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きみだけはぜったいに孤独じゃない  作者: しじま うるめ
37/68

欣快/ライズアンドフォール

有人月面着陸によるマリウス丘溶岩窟探査任務(通称「プロジェクトマリウス」)における映像記録


・この映像は、半世紀ぶりのNASAによる有人月面探査として大きく注目を集めたため、月周回軌道からの一連の探査を、動画配信サービスを利用して全世界に一般公開する試みが為されていた。

・月面へ上陸したクルーは以下の五名、全員が米空軍所属であった。

 α:ジェームズ・ヤング…船長

 β:アンナ・ルーサ…副船長・カメラ撮影

 γ:マリア・ウォーデン…本船操縦士

 δ:エドガー・サーナン…着陸船操縦士・地質学博士

 η:ヴァンス・ヘイズ…本船副操縦士・着陸船副操縦士・医学博士

・添付された日時はいずれも東部標準時夏時間である。


[08/08/20XX 09:01]

β「おはよう、ヒューストン、そして全世界の皆さん。いよいよ今日、五十年ぶりに人類が月の地面を踏みます。この場にいることをとても幸運に思うわ。この後、着陸シーケンスのフェーズ・ワンは一時間後に開始する予定。お待ちかねの月面着陸までの所要時間は百九分プラスマイナス五分だから、ランチの準備でもしながら中継をみていてくれれば丁度良いわね」


[08/08/20XX 09:13]

β「あら、おはよう、キャップ。よく眠れたかしら?」

α「上々だよ。やぁ皆さん。いよいよこれから月世界への到着だ。宇宙飛行士になりたい子供たちも見てくれていると思うけど、この仕事に必要なのは、いついかなる時でもしっかり睡眠をとれる健康な身体だからね。覚えておいてくれ」

β「フェーズ・ゼロの具合は?」

α「すべてが予測通りの数値を示してる。これ以上ないくらい順調だ」


[08/08/20XX 10:00]

α「よし、時間だ。皆、配置に付いてくれ。これよりフェーズ・ワンに入る。予定通りにマリウス丘の頂上が目標着陸地点となる。加圧服チェック」

β「チェック」

γ「チェック」

δ「チェック」

η「チェック」

α「本船の自動操縦設定チェック」

γ「チェック。ドレミーも万全の状態だわ」

α「ではこれより八時間を、着陸シーケンスと探査任務および整備任務を完遂するための時間とする。活動シフトの組み替えができる最後のチャンスだ。バイタル、メンタル、ともに問題は無いな?」

η「今すぐ船外に泳いでいってもまったく問題無いね」

α「了解だ。まさしく万全の状態でミッションを始められることに感謝しよう。ではフェーズ・ワンの最初のステップ、着陸船の切り離しを開始する」

δ「アイサー。固定アンカーの切り離しを開始。兎さんたちに会いに行くとしますか」


[08/08/20XX 10:27]

δ「コース通りに進んでる。これならシミュレーターの方がずっと難しかったね」


[08/08/20XX 10:51]

δ「減速開始。スラスター噴射パターンはプランAのままでいく」


[08/08/20XX 11:13]

β「ガイドポインターが見えてきたわ。カメラにも見えるかしら。あそこに真っ直ぐ向かってるのよ。あと五分くらいだと思う」

δ「五分二十秒だ。今までいろんな機体を飛ばしてきたが、こいつが一番楽だな。これなら今後、操縦士を何十人も育成して、日毎に往復便を飛ばすことだって簡単だろうね」


[08/08/20XX 11:19]

β「たったいま、着地したわ。だけどまだ飛んでる気分」


[08/08/20XX 11:38]

γ「着陸したのにいったい何をぐずぐずしてるんだ、って皆さんは思ってるでしょうね。私もよ。だけど飛行機の着陸とは訳が違うから、準備が必要なの。いろいろとね」

η「僕はJFKで五時間待たされたことがあるぜ」

β「貴方の渡航が適法かどうか、調べが付くまでに時間がかかったんでしょ」


[08/08/20XX 11:44]

