03 結婚の相手
ジル・シュタインに転生してから数日経った。
俺が(正確には以前のジルが)死ぬ原因を作ったレオルドは、騎士学校を卒業し本格的に騎士団入団の準備を進めているらしい、とユアナが教えてくれた。
しかも本人はやる気満々のようで、“命をかけて頑張ります”的なことが書かれた手紙が俺のもとに届いたくらいだ。
彼はなかなか熱いやつなんだね。
話し合いのときは顔色を悪くして落ち込んでいたから、元気になって本当に良かった。
数日間、ユアナがこの国や城のことを教えてくれて、何となくここがどんな場所かを知ることが出来た。
良ければこれも読んでください、って言われて分厚い歴史書を渡されたけど、これで筋トレでもしろってことだろうか? 開くと何かがびっしり書かれている。文字のように見えるが、たぶん気のせいだろう。
この国の名前は、グレシア・ジスカ連合王国。
(長いよね。もっとサクッと短いのにすれば良いのに)
連合王国ってのも初めて聞いたけど、名前のまんま2つの王国が合体して出来た国で、王様も二人いるらしい。
ジスカ王国が女王ジスカ・ドリスが治める国。そしてグレシア王国が、ロッド・シュタイン・グレシア王(つまり俺のお父さん=通称ジルぱぱ)が治めている国だ。
ほかにも王国の周りにちまちま色んな国があるとのこと。
そこもしっかり説明されたけど覚えてない。自分の国の名前を覚えただけでも大したもんじゃないかな。自分を褒めたい。
「ジル様は本当に全部忘れてしまったんですね」
専属使用人のユアナがくすりと笑いながら言った。微妙に嬉しそうなのは何でだろう。
「うんまあね。でも別にいいよ。知らなくても困らないし」
「そんなことはありませんよ、ジル様。今は良くても来月の婚礼までには、最低限お食事の作法だけでも思い出してもらわないと」
食事の作法ねー……。思い出すも何も、始めから知らないしな。
あれ? 待って、今
「婚礼って言った?」
「? はい、そうですけど……って、そっか! 」
ユアナが慌てたように口を両手で抑えて、頭を下げる。
「記憶をなくされたと言うのに……私ったら、ご結婚のことをお伝えしておりませんでした! 申し訳ありません!!」
「えーー、結婚するの!? 急に?」
「きゅ、急ではないのですよ? もう何ヶ月も前から決まっていましたし、一度相手の方ともお会いになっていますが……」
「相手? もう決まってるの?」
「……はい」
「えーーー。やだなー、知らない人と結婚するのー」
「ですが一度お会いに……」
「今の俺にとっては初めましてだよー!」
「そう言われましても……」
「キャンセルしてもらえません?」
「キャ、キャンセルっ?! そ、それは無理です!! 相手はセント・リア公国の公爵令嬢ですよ? このタイミングでお断りすれば国際問題にだって発展しかねません!! というか絶対発展します!!」
「そ、そんなに顔近づけなくても……」
「はっ!……も、申し訳ありませんでした!」
「でもそっかー、キャンセルは無理かー。どうしてもだよね?」
「どうしてもです!!!」
はあ、頭が痛い。まさか顔も知らない子と結婚するとはね。断れば国際問題になるって言うし、もう少し平民よりの人生が良かったな。今さらだけど。
「分かったよ。ユアナがそこまで言うならしょうがない。結婚しますか」
「え……あの、私がわがまま言ってる感じになってません?」
「え? なってないよ。なんで?」
「あ、なってないのでしたら別に……」
「変なの」
「…………」
◆◆◆◆◆◆
城の中ほどに設けられた美しい庭園で、一人の男が優雅に紅茶を口に含む。
咲き乱れるバラに劣らないほどその男も美しく、華やかな雰囲気をまとっていた。
男の名はクロノス・グレイ。
グレシア・ジスカ連合王国の宰相を務めている。
クロノスの向かいには小太りの文官が座り、定例の月次報告を事務的に行っていた。
「……以上が今日現在までの財務状況の報告となります。続いては法務庁長官からで……」
「ああ、それはまた今度聞かせてもらおう」
「え? ですが……」
「法務庁には明日、出向く用事がある。たまには長官から直接報告を受けるのも悪くない」
「承知しました。であれば今月の報告は以上になりますが」
クロノスは少し考えたあと、ふと思い出したようにたずねた。
「……ジル王子が大変だったようだが?」
「そのようですね。王族の執務については報告を受ける立場にないので詳しく存じませんが……」
「知っている範囲でかまわない」
「……騎士学校の訓練中の事故のようです。才能ある同級生が気に入らなかったようで、無謀な試合を挑んだ結果、瀕死の怪我を負ったようですな」
「なるほど、ジル王子らしいな。実に愚かだ」
「クロノス様、ここでそのような発言はお控えください」
「問題はないさ。それで王子の容態は?」
「奇跡的に一命をとりとめたようですな。ただ……」
