第四話
この部屋にテレビ用モニターはない。
俺はそろそろ退屈し始める子供に声を掛けた。
「祈里ちゃん、モニターなら隣の部屋にあるから見ててもいいよ」
モニターがあればどこにでもネットは繋がる。
最近の子供は決まったテレビ番組より、そっちを好んで観るらしい。
「いいの?」
母親から許可をもらい、お菓子とジュースのコップを持って、祈里ちゃんは隣の部屋へ行った。
様子を見るために扉は開けたままにしておく。
「さて、話を聞かせてもらえますか」
隣の部屋にいる娘を見ていた母親が、ハッとして俺のほうに顔を向けた。
「この度は、本当にご迷惑をお掛けして」
俺が丁寧な言葉で話すせいか、相手も同じように答えてくる。
「親戚なんだし、迷惑だなんて思わないよ。
ただ、何か理由があるのなら聞かせてもらえないかと思って」
もう二度と小さな女の子に危険な行動をさせないために。
「ええ」
本当に危険だったのだ。
まだ夜は浅い時間とはいえ、もし一人だと誰かに気づかれていたら拐われていたかも知れない。
「今、離婚協議中なの」
「理由は?」
「夫の浮気で……」
従姉のお姉さんは俯き、小さな声で答える。
離婚協議は双方の意見を聞かなければ本当のことなど見えて来ない。
ましてや子供がいる場合は、親権欲しさに相手の欠点を誇張しがちだ。
「夫が、私も浮気していると英ちゃんの名前を出したの。
それを聞いた祈里が本当の父親が英ちゃんだと誤解してしまって」
俺は天を仰ぐ。
心当たりがまるで無い。
っていうか、俺たちのことは3年前に散々調べられて、あれからずっと追跡、監視されてるから会ってもいない。
「それで、今は実家に?」
別居しているのかと訊くと、
「夫が出て行ってしまって」
と、今は母娘で二人暮らしだという。
「実家に預けるなり来てもらうなり、すれば良かったのに」
「実家の両親には迷惑をかけたくないの」
心配症なので大騒ぎになるから話していないそうだ。
そのせいで、祈里ちゃんに目が届いていないのなら問題だろう。
俺は開けたままの扉の向こうの姪っ子を見る。
従姉の話だけを聞いていれば、よくある既婚女性の悩みだと思うだろう。
だけど俺はこの女の本性を知っている。
すべてが嘘、口から出まかせだ。
俺は自分の携帯端末を取り出してメモを確認。
「実はアンタのこと、調べさせてもらった」
「え?」
従姉は困惑顔になる。
「旦那さんから捜索願いが出てるよ。 祈里ちゃんとアンタの」
俺は昨日、従姉と旦那の両方に連絡を入れてもらった。
「実家に行くと言って出たそうだね」
今、この親娘は違う男性の家に転がり込んでいる。
まあ、この容姿で頼り無さげな顔をしていたら、どんな男でも匿ってくれるだろう。
下心付きでね。
「叔父さんにも連絡を取ろうとしたけど、何故か通じなくて警察に調べてもらったんだ。
そしたら。
引っ越した上に、携帯端末も国民IDも変更されている」
この世の中、俺のように世間から身を隠したい者は、役所に申請すれば住所や国民IDを一般から検索されないように変更することが出来る。
「そう……」
従姉は目を逸らした。
「一つだけ教えてよ」
従姉が俺に視線を戻す。
「なに?」
「アンタ、確かこの近くのクリニックに通っていただろ。
最近、行ってる?」
従姉は首を横に振る。
「家庭内がバタバタしていたから」
従姉が通っていたのは精神科のクリニックだ。
「じゃあ、最近は薬も飲んでないんだな」
「え、ええ。 でも精神科のお薬なんて気休めだし」
いやいや、それを決めるのはアンタじゃない。
「先生も随分とアンタのことを心配されていたよ。
また発作を起こすんじゃないかって」
3年前の埠頭で俺と二人で海に転落。
その原因は。
「アンタは突発的に自殺しようとするから」
彼女は、もう答えようとしない。
「しかも、誰かを道連れに」
『生きててごめんなさい。 死なせて下さい』
