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第 31 章 「ノブ、怒りをこらえる」

 綾は道長に連れられて山を降りていった。

 泣いてはいなかった。でも体の震えは止まらないらしく、両腕でしっかりと自分の体を抱きしめていた。


 警官隊はすでに到着し、現場検証を行っている。

 事件は最悪の結果に終わってしまった。


「奈津さんも救えなかった」

 優がぽつりといった。

「昨日、あそこまで降りていれば……」

 自分達の思慮が及ばなかったせいで、奈津を見殺しにし、久米や橘まで死んでしまった。

 奈津の亡骸の前で、寺井がこれからどうするかと聞いてきたとき、この先には行かないと応えていたら、どうなっていただろう。


「あそこで、奈津さんを動かそうとしなければ……」

 久米や橘は、首尾よくお宝を滝壷から引き上げて、意気揚々と山を降りていったかもしれない。あんな無残な死に様を晒さなくてもよかったかもしれない。生駒は、そんなことをくどくどと考えていた。


 優も自分を責めているのだろう。

 両手を髪に突っ込み、頭をかきむしり始めた。

「くそ! なんていうこと!」

 しかし、顔をあげた優が口にした言葉は、でも、違う、だった。


 そうだ、違う。

 縄梯子は、すでに落ちていたのだ。巨石が転がり落ちた拍子に外れたのではない。

 誰かに切り落とされていたのだ。


 しかし、それがどんな気休めになるというのだ。生駒は頭を抱えた。

「これが祟りだというのか……」

「ううん」

 優が、あくまで現実的に、今の状況を考えようとしていた。瞳がきらめき始め、右の小指が眉毛を撫でていた。

 生駒と優は、草むらの中の石に腰を下ろして、寺井がガレバから上がってくるのを待った。


「お待たせした。こんなところで話もなんですが、村まで降りていく時間が惜しい。ここでお話を聞かせてくれますか」

「ええ。もちろん。でもその前に。村に警官を配置していますか?」

「何人かはおります」

 そうは言ったが、寺井の口ぶりにはどことなく重い。

 一旦は釈放した西脇を監視しているのかもしれない。すると今、西脇は村に……。いや、この山のどこかに……。


 そんなことを詮索しても意味はない。今から寺井に順に説明していけばいいことだ。

 生駒は力なくそうですか、とだけ言った。

「さあ、なんでも聞いてください」


「久米荘一と橘文雄は、采家に伝わる財宝を手に入れるために、滝壷に潜ろうとしていた。亡くなった采奈津は、それを阻止しようとして逆に殺された。ということでいいですな。采健治や西脇恭介も、同じ理由で殺されたと」

 寺井が、苦渋に満ちた顔をしていた。

 誤った判断で木元と西脇を拘留してしまい、久米と橘を取り逃がしたばかりか、ふたりとも死んでしまった。しかも、奈津の殺害を阻止することもできなかった、と。


 しかし、生駒のこの印象は間違っていた。

「どうも、この村には隠し事が多くて困りますなあ」

 胸にふつふつと怒りが湧き上がってくる。

 それはおまえがボンクラだからだ、という言葉を飲み込んで、

「違う」と切り捨てた。

「は?」

「まず、久米さんと橘が、奈津さんを殺したのではない」

 生駒は冷静になろうと、大きく息を吸い込んだ。


「奈津さんの死体を隠しておくために、あの石に縛りつけておいた、とでも考えているんですか?」

「うーむ」

「久米さん達には、そうする理由がない」

「しかし、侵入を阻むような感じで縛り付けられていましたが」

「違う。そもそも、あんな恐ろしく高い崖を、縄梯子で下りていく方法をとったということは、ガレバのルートの存在を知らなかったから。つまり、そこから人が降りてくるとは、考えもしなかったはず」

