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きみだけはぜったいに孤独じゃない  作者: しじま うるめ
39/68

祝祭/シチューポット

 博麗神社の境内は、前代未聞の人混みになっていた。

「こりゃ、とんでもないことになっておるなぁ」

 二ツ岩マミゾウは目を見張る。配下の化け狸たちも、あまりの人出に目を白黒させていた。

 元来、人里から離れた立地ゆえに、人間が寄りつかない神社である。たまに巫女が参拝客目当てに催しを開いても、その物理的障壁が祟って、訪れるのは怖いもの知らずの若者が主であった。

 それが今日は、里の人間が全員集まったのではないかと思えるほどにごった返している。参道は足の踏み場もなく、鳥居から本殿を見通すことすらひと苦労だ。マミゾウは、もう何年も前に赴いた東京の、新宿駅の雑踏を思い出していた。あのときはあまりの人の多さに酔ってしまい、もうこんな街は二度と御免だと思ったものだが。

「流石に、博麗の巫女の婚礼ともなれば、寂れた郷といえど話は別か」

 思わず懐の煙管に手を伸ばしかけて、止めた。この人混みで火の気を不用意に扱って、万が一にでも騒ぎを起こしてしまっては、二ツ岩の名折れである。仕立てさせたばかりの紋付袴に灰を落とすのも上手くはない。

 博麗霊夢が里の呉服屋の倅へ嫁ぐという一報は、人妖問わず言祝ぐべき吉報として、幻想郷を瞬く間に駆け巡った。そしてその式典を神社で行うと決めた呉服屋は、方々へそれを喧伝し、片っ端から招待状を送ったのである。受け取った方にしてみれば、断る理由を探す方が難しいというものだ。さらには里の信心深い老人たちも、孫娘のように可愛がっていた巫女の晴れ姿見物を冥土の土産にしようと、一族を連れ立って祝言の場へ赴いていた。そうなると、里の人間が全員集まっているというのも、あながち嘘ではないのかもしれない。

 参道の両脇には様々な屋台が並び、どこもかしこも盛況である。早々に売切の貼り紙を出している店さえあった。ざっと見渡す限り、テキ屋のうちの三割ほどは、マミゾウが資金を貸し付けている相手だ。親分は口唇の端だけでほくそ笑み、胸の内の帳面に書き付ける。これが終わったら忘れずに取り立ててやらねばなるまい。

 もちろん、マミゾウたちは人間に化けてここにいる。博麗神社も、今日ばかりは妖怪神社とするわけにはいかない。八雲からの事前の通達で、博麗神社は今日限り、人間の里と同じルールが適用されることとなっていた。すなわち、人間でない者は立ち入ってはならぬという例の一線である。そしてそれは裏を返せば、人間に化けている限りは好きにしても構わないとの許可を出したということだ。

「わぶっ」

「おっと」

 人混みの中で押し出されてしまったのだろう、マミゾウの腰よりも背の低い子供がぶつかってきて、袴に抱きつくような格好になってしまった。両親らしき大人がすぐそれに気づき、引き剥がそうとして、マミゾウの顔を見て凍り付く。

 化け狸の大親分は、邪気のない笑顔をばっちりと貼り付けて見せた。

「なに、この混みようではこの子も大変じゃろ。手を離さんようにな」

 ぽかんとした子供を慌てて引き寄せ、ぺこぺこと平謝りをしながら、両親は足早に離れていった。

 マミゾウたちは人間としてここに来ている。人里での金貸し稼業も同じだ。だが一方で、人間の方だって二ツ岩が人間でない者たちの集まりであることは重々承知である。幻想郷で暮らす者であれば、人間の格好をしていても、本物と偽物の違いはなんとなく分かるようになるものだ。誰も口には出さないが、人里に人間でない者が人間のふりをして立ち入っていることは、暗黙の了解であった。マミゾウから金を借りている連中だって、こちらが妖怪であることなど承知の上で付き合っているわけだ。

