09 強襲の後
私はユアナ。
王室専用使用人である私は、ジル様の婿入りのためント・リアにお供している。
けどそれは表向きの姿であり、本当はセント・リアから派遣された諜報員だ。
もっとも、私にできるのは使用人の立場を使って王国の内情を探り、動向を報告することくらい。
もとより王国転覆など大それたことを謀るためではなく、小国であるセント・リアが大国の影でしたたかに生きていくための諜報活動だ。
隣国のグレシア・ジスカ連合王国がその気になればセント・リアなど片手で吹き飛ぶ。ゆえに他国の動向を知ることで外交や貿易を有利に運び、大陸での存在感を示すことに重要な意味があるのだ。
私のような諜報員は各国に派遣され、そのほとんどが使用人や奴隷に身を隠しながら権力中枢に潜んでいる。
魔術式を込めたミスリルは、最悪の事態で身を守るため。末端の諜報員でさえ無駄死にさせたくないというリア様からの高価なお守りだ。
それをこの場で使ってしまった……。
ジル様が死ぬことを恐れ、王国騎士団のみんながいる前でミスリル魔法を実行してしまった。
魔導士が放つ本物の魔法と、ミスリルが放つ人工的な魔法。戦闘経験が豊富な者にとってその違いは一目瞭然だという。
正直なところ私にその違いはよく分からない。だからもしかしたら、私は実は魔法を使えたのだと言い張ればごまかせるかも知れないと思った。
けどそれは不可能だとすぐに思い知る。
ミスリルに込めた元素魔法を開放し、ワイバーンが倒れた直後。私を見るダンや騎士達の目は疑惑の色に染まっていた。
一人嬉しそうに駆け寄ってきてくださったジル様以外、みんなが私を数奇な目で見る。
その視線が辛かった。
ダンの話では、本物の魔法には魔法陣が現れると言っていた。
人工魔法との違いは他にもあるのかもしれないが、魔法陣が出ないことが彼らの中では決定打となったようだった。
高価なミスリルを所持し、そこに魔法が付与されていたこと。
その事実だけで、私を覆う偽りのベールが剥がれてしまった。
それでも……私に後悔は無い。
だってジル様が命がけで私たちを助けようとしてくれた想いに、報いることが出来たのだから。
「全員で一緒に逃げよう」
そう言ってくれたジル様は、ダンが岩を砕いた直後に私たちと反対の方向に駆けて行った。
もうもうと視界を覆う砂塵の中でそれをハッキリと見たのだ。
一直線に、迷うことなくワイバーンの元へ走り去るジル様。
私は何て浅はかだったのだろうと激しく後悔した。
以前、身を挺してオオカミから私を守ったジル様なら、こうするだろうことは容易に想像出来たはずなのに……。
ジル様は囮になるつもりだったのだ。
ダンに向けて冗談のように仄めかした「囮になれ」という言葉。
あれは自分自身に向けて言っていたのだ。あたかも冗談のようにしながら、自らを鼓舞する言葉だった。
みんなに自分が囮になると覚られないように、けれどその時が来ればハッキリと、囮という言葉を思い起こさせるために。最初からその身を犠牲にしてみんなを脱出させようとしていたのだ。それに気づいたとき、ジル様はワイバーンの牙にかかる寸前だった。
だから私は禁を破ってミスリル魔法を使った。“自分の命が危ない時以外に決して使わない”とリア様に約束させられていたけれど、ジル様を守るために私はミスリルを使った。
居場所はもう無い。
貴重なミスリルを約束を違えた場所で使い、それを王国の騎士団にも見られた。
国際問題にまでなると言われたときは、さすがにリア様への申し訳なさで心がどん底まで沈んだ。
けれど、ジル様が生きている。
諜報員だと打ち明けたこの瞬間も変わらず、私を庇ってくださる。
それだけで十分なのだ。
他国の諜報員を庇ってジル様まで奇異な目で見られる必要など無い。
「ジル様……もう良いのです」
私はその優しさだけで十分報われたのです。そんな言葉が胸の中に続く。
潔く罪を受けようと思った。
たとえ死罪であっても、もとより覚悟のうえ。
諜報員であることが知られリア様にまでご迷惑をおかけしたのだ。
どのみち合わす顔などない、表舞台から静かに去ろう。そう心に決めた。
それなのに……ジル様はあろうことか、ワイバーンの元に行き、治療を始めたのだ。
一体なぜ?
何を考えておられるのです? ジル様!
美しい魔法陣を描き放たれた光は、たちまち傷ついたワイバーンを癒やしていく。
そして彼らは蘇り、また先程のような悪夢の光景が広がる……はずだった。
なぜだろう、先程までの恐ろしい殺気が消え、ワイバーンたちはまるで神の使いのような穏やかな目をしている。
知恵ある魔物、まさその名がふさわしい聖なる存在へと変わっていたのだ。
騎士団の方が言うにはこれが本来の姿なのだそう。
それならばどうして先程までは恐ろしい魔獣と化していたのか。どうして元通りの姿に戻れたのか。
ジル様の魔法にはどんな特別な力が秘められていたのだろう。
成人であるとはいえ若干15歳のジル様は、どれほどの叡智をその身内に収めているのだろう。
————
巨大なワイバーンの首筋を撫でるジルを見て、ユアナは深い感慨に至っていた。
その姿は幼い頃に眠りの床で聞いた〈竜使いの少年〉の物語を思い起こさせる。
ほんの数ヶ月前までは単なる暴君であり偽りの主人であったジルに、ユアナは改めて、命の重さに等しい忠誠を捧げるのだった。
けれど彼女は知らない。
ジルが囮になったと思ったあの時、ジルは普通に逃げるつもりであり、絶望的な方向オンチがたまたま彼をワイバーンのいる方向へ向かわせただけだということを。
そして彼が、特に何の叡智もその身に収めていないことを。
自らの株が爆上がりしているなどと夢にも思わず、行きあたりばったりでセント・リアに向かうジル。
前途多難な未来が待ち受けているとは知らず、能天気に道なき道を進むのだった。
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