情報/インタールード#4
是非曲直庁インタビューログアーカイブ
ち‐〇三四〇‐三
インタビュー対象:古明地さとり
インタビュアー:四季映姫ヤマザナドゥ
「面霊気ねぇ。うちの妹がよく遊んでもらっているんですが」
「貴方の妄想上の妹の話はどうでもいいのよ。その第三の瞳で彼女を見たのでしょう?覚妖怪として、感情の妖怪がどう見えたのか。それを聞きに来たのです。此度の一件については、貴方の知見がもっとも参考になる。腹立たしいことですが」
「そう言われましても。別段変わりはありませんよ。妖怪にしては多少内向的な嫌いはありましたけど、異常と言えるまでのものでは。……嘘を吐いて何になると言うんですか。そりゃあ私の話術は神にも比肩しうるものではありますよ。ですが嘘を吐くことは私のポリシーに反します」
「最初に言いましたが、これ音声記録なので、質問内容はちゃんと私に喋らせなさい」
「忘れてやいませんよ。もちろんわざとです」
「この……」
「この××××××、ですか。いやぁ、貴方ほどのお立場にある方がそのような」
「口に出すんじゃありません! これは庁の公的記録だと言ったでしょう。まったく、これだから貴方は……」
「忘れてやいませんよ。もちろんわざとです」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……お話は終わりですか?」
「ぐっ……。オホン。とにかく、我々はいま浄玻璃の鏡のバグについて調査しています。鏡で参照できない妖怪の存在。貴方なら事の重大さを理解できますね?」
「えぇ。これでも冥界の管理に携わるものの端くれ。地獄と三途の川についての仕様は頭に叩き込んであります。それに」
「それに?」
「うちの妹も同じ状態になっていたはずです」
「……妄想に付き合っている暇は無いのだけど」
「いやいや、四季様が仰ったのではないですか。他ならぬ貴方ご自身が。こいしが第三の瞳を閉じ、無意識に陥って以来、鏡に映らなくなってしまったと。とはいえ覚であるところの私にとって、その理屈は理解が及ばないわけでもありません」
「ほう、その理屈とやらには少し興味がある。聞かせてもらっても?」
「ふむん。企業秘密のようなものですが、第三の瞳を持たぬ者が知っていても無用の知識。お話しいたしましょう。まず心というものには、階層、つまり深さがあります。表層に近いものは、覚でなくとも分かり易い。皆が一般的に心と称する部分です。それがわざと被っているペルソナであることもままあります。しかし第三の瞳は、レンズの焦点を合わせるように絞りを入れることで、より深層をも読み取ることができる」
「なるほど。感覚的にも分かやすい話です」
「では、心の奥底、最も深い場所には何があるか。四季様はご存知ですか?」
「奥底……。本能のようなもの、とか」
「残念ながら不正解です。答えは『底が無い』。どれほど深く潜っても、私は奥底と呼べる地点に辿り着いたことがありません。あぁ、ひょっとしたら想像も及ばない遥か果てには、底があるのかもしれませんが。少なくとも三日三晩目を凝らした程度では潜り切れませんでした。しかし、そんな深い深い心の中にも、確かに流れと呼ぶべき何かがあるのです。深海の水が巡るように、マグマが地の底から湧き出すように、どこからか感情が流れ込んでくる。喜怒哀楽の形さえ定かでない、あまりにも原始的な流れがね。そしてそれは興味深いことに、どんな相手の心から潜ったとしても、最終的には同じ様相が観測できる。人間、妖怪、動物、植物、あらゆる生命の心というものは、同じ根源を持っているのです」
「それが、鏡とどのような関係が」
「私にはね、これが鏡写しのように思えてならないのですよ。……鏡だけに」
「余計な軽口は止めてください。時間の無駄なので。ただでさえ貴方の話は長いのよ」
「第三の瞳は、どんな心から始めても最終的には同じものが見える。浄玻璃の鏡は、あらゆる生命について記録を検索できる。これはひとつの巨大な構造を、両端から見ているということではないですか? 夢の機構を獏から聞いたことがあります。すべての生命の見る夢は、ひとつに繋がっているのだと。それではたと思い当たったのですよ。ひょっとしたら、心とか感情とか記憶とか、そういったものも同じなのではないか、とね。すべての心は繋がっている。感情というものが、あらゆる生命を繋ぐ巨大なネットワークを構築している。浄玻璃の鏡は、どんな者であっても死後の裁きに必要な情報を蓄えている。その機能は常識すぎて誰もその仕組みを知ろうとはしない。もしもこの世のすべての生命が登録されていると考えたら、カバーするべき範囲は膨大です。末端だけを見ればそうなる。けれどもし、逆だったなら? 生命の心というものが、自分自身ですら把握できない奥底で実はひとつに繋がっていて、そして鏡がその一点からの記憶映像を映し出す道具であったとしたら? つまりこの第三の瞳とは逆の視点から、同じものを見ていることになります。私が心の表層側から見る様々なものを、浄玻璃の鏡は心の源泉から見上げている」