 そしてそれはもちろん、この晴れの場においても同じことである。八雲の通達だって、その要求するところは完璧な化け術ではなく、場を弁えろという念押しだ。

 本殿の前には、差し渡り十歩ほどの小さな舞台が組まれていた。おそらくはここで婚礼が行われるのだろう。けれど今は、騒霊三姉妹と付喪神による音楽ライブが余興として行われている。彼女たちも人間のふりをしているものだから、いつもとは違って素直に楽器を演奏していた。手や口に触れずとも音を奏でる姿に慣れ親しんだファンからしてみれば、むしろ奇異に映る光景であるはずだ。

 けれど、この場の異様さはそれに留まらない。

「これはこれは……」

 マミゾウは苦笑した。覚悟はしてきたが、それでもいざそれを目の当たりにすると、心胆を寒からしめられることは致し方ないだろう。

 呉服屋が招待状を出したのは当然人里の住人のみであり、そして霊夢が律儀に新婦側の招待状など出すわけがないから、人間以外の客は自由席である。つまり必然的に、陣地争いが発生するわけだ。マミゾウもそれを見越して配下を先発させていたが、状況は親分の想像を遥かに超えていた。

 まず目立つのは、観客席のど真ん中に突然生えている大きな日傘である。純白の花の下でふんぞり返っているのは紅魔館の主だ。引きこもりの妹は来ていないようだが、七曜の魔女とメイド長を始め、他の住人たちは付いてきているようだ。吸血鬼はその翼と牙こそ魔法か何かで隠しているが、妖気は完全に抑えずに気怠げに漂わせている。人外御法度の命に不承不承ながら従ってやっている、という態度をあえて見せつけているのだろう。

 そしてその両脇には、それぞれ神殿が建っていた。これは比喩でもなんでもない。規模こそ抑え気味ではあるが、そこには厳かな構造物が確かに鎮座していた。それぞれ、守矢神社の分社と神霊廟の道師が座す地を示す様式である。なるほど確かに、あのクラスの存在ともなればおわす場所がそのまま神殿となるのだろう。けれどそれを、結婚式の場所取りでやってしまうとは。

 中程には大きな赤絨毯が敷かれ、空間を贅沢に使った席が設けられている。稚児たちに世話をされながら、簾の内側に佇んでいるのは永遠亭の姫君だろう。直接の姿は見えずとも、脇を固める薬師と薬売りを見紛うはずもない。皆一見してただの礼服のように見えるが、修羅場の数を踏んでいるマミゾウから見れば、隠し持った武器をいつでも抜ける体勢であることは一目瞭然だ。

 その隣には、大勢の修験僧みたいな連中が、守矢神社を護るように身を寄せている。あれの化けっぷりはこの会場でも最も見事であったが、大狸の目は誤魔化せない。あれは妖怪の山の大天狗たちである。まさか人間同士の婚礼に彼らが出しゃばってくるとは思わなかった。けれどこの状況では致し方ないのかもしれない。もはやここは、幻想郷のあらゆる勢力がその権勢を示すための場となっているのだ。

 視線を転じれば、招待を受けた人間たちがせせこましく座っている。その中にあっても、一際目立つのは命蓮寺の魔人、聖白蓮の姿であった。普段とは違い厳粛な藍色の法衣を着込み、滅多に出さない九条袈裟を掛けている。その周囲には檀家たちに混じって見知った妖怪僧も座っているが、もはや誰も気にしてなどいない。

 さらには、後方の桜並木の間に、明らかに異質な空間が広がっている。紅い和傘の下で儚げに座るのは、白玉楼の亡霊嬢だ。冥界の住人である彼女は、縁起が悪いからと祝いの場から距離を置いているのだろう。しかしその周囲だけ異界と化しているのは、誰の目から見ても明らかである。人間たちは彼女が纏う死を畏れて近づこうとせず、側近の半人半霊剣士だけが静かに控えている。

「うぅむ、まさしく混沌よ」

 先発の狸は、道師の座す後ろの最低限のスペースしか確保できていなかった。仕置きを覚悟してぶるぶると震える彼女を、マミゾウは不問とした。こんな場所での場所取りは、下っ端には流石に荷が重すぎる。むしろ前方の場所を抑えられただけ上等な戦果であると言わねばなるまい。