「では、こういうことですか? 奈津が縄梯子を切り落とし、久米荘一と橘文雄を転落死させてから、自分の体をあそこに括りつけたと?」

「それも違う。時間的に合わない。久米さん達は、昼前ごろに村を出ているんです。奈津さんは死後半日ほど経っていたと、さっきあんたは言ったばかりです」

「うーむ」


「ところで、奈津さんは殺されていたんですか?」

「いや、それはまだはっきりしません。掘り出して正式な検死をしてみないことには。ただ、あんなところで、自分の体を鉄の棒にくくりつけて自殺するなんてことは、普通はしないんじゃないでしょうかね」

 奈津は殺されたのだと判断している。佳代子は自殺で、奈津は殺されたと。

 このボンクラは。


「しかし、今、あんたは見たんでしょう。奈津さんの姿を」

「ええ、しかしまあ、最終的な判断は」

 生駒は唇を噛んだ。

 すべてが後手になってしまった。誰一人救えなかった。

 目の前の男のふがいなさ、そして自分たちのふがいなさがやるせなかった。あの怨念と不信の塊の仕掛けに惑わされて。


「外傷はなかったように見えましたが、まだ詳しくは」

 寺井が慎重なもの言いを続けている。

 生駒の怒りが爆発した。

「現場の指揮官として、あんたの判断はどうなんや!」

「えっ」

 寺井の顔がゆがんだ。

「……」


 生駒は寺井に、奈津が白装束だったこと、神社の獅子岩の注連縄に自分の着物を挟んでいたこと、を思い出させた。しかし寺井は、まだ納得がいかないのか、こめかみを掻いている。

「こういうことは考えられませんかな。つまり、奈津が犯人だと。彼女は財宝を守るために……」

 生駒はまた怒りを爆発させた。

「馬鹿なことをいうな! 奈津さんが、鉄パイプで健治を殺したとでもいうのか! 奈津さんがバスに乗って、その鉄パイプを原田の町の資材置き場まで運んだとでもいうのか! いい加減な思い付きを言うな!」


 寺井は、事件の全貌が見えていないことを自覚したのか、

「すみません。この事件の背景といいますか、そもそもの発端が、久米荘一と橘利郎の財宝探しだったということはわかりましたが、采健治さんや西脇恭介さんが殺されたときのことを、もう一度、詳しくお聞かせ願うしかないようです」

