第五話
最終話なので長めです。
「俺の世界にいるアンタはもう死んでる」
「え?」
「俺の世界のアンタは高校生の頃から自殺未遂、いや心中未遂を繰り返し、相手を死なせていた」
それが最近になって彼女の計略だったことが判明。
男女問わない犠牲者の数が二桁にのぼっていた。
起訴されて死刑になる前に被害者家族に襲撃されて命を落とした。
「俺の世界でも叔父さん夫婦は、アンタが捕まった時点で姿を眩ませたよ」
優しかった夫婦は彼女を甘やかせ過ぎた自分たちを責め、俺を残して居なくなってしまったのだ。
死んでいないと良いけどな。
落ち込む俺を友人たちが気晴らしにと連れて来てくれた海で、俺は溺れちまったけど。
まあ運命だったんだろう。
「俺は恨んでる。 俺の世界のアンタを」
ここで俺は初めて彼女を睨み付ける。
両親を早くに亡くしたことや叔父夫婦に育てられたことまでは元の世界と同じ。
でも、居なくなったはずの叔父夫婦にも会えたし、死んだはずの従姉とその子供にも会えるとは思わなかった。
そして気が付いたんだ。
「ここは俺の世界じゃない。 海で会ったコイツの世界だって」
俺は自分自身を指差す。
「この世界のアンタは向こうとは違うと信じたかったよ」
違う世界なら、彼女も違う性格になっているはずだと俺は信じたかった。
溺れそこなって助けられた時、俺は自分の荷物だと言われて受け取ったものに見覚えがなかった。
それこそ、当時の警察や叔父さん夫婦にもそう訴えたが「事故で記憶が曖昧」だとか「一時的な記憶喪失」ってことにされた。
こっちの世界では水没した携帯端末でも、データはちゃんと別の場所に保管されている。
「コイツの荷物を調べてたら、携帯端末の中にメモがあってさ」
ロックされたデータは本人にしか確認出来ない。
データ会社が本人だと認め、俺はそのメモを読んだ。
あったのは時間、場所、相手の名前、そして方法。
別の世界の俺でも記憶にあった事件の数々。
「刑事さんに付き合ってもらって全部調べた」
この世界で約2年の間、俺は刑事さんにそれを調べてもらっていたのである。
「コイツは馬鹿だ」
何もしなかった俺とは違う生き方をしていた。
コイツが彼女の心中を察知して、相手を死なせないようにしていたことを知る。
あっちと違って彼女が人殺しにならなかったのは、この世界のコイツが防いでいたからだったんだ。
最初は驚いて目を剥いていた彼女は、やがて俯いて肩を震わせた。
「そう、そうだったの。 ふふふっ、そうよね。 おかしいと思っていたわ」
従姉はコイツが邪魔をしていると気付いていたのか。
付き合っていた男性との間に子供が出来て結婚。
「夫は私に逆らわない人で気が楽だったから結婚したのよ」
子供が出来た時も、彼が育てるという約束で結婚を承諾し、一緒に住み始めた。
「子供は勝手に大きくなったわ。
いつかは一緒に死んでくれるかもって期待していたのに、夫は子供だけは駄目だって言うのよ」
いつからか夫婦喧嘩が絶えなくなった。
「だから家を出たの」
事件も起こさなくなり落ち着いていたように見えたが。
「英ちゃんなら、一緒に死んでくれるでしょう?」
病気の再発。
他人の携帯端末から呼び出された男は、そう思ったんだろう。
この女、わざと祈里ちゃんが俺に会いに行くよう仕向けたな。
何も持ってない子供が一人で来れるはずがない。
この世界のコイツが用心深いことを分かっていて、子供をダシに使ったんだ。
3年前のことをやり直すために。
ニコリと微笑む彼女に俺の背中をゾワリと冷たいものが走る。
彼女は俺の部屋の台所にあったはずの包丁を取り出す。
いつの間に?。
俺を巻き込んで、祈里と三人で心中未遂でもするつもりなのか。
だけど、死ぬのは俺と祈里ちゃんだ。
そんなことは絶対に御免だ!。
タイミングよくマンション入り口のインターホンが鳴る。
刑事さんが従姉の夫を連れてやって来ることになっていた。
返答が無ければ、刑事さんは管理人さんと一緒に勝手に上がって来るだろう。
睨み合っている今の体勢では、俺は彼女に背中を見せられない。
「あんたは病気だよ」
「ええ、分かってるわ」
ここは警察の監視対象者用の住居だ。
つまり監視のため、会話は筒抜けなのである。
あの海の中で見た光景と同じように、彼女は笑顔で俺に斬り付けてきた。
そうだ。
俺は、あの現場をこの目で見ていたんだ。
そして沈み行くコイツと入れ替わった。
何度も何度も繰り返し見た、あれは夢なんかじゃない。
俺はすぐに浮かび上がったはずなのに、1年も時間がずれていたのは並行世界とはいえ、別の空間を通ったせいだったのかもな。
