カワセミ
・麗春の月8日午後 商業街区、目抜き通り
日が傾き始めた。ジラレスは様々な店が立ち並ぶ大通り、その上にかかっている小さな橋から人々を見下ろしていた。ミテスは柵を背に半ば眠っている。
ジラレスが目をつけているのは薬品店や錬金術師の店であるが、特に小さな路地にある店に注目していた。
「おや、アレかな。わかりやすすぎて、ちょっと判断を疑いたくなるが」
薄暗い通りにある店から、一人出てきた。周囲をきょろきょろと落ち着き無く見回してから、足早に動き始めた。手には袋を抱きかかえている。
南方風の赤茶けたローブで顔まで隠れるようにした見た目はいかにも怪しいが、“カワセミ”ソーンが噂通りの冒険者なら隠密など習得していないだろう。それにここは商業街だ。多少奇抜な格好では目立たない。
「どちらにせよ、真っ当な手合ではないのは確かだ。ミテス、起きなさい」
「うん、んぅ……寝てないよ」
「それは良かった。鬼ごっこの時間だ。あの赤茶色の人を捕まえてみてくれ」
「ふわぁ、はぁい。えへへへ、じゃあ行くね!」
ミテスは橋の上から飛んで、近い屋根の上に飛び乗った。そして、文字通り爆ぜるような動きで標的に猛烈な勢いで近づいていく。外見の華奢さからは到底想像出来ない速度だ。
しかし、相手もさるものか近づいていくるミテスを察知したかのように、動きを速めた。人の流れが見えているかのように、人混みをすり抜けながら走る速度は常人ではない。
ミテスが肉食獣の速さだとすれば、蛇のような速さだ。
「……誰だ? “カワセミ”なんて付けたのは? まぁ俺は大人しく階段を使うが」
そう言いながらジラレスは二人が走っていった方向とは、別の方向に足を向けた。のんびりと歩いていく様子は捕物の最中だとは思えなかった。
・麗春の月8日夕刻 商業街区
けたたましいような、可愛らしいような笑い声を聞いて“カワセミ”ソーンは走り出した。ソーンは最近まで人間と速度を競うような真似をしてこなかったが、馴染みの感覚がして危機を察知した。
これは四足の魔物が追ってきている時と同じ感覚だ。長年染み付いた感覚に対する信頼は大きい。徐々に速度を上げるが、人混みがうっとうしい。
「きゃはははっ!」
声の方向に思わず目をやると、小柄な肉体を軍服で覆った少女の姿があった。屋根の上からソーンを眺めているが、こちらに飛び込んでは来ない。
こんな子供から、この大きな威圧感を覚えるのかとソーンの理性は困惑していたが、同時に分かったこともある。アレはどうも人混みの中は苦手らしい。
ならば、このまま人混みの中を逃げ切れば良い。ソーンはそう判断して動きを再開した。できるだけ道の端に寄って注意が逸れたところで小さな路地に入るのだ。ソーンはまた機敏な動きを再開したが、後ろを見て度肝を抜かれた。
「冗談!?」
「えっへん。あっははははは!」
小柄な追跡者は壁を走っていた。落ち着け、何らかの特殊能力に違いない。長続きはしないはずだと、自分を慰めても冗談は止まらない。これでは路地裏に入っても追ってこられる。
決死の覚悟で走り続けるが……商業街区が終わる。そうなれば人混みもなくなる……一か八か海に飛び込むのはどうだろうという、考えが浮かんだ。荷物は失くしてしまうが仕方ない。
戦闘はなしだ。嫌な予感がする上に、巡回の兵士が集まってきたら抵抗できない。
ソーンが覚悟を決めた瞬間人混みが途切れる。開けた視界に、軍服を着た黒髪の男が映った。
「はい、どーんっと」
男が剣を石畳に突き刺すと、青白い炎が港湾区画の入り口を塞いだ。壁のようなソレに一瞬動きが止まったソーン。
「はい、たーっち!」
飛びかかってきた小柄な猛獣に組み伏せられた。
・麗春の月8日夜 征討士団本部、地下牢
赤茶けたローブを剥がされ、荷物も取り上げられた“カワセミ”ソーン。その肌はローブと同じく南国の生まれを示すかのように褐色であり、赤髪は後ろに括られて馬の尾のようだ。
