呻吟/グレート・アトラクター
「失礼します、姫様。……あれ?」
戸に手をかける前に、鈴仙は部屋の主の不在を察知した。輝夜や永琳の波長は読みとりづらいけれど、部屋がもぬけの殻となっていればさすがに分かる。
喉が渇いた、と茶を淹れるよう仰せつかったのだが。
「ま、自由なのはいつものことか」
こんなことで腹を立てていては、永遠亭の腹心は務まらないのである。気を取り直して広域探査を始めようとしたところで。
――ぼちゃん。
水音に、耳がぴくりと動いた。
――ぼちゃん。
――ぼちゃん。
断続的に繰り返されるそれは、人為的なものに違いなかった。兎の遊びが立てる音にしては遠慮がちで、少々呑気が過ぎている。庭池に石か何かを投げ込んでいるのは姫に違いない。
茶が冷めないうちに、と足早に縁側へ向かう。
「もう、お行儀悪いですよ、姫さ……ひぃっ」
「ありがとうイナバ、そこに置いておいてもらえる?」
「え、え、え、姫様、どうしてそいつら……いや、その方々がここに?」
盆を取り落とさなかった自分を褒めてやりたかった。なぜなら、そこにいたのは。
「あら、今日も綺麗ね、鈴仙ちゃん」
「うわ、純狐がナンパ男みたいな台詞ゆってるぅ」
「ヘカーティアよ、それはどういう意味かしら?」
「あー、意識もしてない感じかー」
「あらあら、うちのイナバったら本当にモテるのね」
「いや姫様、どうしてその面子で女子会みたいな談笑できるんですか」
永遠亭、暖かい昼下がりの縁側。そこはもはや魔窟と化していた。
月の姫君に並び腰掛けているのは、月を怨敵と憎むはずのふたりである。純狐、そしてヘカーティア・ラピスラズリ。月都を敵に回して平然と立ち回る両名は、いずれも永琳より最重要の危険人物として警戒対象の筆頭に挙げられている。
当然、許可無く輝夜と接触することなど許されようはずもない。
「師匠の不在を狙うとは……不覚」
「あははは、まんまとしてやられた、って顔してるわぁ。すーぐ顔に出るのよねぇ、兎って」
「しかし、不在を狙ったのは私ではないわ」
「え、それってどういう」
「呼んだのは私よ、鈴仙」
――ぼちゃん。
水飛沫が上がる。石を放り終えた指をすらりと伸ばしたまま、輝夜は僅かに微笑んでみせる。
一瞬だけ、鈴仙は呼吸を忘れた。絵画のような光景だった。これ以上に美しいものなんて、この世にないと確信できてしまえるほどの。
邪欲が湧き上がる。貴き主をこのまま浚って、自分だけのものにしてしまいたいという衝動。
――深呼吸、ひとつ。
それを飲み下すことにも、いい加減慣れてきた。
「永琳はまだ帰ってくる気配が無いし、情報を共有するならいまのうちだと思ってね」
「でも、でも、よりにもよってこのふたりを」
「永遠亭の沽券よりも優先するべきものがあるでしょう」
だからといって主御自ら警戒対象を招き入れたのでは、警備主任の立つ瀬が無い。もしもこれが師匠にばれたとして、怒られるのはたぶん自分なのである。
「はぁ、とりあえずお客様にもお茶をお持ちします」
「気持ちだけ受け取るわ。時間も惜しいしねぇ」
「鈴仙もそこに座って頂戴。貴方にも聞いてほしい話だから」
そういって輝夜が純狐の隣を指すと、仙霊の表情がぱぁっと明るくなった。
思わず、怯んでしまう。向けられているのは、子供のように純粋で、根拠の無い好意。鈴仙のもっとも苦手な感情だ。どうしたら良いのか、ぜんぜん分からないから。
「大丈夫よん。捕って食いやしないから」
「いや、その……。まぁ、はい」
ぎこちなく、こじんまりと座る。一点の曇り無き喜悦の波動が、背後でうねうねととぐろを巻いている。落ち着かない。
「月のお姫様というのも大変ねぇ。側近の頭ががっちがちに固いと特に」
「適当でわがままな私とバランスが取れているんだから、これで良いのよ。だから、たまのこういう仕事は私が引き受けないと」
「あらまー、本当に部下思いだこと。すっかり人間になっちゃったの?」
「どうかしらね」
姫君と女神はくすくすと笑いながら、互いの腹を探り合っている。あちらのほうがまだましだ、と鈴仙は思う。単に害意だけを警戒していればいいのだから。
「それで、鈴仙」
「! はい」
意識を輝夜へと戻す。
「あのイナバは、まだ潜んだままなの?」
「えぇ。不気味なくらいに静かです」
あのイナバ、とはもちろん朧帆を指している。鈴仙たちが朧帆と接触してから二週間が過ぎた。結界の外で行われていた浄化戦争は、その侵略が中座したまま、彼女は完全に行方を眩ませている。月兎通信の回線にも何ら動きはない。
