06 城を去る
いよいよ今日、結婚のために国を出る。
城のみんなが見送りのために外に出ていた。
その中にアレクや王様はいない。朝早く来たトネイラの大使を出迎えているからだ。
別にいいんだけどね。二人ともほとんど他人みたいなもんだし。
数人の王国騎士団が城門の外で待っていて、俺はユアナとダンと三人で城のみんなに分かれを告げる。
みんな寂しそうというより嬉しそうだ。喜んでもらえて何よりです。
「ジル様、こちらです」
そう言って騎士団の一人が俺を馬車に案内した。
馬を2頭連れた大きな馬車だ。
馬車というからてっきり二人がけの小さいやつを想像していたけど、これなら寝泊まり出来るんじゃね?ってくらい大きい。
「飛空艇を出せれば良かったのですが、今朝からワイバーンが多数目撃されておりまして……念の為に馬車でご移動頂きたいのですが……」
案内してくれた騎士さんがそう言った。
「あ、全然いいっすよ。馬車も面白そうなんで」
そう言うと騎士さんが、え? って顔で硬直した。何か変なこと言いました?
硬直した騎士さんの後ろから、もうひとり、騎士さんが俺に話しかける。
「ジル様!」
よく見れば以前騎士団に入団したレオルド・パーシーだ。
「やあレオルド君。元気?」
「はい、ジル様のおかげです!」
何もしてないけどね。
「元気なら良かったよ。今日はレオルド君が護衛してくれるんだね? よろしく頼みます」
「お任せください。命に代えてもお守りします!」
重い。そこまで意気込まなくてもいいのに。でもこの前みたいに魔物も出るかもしれないし、けっこう危険な旅なのかな?
「目的地までどのくらいかかるんです?」
隣にいるユアナに尋ねてみる。
「うーん、すぐ隣の国ですからね……。2日もあれば着くと思います」
「2日……」
時間感覚がおかしい。車や電車が無いとこんなにも不便なんだね。
「馬車に乗っていればあっという間ですぜ。さ、お二人ともこちらへ」
ダンが馬車の扉を開けて中へ促した。
「あれ? ダンは乗らないの?」
「俺は護衛ですからね。騎士団のみなさんと一緒に外から王子をお守りしますよ」
なんだ、せっかく三人でトランプやろうと思って城から持ってきたのに。ユアナと二人じゃ出来るゲームが限られてるじゃん。
「ダンさん。ジル様はもう王子ではありませんよ」
ユアナがそう言うと、ダンがいっけね、と言いながら頭を掻いた。
「何て呼べばいいんだっけ……?」
にっこり笑ってユアナが言った。
「ジル様とお呼びすれば良いのですよ。ですが婚礼の場では閣下と呼んでくださいね」
正直どちらでも良いけど、この人たちにはこだわりがあるらしい。
馬車がゆっくり動き出す。
そういえば一度も王都に行けなかったことを急に思い出した。
魔物に襲われたせいでユアナもダンも四六時中目を光らせて俺を見張っているようになり、抜け出す隙がなくなったからだ。
あいつら本当に……。
でもまあいっか。セント・リアもそれなりに街くらいあるだろうし。きっと楽しいところだね。間違いない。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
遠ざかるジル一行を城の上階から見つめる者がいた。
宰相のクロノスだ。
「トネイラの接待はよろしかったのですか?」
隣に立つ小太りの文官が言った。
「相手は大使だ。外相が明日訪れるまではアレク王太子殿下に相手をさせておけばよい」
「……でしたらジル王子の見送りに行かれた方が良かったのでは?」
「必要ない。昨夜の件があれば皆も納得するだろう」
クロノスは晩餐会での様子を思い出していた。
人が変わったと噂されるジル。だが彼に対する不信感は、ひと月くらいで拭えるほど小さなものではない。
現に少し大げさに謝罪したフリを見せれば、他の者は事情を知りもせずジル王子に非難の目を向ける。
そう、きっかけなど何でも良いのだ。
見送りに行けないとでも言えばジルのことだから怒り出し、招待客の前で醜態をさらすだろうと予想していた。
だが噂通り、ずいぶんと物分りの良くなってしまったジルは怒ることもなく淡々と事実を受け入れてしまった。
だからあえてトネイラとの会合が自分の手配ミスだと打ち明け、大げさに謝罪してみせたのだ。
最後の日まであの王子は変わらない、と周囲の者に思わせるために。
(実際は意図的に会合と婚礼の日をダブらせたのだが)
ジルには大衆から嫌われていてもらわないと困る。
せっかく裏でお膳立てをしてジルの婿入りを実現させたのだ。この王国に居場所を無くし、二度と戻ってこれないよう大衆心理を悪化させておく必要がある。
そして婿入りの相手はかつての王国領であるセント・リア公国だ。
我が国グレシア・ジスカの後ろ盾がなければ他国のどの軍事力にも及ばない弱小国家。
婿入りという口実で実質ジルを王国から追い出し、後継者争いから脱落させる。さらには公国の元首に据えることでセント・リアを裏から支配することも出来る。
我ながら良い計画だった。
そのために、ジルの使用人の女がセント・リアの密偵であることにも気づきながら目をつむったのだ。
頻繁に鳥を飛ばして手紙のやりとりをしていることも知っていながら見逃した。
すべてはジルを追い出すため。
もちろんジルだけではない。いずれはアレクも、そのほかの兄弟にもすべて消えてもらう。
ロッド・シュタイン・グレシア王にさえもだ。
そんな風に、つい先日まで調略がうまく行っていることにほくそ笑んでいた。
だが愚かにもジル自らの蛮行によって彼が死にかけた時は思わず心の中で舌打ちをしたものだ。
せっかく決まった婚礼がご破算になると。
幸いジルは命を取り留めたが、そこからだ。様子がおかしくなったのは。
操りやすい傲慢な性格がなりを潜め、この私ですら思考を読み取れない異質な人間へと人格が変わる。
そこに一種の危険を感じてしまった。
自らの計画を揺るがしてしまう重大なほころびが、ジルの手によって見つけ出されてしまうような、そんな不吉な予感を感じずにはいられないのだ。
その予感は昨日直接ジルと目を合わせたときに一層強くなった。
今のこいつを放置してはいけない。
なぜだか強くそう思った。
当初はしばらく様子を見るつもりだった。
セント・リアに婿入りさせたあと現大公とその娘を自然な形で葬り、ジルを傀儡の王に仕立て上げるつもりでいたが、そう悠長なことは言ってられない。
自らの直感を何よりも信じるクロノスにとって、ジルは生かしておけない存在になったのだ。
直感の出どころはクロノスにも分からない。
なぜジルをそこまで警戒するのか、理由も定かじゃない。
だがそんなことはどうでも良いのだ。
計画は変更され、やつはもうすぐ死ぬのだから。
小さくなっていくジル一行の遥か上空を、特大のワイバーンが数匹旋回していることに誰も気づかない。
通常の人間には見えないよう、姿を隠す暗黒魔法が彼らの上空一帯にかけられているからだ。
クロノスが口角を引き上げてニヤリと笑う。
「さらばだ、ジル王子」
隣に立つ文官にとってその言葉は、主君の子息に対するささやかな別れとして耳に残る。
無機質なクロノスの瞳に、この国の悲劇的な末路が鮮明に映し出されているとは夢にも思っていなかった。
お読みくださってありがとうございます。次回もよろしくお願いします。