情報/インタールード#5
是非曲直庁インタビューログアーカイブ
ち‐〇三八八‐八
インタビュー対象:八意永琳
インタビュアー:四季映姫ヤマザナドゥ
「明日は槍でも降りそうです、などと言っていたかもしれませんね。平時ならば。よもや貴方が是非曲直庁に直接の情報提供とは」
「そんなに永遠亭は排他的だったかしら」
「そういうわけでもありませんが、不老不死の人間なんてものは我々から見れば不可解以外の何者でもないですから。定められた寿命を拒み続ける仙人や天人と違って、初めから寿命そのものが定められていない。ゆえに手の出しようもない。端的に言えば、管轄違いとでも申しますか。蓬莱人は我々とは関わらないもの、という思い込みも多分にあったのかもしれません」
「それは心外だわ。姫様も私も、ついでにあの竹林の鳳凰も、幻想郷のいち住民であることに変わりはありません」
「うーん、思ったよりも所帯じみているというか、不老不死というのもやはり大変なのですね。それで、今日のご用向きは?」
「侵略者の焼却作戦が失敗したので、今後の方針について献策を、と」
「……いま、なんと?」
「月都の作戦は失敗しました。例の月兎兵は健在です」
「そ、そんなわけないでしょう。あれだけの光と熱で、都市ごと焼き払ったというのに。月人の滅茶苦茶な作戦のせいで、いったいどれだけの犠牲が出たと」
「人間に限っても、即座にプラズマ化した者は二千二百八十二万六百三十。今後四十八時間以内に死亡する者はその三倍ほどいるでしょう。動植物や微生物、ウイルスまで含めれば百三十九穣ほどの……」
「具体数を聞きたいわけじゃありません。それだけの犠牲を払っておきながら、作戦失敗の一言で片づけるおつもりなのかと言っているんです」
「もとより五分五分の策でしたので」
「……月人に常識を求めた私が馬鹿でした。とにかく、貴方はこう言いたい。人間も都市も大地も、直径数百キロの範囲を一瞬で気化するレベルの熱兵器で、たった一匹の月兎を殺し損ねた、と。私にはとうてい信じられない事実なのですが」
「生きていないものを殺すことはできません。朧帆はすでに生命の域を脱し、トコツネの頸木を外しかけている。最悪の予想が的中しました。ツクヨミは予想以上に本気でこの策を進めているようです。こうなればもはや討滅は不可能。我々はツクヨミの目論見を阻止することに全霊を注がなければならない。トコツネが害されてしまえば、惑星や生命圏の喪失以上の甚大な被害が、代々の宇宙へ永久に残ることになる」
「ま、待ってください。理解が追い付かなくなってきた……」
「そして私は、何よりもまず輝夜を護らなければならない。トコツネの消滅とはすなわち蓬莱人の消滅。蓬莱の薬でこちら側に墜ちてきてしまった私たちには、すぐにトコツネの頸木から逃れることは難しいのです」
「前提の情報から整理しましょう。貴方にとっては自明の理であるとしても、我々には何のことだかさっぱり分からないのです。トコツネやらツクヨミやら、それはいったい何なのですか?」
「宇宙外部次元に存在を確認しているふたつの意識体を、月都はそう呼称しています」
「……は?」
「それらの目的が何であるのかは判明していません。姿形が分かるわけでも、意思疎通ができるわけでもない。しかし宇宙に及ぼす影響は大きい。とくにトコツネは、ハビタブルゾーンに相当する場所に無造作に生命を発生させるという強大な能力を常に行使し続けています。魂、涙、そして希望。そういったものを大量に注ぎ込むことで、ゼロから原初の生命が生まれる。それらはより多くの希望を求め、大きく複雑な生命に進化していく。一億以上の宇宙で、トコツネは同じことを繰り返しています。もちろんこの宇宙においても、地球においても例外ではない。この惑星に生きるすべての生命は、トコツネのもたらす希望によって生まれ、生かされているのです」
「では、ツクヨミとは? 月にも同名の御方がおわすはず」
「ツクヨミは、普段は黙したまま語らぬ存在です。月都において、月夜見という言葉は本来なら役職名を差します。ツクヨミの意思を測るための、人間でいうところの巫女のような立場です。『穢れを拒め』という一言を彼女が受け取って以来、ずっと同じ者がその位に就いているため、もはや個人と結びついてしまった名ですが」