壊滅的な被害を被ったという外の世界と比べると、幻想郷は不気味なくらいに普段通りだ。永遠亭にも嘘みたいに平和な時間が流れていた。輝夜が解いたはずの永遠の魔法。外敵を、変化を拒む術。まるでそれが、いまもまだかかったままでいるみたいに、空は穏やかに晴れ渡っていた。
けれどどこかで、まだ街が燃えている。数え切れない者が死に、そしてまだ多くの者が死の淵に瀕している。
「だけど、こころさんを……面霊気を地獄の奥底に隔離したんだから、作戦完遂は不可能なはずです。お師匠様はそう言って――」
「完璧じゃないからねぇ、永琳だって」
輝夜の手元から小石が放物線を描いて。
ぼちゃん。
「ツクヨミは論理の化身。策が潰えたならば、すぐさまそれを放棄するはず。しかしまだ、局面はそこに至っていない。まだ私たちの見落としている何かがあって、敵はそこに付け込むつもりでいる。永琳もそう考えているでしょう」
波打つ水面。見慣れた波形。時とともに減衰していく波高が、反射光の明滅サイクルを少しずつ伸ばしている。青い空。白い雲。揺れている、まだ。
永琳は是非曲直庁からまだ戻ってこない。留守を預かる身には不安の種は尽きない。お師匠様がいるのといないのとでは、鈴仙はもちろん、兎たちの落ち着きに天地の差がある。永琳の指揮に従ってさえいれば間違いは無い。そのことを誰もが深く信じているからだ。
「お師匠様が、見落としている……?」
だから鈴仙にとっては、その一点が何よりも恐ろしい。
月ー地球系内で随一の頭脳、その思考の盲点。そんなものを突ける敵が存在するということそのものが信じられない。
「向こうの次手が見えなければ敗着よねぇ。参ったわ。純狐、どう思う?」
「……ふむ」
喜悦の波動が、即座に怜悧な復讐者の憎悪へと切り替わる。
「大がかりな策ほど、根は単純なものよ。惑星ひとつを灼き払おうという大規模なものなら殊更にね。ゆえに、『見落としている』という事実そのものがおかしい。見えていても防ぎきれず、対策が必要というのならまだしも」
「一理あるわね。隠し玉を用意しようにも、隠しきれるものではない」
「可能性はふたつ。作戦継続自体が根拠の無いブラフであるか、もしくは二の矢が私たちには感知できない何かであるか。前者ならば良し。けれどもし後者であるのなら」
「か、感知すらできない脅威に、どうやって対抗するっていうんですか?」
「落ち着いて、鈴仙ちゃん。先に言ったように、策自体は単純なものであるはず。つまり向こうは、辿り着く算段があるのよ。無間地獄の最下層にね」
「そ。だから私を呼び出したわけでしょ。あの薬師の目を盗んでまでね。向こうの手の内が分からなくとも、目標がはっきりしているなら妨害のしようはある」
ヘカーティアが頬杖とともに、にやりと笑った。
「ま、永遠亭の思惑どおりというのは気に入らないけどぉ、今回の相手はその何万倍も気に入らないし。敵の敵はなんとやら、ということで」
「話が早くて助かるわ。それじゃあ早速、無間地獄について教えてもらえる?」
「とは言ってもねぇ。私もよく知らないのよね、実は」
「えぇ……」
鈴仙はヘカーティアへ訝しげな目を向けた。仮にも地獄の女神を名乗っているというのに。
それを不服としてか、地球色のヘカーティアはわざとらしく頬を膨らませる。
「あれはアンタッチャブルな領域なの。危険揃いの地獄界の中でも、別格にヤバい場所。地獄っていろいろあるけど、基本的には死者の魂から不純物を濾し取る場所よ。だから様々な責め苦でもってデトックスするわけ。私も是非曲直庁も、その機構に対する権能は確かに持ってる。けど、無間地獄の最下層はその機構に属していない」
「地獄なのに死者と関係ない場所、ってことですか?」
「表層はまだ活用できてるんだけどね。中層より深い場所は危険すぎるっていうんで、最低限の調査しかされてないわ。そもそも地獄のすべてが死者のための施設という捉え方が間違ってる。死者を集めるために設立されたんじゃなく、死者の魂が溜まる場所が自然と発展してきたって経緯だもの。それも地上の宗教観に合わせてね。計画性なんて無いのよ、ぜーんぜん」
「ということはつまり、いま無間地獄と呼ばれる場所は、地獄界が成立するより前から存在するわけね」
「そう。そして誰も――この私を含めて――その謂われを知らない」
