と碧い水が混じり合うかのような彩の翡翠だった。那津はまた唄を唄う
伊勢の海ゆ 鳴く来ゆ鶴の音どろも君が聞こさば我れ恋ひめやも
(意味:伊勢の海から鳴きながら飛んでくる鶴のように、あなたが私を訪ねてくれるなら、(来てくれないかと)恋い焦がれることはありませんよね(訪ねて来てくださいね) 万葉集第十一巻二八〇五)
那津はその場を離れると女子もついていく。この依頼を遂げ送り届けた後も訪ねて来るのを那津は待っているという意味か。神が憑代として遣わすこともあるのだから、神が俺に何かをさせようとすることがあるのだろう。俺は己の内側に意識を向けて神に尋ねる
愛は愛である
起こる事ありのまま受け止める事もまた神への愛である
俺は困惑した。そのまま受け止めるなら、これは恋の唄だ。那津が俺に恋しい想いがあるということか。これから嫁にいく女が俺に恋することがあるのか。俺にはわからない。ただそのことを想うと俺の中に嬉しい感情が湧き上がることはわかり、周囲の者にその気色を悟られぬよう唇を噛んだ