とへりくだって、解説を求めてきた。

「生駒さん、申し訳ないけど、もう一度、あの日のことを順に教えていただけませんか」

「順序が違う」

 生駒はつっけんどんに吐き捨てた。

 寺井が佳代子の死を自殺であると誤った判断を下し、その理由を捏造したことを忘れてはいない。

「うむぅ」

 寺井の顔に朱が差した。


「ちょっと失礼」

 刑事が寺井に耳打ちした。寺井の顔がますます赤黒くなっていく。

 その報告がどんな内容だったか、生駒は寺井から説明がなくても察しがついた。西脇も美千代も仙吉も、村に姿がないというのだ。


「ご説明いただけるんでしょうな」

 寺井が再び高圧的になった。

 まるで生駒が隠しごとをしていたおかげで、こんなことになったのだといわんばかりに。


「あんた方は常に後手だ」

 怒りを抑えて、生駒は切り返す。

「失礼な」

とはいったが、寺井には続けるせりふがない。


 佳代子が殺されたときに、誤った判断をしなければ、一連の事件は起こらなかったはずだ。

 生駒は、沸き立つような怒りを抑えるために奥歯を噛み締めた。

 眼球の周りに血液が集まり、目の焦点が合わなくなっている。体中の筋肉がわななくような気がする。

 しばらく声を出せそうにない。口を開けば、目の前の男をまた罵倒してしまいそうだった。

 気持ちを鎮めようと、足元に眼をやった。無心な蟻が行列を作っていた。


「申し訳ない……」

 寺井の口からこぼれた言葉。

 しかし虚勢を張っているのか、胸をそらせ、うつむきがちな生駒に厳しい目を落としていた。


 落ち着けというように、優が生駒の腕に手を重ねてきた。暖かさが伝わってきた。肩に頭を寄せてくる。ほのかにリンスの香りがした。

「そもそもの起こりは、宅見佳代子さんが千寿さんの屋敷へお手伝いさんとして来たことから始まるんです」


 生駒は切り出した。


 千寿はとても佳代子を可愛がった。

 子や孫をすべて亡くした千寿は、自分の遺産の大半を佳代子と美千代に残そうと考えた。


 采家の親族は、うすうすそれに感づいていただろう。千寿が老人ホーム暮らしを始めてからも佳代子は屋敷に残っていたのだから。普通なら、高齢の奈津は別にして、甥の西脇、そして世話を焼いてくれる仙吉に、屋敷の管理を任せるだろう。


 しかし千寿は、采家のものを、奈津を除いて誰も信用していなかった。当然、一族郎党はおもしろくない。

 なにしろ、この村や山のほとんどの土地は千寿のものなのだ。しかも原田の町にも、多くの資産を持っている。屋敷にも価値のあるものが眠っているはず。金融資産も、目がくらむほどあるのだろう。

 誰もが千寿の遺産の行方に疑心暗鬼になっていたのだ。


 そこへ、久米が登場する。

 初めから、滝壷に沈められた采家の財宝が目当てだった。采家への復讐という免罪符も胸に秘めていたかもしれない。


 しかし、佳代子が屋敷を守るとはいえ、なぜ千寿が赤の他人である久米に、家を自由にさせることに同意したのか。

 古の久米の先祖へのむごい仕打ちに対する、贖罪の気持ちがあったとしか考えられない。集会所の裏で聞いた千寿の言葉が、それを裏付けていた。

 ただ、千寿のその心境を、奈津以外に知るものはいなかった。


 采家の郎党だけでなく、村人の多くは、佳代子と久米を一蓮托生だと考えた。

 千寿に取り入り、財産を掠め取っていこうとしていると映ったのだ。ふたりを排除したいと考えても、不思議ではなかった。

 そして、佳代子を橋の上から突き落とし、自殺に見せかけることに成功した。そして猫の首事件。


 久米の思惑は、瞬時に吹き飛んでしまうはずだった。これで千寿の財産は、当面は安泰ということになるはずだった。しかし、そのもくろみは見事に失敗だった。久米の意志はもっと強かったのである。


 そして、健治の事件が起きる。

 佳代子の一周忌の日に。

 彼女の写真を持って、佳代子と同じように川に浮かぶ。


 西脇利郎が容疑者として拘束された。佳代子を巡っての口論の果てに返り討ちにした、という理由で。


「とすれば、佳代子を殺したのも西脇利郎ではないか、という推測も成り立つわけです。あんた方はどう考えていたんです?」

 まともな答を期待していたわけではなかったが、やはり寺井の回答はあいまいなものだった。

「いえ、そこまでは」

「なにしろ西脇は、妻の連れ子である佳代子を、自分の子としてみなしていなかった。そして彼女は、西脇の期待に応えられなかった」

 生駒は、西脇利郎が佳代子を千寿の世話係として送り込んだ、真の理由を話して聞かせた。

「うむぅ……」


「警察は、佳代子が利郎の妻圭子の子だということを掴んでいた。どうです?」

「それは……」

「しかし、彼らは佳代子の亡骸を引き取りに来ない。いくらなんでもおかしいじゃないですか。そのときに、西脇が彼女の素性を隠しておきたい理由に、気がつくべきだったんじゃないか」