 マミゾウが腰を落ち着けると、程なくして幽霊楽団が演奏を終え、半分くらい義務的な拍手が湧いた。

「――遅かったじゃないか」

 豪奢な椅子の上から貴人が振り向き、にやりと視線を向ける。

「待っていたぞ、媼よ」

「次に儂をそう呼んだら、お主に化けて里でひと暴れしてやる」

「ははは、そうなれば化け狸の悪行を宣伝するまでのこと」

 こちらを一瞥した豊聡耳神子は、一部の隙もなく紫金の狩衣を着込んでいた。儀礼用の鎧を基本としているのだろう堂々とした姿だが、しかしマミゾウは知っている。神子がこういったシルエットの出で立ちを好むのは、その華奢な身体を隠したいからだ。政を仕る者は、人前の言動では何から何まで見栄を張るものである。

「しかし、いったい何じゃ、この会場は。人間の他立入禁止の令が聞いて呆れるわい」

「仕方なかろう。あの霊夢の婚礼だ。それに巫女が不在となれば郷の混乱は必定。誰だって幻想郷の平穏を乱したくはないが、さりとて自身の影響力が貶められることは避けたい。お前もそうだろう?」

「ただ祝いに来た、と素直に言えんのか」

「まぁ、それも否定はできぬ。宗教上では商売敵のはずなんだが、霊夢は不思議と憎むことができない。それどころかついつい肩入れしたくなる。そうでなければ、出自を問わぬこの人出は有り得なかった。まったく、あの娘を早々に我が手中に引き入れていれば……」

「そうなれば、お主が他の連中に袋叩きにされていたであろうよ」

「ははは、違いない。となれば、人間の営みに戻るこの結末こそが、もっとも良いものだろう。幻想郷にとっても、あの娘自身にとっても」

 この権勢の見せ付け合いにより、幻想郷の平和が逆説的に保たれているのは事実である。調停者が不在の間、誰かが抜け駆けして騒乱を起こそうものなら、他の勢力が結託して出た杭を打つだろう。その暗黙の了解を証明する場がここなのだ。

 霊夢の跡を継ぐ巫女は、この勢力図を維持できる傑物でなければならない。そんな人材がすぐに見つかるものなのだろうか? マミゾウは深く息を吐いた。

「それで、『待っていた』とは?」

「おう。この楽団の次の出し物を、お前にも是非見せたかったのだ」

「はて、プログラムが決まっていたとは初耳じゃ」

「だろうな。演者たちが揉めそうになっていたところを、河童が今朝になって取り仕切り始めたそうだ」

 芸能に関わるシノギは、すっかり河童たちの領域となっている。自慢の印刷所で刷り上げられたのだろうパンフレットを、神子は弟子を通じてマミゾウへ手渡した。

 次の演目を見た大親分の目が、細まる。

「ほう、『嵐山』。これは……」

「面霊気がアレンジした最新作の能だそうだ。私としては、妖怪の出し物なぞ本来は興味は無いんだがね。お前としてはあの妖怪の成長は気にかかるところだろう」 

「そういえば、あれは聖徳太子殿の御手製の面であったな。よもや親バカか」

「聖人というのは困り者だよ。手がけたものが簡単に自我や命を持ってしまう。伝説も勝手に付いてくるしね。それに、こころは能楽師として人間たちからの人気は厚い。保護こそすれ、討滅する理由は無いだろう。あれの天賦の才は本物だよ。私が言うのだから間違い無い」

 軽口のつもりが、まるで本当の親みたいなことを言うものだから、マミゾウは苦笑してしまった。

「まさかお主が付喪神にここまで目をかけるとは。人間の人気を操るためには人外の力も利用するてか」

 彼女が幻想郷に出現したときの異変を、化け狸はよく覚えている。希望の面を喪失した面霊気は、絶望とともに夜な夜な人間の里に出没して面を探すようになった。そのため、真夜中の人里からは希望の感情が消えてしまったのである。彼女の感情が揺れ動くたび、周囲はそれに支配され、同調させられてしまう。それに抗う方法は、自分の心を強く保つ他に無い。幻想郷の歴戦の猛者たちならまだしも、容易く煽動されてしまう里の人間では難しいだろう。

