市場と教会
冒険者ギルドを出たあとで、俺は市場に来た。
市場はメインストリートから脇に入った道に立ち並ぶ屋台で、その屋台から伸びている色とりどりの日よけの布が道に日かげを作り、そこを数人の買い物客がブラブラしながら歩いていた。
屋台からは店主の威勢の良い呼び声が通行客に飛んで、買い物客たちもその声に応えたり、応えなかったりして、冒険者ギルドとはまた違ったわいわいとしたにぎわいを見せていた。
俺はその様子を見ながら通り入る。
するとすぐに「お兄さん」と声をかけてきた女の人が俺の首にはまる首輪を見て顔をしかめた。
「お姉さん、その野菜を売ってもらえる?」
「お金さえ払ってもらえるなら私はかまわないけどね。あんた流浪の民だろ?」
俺が「うん」とうなずくと女の人は「税は払えるのかい?」と首をかしげた。
「払えるよ」
俺がそう即答すると目を見開いた。
「あんた、なんにでも2割も課税される税をそんなに簡単に払えるのかい?」
「うん」
俺がうなずくと「なにやってんだ」と屋台の奥から男の人が顔を出した。そして、俺を見ると「へへへッ」と笑って、それから女の人の腕を引っ張る。
「その坊ちゃんは大丈夫だ。売って差し上げろ」
「だけど、あんた」
「いいんだよ。坊ちゃんはものすごい稼いでらっしゃるからな。なんの問題もねぇんだよ」
「えっ?」
女の人は俺をチラッと見たあとで「本当かい?」と聞く。男の人は「あぁ、冒険者の話では相当の凄腕まらしいぜ」と言って俺を見た。
「お待たせしちゃって悪いなぁ」
「うん、大丈夫だよ」
俺がほほえむと男の人はヘラヘラと笑う。
「いつもの感じでいいのかい?」
「うん」
俺がうなずくと、男の人は野菜をつかんで、木のカゴにつめていく。
「ちょっとあんた、そんな適当に」
「いいんだよ。坊ちゃんがなんでもいいって言うんだから」
どんどん野菜を入れた男の人が「はいよ」と渡してくれるので俺はお金を払ってその木カゴを受け取る。
「ありがとう」
俺がそう頭を下げると、女の人が男の人の頭を叩いた。
「なにしやがるんだ」
「あんたは馬鹿なのか?」
「なんだと!」
「いくらなんでももらいすぎだよ」
そう言った女の人はおつりを俺に返した。
「えっと?」
俺が戸惑いながら男の人と女の人を交互に見ると、男の人は女の人をにらみつけた。
「坊ちゃんは全くわかってないんだから、もらっときゃいいんだよ」
「良くないよ。あんたは本当に馬鹿だね」
「なんだと!」
男の人が再び怒鳴ったが、女の人はキッとにらんで「うるさいよ、まったく」とため息を吐いた。
「そんなアコギなことをすれば、今はいいかもしれないけど、必ず回り回って自分に返ってくるんだよ」
「そんなこと言ってもよ。この坊主は流浪の民、すぐにいなくなるじゃねぇか」
「たとえそうだとしてもだよ」
女の人はそう言うと周りを見た。
「周りの人たちはあんたの行いを見ているし、あんた自身もあんたの行いを見ている」
女の人はそう言って俺を見た。
「この子にアコギなことをすれば、あんたは周りから信用ならないやつだと思われるし、あんたの心にも後ろめたさが残る」
男の人は「そんなもんかねぇ」と笑ったが、女の人はもう取り合うつもりはないのだろう「はいはい」と軽くあしらった。
「坊ちゃんはまだ用があるのかい?」
「ううん、ありがとう」
俺はそう頭を下げて、その場を離れた。
洞くつを囲む城壁のそば、冒険者ギルドの裏手にもう人が訪れなくなった教会がある。
入り口の扉は上の蝶番が外れてかたむいて動かない。窓のあった場所には木材が打ちつけられていて、外壁の石も風化が始まってふれると砂がポロポロと落ちる。
入り口の扉がずれてできた三角のすきまから身をかがめて中に入ると、木でできた屋根が落ちているところや窓のあった場所に打ちつけられた板の間から薄暗い室内にかすかな西日が差しこんで、キラキラとチリが光をかえしていた。
祭壇の女神像も雨ざらしになって、白い肌に雨のあとが黒くついて、涙を流しているみたいだ。
まだ魔王が生きていた頃はどの街でも教会は大切にされていて、休みのたびに教会に集まって神様と呼ばれる方にいのりをささげてみんなで歌をうたい、司祭様が生きるとはなにかを説いて少しのお菓子を分けあっていたそうだ。
はじめて教会を訪れたときに、爺ちゃんがそう教えてくれた。なんだか楽しそうだし、お菓子もみんなで分けあえばきっとおいしいだろうね。
俺は教会の奥の屋根と床がスッカリと落ちてしまった砂地に移動して、木を組んでカチカチと火打ち石で火を起こした。
次にカバンから出した小さな鍋にナイフでブラックリザードの肉と野菜を切り分けながら入れて、香草の葉と水を入れたらそれを火にかける。
ナイフはボロ布で拭いて、砥石を出した。
鍋が沸くのを待つあいだに、裏の井戸で水をくんで、少しこわれた木のタライに水をはって、それに砥石を入れてひたしておく。
「こうしておけば、食後すぐにナイフを研ぐことができるからね」
砥石の用意をしているあいだに鍋がフツフツと沸いてきたので鍋の位置を火の弱いところにずらして、そこからコトコトと煮込む。
たまにバチっとはぜる木を見ながら、しばらく待って鍋をかき混ぜると、トマトの香りがフワッと立ち上がった。
そろそろ良さそうなので鍋を火からおろして、香草の葉をとりだす。そして、胸の前で手を合わせて目をつぶった。
「いただきます」
お爺ちゃんがやっていたようにいただく命に感謝を捧げてから、鍋からスプーンですくって食べる。
トマトの酸味がさわやかに口の中に広がり、煮込まれたブラックリザードの肉が柔らかくてホロホロとほどけて、タマネギとナスは甘い。
「おいしいね」
モグモグとすべて残さず食べたら、砥石を取りだしたタライの水で鍋などの洗い物をすませてから、ダガーとナイフを砥石を使ってシュッ、シュッと音を立てながら研いだ。
研いでいるあいだに焚き火はすっかり燃えきって、すべてが灰となった。
「もう大丈夫だけどね」
俺は周りの砂と燃えかすとなった灰をまぜあわせておく。
真っ暗になった教会の中で、荷物はカバンに全て閉まってからカバンごと『ストレージキューブ』にしまう。
屋根のある方に移動して『ストレージキューブ』から外套を取りだして包まると、俺は隅に置かれたベンチに横になった。
屋根が落ちているところから空が見える。しばらくキラキラと光る小さな星を見ていたが、そうしているうちに俺は眠ってしまった。