第三話
とりあえず交番に出向く。
やはり捜索願いは出されていたが、俺の知らない地名だった。
向こうが俺の住所を知らないのと同様に、こっちも向こうのことには全く興味がなかったんだなあと分かる。
保護者に連絡を取ってもらい、俺が祈里ちゃんを預かっていることを伝えてもらう。
祈里ちゃんには聞こえないように、明日の朝、この交番に迎えに来てもらうように頼んだ。
俺の身元は刑事さんが保証してくれる。
刑事さんは俺のマンションにも同行して、管理人さんにも小さな女の子を連れている事情を説明してくれた。
こういう時、監視対象ってのは便利だ。
自分では何もしなくていい。
「何かあったら連絡しろよ」
「はい。 すみません、ありがとうございます」
俺と祈里ちゃんはエレベーターの前で刑事さんと別れた。
この2年間で、俺以外の誰かがこの部屋に入るのは初めてかも。
業者以外は。
「わあ、高いー」
俺の部屋はマンションの20階だ。
周りに似たような高さの建物はあるが、覗かれる心配がない角度に窓がある。
「とにかく疲れただろ?、ゆっくり休みな」
着替えがないので今日のところは風呂無し。
急だったから祈里ちゃんのものは何もない。
辛うじて歯ブラシだけは未使用品があったので使わせて、サッサと寝かせる。
渋ってた祈里ちゃんもさすがに疲れていたようで、下着姿でベッドに潜り込むとすぐに寝息をたてた。
「ふう」
俺はシャワーを浴びて着替え、ソファに横になって毛布を被る。
いくら姪っ子でも女の子だから一緒に寝るわけにはいかない。
その夜、なかなか寝付けなかった俺は久しぶりに夢を見た。
ゴボッゴボッ
周りは水。 俺は上下も分からず、ただ浮かんでいる。
「……!」
目の前を横切る黒い影に向かって、俺は必死に手を伸ばす。
「……」
何か聞こえるけど意味は分からない。
バタバタと身体を動かそうとしても思うようにならず、まとわり付く水が重くて、息が苦しくて、目が覚めた。
「ハアハア」
汗だくで目が覚め、身体を起こすとカーテンの向こうが白くなっている。
時計を見ると早朝5時だった。
ここに来た最初の頃、あまり眠れなくてよく見た夢だけど、最近は忙しくてそんな暇もなかったな。
俺は一度目が覚めるとなかなか眠れない。
シャワーを浴び、着替えると寝室のドアを少しだけ開けて祈里ちゃんの様子を見る。
まだ眠っているようだ。
しかし、まだ6、7歳の子供が家出って何なんだ。
虐待とか、家庭不和?。
祈里ちゃんは年齢のわりにしっかりしてるように見えるけど、単純な喧嘩や我儘ならいいなあ。
いや、良くはないが。
もしそうでも祖父母である叔父夫婦がいるし、そっちに行く気がするのに、どうして俺の所に来たのか。
そろそろ起こす時間になり、簡単な朝食を作っていたら祈里ちゃんが起きて来た。
「あ、あの、おはようございます」
「おはよ。 顔、洗っておいで」
「うんっ」
完全栄養食のシリアルに牛乳の朝食。
俺はコーヒーで、祈里ちゃんにはヨーグルトを出す。
「美味しい!」
こんなので良いのか?。
「そりゃ、どうも」
朝のニュースは携帯端末で見る。
テレビモニターはこの部屋にはない。
物騒なニュースは子供には見せたくないしな。
7時半過ぎに交番から保護者が到着したと知らせがきたので、俺は出勤の準備を終えて、祈里ちゃんとマンションを出た。
「あたし、留守番出来るよ?」
「断わる」
ニッコリ笑って拒否する。
どこへ向かっているのか分かるのだろう。
祈里ちゃんの足がだんだん遅くなる。
でも、ここで逃げられると拙いので、しっかりと手を繋ぐ。
「祈里ちゃん、もう少しだけ我慢してあげて」
子供のためだって大義名分を振りかざす大人たちを。
「どうせ先に死ぬからさ」
俺の両親は祈里ちゃんの歳にはもういなかった。
祈里ちゃんは足を止めて俺を見上げる。
「英にいちゃんも?」
「ああ」
見えて来た交番の前に見覚えのある女性が立っていた。
俺はその場で立ち止まり、祈里ちゃんの背中を押す。