「読みが同じだけでまったくの別人だと。なるほど」
「トコツネが狂ったように生命を発生させ続けるのに対して、ツクヨミはそれを咎めているものと考えられています。両者の関係については推測しかできません。親と子、配偶者、権力者と反逆者。いずれにせよ、宇宙における生命という概念において正反対の意見を持っていることは確実と思われます。ツクヨミは生命を嫌う。そのためトコツネによって生まれた生命圏は、たびたびツクヨミによって滅ぼされます。その様子は義務的な対応というよりは、癇癪に似ています。貴方にも分かり易いよう喩えるのなら、玩具を片付けない子供を激しく叱る母親のような」
「つまり今回の事件は、そのツクヨミによる大掃除の一環だ、と」
「そうであれば良かったのですが、事態はもう一歩踏み込んだところまで進んでいます。閻魔様、想像してみてください。親宇宙から子宇宙へ一億世代を繰り返し、平行宇宙まで含めれば数千京を超える宇宙の中で、何度咎めてもトコツネは生命を氾濫させることを止めようとしない。そんな隣人に嫌気が差したとしましょう。その者が次に考えることは何だと思いますか?」
「まさか、ツクヨミはトコツネそのものを排除しようとしている……?」
「その通りです。生命圏を幾たび滅ぼしたところで、次の生命圏が別の惑星で生まれるだけ。延々と続く鼬ごっこに過ぎません。喧嘩なら彼らの本来存在する次元でやりあっていただければと思うのですが、ところがツクヨミはこの四次元宇宙でしかトコツネにコンタクトできない様子なのです。両者のやりとりのすべては生命の繫栄する地点で行われているものと考えられています。今回の穏やかでない行動も例外ではありません。ツクヨミはこの惑星を通じて、トコツネへ刃を届かせようとしている」
「その刃が、あの月兎兵というわけですか」
「仮にツクヨミの企みが成功してしまった場合、トコツネの民である通常の生命体は希望の供給を失い、生存が不可能になります。そしてトコツネが存在しなければ新たな生命も生まれないため、宇宙には未来永劫生命が存在し得ないということになります。月都はそれを望ましい展開とは考えていない」
「月の民は、トコツネが消滅しても生きているというのですか?」
「月の民も、元より生きてはいません。生命とは、肉体と精神の両方に依存しなければ存在できない者。それは星の寿命と運命を共にしなければならないという事実を示しています。月人はそれを超越した者。星の終わりを、宇宙の終わりを超えるために、肉体も精神も捨て去ったことで存在を開始した者なのです。すでにそれは生命ではなく、トコツネの希望にも依存していない。しかし……輝夜と私は違う」
「トコツネの消滅とは蓬莱人の消滅、と先ほど仰っていましたね」
「蓬莱の薬とは、トコツネの分泌する希望そのもの、涙の原液です。生命体のすべてはこれを微量に所持しています。生命のエキスと言っても良い。これを服用した者への効果を一言で表すのは難しいのですが、トコツネと一心同体になると捉えていただければ結構です。本来なら気の遠くなる時間を要する涙の循環を、死亡した瞬間に完了させてしまう。姫様はそれを飲み、断ち切ったはずのトコツネとの接続を回復してしまわれた。いまの姫様は希望の化身です。ゆえにトコツネが消滅してしまえば、輝夜もまた」
「……貴方が積極的に動いた理由は理解できました。いや、理解できない事柄ばかりで混乱しているのですが、とにかく貴方は生命圏を護るために力を貸したい、利害は一致していると、そう仰りたいのだということは分かりました。しかし、相手は月都ですら討ち滅ぼせない規格外の存在です。それにどうやって対抗するというのです」
「もはや朧帆に勝つことはできません。しかしあの刃をトコツネに届かないよう対策することは可能です」
「勝てない相手をどうやって押し留めると?」
「押し留めるのではありません。先ほど申し上げたように、ツクヨミはこの惑星のどこかでトコツネを殺すつもりなのです。必然的に、トコツネそのものが世界のどこかに存在している必要がある。それも殺害が可能な生命の形で。それを見つけ出し、殺されないように隔離すれば良い」