「大丈夫、祈里もすぐに逝くわ」
「そこまでだ!」
駆け込んで来た刑事さんが彼女を取り押さえ、一緒に入って来た男性はポカンとしていた祈里ちゃんに駆け寄った。
バタバタと警察が部屋に出入りし、従姉は刑事さんに連行されて行く。
しばらくは、出ることの出来ない囚人用の施設に入ることになるだろう。
初めて見た従姉の夫は、見栄えのする体格の良いイケメン男性だった。
ぎゅっと服を握る小さな娘を優しく抱き締めている。
「お母さんは?」
「大丈夫だよ、ちょっと病気を治しに行っただけだ」
改めて俺は思う。
この世界の俺にとって、彼女はどういう存在だったのか。
『いのりを救ってくれ』
最初は何のことか分からなかった。 俺の世界には従姉に娘なんていなかったからな。
コイツは従姉のことはもう諦めていたんだろう。
だけど、彼女の小さな娘だけは何とか助けたかったようだ。
俺は祈里ちゃんと父親を駅まで送って行く。
「英にいちゃん、また会える?」
祈里ちゃんは俺を見上げて言う。
父親が微笑んで頷いたので、俺は少しホッとした。
しゃがみ込んで目線を合わせる。
「ああ、また店においで。 今度はお父さんと一緒にね」
「うんっ」
姪っ子は父親と二人、手を振りながら駅の中に消えて行った。
「蕎麦でも食うかな」
そのまま帰る気になれず、いつもの立ち食い蕎麦屋に入る。
「いらっしゃいませー」
「よお」
いつものように刑事さんまで入って来た。
二人で並んで蕎麦を啜る。
「これからどうするんだ?」
俺はこの世界に来た目的を果たした。
「そうですねー」
この世界に産まれて、俺を助けて死んだ男の願いは叶えたと思う。
彼が希望した会社に入ったし、憧れてた一人暮らしも経験した。
死の間際まで心配していた姪っ子も、無事に母親から引き離したから、しばらくは大丈夫だろう。
「これからは、俺自身がやりたかったことを探そうかな」
せっかく違う世界に来たんだ。
どう違うのかを調べて歩くのもいいかもな。
刑事さんは「ふむ」と頷く。
「まあ、また何かあったら連絡して来い」
これからも俺は観察対象に変わりはないらしい。
「はい、またよろしくお願いします」
苦笑した刑事さんとは店の前で別れた。
俺はバイト先に顔を出す。
「あ、レキさーん、お疲れ様っす」
大学生バイトは相変わらず元気だ。
「こんばんは、今日は客だけどな」
カウンター席に座り、特製ブレンドを注文する。
「はい、ブレンドのお客様。
……レキくん、大変だったみたいね」
女性先輩が静かに微笑む。
「あ、レキさんだ!。 えっ、ちょっ待って。 私服のレキさんってチョーレアなんだけどー」
騒がしい女子高生に捕まる。
まあ、たまにはいいか。
陽気な彼女たちを見ていると、従姉が高校生だった頃を思い出す。
あの頃から、物憂げな笑みを浮かべた少女は恐ろしい狂気を育てていた。
将来、その従姉の病気が祈里ちゃんにも出ないとはいえない。
もしそうなったら、俺はきっとまた彼女を救いに行くだろう。
俺の脳裏に、水の中で哀しげに微笑みながら沈んでいく、もうひとりの自分の姿がある限り。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
後日談。
「ようやく1件、終わりましたねー」
監視対象者用ビルにある警察部署の一室。
怪しい飲食店オーナーという雰囲気の大柄な中年男性が監視用モニターを覗き込んでいる。
「ああ。 お前たちも対象者の監視業務、お疲れさん」
「喫茶店のバイト大学生役は悪くなかったですけどねー」
「彼、あの会社は辞めたみたいですね」
「ふわあ、私にはもう女子高生役はキツいっす」
喫茶店の制服を着た若い男性と少し年上の女性、そして女子高生の制服を脱ぎ出す小柄な女性。
「歴木は喫茶店も休んで、本気でこの世界を見て回るようだな」
大きな机に座る老刑事は楽しそうに笑う。
「えっ?、そうなったら誰が監視に付くんです?」
「副室長はダメですよ。 散々、経費でお蕎麦食べてたんですから。
私、行ってもいいですよ!、若い恋人として」
「ふふふ、相手にされてなかったでしょ、お嬢ちゃん。
ここは私が年上女性の魅力でー」
「いやいや、男同士のほうが気楽ですって!」
ギャアギャア賑やかな部屋のプレートには『異世界人監視室』と書いてあった。
~ 終わり ~
お付き合いいただき、ありがとうございました。
よろしければ「続・海から戻った男(は、もう一人いる)」もお付き合いくださいませ。