「でも、最低限の調査はされたんでしょう。貴方もその結果を知っているんじゃ?」
「そりゃ知ってるわよ。結果は単純。調査隊は帰還せず、全員行方不明扱い。デーモン、死天使、鬼、神霊。地獄の東西も問わないワールドワイドな精鋭が、為す術なく闇に呑まれてしまった」
「帰還せず、って……」
鈴仙は言葉を失う。目的を果たせずに戻ってきたならまだしも、誰一人帰らないというのは異常事態としか思えない。
「何かに襲われて全滅した、ってことですか?」
「それも不明。いっさいの情報は得られていない。ただ――失踪宣告の前にある異常が報告されている。定時に行われるはずの状況報告がずれ始めた、らしいのよ。それも、どんどん間隔が短くなっていく。ベース側からの念波通信は途絶しているから、こちらからそれを指摘することもできない。四時間ごとのはずだった定時報告は、失踪直前には秒間百回を超えるまでになっていた」
「それってやっぱり、襲撃されたってことなんじゃ」
「加速が時間にぴったり比例しているのよ。こんなことを意図的に行う意図が分からない。だからこれは人為的なものではなく、通信そのものが歪んでいるという可能性が高いわ。おそらく、時空間そのものが狂っている。……そうね、ひょっとしたら、そこのお姫様なら何か分かるんじゃない? 永遠とか須臾とか、時間は専門よね、貴方」
急に話を振られた輝夜だったが、ほんの僅かに首を振るばかりだ。
「時の流れがおかしいんだろうということは分かるけれど、でもそれだけよ。わりといろんなところでおかしくなるからねぇ、時間」
「そんなほいほい狂うものなんですか?」
「鈴仙は見たことないでしょうよ。まぁ、そこの神様がたも同じでしょうけどね。ハレーションまでの宇宙初期、あるいはほとんどの物質がブラックホールに呑まれ、それすら蒸発してしまった後の宇宙終焉期。そういう環境では時間なんて在って無いようなもの。光と熱の定常物質宇宙なら誤差はほとんど気にならないけれど」
「それはつまり、無間地獄の最下層は地球にも月にも存在しないレベルの極限環境ということでは……」
今更ながら、全身が怖気立つ。
そんな場所に、秦こころは生きながらにして放り込まれたのだ。
「四時間ごとの定時報告が一秒間に百回まで加速しているとして、単純計算だけでもこちらの一秒間が向こうの四百時間。おそらく、深く潜るほどに時間の流れが乖離している。この宇宙そのものから離れているんだとすれば、辻褄が合うわ」
「しかしそれでは、面霊気の寿命が尽きるのが先ではないの? 八意の策略に穴があるとしか思えないのだけど」
「いいえ、逆よ。この宇宙から離れていくということは、トコツネそのものに接近していくということ。生命そのものは、根源よりの加護を受けてむしろ活性化して、衰弱死することは無くなるはず」
「じゃあどうして、調査隊は全滅したのよ」
「通信途絶しただけでしょう。きっとまだ生きている。向こうの感覚で何億年経過したかは分からないけど、どこかの時点で通信を行える精神状態ではなくなったんだわ。意思無き無生物は宇宙を脱出できない。ということはつまり、無間地獄の最下層には何も無い。言葉通りの意味で、物質が何一つ存在しない。超銀河団に囲まれたヴォイドよりもなお空虚な空間でしょう。ただの生命がそんな場所に長居していれば、魂が生きていても心は喪われてしまう」
「んー、なるほど。それなら確かに、無間地獄は最適な隔離場所という結論になるわ。対象を永遠に生かしたままにしておきながら、敵の手は届かない場所。地獄へ沈み続ける面霊気に、追跡者は絶対に追いつけないんだもの。……だけど、ねぇ」
ヘカーティアが溜息と共に言葉を切ると、それっきり沈黙が場を支配した。
輝夜の説明の通りだとするならば、秦こころはただ封じ込められただけではない。こちらよりも時の流れがずっと速い空間に押し込められたことになる。こちらでの一秒間が無限地獄最下層で四百時間になるのなら、時間の速度は百四十四万倍。すでに二週間が経過しているのだから、その百四十四万倍の時間は――。
「五万五千年……!」
それも、限りなく楽観的な試算で出た数字である。
「エッグいわぁ、あの薬師。知ってたけど」
「地獄に落とすよりもなお惨い所業と知ったうえで、面霊気を生かし続けるためそこへ放り込む。主君を救い、ついでに世界を救うため、鬼となったというわけか。しかし、旧き姫君よ。敵がまだ諦めていないというのなら、いったい何を企んでいる?」
