第 27 章 「供久米」
「どこに泊まる?」
「どこでも」
ふたりだけならどこにでも泊まることができる。国道にさえ出れば、モーテルが距離を測ったように一定の間隔で建っている。
「今の時間からだと、ああいうところしかないわねえ」
ピンク色のネオンサインを、ひとつやり過ごした。
「三人でも泊まらせてくれるのかしら」
「そりゃ、一部屋いくらなんだから、いいんでしょう」
車の中は程よく暖かかった。村から離れるにつれ、緊張感がほぐれてきた。
ひとしきり、ラブホテルに男ひとり、女ふたりで泊まるシーンをおもしろがって話していたが、生駒の携帯が着信音を奏で始めたことで、現実に引き戻された。
綾からだった。
父親が戻ってきたことを伝えてきた。朝になったら奈津の帰宅を確かめにいってくるという。
生駒は、結果を知らせて欲しい、明日もまた村に行くつもりだ、そしてもし朝早くから橘と久米が出かけていくようなことがあればすぐに教えて欲しい、と頼んだ。そして最後に、今日のことは誰にも言わないで欲しいと念を押した。
「それにしても綾ちゃん、よく納得してくれたなあ。あの子、ホントに変わってる」
この台詞を耳にするのはこれで何度目だろう。
「自分の父親を監視しておけ、っていうようなもんやからなあ」
「そんなもんやなくて、まさしく監視しておけっていうことやん」
「まったくや。父親をどう思ってるんやろ」
後ろの席から道長が加わってくる。
「そうはとらなかったんじゃないかな。彼女はあくまで奈津さんのことが心配なのよ。おばあさんが無事に帰ってきたら、それでオーケー。きっと、あの子、お父さんは完璧に信頼しているのよ」
「そうかもしれませんね」
「それにね、綾ちゃんはあなた達のことも信頼しているわ」
「そんなことはないでしょう」
とはいったものの、生駒もそれは感じていた。そして生駒自身も、綾を信じきっていた。
「ところで、あなた達、久米さんたちの財宝探しと、健治さんや恭介さんの事件とはどういう関係があると思っているの? そろそろ私達、きっちり話し合っておくべきときじゃない?」
ついに来た、と思った。
道長が今夜、自分も付き合うと言い出したのは、単に久米の財宝探しを諌めることが目的であろうはずがない。
生駒と優は、そのことについて道長と話すことを避けてきた。
ロードサイドのレストランでも、車の中でも、久米や橘が今どうしているのか、そしてそれを奈津がどのようにして阻止しようとしているのか、ということに限定して話していたのだ。口内炎が三つもできたときのような優の話し方にも、道長を意識する気持ちがありありと表れていた。
さっき、綾は潔白だと断定した優。
その前提に立てば、恭介殺害について橘は圏外となり、残されるのは久米・道長共犯説だけとなる。道長がそんな単純なことに、気がつかないはずがない。
「道長さんはどう考えているんですか?」
「わからない。まさかとは思うけど……」
「まさかって、どういう可能性があるんです?」
優が道長を攻め始めた。
「可能性というより……、話がずれてしまうかもしれないけど、聞いてくれるかな?」
「もちろん」
しかし、それから道長が話した内容は、生駒を驚かせ、ますます混乱させるものだった。
「平石の伝説には後日談があるの。采家の記録があるわ」
「はあ?」
サヨが山賊へ差し出されてから、数年が経った。
山賊は大西村の山中に鉱山を発見した藩によって成敗された。そして山賊の村は、鉱夫の村に姿を変えた。山賊のうち、投降したものは鉱夫として働かせたが、囚われていた女や子供はどうしたか。
鉱山で働かせることもできたが、元はといえば、山賊が近隣の村から強奪した女とその子である。
山賊集団が解体させられたことは、いずれ村人たちに知れることになる。しかも、食い詰めた村人たちの中からも、鉱山に働きに来るものが出始めている。結局、藩は女と子を鉱山で働かせることをあきらめ、出身の村に返すことにしたのだった。
サヨはそうして大西村、正確に言うと東村に帰ってきたのである。ふたりの子供を連れて。
ひとりは吾一の子、もうひとりは山賊との間にもうけた子だということだった。
村人たちがそんなサヨを、暖かく迎えたのかどうかはわからない。きっと違うのだろう。
村に戻ってきてからのサヨは、もうその名を名乗らず、供久米と自らを呼んだ。サヨの両親がつけたものか、サヨ自身がつけたものかは判然としないが、その名が意味するところは明らかだった。
そして、怨みを忘れない、という意味が込められている供久米という名は、サヨの死後もその子孫に引き継がれていくことになったという。
「記録にあったことは、ここまで。どう思う?」
「まさか……。その名が久米という苗字に……」
「そう。私の考えもね」
「久米さんはそれを……」