「そんな者がこの世界のどこかにいる、と? それをいまから探すつもりですか?」
「いえ、もう見つけています。三年前、私は妖怪の山に呼びつけられ、傷だらけの謎の妖怪を診察しました。その少女は膨大な感情をいっさいの制御なく垂れ流し、周囲に多大な影響をもたらし続けていました。付喪神のようにも見えましたが、それにしては様子がおかしい。少女はあらゆる意味で疲弊していましたが、本体であるはずの六十六の面には傷ひとつ付いていないのです。奇妙な現象でした。それ以来、感情の制御を学び成長していく少女を、ウドンゲに命じて追跡してきました。彼女の巻き起こす感情奔流の正体が、トコツネの根源へ直に接続することによる希望の超過剰供給である、ということに気が付いたとき、私は愕然としました。そんなことができる生命が自然に発生する確率は、熱的死を迎えた宇宙から子宇宙が弾ける毎秒の確率よりもなおごくごく低いものです。そして宇宙の外には、トコツネを殺したくてうずうずしている者がいる。状況から推察すれば、その少女は人為的に生み出されたものと考えるのが筋です。すなわち、ツクヨミの手によって現世へ引きずり出された、トコツネの核であると」
「六十六の面……感情奔流……そんな、まさか」
「是非曲直庁も、その正体をずっと追っていたのでしょう。浄玻璃の鏡に映らない妖怪を。そう、面霊気、秦こころの正体は、トコツネそのものです。過去すべての宇宙に存在してきたすべての生命圏、それを生み出し続けてきた希望の原動力そのものなのです。ツクヨミは、聖徳王の面をトコツネに接触させることで、彼女を生み出させた」
「では、彼女は、殺されるために生み出されたのだと?」
「朧帆の第一目標はそれです。火器で殺害できるサイズのすべての生命を排除すれば、そこには必然的に面霊気も含まれる。さすればトコツネも死に、ありとあらゆる生命を道連れにできるわけですから」
「面霊気は、このことを知っているのでしょうか」
「気付いていません。ウドンゲのカウンセリングでも、自身の正体が付喪神であることに微塵の疑いも持っていないことが分かっています。たとえ分かっていたとしても、手の打ちようは無かったでしょうけれど」
「それでは、どうするのです? 面霊気を、月兎兵が絶対に届かない場所に隔離するとして、その場所とは」
「それこそが、今回私がここに来た理由です。この世界で唯一、朧帆がどんな手を使おうとも侵略できない場所がある。ツクヨミの尖兵と化すことで、彼女は現宇宙でもっとも強大な力を手に入れました。トコツネの頸木を外した彼女は、しかしだからこそ、トコツネ由来の機構には一部手を出せない。それは生と死によって紡がれる、魂涙循環系。是非曲直庁の管轄する、魂の循環そのものです。いくら恒星系を破壊する権能を与えられていようと、朧帆にも不可能なことはある。彼女は、――三途の川を渡ることができない」
「……つまり、彼岸に面霊気を連れてこい、と」
「それだけでは不十分です。万が一にも彼女を死なせてはならないのですから、三途の川を起点にして、ありとあらゆる攻撃の射程が届かない地点でなければならない。朧帆に与えられた力は極大です。SM-Xミサイルやパシウスロケットを無数に複製したことからも分かるとおり、おそらく彼女は、『武器』という概念そのものにアクセスし、望む『武器』を自由自在に望むだけ具現化できる。人間だけではありません。地球四十五億年の歴史の中で、生命が生き延びるために『武器』として使用したことのあるあらゆるものを、です。類似した能力を、彼女はもともと持っていたのでしょう。地上の民の中にも類例はあります。それをツクヨミは拡張し、彼女を手の付けられない兵士に変貌させた。ゆえに、想定される攻撃はあらゆるすべてでなければならない。どんな手段をもってしても干渉できず、いかなる武器であっても射程外であると保証できる、三途の川からもっとも遠い場所へ、面霊気を生きたまま隔離しなければならない」
「……………………」
「貴方も、もうご理解いただいていると思いますが」