「面白い考察ですが、それは第三の瞳を閉じることとどのような関係が?」
「この瞳はねぇ、きっと心そのものが形をとってできているんだよ。目を閉じたときに分かった。打出の小槌で願いが叶ったときに、ようやく気が付いたんだ。この瞳は私。この忌み嫌った能力も私の一部。それも、替えの利かない大事なところ。それを私は潰した。もう二度と心の声なんて聞かなくてもいいように。だけど第三の瞳もまた心だった。小槌はそれを引き千切った。私と世界は引き裂かれた。心の底の底、皆と繋がっているところから、はぐれてしまったの」
「それゆえに、もはや鏡はこいしを追跡することができない。同時に私の第三の瞳からも見えなくなってしまった。この娘はね、身体から心を引き抜かれてしまったのです。私が気付いたときにはもう取り返しがつかなかった。運動会を嫌う子供が、走りたくないからと両足をもいでしまったようなものです。不可逆な傷でした。小槌に治癒を願っても拒まれたくらいに」
「しかし、古明地こいしの症状は無意識の中へ消失してしまい、意識上に残らないことであったはずです。この娘は、五感のいずれかで感覚していない限り誰にも意識されず、また記憶されない。同種族かつ姉妹である貴方は、この影響をいくらか軽減できるとのことですが。そこにこの心の仕組みの話が関係すると?」
「もちろんです。記憶とは常に感情とともにあるもの。放っておけば心の奥底へ沈んでいってしまう記憶の断片を、感情の水圧が表層へ持ち上げているのです。ゆえに個人の記憶の形とは、その破片の形や水流の様相によってまったく違います。他人にとっては取るに足らない出来事であっても、強い強い怨念で水面に保ち続けている者。または大きすぎる心の傷を、滅多に浮かび上がらない深い場所へ閉じ込めている者。第三の瞳でこの構造を観察するのは、私にとって飽きることのない楽しみです。そしてこれら個別の心の差異は、他者から感情の影響を受けることで変化していく。心と心は繋がっているからこそ、感情は伝播する。記憶を共有することができる。そして群衆は一塊となることができる」
「だけど私は、世界から切り離されてしまった。誰の心とも繋がれなくなってしまった。だから私についての記憶は、粉薬みたくすぐに溶け消えてしまう。私を見ても誰も喜ばない。私の言葉に誰も怒らない。私の手足は誰かを傷付けることは無いし、私の思想が誰かを救うことも無い。そして、その逆もまた成り立つのよ。私は何を見ても喜ばないし、何を聞いても怒らないし、何かに傷付くことも、そして救われることも無いの。だから私自身の記憶もまた、粉薬みたくすぐに溶け消えてしまう」
「話を面霊気に戻しましょう。彼女も貴方と同じく、浄玻璃の鏡に映らない。今の推測が仮に正しいとします。しかし、面霊気のほうの説明にはなっていない」
「こころちゃんはねぇ、私のかみさまなんだよ。私はこころちゃんのことを憶えていることができる。こんなことができるのは、こころちゃんがかみさまだからに違いないよ」
「かみさま、ねぇ。しかし結局のところ、たとえ面霊気が何であるとしても、彼女もまた一介の生きた妖怪である以上、必ず鏡の参照先に存在するはずでは?」
「いえいえ、そうとも限りませんよ。鏡には、絶対に映すことができない場所があるではないですか」
「それは?」
「裏側ですよ。鏡なんだから当然、表裏があるのでしょう。鏡面である表が、感情の大河の下流を向いているというのなら、裏側は上流を向いている。感情の水源をね。そこにあの娘がいるのだとしたら、感情を操る妖怪としてこれ以上に相応しい場所は無いではないですか」
「そ、それはあまりにも」
「……荒唐無稽が過ぎる、ですか。しかし、事実は小説より奇なり、と申します。私としてはね、つい願ってしまうのですよ。心が引き抜かれた妹を、糸の切れた凧を、その根源が探しにやってきたのではないか、とね。こちら側から治療はできない。永遠亭でもそう診断されました。でも、向こう側から手を伸ばしてくれたのなら」
「相変わらず、妄想の逞しいことで。想像上の妹のことで、よくここまで練り上げたものです。小説でも書いたらどうですか」
「――そうですね。考えておきましょう」