「私は話していないわ。でも、彼が知らなかったとしても、千寿さんや奈津さんみたいに古い人は、もしかすると知っているかもね。だって、千寿さんは几帳面な人でしょ。誰だか知らない人に、屋敷を預けたりはしないと思うの」
「うーむ」
「私は、采家としての贖罪の意味があるのかもって、思ってるわ」
「じゃ、大葉という苗字は? どういう由来です?」
「さあ、それはわからないわ。記録もないから」
車の中に沈黙が流れた。
カーステレオは、今の雰囲気に不似合いな「オペラ座の怪人」のテーマを流している。生駒はステレオの電源を落とした。
「あ、消さないでよ。もうすぐ盛り上がるところなのに。久米さんが知っていたのかどうか。案外さあ」
と、優が持論を唱えた。
「久米さんはそれを知ってて、あの平石を掘り出したのかも」
「そうかなあ。あのときの反応はそんなんじゃなかったぞ。心底びっくりして、恐れおののいたという感じやったけど……」
綾から平石伝説を聞いたときの久米の驚き方が、芝居だったとしたら、それこそファントム並みの役者だということになる。
ただ、生駒は頭の中で、道長がなぜこんな話を披露したのかと疑問に思っていた。
これでは、久米の立場を悪くするだけのことではないか。
「それで、道長さんの考えではどうなるんです? この事件は」
「わからない。でも、久米さんが財宝を狙っているだけならいいのよ。私はそんなもの、ないと思っているから」
三人は、さりげない声で話しているが、その穏やかさが、話が核心に近づきつつあることを示していた。
「実は財宝探しなんて関係なかったとしたら?」
道長が思い切ったことを口にしていた。
財宝探しなんて関係ないというのなら、先祖が受けた仕打ちへの復讐を行おうとしていると言いたいのか。あるいは、久米が犯人ではないと言いたいのだろうか。それなら、真相はどこにあると道長は考えているというのだろうか。
どちらとも取りかねたが、道長も自分で言い出しておきながら、わからないと首を横に振っていた。
「それになんだか胸騒ぎがしない? これまでにも人が死んだ。しかもなんとなく、これで終わりではないような気もする。誰が犯人だったとしても、今の状態が、犯人にとって満足できるもの?」
「それは……」
「違うと思う。きっと、まだ序章なのよ。なにも起きてないくらいに」
思い過ごしであって欲しいけど、そういってかすかに微笑んだ。
サヨの祟り、平石に宿った吾一の呪い。
そんな非現実的なことが、事件の根元にあるというのか。
クレバーで現実的な道長として、受け入れることができるのだろうか。
それとも、権現さんとトキの話をしたときのように、結界を張られたアマガハラノとそれを破る力を秘めた聞き耳頭巾の話をしたときのように、それはそれ、これはこれと、割り切った思考に切り替えているのだろうか。
ルームミラーの中の道長は、対向車のライトに照らし出されて、白い頬を見せていた。一瞬眼が合ったが、すぐに伏せてしまう。
「私、まだあなたたちに信用されてないようね。しかたないとは思うけど……」
優がカーステレオをつけた。クリスティーヌのソプラノが車内に流れ始める。
道長がポツリと、久米との馴れ初めを話し出した。十年ほど前に、あるパーティーで紹介され……。
しかし生駒は、もうほとんど聞いていなかった。
脳の回路が、あちこちでスパークしていた。
いろいろな出来事や、言い伝えや、人の声や顔が、暗闇の中で見た光景や音や匂いが、高速で頭の中を駆け巡っていた。
ありとあらゆる脳細胞で、それらが互いに絡み合ったり、反発しあったりしていた。
時が経てば、それらが自然に組み合わされてひとつの像を成すのかもしれないが、今の生駒にはとてもそうは思えなかった。
むしろ、大切なそれらの情報が、いつしか粉々になり、もはや修復さえできないほどの断片に粉砕されてしまうような気がした。
優が質問している。
「あ、そだ、道長さん。くりのきからすなって歌、知ってます?」
「懐かしいわね。知ってますよ。子供の頃、よく歌って遊んだわ」
「じゃ、村の人はみんな知ってるんですね」
「そうね」と、道長は、綾が言った通りの歌詞を、節をつけて口ずさんでみせた。
「いわゆる、あの子が欲しいっていう遊びみたいなものだったわ」
生駒はスピードを落とした。
神経が擦り切れていた。この状態で運転はもう続けられない。
「ここでどうです?」
「いいんじゃない」
「道長さん。申し訳ないけど、今夜はもうなにも考えられない」
道長が穏やかに笑って、頷いた。
「あなただけじゃないわ。私もそう。明日のことにしましょう」
「すみません」
「いいえ」
「ね、ノブ。三人で泊まれるか聞いてみようか」
「あら、冗談よ。あなたたちの邪魔はしないわ。私はひとりで寝ますって」




