07 ワイバーンと僕
ワイバーンは本来、知恵ある魔物だ。
地域によっては空の神として崇められ、信仰の対象にさえなる。
グレシア・ジスカ連合王国も例外ではなく、ワイバーンを紋章にあしらえた国旗は、かつて争いあった2つの国の戦いをワイバーンが終結させたという逸話からだった。
どこまでが事実でどこから伝承なのか定かではないが、建国の際にはワイバーンの暮らす北側の渓谷を保護区とし、彼らの生態系への不可侵を掲げ討伐を禁じてきた。信仰とまでいかずとも国家がワイバーンを聖獣として扱い、歴史の中で手厚く保護してきたのだ。
実際ワイバーンがもたらす被害というのはそう多くない。
鋭い牙と爪、濃密な魔力と絶望的な破壊力を持つ彼らだが、人を襲うことはなく、生活圏に立ち入ることさえ少ない。
意図して危害を加えなければ、誤って縄張りに踏み込んだとしても軽い威嚇を受けるだけで済む。
近年唯一報告されているワイバーンとのトラブルが、飛空艇との衝突事故だ。
空路を誤りうっかり生息域に侵入し、巣に戻る群れと合流してしまったことが原因だった。
以来、他国の飛空艇もワイバーンの渓谷は迂回するし、群れが確認されたときは飛空艇を飛ばすこともしない。
逆を言えば、それさえ守れば人間とワイバーンの互いの不干渉は完全に保たれるのだ。
人と魔物が共生出来る数少ない事例の一つだった。
だからこそ人間たちは忘れていた。
彼らが魔物であること。ひとたび人間に牙を向けば恐ろしい災厄となり得ることを。
ワイバーンは人を襲わない。そんな常識ともいえない常識を盲目的に信じていた人間にとって、この強襲は全くの予想外だった。野を棲む魔物ばかり警戒していたばかりに反応が遅れ、まさに青天の霹靂と言わんばかりに右往左往するしか無いのだった。
―――
「ジル様!!逃げてください!」
ひっくり返った馬車の中で目を覚ますと、ユアナの叫び声が聞こえた。
道中があまりにヒマ過ぎて寝転がって眠っていたはずだったのな。
いててて、体を起こすと腰が痛い。何があったんだろう?
「早く! こちらです!」
いつの間にか外にいるユアナが窓から手を伸ばした。
そしてなぜか体中擦り傷だらけだ。
「もしかして事故ったの?」
赤毛のやんちゃそうな馬だったからね。
イキってスピード出した挙げ句、カーブを曲がりきれなかったとか?
(まさに自分はそんな状態で死んだけどね)
「違うんです!! ワイバーンが急に……きゃっ!!!」
突然大きな影がユアナの頭すれすれを横切った。
ワイバーンって何?
なんて思ってると馬車がガタガタと揺れだす。
見ると恐竜の爪みたいなのが仰向けになった馬車の床にがっしり食い込んでいた。
やばい雰囲気なのでとりあえず窓から外に這い出る。
直後に今まで乗っていた馬車が空中に持ち上がり、遠くの空にどーんと吹き飛んでいった。
いったい何事……。
「ジル様、ご無事ですか!?」
後方からダンと騎士団の人たちが追いかけてきた。
あれー、何で後ろにいるの?