 面霊気が持つ力は、他に類を見ない強大なものである。加えて意識して行使できるものではない。そこに彼女がただ立っているだけで、世界は際限なく歪んでいってしまう。

 だがそれを、思うがままに操作することができたら? マミゾウが危惧するのはそこだ。政とは大衆の感情という内圧との戦いだ。いかなる支配者も、革命の機運を永遠に制御し続けることはできない。ひと所を抑え付ければ、必ずどこか別の場所で炎が噴き上がる。いつだって感情がひとを、国を作り上げ、そして破壊してきた。王を生み、敵を生んだ。愛を生み、戦を生んだ。子を生み、死を生んだ。歴史はいつだって、それの繰り返しだったのである。

 そのうねりの原因そのものを手中に収めたなら。

 大衆の感情を、永遠に制御し続けることができたなら。

「――付喪神、か。そういえばこの間、河勝が面白いことを言っていた。あぁ、今はマタラ神と合一しているのだったか」

 神子はしかし、マミゾウの言葉の思わぬ場所に反応した。

「面霊気は、付喪神ではないそうだ」

「はぁ」

 なにを馬鹿な。古狸は鼻で笑った。

「この素人にご教授願いたいんじゃがの。自我を持った古びた道具を、付喪神でなければ何と呼ぶのか」

「呼称など好きにすればいいさ。これは生い立ちの話だ。河勝が調べさせているようだが、あれを以てしても正体が掴めないとなれば、これは相当だぞ。あの不気味な能力といい、用心するに越したことは無い」

「なんとまぁ」

 付喪神と化狸は相性が良い。ゆえにマミゾウは、沢山の付喪神の面倒を見てやってきた。こころもそのひとりである。道具とはひとに使われて初めて価値の出るものだが、それに自我が宿ればそうではなくなるのだ。誰に使われる必要も無い。その哲学を学ばせるところから、狸の教育は始まる。

 こころは、いたって素直な娘であった。もっとも、素直すぎるせいで喜怒哀楽を偽り無く垂れ流してしまうのだが。ひとの裏をかくことにすっかり慣れてしまった古狸にしてみれば、面霊気の反応は子供のように分かりやすい。いや、おそらくは本当に幼いのだろう。だから本能に忠実で、自分を装飾せず、偽証も下手なのだ。

 それは決して清らかなものではないけれど、しかしひとの心というものは、それを好むようにデザインされている。

「生まれなど何だって構わんさ。種族のどうこう以前に、あの娘はあの娘。儂が知るのは、まだまだ発展途上の妖怪であるということだけ。望むのは面霊気の存在が安定することだけじゃ。付喪神であろうがなかろうが、それが儂らに何の関係がある」

「教育者の理屈だな。媼よ。流石に子分を数多引き連れているだけはある」

「あん?」

「教導する者にとっては確かにそうだろうさ。だが出自というものはな、生んだ側までをも見通すとすれば無視できぬものだぞ。生命だろうと概念だろうと、生み出したこと自体に何らかの意味が籠もっている、という事例は割と多いものさ。遺伝子、模倣子、賞賛、遺恨。国体に関わるときもあるだろう。あれは私の作った面だが、私はあんな意味を付与していない。あの娘が付喪神でないとしたら、誰かが横槍を入れたということになる。それが悪しきものでなければよいが」

 神子の背からは哀愁の香がした。彼女は、面霊気を通して誰かを見ている。そんな気がした。それは政争の中で死したという子だろうか。あるいは時を経て歴史の荒波の中に消えていこうとしている聖徳太子という存在そのものだろうか。

「ほら、始まるようだ」

 舞台の上に面霊気が登ると、またもや義務的な拍手が起こる。春風が一瞬だけ強く巻いて、桜の花弁を空高く舞い上げた。その中でこころは、しなやかな礼をした。

「……む」

 マミゾウは背を伸ばす。この舞はしっかりと見なければならない。そう思わせるだけの凄みが、いまの礼にはあった。

 弦がひとつ鳴って、面霊気はそのひと足を踏み出した。

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