「……まさか女だったとは、俺も大概偏見に溢れているな」
「ふん! いやらしいね。国家の犬にやる肉は無いよ」
「確かに美味しそうだが、なんにでもかじりついてたら征討士なんてやってられんよ。なにより俺の信念がゆらぐことはない……が、君はどうもあのポーションを飲んでいないようだな」
言葉にじろっとした目をジラレスに向けるソーン。ジラレスは気にせず、ミテスが拷問器具で遊んでいる隣の部屋から、黒いシミが付いた木椅子を持ってきて座った。鉄格子を挟んで、両者の目線が合わさる。
「焦りが見えない。いくら肝が据わっていようと、薬物の効果が切れるのを恐れない中毒者というのはいない。多分、俺でも無理だろう。まぁ体質によって効果に差はあるようだが」
「……それがどうしたっていうんだい。仲間は売らないよ」
「だろうな。だが、お前が口を噤もうと“真紅のサソリ”はこのままだと捕まる。やったことに代わりはないからな……例え“真紅のサソリ”を中毒者に仕立て上げた連中がいるとしても」
「あんた……どこまで知って……」
「別に知ってはいない。だが、シンプルな絵図を描く集団が透けて視える。そいつらは単純であるがゆえ、とても面倒な連中だ。恐らく冒険者チームを2,3枚は挟んでいるはずだ。このまま事件を解決しても、薄皮を剥いだことにしかならない」
“真紅のサソリ”は単なる売り子で使い捨ての中毒者だ。団長も気付いてないだろうが、任務が“真紅のサソリ”相手に限定されすぎている。
「少なくとも、爪の先ぐらいは削りたい。“真紅のサソリ”にポーションを流しているチームが知りたいのさ。
恐らくさらに奥へは入れんだろうが、そいつらぐらいは捕まえておかないと、俺は約束を果たせない」
「約束?」
「いや、なんでもない。個人的な話だった。正直言ってお前を拷問させないように、俺が尋問している段階で俺の権限は限界だ。“真紅のサソリ”をお涙頂戴の売り子にすれば刑は減刑されるだろう。そうするためには仕入先の情報が要る。さて、どうするかはお前次第だ」
ジラレスは資料の紫ポーションをゆらゆらと弄んだ。表情には出していないが、頭を下げてでも情報が欲しいぐらいだ。尻尾切りされるなどジラレスには許せることではない。手の届く範囲の悪は許さないと、そう決めているのだ。
「……“真紅のサソリ”の皆を中毒から解放してくれるなら」
「任せろ。大聖堂に伝手がある」
ソーンの首がガクリと落ち込み、話が漏れ始めた。全て終わったかのように、あるいは重荷から解放されたようにぐったりとした様子だ。
「“辰砂の貝”だ。あたし達の調達役が変わったときから仕入先がそこになった。あたし達は魔物を倒すことがメインだ。傷や骨折なんてしょっちゅうだ……ポーションは大量に仕入れて安くあげるのが基本だった」
「ところが、それで回ってくるようになったのはコレだったわけだ」
「ああ、効果はてきめんで皆が気に入った。街に戻って休暇を取るまでは……効果が切れたやつがどうなるか知ってるか?」
「軽いやつしか知らないな」
「ひどいもんだ。体全体が心臓になったようになって、けいれんや麻痺が絶え間なく襲ってくるそうだ。そうなれば立ち上がることすらできない癖に、再度摂取すると驚くほど活力に満ち溢れるんだ。もう誰もそれに逆らえなかった。収入は全部ポーションに回して仕事をする。“辰砂の貝”の奴隷だよ。次第に自分達が売るようにまでなった」
「そうか……調達役は“辰砂の貝”と繋がっていた可能性が高いな。分かった。“真紅のサソリ”は治療のためにも全員捕らえるが、そいつだけは絶対に逃さないようにする。そして……“辰砂の貝”は俺が潰す」
ジラレスは立ち上がる。征討士が任務外のことをすれば、団長などがうるさいだろうが……そんなこと構いはしない。手はずを整えに向かう前に声が響いた。
「皆を頼む……あたしだけが傷を負わないから、皆の苦しみが分からなかったんだ……」
ジラレスは一瞬立ち止まり、頷いた。