「何だ?」
「一次的なものだと思いますが、記憶をなくされているようです」
「記憶を?」
「ええ。ご自分や身の回りのことを、全て覚えていないそうです。自室に戻る際もメイドに案内させたくらいだと」
「周囲の者はずいぶん困っているだろうな」
「ところがそうでもないようです。記憶をなくされた影響か、ジル王子はずいぶんと物分りの良い方に変わられたそうですよ。しとやかになり、暴言も無いようです。礼節を忘れたせいで若干品は悪くなったようですが……」
「ふむ。来月の婚礼に支障はありそうか?」
「それは大丈夫でしょう。婚礼の儀式など、イチから覚え直してもでさほど難しいものではありません。相手は公爵令嬢ですから、事情を話せはうまくリードしてくれるはずです」
「事情を話せば……か。どこまで話すかにもよるが」
「訓練中の事故で記憶をなくしたと、そのままお伝えしても問題ないのでは? 相手はセント・リア公国です。外交上そこまで気を使う相手ではないかと」
「そうだがな。……事故の相手はどうなった?」
「そこまでは存じておりません。極刑になったという話は耳に入っていませんが、おそらく何らかの重い処罰がくだされたでしょうな」
「……そうか。状況は分かった、下がってよい」
小太りの文官は、立ち上がり、軽く礼をして庭園を後にした。
クロノスは椅子に腰掛けたまま、紅茶をふたたび口に含み、そっと飲み込む。
「記憶をなくした……だと? 」
誰にともなくつぶやいた。
考え込むようにしたあとクロノスは立ち上がり、音もなく風の中に姿を消した。
◆◆◆◆◆◆
「ジル様ーーー!! 戻ってくださいーー!!」
後ろの方からユアナの声が聞こえるけど、気にしない。
でもおかしいなぁ。あんなに完璧にカモフラージュしたのに、なんでこんなに早く見つかったんだろう。
回復したばかりの体に障るから、と言っていつまでも城から出してくれない医者たちが嫌になって脱出したのだが、これじゃすぐ捕まってしまう。
いくら部屋が広くたって、何日もいたら退屈で死んでしまうじゃないか。
とユアナに何度も言ったのだが、医者であるひげじいから「王子をしっかり見張るのだ」と言われたユアナは忠実にそれを守り、決して俺を外に出してくれなかった。
だから、他の部屋から集めた毛布をくるんでベッドに寝かせてきたのだ。髪の毛代わりに羽毛のほこり取りをつけて、何枚も厚手の布団をかぶせてきた。
「あれなら誰が見ても俺が爆睡していると勘違いするはずなんだが……」
「あんな単純なものに誰がだまされますかっ!!」
いつの間にかユアナの声がすぐ後ろから聞こえる。
どれだけ足が速いんだと思って振り向いたら、……ユアナのやつ馬に乗ってるじゃないか。
「……ずるい」
わざわざ窓からロープを垂らして必死に抜け出したのに、苦労が水の泡だ。
「ずるいって何です!? あれほど城を出てはいけないと申し上げたじゃないですかっ!?」
そう言いながら馬に乗ったユアナが俺の前に立ちはだかる。
「はあー……、せっかく走ったのにこんなにすぐ捕まるなんて」
「だてに長年ジル様の使用人をしているわけはありませんよ。ジル様の考えなんてお見通しです!」
えー? 俺からすれば、出会ってまだ数日ですけどー。
「大体、ジル様はどこに行かれるおつもりだったんですか!?」
「どこって……。街」
「街!!? ……何を言ってるんです? ジル様。王都はまるきり反対の方角ですよ?」
「あれ、そうなの?」
「ジル様……、どう見てもこの先にあるのは森だけじゃないですか」
言われてみれば。
「ユアナから逃げるのに必死で見てなかった」
「……進行方向にあるものを見ないって、逆に何を見てたんです?」
「何だろう。地面?」
ユアナがはぁってため息をついた。
「……もう気が済みました?」
「いやまったく」
「何でですか?! ……もう、よりにもよってこんな所まで来て。もし魔物にでも襲われたらどうするおつもりだったんです?」
「魔物? いるの?」
「いますよ。森の周辺なんて特に魔物が多いんですから」
「どんな魔物がいるんだろう。見たいなー。探しに行こうよ、ユアナ」
「な、何を言ってるんですか!! 命を落とすかもしれないんですよ? 」
「……そんなに危ないの?」
「……魔物にもよりますけど……」
「危なくない魔物を探しに行こう」
「基本的に魔物はぜんぶ危険なんですよ!? ジル様」
「でもせっかくここまで来たなら……」
『グルルルル』
あれ、なんか今……
「ユアナさん、お腹でも鳴りました?」
「ち、ちがいます……この唸り声は……」
恐る恐るユアナが後ろを振り向く。
同時に俺も馬の向こう側を覗き込む。
何だろう、真っ白でいかにも獰猛そうなオオカミが数匹、いつの間にかすぐ近くで俺たちを狙っていた。
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