交番にいつもの刑事さんの姿が見えたし、任せてしまおう。
祈里ちゃんは振り返りながら母親のところに向かう。
「祈里!」
母親の視線が娘を捉えたことを確認して、俺は人混みの中で背を向ける。
だって、俺の職場はこっちだからな。
「英にいちゃん!」
声が遠くになる。
さよなら。 出来ればもう関わりたくない。
出社して、仕事をする。
少しボーっとしてても周りがフォローしてくれる職場だ。
気弱そうな上司が「体調が悪いようなら早退しても」と言ってくれるが、家に帰ったところで何もすることがない。
「いえ、今日はハウスメイドが入る日なので」
週に2回、掃除に来てくれるメイド派遣に登録している。
家主が居ないほうが彼女たちも楽だろう。
早退しても職場が喫茶店に移るだけだ。
昼休みに携帯端末にピコンッと連絡が入る。
喫茶店の昼のホール担当の女性からだった。
「あなたの従姉だという女性が来たわよ。 昨日、店に来たっていう女の子を連れて」
厨房の一人が確認したから間違いない、と言う。
「どうしても直接お礼が言いたいって」
だけど連絡先や住所は教えなかったそうで、その辺りはしっかりした店である。
「ありがとうございます」
2日続けて店に迷惑をかけたくないけど、今日は休むと返事をした。
俺は通話を切って、刑事さんに連絡をとる。
何かあった時のために緊急用の連絡先を教えられていた。
刑事さんの都合を確認し、俺は部署に戻って上司に早退を申し出る。
あらかさまにホッとされて苦笑が浮かんだ。
もうそろそろ、ここも潮時かも知れない。
マンションに戻ってメイドさんたちがいないことを確認する。
彼女たちの仕事はいつも完璧だ。
シーツやワイシャツのクリーニングの手配を確認して携帯端末で了承しておく。
昨夜はゆっくり入れなかった風呂に入り、普段着に着替える。
お菓子を探すが、たいしたものは置いてない。
ポテチと煎餅だとどっちが良いかな。
両方とも出すか。
俺は刑事さんに頼んで、従姉とその娘をここに連れて来てもらうことにした。
インターホンが鳴る。
「上がって来て」
マンションの入り口のカメラで確認し、短く答えた。
しばらくして玄関のインターホンが鳴り、俺は鍵を開ける。
気まずい従姉の顔は見ないようにして、まずは刑事さんに詫びた。
「お手数かけて、すみません」
「まったくだ」
刑事さんが親娘を置いて、すぐ帰ろうとするのを引き止める。
「ちょっとお願いしたいことが」
他には聞こえないように小さな声で話す。
既に女性たちは部屋に上がり込み、俺たちは玄関先で見つめ合う。
刑事さんに「事件に関することか?」と目線で訊かれて頷く。
「はあっ」と、大きなため息を吐かれた。
「仕方ねえな」
「ありがとうございます」
話し合いの末、刑事さんが署に連絡を入れ終わるのを待って、俺は室内に戻った。
従姉と祈里ちゃんはリビングのソファに座っていた。
ソワソワと落ち着かない母親とテーブルに置いてあるお菓子をチラチラ見ている娘。
「あー、気兼ねなく食べていいよ」
窓にはレースのカーテンが掛けてあり、外の景色が薄っすらと見える。
「き、キレイにしてるのね」
3年ぶりに会うせいか、従姉は緊張しているようだ。
「借り物件なんだ。 定期的に家政婦さんが来てくれる」
相当な綺麗好き以外は専門家に任せるべきだと俺は思っている。
従姉の前に小さなティーポット付で紅茶を出し、ソーサー付のカップを置く。
子供用にはオレンジジュースだ。
自分用のデカめのマグカップを手に持ったまま、俺は親娘が座るソファの向かい側に腰を下ろす。
俺の横には棚と寝室への扉がある。
「お代わりはご自由に」
「お洒落なことをするのね。 あの店に勤めてから?」
従姉は紅茶のカップを手に取りながら訊く。
「元々、紅茶のほうが好きなんで」
高校時代に専門店でバイトしてたこともある。
淹れ方はそこで覚えた。
「そうだったわね。 懐かしいわ、英ちゃんの紅茶……」
俺はデカいカップで視線を誤魔化しながら、従姉の様子を見ていた。