「だ、駄目です。それは、それだけは認可できません。貴方は、ご自分が何を仰っているのか、理解されていない」
「いいえ、理解したうえで提案しています。面霊気を、無間地獄の最下層へ収容してください。生きたまま、決して死なせないように、です。事ここに至り、私から差し上げられる解決策はこれをおいて他にありません」
「だからって、だからってそんな……。そもそも最下層は死者の収用にすら使っていない階層です。無間地獄の表層の八千階で、その役割は十二分に果たされています。最下層とは便宜上の呼称であり、実際には文字通りの無限の深さまでそれは存在している。これまでに数えられた最も深い場所を最下層と呼んでいるに過ぎない」
「定義はこの際どうでも良いでしょう。隔離場所は深ければ深いほど良い」
「……最下層に至ったのは、ある堕ちた神の成れの果てである悪魔の魂でした。責め苦に抗い、我々の制止も振り切って、無間地獄の奥へ奥へと逃げていったのです。是非曲直庁は、まだそれがそこに残っていることを確認しています。いえ、残っているというより、固定されているのです。我々は、最下層では時間の概念が異なるのではないかという仮説を立てています。それは指一本も動かせないまま、光も熱も無い空間で、永遠に極限の苦痛を受け続けているのです。引き上げる手段を、我々は確立していません。そんな場所に、面霊気を生きたまま幽閉するだなんて……」
「時空間が歪曲しているのであれば好都合です。現宇宙の時間軸から見れば、彼女は永遠に生き続け、寿命を迎えることはないでしょう。朧帆は絶対に、その作戦目標を達成することはできない。貴方がた地上の民は勝利できないかもしれませんが、逆に相手を勝利させることも無いのです」
「しかしそれは、あまりにも惨すぎるではないですか。絶対零度に凍え、無酸素に窒息し、身動きすら取れない場所で、永遠に死ぬことができないなどと……」
「いずれにしても、彼女が殺されてしまえばすべては終わりです。それだけは絶対に避けなければならない。繰り返しますが、それを達成するために必要な措置について、私は他に案を持ちません。非道であることも、超法規的措置であることも理解しています。そのうえで私は、貴方がた是非曲直庁のご協力を頂くべく、こうして参上している次第なのです」
「……生も死も、徳も罪も、すべては平等です。王も奴婢も、鳥も虫も、閻魔の前では区別無く裁かれる。そうでなければなりません。我々の職務は、その平等を何者にも侵させないことなのです。貴方の仰ることは、理屈の上では正しい。しかし是非曲直庁の理念に照らすなら、これは我々の存在意義に対する冒涜とすら言える提案です。面霊気に罪が無いとは言えないでしょう。けれど、そんな責め苦を与えられる謂れはどこにも無いはず。不平等そのものではないですか」
「四季殿、貴方が幻想郷の裁判長であることを嬉しく思います。貴方の信念は本物です。すべてを遍く愛しく思うその御心、敬服を禁じ得ません。しかし――もう間もなくでしょう。十王からの通達があるはずです。私の策を採るように、と」
「貴方……いったい何を」
「すでに目ぼしい勢力へ手は回してあります。摩多羅神、そしてヘカーティア・ラピスラズリが協力を受けてくれました。高天原、天部、オリュンポス山、ガーデン・オブ・エデン、須弥山、アトランティス、アスガルド、ティル・ナ・ノーグ、アアル、アガルタ、月の山脈、ニライカナイ。いずれの勢力も、おそらくは同じ回答を出すはずです。ひとりの少女を地獄の奥底に隔離することで解決する問題なのであれば、どうかそうしてほしい、と。どんな強大な神であろうと、トコツネの民であることに変わりはない。生命の根源を護ることを放棄する神など、いるはずがありません」
「それだけのことを、蓬莱山輝夜を護るために?」
「えぇ。この一件を私の罪とするならば、どうぞそうしてくださって結構。面霊気の怨恨も悲嘆も、引き受けろと言うのなら引き受けましょう。それに豊姫たちが灼き払った三千万の人間の魂を上乗せしたって構わない。私にとっては、姫様を護ることは宇宙よりも重いのですから」