「はぁ……、なにをおっしゃりたいんです?」

 生駒は寺井をいじめて楽しんでいたわけではない。寺井にだけでなく、西脇にも無性に腹が立っていたのだった。


「ところで、ふたりが殺された日、西脇の服がびしょ濡れだったことに、気づきましたか?」

 警察が西脇をようやく見つけたときには、もう服は乾いていただろうが。

「服?」

 寺井は、なぜそのときにそれを教えなかったのか、とはいわなかった。

 あの男は、奈津に見られて困るものを隠しに、滝壷まで降りていったのだ。ガレバのシャワーをくぐって。


「ズボンの血は?」

「……」

 これにも気がついていなかったらしい。

 西脇が隠したもの、それは滝壷のお宝を手に入れるための機材。

 すでに岩代川はせき止められ、滝に水が落ちてこないようにしてある。後は滝壷の水を抜けばいい。きっとポンプとポータブル発電機だろう。機材には西脇工務店などと書いてあるのだろう。あわてて移動させたおかげで、西脇は足に怪我をしてしまったのだ。


「なるほど、西脇利郎は采千寿さんの遺産を狙っていたし、滝の財宝も狙っていたと」

 だから西脇が犯人で間違いなかったのではないかと、寺井はまた思い始めたようだ。

「念のために言っておきますが、こんなことをして得をするのは、西脇だけではありません」

 寺井がおとなしく頷いた。

「次に殺されたのは恭介です」

「……」


「木元には、恭介を殺す動機があるという判断ですか? でも、同じ日に、別々の事件が? そんな偶然の一致みたいなことがあるもんですかね。少なくとも、僕にはそうは思えなかった」

「やはり木元も違うと」

 あっさりそう言ったところをみると、木元の件は、警察も、確証どころか自信さえなかったのだろう。

 しかし、苛ついてきたのか、がさつな声を出して、己の自信のなさをカムフラージュし始める。

「久米でもなく西脇でもなく木元でもない。で、いったい、どうだというんです?」

「いろいろな可能性を潰していってるんですよ。結論だけ言っても、これを聞いておかないと、あんた方は、また曲解するでしょう」

「うむぅ」


「警察が考えた健治殺しは西脇、恭介殺しは木元、という推理。可能性としてはゼロだとはいえない答えだった。しかし、釈然としなかった。しかも、彼らの葬式は合同で行われた。普通はそんなことはしない。殺された方の家族と、殺した方の家族が一緒になんて。そうしたのは、彼ら、少なくとも奈津さんは、犯人は別の誰かだと考えていたからです」

 寺井が目を剥いた。


 この男は、合同葬儀の件も知らなかったようだ。被害者の家族が、警察の捜査を信じていなかったわけだから、もっとショックを受けてもよさそうなものだ。

 寺井の目元が徐々に緩んで、

「だから久米が」と言いかけたが、顔を撫でて言葉を飲み込んだ。


「健治が殺されたのは、深夜から早朝にかけてということだったから、誰にでも可能性はある。アリバイのある人なんていない。久米さんも道長さんも含めて」

「……おっしゃるとおりです」

「犯行時刻は何時ごろですか?」

 寺井から答えはない。生駒は、かまわず話し続ける。


「朝、シャンプーとリンスがひとつずつなくなっていた。つまり、健治が風呂に入っていないのなら、もうワンペア、使っていないものが残っているはずなのに。空になった袋が三個。話しましたね?」

 寺井が小さな声で、はい、と応えた。

「犯人が持ち帰ったんです」

「……」

「こういうことです。犯人は、健治が風呂に入ったと見せかけようとした。そこで犯行後、時刻はわからないが、屋敷の離れに入り込み、シャンプーとリンスの袋を破って中身を捨てた。ところがあの晩は長い時間、停電だった。湯沸しのコントローラーが動かなかったから、健治は風呂に入れなかったはず。僕が湯を抜いてしまっていたから。犯人は、後になってからそのことに気づき、つじつまが合わなくなってしまうかもしれないシャンプーとリンスの空袋を回収した。まだ使っていないものと取り替えようにも、それは母屋の洗面所にある。取りに行こうにも母屋の玄関は大きな音がする。坂井さんや道長さんの寝ている部屋の前も通らなくてはならない。しかたなく、とりあえずは自分が破った袋だけを持ち帰ることしかできなかった」

