“辰砂の貝”後始末
・麗春の月9日夜 平民街区、“辰砂の貝”拠点、地下
そこはまるで、一面に赤い押し花が敷き詰められているようだった。もっとも、実際には花ではなく血なのだが、その惨劇の中央に立つ美少女だけは花と言えるだろう。
抵抗すれば殺しても良いという指示を受けたミテスはその通りにしていた。地下の構成員達は相手を子供と侮り、そろってその条件に当てはまってしまったのだ。
「うぅーん。誰かいませんかー?」
無人の部屋にミテスの言葉が響くが、返ってくる声は無い。
奇妙な大部屋だった。壁には乾燥した植物が吊り下がり、部屋の中央には煮えたぎる大釜が残されている。机の上には乱雑に置かれた紙と、高価な薬瓶が置かれていた。
いずれ征討士の調査団が入ることになるだろうが、ジラレスは結果的に言えばミスをおかしていた。地下に行くのはジラレスで、上はミテスに任せるべきだったのだ。
そうすれば、ジラレスの長年の経験から大事な物を見分けることができたし、地下で働いていたうちの一人ぐらいは残すという機転が働いただろう。
「ここの研究もこれまでだな。紫止まりか……」
淡々とそれでいて落胆したような声が発せられた。声の主は奇妙な格好をしていた。軍服にも似た真っ白の装束、目もとが分からないように目深に被った中折れ帽子。そんな奇抜な格好をした人間がミテスの感覚をすり抜けている。分かるのは声からして男だということぐらい。
「シャアアアアアッ!」
敵を見かけた猫のように細い声を上げながら、ミテスは即座にスティレットをこの闖入者目掛けて突き立てた。遊び相手ではなく敵だ。即座の判断だった。
しかし、確かに突き立てたはずのスティレットには手応えは無く、男はミテスの背後に移動していた。しかもミテスの運動能力を見きったとでもいうように、絶妙に間合いから外れている。
「……どういう身体能力だ。危うく死ぬところだったぞ。これではここの連中の有様もだらしないとは言えなくなる。まぁ良い、回収すべきものは回収した。私はここで失礼させてもらうよ、お嬢さん」
再びミテスが飛びかかると、またすり抜けるように男は後ろに回り、一礼すると文字通りかき消えた。
「ああ! ジラに怒られる……黙っておけば大丈夫かなぁ~」
ミテスはぶつぶつと呟きながら、これ以上部屋を荒らさないよう立ち去った。地下室から数通の手紙が消えていることには気づかなかった。
・麗春の月10日朝 ハーランド王国大聖堂
昨夜行われた“真紅のサソリ”に対する手入れは、中級征討士タースのもとで無事に行われた。冒険者のグループにも様々な形態があるが、“真紅のサソリ”はそれほど大所帯ではない。元々魔物を相手にする集団は少数精鋭になることが多いのだ。
そのためタースたちの不意を突いた突入に抗しきれなかった。人間相手では勝手が違ったのもあり、中毒症状で弱っていた彼らは数で押されて、ごく短時間に制圧された。
構成員は異例の処置ながら麻薬被害者として扱われ、大聖堂が身柄を預かることになる。
「面倒をかけてすまないな」
大聖堂の奥部屋でジラレスは、レーフィアに“真紅のサソリ”の預かりに対する礼を言っていた。元々ソーンとの勝手な約束のためであり、仕事を増やしたからである。
それに対してレーフィアはジラレスに少し不気味な笑みを浮かべながら、応じた。
「次に謝ったら張り倒しますよ? もとより病人の治療は私達の仕事です。それよりもジラレスは大丈夫なのですか? また問題を起こしたようですが……」
「なぁに、ちょいと仕事熱心が過ぎただけのことだ。給料を減らされるか、謹慎で済むだろうよ」
ジラレスのやった“辰砂の貝”襲撃はまだ命じられていないことであり、勝手に動いたのは組織にとって問題行為だ。
また、と言われるようにジラレスはこのたぐいの問題をたびたび引き起こしている。真面目過ぎるせいでもあり、効率を重視すぎた結果で、ジラレスはいわゆる仕事熱心過ぎて問題を引き起こすタイプの人間だ。おまけに成果はしっかりと出しているので、なおさらたちが悪い。