自殺の遺書のように見えるが、彼女を知っている者にすれば、これは殺害予告に他ならない。
「アンタはそう言いながら、いつも自分だけは助かるんだよな」
「な、なんで、そんなことを。 私はいつだって真剣に」
「誰かを苦しませることを考えていた。 そうだろ?」
確かに最初は自分が死ぬつもりだったのかも知れない。
だけど彼女は周りが騒ぐ姿を見る快感を覚えてしまった。
最初の事件は、彼女が中学生の時。
「女の子の同級生と樹海に入って、二人で睡眠薬を飲んだが、アンタだけ量が少なくて明るいうちに目が覚めた」
自分の分には、薬によく似た菓子を混ぜていたからである。
「私、意識が朦朧としていて」
「それにしては無事に人里に戻って来られたよな」
「覚えていないわ」
従姉は顔を背けたまま言った。
友人だった女子生徒は捜索の結果、無事に発見されて一命は取り留めている。
それからというもの、叔父夫婦は腫れ物に触るように彼女を扱った。
俺もだ。
何でも言うことを聞いてくれる家族。
美人で、物憂げな様子をするだけでチヤホヤされて、彼女はどんどん要求をエスカレートさせていった。
だけど高校生になり、気付くと誰もが自分と距離を置いている。
しかし美人の彼女はよく異性から告白されたし、チヤホヤされた。
心中しようと持ち掛ける相手には困らない。
そして、相手が先に死ぬように仕向け、失敗すると自分を殺そうとしたと被害者の振りをする。
その度に転校と引っ越しが繰り返された。
尻拭いをさせられ続けた叔父夫婦は、妊娠した彼女の結婚と同時に肩の荷を降ろしホッとしたのだろう。
孫が産まれる前に姿を眩ませた。
親が子供を、増して可愛い孫から身を隠す。
「よほど嫌なことがあったんだろうね」
「そんなの、ただの偶然だわ」
物憂げな様子だった彼女が、今度はキッと俺を睨む。
「真実は本人にしか分からないでしょ。
それとも、何か証拠でもあるの?」
ああ、これで何もかもが終わる。
「証拠は俺だよ」
従姉が驚く。
「どういうこと?」
俺は、まるで目の前の女性を憐れむように微笑む。
「俺たちは3年前、海に落ちた」
「ええ」
「アンタが仕組んだんだ」
「嘘よ。 私だって落ちたし、英ちゃんだって1年間も行方不明だったのよ。
当時の記憶が曖昧でも仕方ないと思うわ」
ああ、俺は発見された時、記憶喪失だと報道されたからな。
当時は俺にも確証は無かった。
だけど徐々にハッキリし始める。
「あの時のアンタを俺は覚えてるよ」
この女は不審がられないよう、俺を他人の携帯端末で呼び出した。
そして、目の前で嵐の海に飛び込んで見せたんだ。
「アンタは笑ってた」
俺が助けようとすることは分かっていたから。
「海中で助けようとした俺を持っていたナイフで刺しながら」
俺は沈み、彼女はロープか何かを伝って浮上していった。
後のことは刑事さんに聞いている。
「アンタは俺に心中しようと持ち掛けられたと証言したんだってね」
結局、俺の死体は上がらず、当事者である彼女の言葉でしか事件は語られなかった。
「実は俺、アンタが知っている歴木 英児じゃないんだ」
「は?」
「俺は別の世界の人間だよ。
あの時、死んだ歴木 英児に頼まれて、入れ替わったんだ」
目の前の女性は唖然とする。
そりゃあ荒唐無稽な話だし、飲み込めないよな。
でも本当の話だ。
その証拠に、俺には彼女がナイフで付けたはずの傷が無い。
1年の時間差はあるが、並行世界という概念はどこの世界でもあるらしい。
「3年前、俺は死にかけた」
俺は自分の世界で、友人たちとたまたま遊びに来た海で溺れた。
「その時、俺は海の中で、もう一人の俺を見たんだ」
そいつは俺に手を伸ばし、こう言った。
『……を救ってくれ』
「たぶん言葉ではなかったんだろうが、俺には聞こえたんだよ」
俺はあの時、本当は死ぬはずだった。
それを同じ顔の、違う世界の男が俺に命をくれた。
彼は自分が生き残るより、俺に後始末を頼んできたのさ。