「ちょっとダン君? 職務怠慢ですよ?」
そう言うとダンがふいに顔を緩めて笑った。
「……はは、面目ない。でもジル様が無事で安心しました」
いやいや馬車吹き飛んでますから。
でもよく見ると、ダンも後ろの騎士団の方々もみんな傷だらけだ。
「状況がさっぱり分からないんだけど、誰か説明してもらえます?」
「そうしたいところですが、今は先にこの場を逃げ切りましょう!」
ダンが言うと、再び上空から巨大な影が降りてきて、俺達の頭すれすれをかすめて飛んでいく。
「ユアナこっちへ! ジル様をお守りするんだ!!」
ダンが呼ぶとユアナが走り寄ってきて俺の手を引く。
「どこでもいいので隠れる場所を探しましょう! 早く!」
「ダン君たちはどうすんの?」
「ちょびっと足止めしたらすぐ追っかけますんで!」
「ジル様、お早く!」
レオルドまで傷だらけで剣をかまえながらそう言った。
ユアナに引きずられながら空を見上げると、大きな翼竜みたいなのが数匹、上空を旋回していた。
ここが森の中だからか一匹ずつしか襲ってこないけど、それでもあんな大きな顎で噛みつかれたら大怪我だけじゃ済まないだろうなぁ……。
「なんで俺たち襲われてるの?」
そう尋ねるとユアナが息を切らしながら答える。
「……分かりません! なぜだか急に……襲ってきたんです!」
この間のオオカミといい魔物ってのは血の気が多いんだね。
適当な岩陰を見つけたのでそこに隠れる。
後を負ってきたダンやレオルド達も続けて岩陰に入ると、ワイバーンと呼ばれるでかい魔物がすさまじい咆哮を放った。
それに釣られるように他のワイバーンたちも集まってきて、俺達が隠れている巨大な岩をぐるっと取り囲んだようだ。
「絶体絶命だな……こりゃ」
ダンがつぶやいた。
「ダン君やっつけちゃえばいいじゃん。この前のオオカミみたいにぱぱーんと」
「……そいつは無理ってもんですぜ? ハイウルフとはレベルが二桁くらい違うんですから」
体格的にもそんな感じはするね。
「それにジル様……。仮に攻撃力で勝っても、我々はワイバーンに手出しができないんです」
レオルドが言った。
「連合王国の法律で、“ワイバーンを討伐もしくはそれに準ずる行い”が禁じられているんです。重い刑罰が課せられます……」
なぬぅ?
「……正当防衛じゃん。このままじゃ食べられちゃうよ?」
だがレオルドはがっくり肩を落として続ける。
「ワイバーンが人を襲うこと事態が普通ありえないんです。だから正当防衛とする法律が存在していません……」
「実際、襲われてますけどね」
はい……とレオルドが弱々しくうなずく。
「彼らは一体なぜ私たちを襲うのでしょう?」
ユアナが騎士団のリーダーらしき人に問いかけた。
「私にもさっぱり……。人がワイバーンに襲われるなど、少なくともこの数百年で一度もなかったことです。我らの何が気に障ったのか……」
全員の間に沈黙が流れる。その間、ワイバーンが羽をバッサバッサする音だけが聞こえていた。
「ま、ここにいてもしょうがないし。何とか逃げ出さないとね」
「けどどうやって……」
「こうなったらダン君!」
「は、はい?」
「囮になっちゃう?」
「…………。も、もちろん、みんなが助かるなら俺が……」
「あーごめん、ウソウソ。やだな、本気にしないでくれる?」
「ジル様、冗談にもタイミングというものが……」
ユアナが引きつった顔でそう言った。
せっかくみんなを和ませようかと思ったけど、失敗だったらしい。
みんな怪我しているせいもあってかドヨーンとした空気が流れていた。
怪我と言えばそうだ、俺には治療魔法があるんだった。
この間はなぜだか不発だったけど、今日はどうだろう?
ちょいちょい、とユアナを近くに引き寄せる。
「ジ、ジル様……?」
「ちょっと動かないで。じっとしてて」
「?」
ユアナの傷の上に手をかざすと、うっすら俺の手から光が漏れ出す。
どうやら今日はうまくいきそうだ。
光がユアナの体に巻き付いたかと思うと、ユアナの怪我がたちどころに消え、何なら服についた泥汚れまでキレイになってる。
治療魔法すげー。王族やめてクリーニング屋でやっていけそうじゃん。
それを見ていたダンと騎士団のみんなが、おーーっ、と言った。
「ジル様は魔法が使えるんですか!?」
レオルドが目を見開いてそう言った。
「まあね! さあ、みんなの怪我も俺が治してしんぜよう。あ、順番に並んでね」
と言ったのだが、なぜだかみんな並ばない。
「ジル様に治療して頂くなど恐れながら……」
とか何とかつぶやいてる。これは俗に言う“遠慮”ってやつですね。
こうなったら人はめんどくさい。
まとめて治療できないのかな、とふと考える。
ユアナの時だって、まず腕から一個ずつ傷を治していこうと思ったのに一気に全身治せてしまったし、もしかしてここにいる全員だっていけんじゃね?