 寺井が頭を抱え込んだ。


「健治が風呂に入っていた場合には、シャンプーやリンスの空袋を持ち帰る意味がない。だから、健治は風呂には入らなかった。ちなみに、健治はシャンプーもできないくらいに酔っていたわけではない。毎日、シャンプーする習慣がなかったとも考えられない。もしこの点に疑問があっても、もう聞く相手はいない」

「うーむ」

「次に、健治が風呂にも入らずに、朝まで寝ていたとしましょう。この場合でも、犯人はシャンプーとリンスの袋を持ち帰っていることになる。そうすることに、どんな意味があるのか。どうです?」

 寺井が少し考えてからいった。

「意味はありませんな」

「そう。朝の犯行だった場合、袋を持ち帰ることに意味はない」

「ふむ」

「犯人はあの晩、僕が風呂から出てそれほど時間が経っていないときに、健治を呼び出し、殺害してから部屋に戻って時間差工作を試みた、ということです。そして、それは屋敷にいた人物、という可能性が高い。健治がどの部屋に入ったのかを見ていた人物。健治がまだ風呂に入ってないということを知っていた人物。ただ、お屋敷は常に開放してあるので、座談会に出ていたメンバーに限定できるわけではなく、忍び込んでいれば、だれにでも可能性はありますが。いずれにしろその人物は、下の道に、鉄パイプと飛び散った血を洗い流すバケツかなにかを用意してから、健治の部屋に行き、誘い出して殺した。あるいは事前に、話があるので何時に出てこいとでも言っていたのかもしれない。ちなみにバケツは集会所のものではない。倉庫に鍵が掛かっているので簡単には持ち出せない。屋敷のものだと思う。納屋にいくつか転がっています」


 寺井が口をはさむ。

「よくわかります。しかし、それではまだ犯人を絞り込めませんな」

「黙って聞いたらどうだ!」

「……」


 生駒は、寺井のイラつきが理解できた。

 しかしこの解説は、寺井にだけではなく、自分自身にも、最後の結論を納得させるために必要な手順だった。


「犯人が健治を誘い出した方法とは? 健治は佳代子さんを愛していた。たぶん、そのことで話があるとでも言ったのだろう。彼女の写真を渡して、信用させたのかもしれない。あの写真は、屋敷に出入りしていたものなら手に入れることができた」

 寺井が頷いた。

「でも、このことはそれほど重要なことではない。もっと重要なことは、犯人がなぜ、そんな稚拙な時間差トリックを施そうと思ったかということです。端的に言えば朝まで。もちろん、自分のアリバイにとって都合がいいから」

「うむ」

「その点、例えば西脇はどうか。朝に犯行時刻を遅らせたほうがアリバイ上、都合がいいか」

「うーむ」

「彼は、もともと集会所でひとりで寝ていた。山登りに行くために恭介を呼び寄せたが、息子がアリバイを証明してくれるというのか。恭介が来るのは朝六時。陽が昇ってからのこと。それ以前に犯行があったということになれば、意味はない」


「それはなんとも……」

「しかし、今のことは頭に入れておいてください。朝に犯行時刻を遅らせることで得する人物、ということを。そしてもうひとつ、頭に入れておいて欲しいことがあります。犯人は、停電で風呂が沸かないことを失念していた。つまり、焦っていたということです」

「計画的ではなかった、ということですな」

 寺井が頭の中を整理するように、何度も頷いた。


「さて、恭介の事件に移ります。確かに木元には十分とはいえないまでも、恭介を殺す動機があった。しかも彼は、一時、笹原の中でひとりきりになっていた瞬間がある。それも、恭介がひとりでいたと思われる同じ時間帯に。あんた方もそのことに注目した。しかし、まだいるんです。単独行動をとった人物が」

「西脇利郎……」

「息子を殺すはずがない。溺愛しているのに。理由がない。しかも彼は、さっき言ったように、ガレバでポンプかなにかを隠すことで頭がいっぱいだった。時間的にもその往復だけで限界だった。まだ、います。ひとりで行動した人物が」