「はぁ……貴方もアランもどうしてこう、やりすぎてしまうのでしょうか。秩序を重んじるのも騎士や名のある戦士の大事な義務ですよ」
「おやおや。“聖女”様は御自分だけは例外になさるお積もりだ。どうせ夜だろうと朝だろうと、診療者を受け入れているのだろう? 特に今回のような治療が長引くような事態であろうとも」
「それは……まぁそうですが……」
「幼馴染3人揃って仕事中毒か。腐れ縁というか互いに与えた影響というか……謹慎期間中は大人しく書類仕事になるから、俺に関してはそれで良いだろう?」
「……貴方に神のご加護があらんことを」
「信用ないな」
「あるとお思い? あら、そういえばミテスちゃんは?」
「知らんが……何か昨日から避けられているな。アレもまた何かやらかしたんだろう。責任は最後には俺に回ってくるからな」
「あらあら、じゃあこの焼き菓子は会ったときに渡してくれるかしら」
「ミテスには優しいな。その分をこっちにも回して欲しいものだ」
「あの子に大事なのは愛情です。貴方に必要なのはまた別のものでしょう?」
白布で包まれたバスケットを受け取り、“真紅のサソリ”の引き渡しは終了となった。さて、ミテスが己の部屋に顔を出すかどうか。大体自分に必要なものとは何だったのかなど、疑問を感じながらジラレスは大聖堂を後にした。
・麗春の月11日 征討士本部、自室
ジラレスはげっそりとした顔で机に向かっていた。まさか昨日の午後からずっと、団長アーレの説教を聞く羽目になるとは思わなかったのである。たかだか10日の謹慎を言い渡すのに偉く時間をかけてくれたものだ。
(まぁ、そういうところが可愛いな。うちの団長殿は)
別に容姿を可愛いと思っているわけではない。通常、というか経験によるとこのぐらいの命令違反で厳重注意を受けたことなど無かった。
アーレは自分も書類や苦情に追われていることから、長々とした処分は好まない。そのアーレだが他の征討士が1代限りの騎士位なのに対して、れっきとした爵位持ちであることが部下とは違っている。
つまりは“辰砂の貝”へ速攻を仕掛けて潰したことが、アーレの上司にとって不快だったのであろう。予定外の行動でアーレは叱責でもされ、その苛立ちがジラレスへと向けられたわけだ。実に分かりやすい。
(謹慎中の身だが、あの紫色のポーションが〈活発の紫〉と呼ばれていたことは分かった。いかにも他の種類がありそうな名前だが、問題になるまで他のポーションは分からないだろう。しかし、貴族が関わっているとなれば国立の錬金研究所も注意の対象になるか……)
ともあれ征討士の仕事は基本的に起こってから動くものだ。ここから先はまた確証が出るまでは動けない。悪党を潰せないのには苛立ちが募るが、こればかりはどうしようもないのだ。
(アラン、レーフィア……お前達が通った道の掃除は、まだまだかかりそうだよ)
ジラレスが内心で謝っていると、外から戸を叩く音がする。苦笑して立ち上がると、窓の戸を開けてやる。猫のようにぬるりといった動きでミテスが入ってきた。
「ねぇ、ジラ。謝らないといけないことがあって来たんだけど……」
「珍しいこともあるものだね。レーフィアから焼き菓子を預かっているから、まずそれから片付けようか」
菓子をかじる音と共にミテスの話を聞く。その話は十分にジラレスを驚かせた。
「仕留められなかった? お前が?」
「んん、こうスーッと消えちゃうんだ。刺したと思ったのに……」
「お前が殺せなかったなら、俺でもどうにか出来たとは言えん。謝る必要はないよ。それにしても……」
そんな怪物じみた手札を持っているとは、余程強力な集団と見える。いつか相まみえた時、どうにかできるだろうか? どうも根深い問題に手を出した気がして、ジラレスはため息をつきながら自分も焼き菓子をかじった。