と思ったので、早速試してみる。
みんながいる方に向かって手をかざし、(治れ~)と念じてみる。
手の先が明るくなると、一瞬まぶしい光が全員の体を包む。
すると光がやんだときには全員の怪我がすっかり消えていた。
「こ、これは!!」
「き、奇跡だ!!」
口々に叫ぶ騎士団の人たち。
そりゃ驚くよね。俺も驚いてますから。
治療魔法すげー。
「ジル様、ありがてえ。あとは奴らさえ何とかなりゃ……」
ダンが外をキッと睨みながらつぶやいた。
それな。あいつらどうにかしないと……と思っていたら、頭上の岩がゆっくり持ち上がる。
ワイバーンが数匹で協力して岩を持ち上げてるみたいだ。かしこいね。
「何がなんでも俺たちを食いたいらしい……」
ダンが忌々しそうに言った。
「ユアナさん、治療魔法で戦う方法は……」
「無いです!って、前にも言いましたよね、ジル様!」
呆れたようにユアナが言った。気持ちがほぐれたようで良かった。
「みんな大丈夫ですよ。死なない限りは魔法で治せるんで。ダン君も治療魔法使えるしね」
「そ……そうですね、それなら……安心です」
みんな浮かない顔ではあったが、とりあえず安心してもらえたようなので、
「じゃあ全員でバラバラの方向に走りますか!」
「え?」
「ここにいてもすぐ捕まっちゃうでしょ。とりあえず解散」
「で、ですがジル様をお守りするのが我らの使命でありますれば……!」
「俺は大丈夫」
だって怪我しても自分で治せるし。
(自分自身に魔法を使えないことを、この時のジルは知らないのだった……)
「ジル様!私は何があってもジル様から離れません!」
「俺もです。何があってもジル様をお守りすると誓いました」
ユアナとダンが一途な目で俺を見て言った。
まるでいかにも忠実な家臣って感じだ。これじゃさすがに置いてけないかも。
「ジル様、我々だって王国の騎士です! ジル様をお守りするのが我らの務め。あの世まででもお供いたしましょう!」
騎士団全員が真っ直ぐな目で俺を見て言った。
死んだとしてもあの世までお供されるのはちょっと嫌だけどな……。そっとしといて欲しい。
「……うーん分かった。じゃあ、みんな一緒に逃げよう。解散はナシね」
全員がうなずいた。
「ダン君、今持ち上げられてる岩を粉々に出来ないかな? 砂埃で周囲が見えなくなれば多少時間が稼げると思うんだけど」
結構な無茶振りだと思ったが、ダンなら出来そうなんで聞いてみる。
ダンは頭上の岩をちらりと眺めて、
「分かりました。やります」
と、あっさり了解した。マジで規格外。
ダンが剣を構え狙いを定めると、飛び上がって思い切り振り下ろす。
岩が一刀両断されたかと思うと、ダンがさらに剣を横に引いて岩が十字に割れた。
そして拳をぎゅっと握りしめ、小さくなった岩の塊をさらに粉々にすべく思い切り打ち砕く。
これならいっそワイバーンも倒せるんじゃ……。
そう思ったのは俺だけだろうか。
岩は粉々に割れ、予想以上の砂埃が辺りを分厚く覆った。
「今だ、みんな走れ!」
レオルドの掛け声を合図に一斉に走り出す。
砂に覆われ周囲が見えないが、とりあえずワイバーンと反対の方角に勢いよく走った。
……はずなんだけどね。
ドンっと何かにぶつかって尻もちをつく。
「痛い……」
鼻を押さえながらぶつかった何かを見上げると、奇遇にも相手もこちらに顔を寄せてきた。
恐竜のようなおっかない顔。なぜだか目の前にいるワイバーンと目が合った。
お読みくださってありがとうございます。
次回もよろしくおねがいします。