「ひとりだとは限らないんじゃないですか?」

「久米さんと道長さん?」

「……」

「なぜ、彼らが恭介を殺す理由がある? 恭介とは初対面だったし、あの日、恭介が来ることは知らなかったはず。久米さんが恭介を突発的に殺し、道長さんが見て見ぬふりをした、とでもいうんですか? とてもじゃないが、納得できるストーリーじゃない」

「でも、西脇利郎も財宝を狙っていたわけで、恭介はその息子……」

 寺井は、生駒が睨みつけていることに気づいて、慌てて口をつぐんだ。


「百歩譲って、久米さんが恭介を殺す理由があった、ということにしよう。佳代子さんも、そうだったとしよう。でも、健治を殺すどんな理由がある?」

「うーむ」

「あんた方なら、理由を捏造することはできるかもしれないが、そんな無理なことをしなくても、もっと可能性の高い人物がいるんです」

「ちょ、ちょっと待ってください。やはり久米荘一では。彼は、生駒さんたちが恭介さんを探しにまた笹原に入っていったとき、ひとりでいたということでしたな」

「久米さんだけじゃない。橘もそうだし、木元もそう」

 寺井がため息をついた。

「しかもそのときすでに、恭介の姿が見えなくなってから時間が経っている。それまで恭介は、どこでなにをしていたというんです?」


 辺りにはすでに夕闇が迫りつつあったが、生駒は山を降りて一息ついてから、という気はなかった。

 なぜか、このまがまがしいものが宿るとされた祠の前を去りがたかった。采家の財宝が何であったにしろ、それに人を寄せ付けないための姑息な仕掛け。できることなら今すぐにでも打ち壊してしまいたかった。これがために、多くの人が命を失った。財宝の存在が、人の心を狂わせたのではない。祠や、転がり落ちた玉石や、人避けの柵といったおぞましい仕掛けが放つ妖気が狂わせたのだ、と生駒は思った。


 祠に潜むまがまがしいものが、どう聴くかは知らないが、哀れな采家の末路を、今ここで聞かせてやりたかった。


「ご存知かもしれませんが、美千代さんは気がふれていた。ただ、そのふりをしているだけだという人もいた。僕は、彼女が極めて正常で、しかも強靭な精神力を持っているのだと思っています。警察が西脇を釈放したのは、美千代さんの証言を信用したからでした」

「そうです」

「もっと早く僕たちに教えて欲しかった。ま、僕も容疑者のひとりだったのかもしれませんが」

「返す言葉もありません」


「美千代さんにとって、その方が都合が良かったからです。彼女が芝居を始めたのは数ヶ月前のこと。ところで警察は、彼女と奈津さんが、強い信頼で結ばれていたことを掴んでいましたか?」

 寺井が情けない顔をした。


「想像を交えて話します。ある日、奈津さんか美千代さんのどちらかが、久米さんと橘が滝壷の財宝を狙っているということに気がついたんです。綾ちゃんから、ふたりが夜中に出かけていると聞いたことが、きっかけだったのかもしれません。そして彼女達は、佳代子さんが死んだのも、そのことに気づかれたと思ったふたりに殺されたのではないか、と考えたのです。実はこんなことがありました」

 生駒は、夜の神社で見聞きしたことの後半を話して聞かせた。


「そこで彼女達は、ふたりの行動を監視することにした。そのために美千代さんは、狂人のふりをすることにしたんです。そうすれば、万一、彼らに見咎められても、言い訳ができるからです。その点、警察の見解はどうです?」

「美千代さんが狂人であるかどうかですか? わかりません。ただ、その質問に、個人的な意見を言わせていただくと、答えはノーです。彼女は正常だったと思います」

 珍しく寺井が、全うな返事を寄こしてきた。


「そうですね。夜中に人の後をつけていくという困難なことを、気がおかしくなった人にできるはずがない。それに、奈津さんがそんなことをさせはしないでしょう。さて、ここからの話は、奈津さんへ視点を移した方が、わかりやすいと思います」

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