「それが分かれば苦労しないわよ」
輝夜は苦笑と共に両の手をひらひらと振った。
「だからここからは、思考実験みたいなものよ。時間の伸長に抗って、沈む面霊気に追いつく手段は果たして存在するのかを考えないと」
「追いつく、って実際の彼我の距離は考慮しなくていいの?」
「距離はたいして重要じゃないわ。というか無間地獄の最下層も、実際の深さは100kmも無いんじゃないかしら。もっとも非ユークリッド的に歪んでいる可能性は否定できないけど」
「ちょっと、どういうことよ。たかが100kmを潜るだけで何万年もかかるってこと?」
「『宇宙の果てを超える』という行為が、『どこよりも遠い場所へ辿り着く』と定義されるからそうなるの。だから必然的に、意識下で『永遠に等しい時間がかかる』という結論が生じてしまう。つまり――この定義のどこかを無視さえできれば、時間の影響を経ることなく無間地獄に潜ることができるわね」
「いやもう、そんなおゆはんの献立思いついたみたいな顔で言われましても、私にはもう何が何だか……」
「重力に抗って宇宙を脱出できるのは意思を持つ者だけ。けれどそれが身体と精神から成る生者であるなら、経過する永劫に等しい時間を耐えることができない。たとえ朧帆が生きることから限りなく離れることに成功していたとしても、地上の民であることを止めるには至らない。何百億年も歩き続ければ、抜けることは可能でしょうけど」
「式神とか、機械に任せる?」
「無人機構も、造り手の意思が介在する限り同じ結果になるわ。道具は身体の延長線上に位置すると考えてもらえれば分かりやすいかしら。その意思が主から独立することもあるけれど。つまり――そうね。たとえば意思が無いままに生きている者がいるのなら、それは無間地獄を通り抜けることができるかもしれない」
「いるわけないでしょ、そんな草とか花みたいなやつ」
地獄の女神は鼻で笑い飛ばした。
「そもそも意思が無いのに、どうやってこっちの目的を理解させるのよ」
「意思というのは言葉の綾よ。『意識』という表現のほうがより正確だけど、『意識の無いままで生きている』って言っちゃうと、まるで気絶してるひとみたいじゃない」
輝夜の白い指が、地面の小石をまたひとつ摘みあげる。
そして、放り投げる。
――ぼちゃん。
「時間は不連続であり、須臾という極小の単位が積み上がって構成されている。けれど地上の民にはそれは小さすぎて、連続しているように見える。そう、『見え』ているのよ、意識の中ではね。貴方たちの時間認識は、常に意識内の観測結果としてもたらされるというわけ。つまり私が言いたいのは、何ひとつとして意識することなく、完全なる無意識下で生きている者。それなら時間の経過すら意識することが無いんだもの」
「やっぱり樹木みたいなやつじゃないの。いや、植物だって周囲の状況は感覚するはずだから、もっと下か」
「私にも信じられない。そのように生きているということは、誰に相対してもなんの感情も持たない者ということ。そして我々がそれに相見えてもまったく意識しない者ということになる。そんな者が存在し得るだろうか」
「そう、理屈の上ではそのとおり。そんな生命が生きていられるはずがない」
姫君が手を叩いて指先の砂を払うのを、ヘカーティアは横目で見ている。
「その誰かさんにとっては、地上も無間地獄もなんら変わりがない世界なんだもの。荒涼とした世界の中、何を感じることもなく、何を感じさせることもない。虚無の中を何億年も歩き続けるのとまったく同じよ。でもね……嫌な予感がするの。これは私がかつて月人だったせいもあるのかもしれない。彼らは意識や感情に囚われずに存在と認識を継続する、生きていない存在。だから意識も無意識も関係なく認知できる。地上に降りてしまった私と永琳には失われてしまった機能だけど、もしかしたら感覚だけは残っているのかもしれない。論理を優先する永琳は、無視できる確率だとして検討候補から切り捨てているでしょう。でも、私にはどうしても無視できない。『完全無意識下で生きている者』がこの世界に存在する可能性を、どうしても排除できないのよ」
ふわり、と輝夜が立ち上がる。そして三人を振り返った。
息を呑む音が誰のものだったのかは分からない。もしかしたら鈴仙自身のものだったのかもしれない。目の前にはただ完璧が在った。これ以上など無い美がそこに立っていた。傍らのふたり、月を怨敵と呼んでハバカらない神々ですら、言葉を失っていた。
これが蓬莱山輝夜である。肉と血と骨の檻に封じられてなお、ひとを狂わせ世界を乱す、少女原初の美。
「私が貴方たちを頼る理由はこれなのよ。永琳が討ち漏らした敵策を挫くためには、貴方たちが必要なの。地上の民でありながら月に刃向かった。世界の理にひとつ、抗ってみせた。生命の理を踏みにじろうとする敵に立ち向かうには、これ以上ない戦力でしょう?」
「……月の民に認識が可能ということは、当然ツクヨミにも認識されてる可能性大、ってことよねぇ。もしもそれが敵の切り札なら、もう妨害のしようが無いんじゃない? だって先に確保しようにも、探すことが不可能なんだもの」
「あら、何も探せとは言わないわ。敵はその切り札と一緒に無間地獄へ進入しなければならず、その入り口はひとつしか無い。なら、私の言いたいことは分かるわよね?」
「貴様、まさか」
純狐の声に、力が無い。月都が恐れる仙霊を、輝夜は身ひとつで圧倒し、あろうことか怯えさせていた。
「……私に、何をしたの? あり得ない。こんな、こんな結論になるはずが無い。貴様の言わんとしていることは分かった。分かったうえでなお、私はいまそれを……呑もうとしている。そんな馬鹿な話があるものか。普段の私なら意にも介さず貴様を殺しているはず。どんな魔法を使った? いつの間に、こんな術に」
「いやぁ純狐、違うわ。このお姫様、そういう手段を使ったんじゃない。仮にも魔女の神である私に気付かれずに魔法をかけたってんなら、大したタマだと思うけどね。たぶん、そうじゃない。この女、意識のもっともっと深いところに、何かの楔を打ち込んでいる。それも、とっくの昔に」
「察しが良くて助かるわ」
くすくすと、輝夜が笑う。
それだけで、世界が輝く。
彼女に逆らうことなど、あり得ない。不可能なのではなく、そもそも逆らおうという考えに至らない。世界は少女のために在る。地球は少女のために回る。それを維持するためになら、どのような犠牲だって肯定される。
「貴方たちは私に逆らえない。地上の生命のすべて、微生物、獣、人間、妖怪、神に至るまでその悉くは、私を望まずにはいられないのだもの。今から五億年前、地球に降り立った私を貴方たちが目にしたそのときから。まだ平凡な原始的生物に過ぎなかった貴方たちは、私の姿を一目見て狂い、多くが死んだ。生き残った者たちは、私に遺伝子も模倣子も汚染され、常に私の姿形を求めるようになった。カンブリア爆発を経て、貴方たちは私に追いつくために生き、産み、死に、繁栄と滅亡を繰り返し、進化を続けた。この星の生命は、すべて私になるために、少女になるために生きている。そしていま、私の目の前に貴方たちがいるのよ。貴方たちは逆らえない。逆らえるわけがない。その身体の隅々にまで、私が刻印されているのだから」
なんて。
なんて。
なんてうつくしいのでしょう。
生命である限り知り得るはずのなかったほんとうの美。星の終焉に、生命の超越を望む文明へ、生きるものの何もかもと引き替えにして教授されるはずの究極の美。それを彼女は、まだ幼い原始生命に見せつけた。そして歪めた。この惑星の何もかもを。
なんてうつくしいのでしょう。
これいじょうのなにかが、せかいにひつようでしょうか。
「私が蓬莱の薬を飲んだのは、地上の民となって、貴方たちをもっと近くで見たかったから。だって、私への憧れというその一心だけで、ついに少女の形になれる生命が生まれたのよ。肉と骨と血による粗雑な模倣で、その寿命の僅かな期間のみだとしても、それは確かに私と同じ形をしていた。私はね、本当に嬉しかったの。貴方たちのことを愛しく思うのは当然のことでしょう。だからこの惑星を、生命を、ツクヨミの好きにさせたくはない。それを防ぐために取れる手段は、何だって選ぶ」
だから、あなたがしねとおっしゃるのなら。
「さぁ、貴方たちに難題を出すわ。無間地獄の入り口に、朧帆は必ず、面霊気に追いつくための秘策を携えて現れるでしょう。彼女を正面から迎え討ちなさい。えぇ、貴方たちが勝てない相手であることは百も承知よ。そのうえで私は口にする。命と引き替えてでも果たしてもらう。敵の切り札の奪取、あるいは無力化。どんな手を使ってでも、よ。それは地上の民の十八番よね?」
――わたしは、そのようにいたしましょう。