α「オールグリーンを確認。船長として船外活動の開始を承認する。本部は? ……オーケイ、ヒューストンのお許しも出た。全員ベルトを外してくれ」

γ「アイサー。いよいよね」

δ「俺は予定ドンピシャリの場所に降ろした。次は君らの番だ」

γ「もちろん。何も問題はないわ」


[08/08/20XX 11:59]

β「ほら、これが最新式の月面車。とことん軽量化した電気自動車よ。ここなら太陽光もしっかり当たるから、ほぼ無制限に動かせるでしょう」

η「さっそくドライブと洒落込もうか。魔法の洞窟の初期探査だ」

α「頼んだぞ。我々は船体チェックとキャンプ設営を予定通りに行う」


(以後はβのヘルメットに取り付けられたカメラの記録映像と通信記録を時系列に沿って組み合わせた記録である)


[08/08/20XX 12:05]

β「良い風ね」

η「いやまったく。最高の海風」


[08/08/20XX 12:22]

η「絶景だ。こいつは素晴らしい」

β「見えるかしら。これがマリウス孔、天井の抜けた溶岩窟よ。あぁ神様、信じられない。縦穴というよりも峡谷だわ。こんな光景、地球にないんじゃないかしら」

η「まさしく。水も風も無い世界じゃ、岩の崩れ方だって違う。底に転がってる大岩を見てみなよ。まるで昨日の夜に落っこちたばかりみたいだ。もう少し近づいてみよう」

β「洞窟の上はなるべく避けるのよ」


[08/08/20XX 12:34]

η「これ以上は止めておいた方が良いだろう。行くなら徒歩だ」

β「オーケー。月面の重力でも、五十メートルの滑落なんて御免だものね」


[08/08/20XX 12:40]

η「――おい、僕は夢でも見てるのか? あれは、そんなまさか」


[08/08/20XX 12:42]

β「信じられない。船長、応答して船長。先客がいるわ。縦穴の底に、私たちのじゃない月面車がある!」

α「(不明瞭なノイズ)」

η「いや、本当だ。あれはどう見ても人工物だ。けどあんな車、どこの国のカタログでも見たことがないぞ。ちょっと待て……そのカメラを切れ」


(この時点で映像中継は切断される)


[08/08/20XX 12:46]

η「あそこの段差を伝えば上手い具合に降りられそうだ。いや、あれは誰かが掘った階段か?」

β「嘘でしょ。近づくなんてイヤよ」

η「どうせいつかは内部を調査しなきゃならないんだ」

α「(不明瞭なノイズ)」

β「あぁもう、了解」


[08/08/20XX 13:01]

β「ここから降りるの? ぞっとしないわ」

η「明らかに誰かの手による構造だ。船長、見えるか? 轍からするとあの車は穴の奥からやってきてるみたいだな。不気味だ」

β「どこの国の月面車かはまだ分からないの?」

α「(不明瞭なノイズ)」

β「いや、そんなに近年のものじゃあないみたい。塵を少し被ってる」


[08/08/20XX 13:14]

η「半分くらいまで降りてきた。こんな状況でなきゃあ、景色を存分に楽しんでいたんだがな」

β「ここまで来ると本船との通信状況が―ヴァンス!」

η「クソ、マジかよ。おい船長、車の灯りが点灯した。誰かいるぞ!」


(不明な月面車両の窓に当たる部分が白く発光を始める。二人は来た道を戻る)


[08/08/20XX 13:15]

η「クソ、クソ、廃棄されて何十年も経ってるんじゃなかったのかよ」

β「そのはずなんだけど……。だってあれはどう見ても」

η「急げ急げ急げ急げ」


[08/08/20XX 13:18]

(突如、激しいノイズとともに画面が乱れる。βが脚を踏み外し、壁面を数十メートル滑落したものと思われる)

(この時点ではまだβに生体反応は残っている。ヘルメットに固定されたカメラには、横臥したまま意識を失ったものと思われる光景が写っている)


[08/08/20XX 13:20]

α「おい、何か問題があったのか?」

η「クソ、クソ……」

γ「通信が不安定だわ。アクシデント?」

η「誰だお前。いったい何を」

α「アンナ、応答してくれ。聞こえているか?」

η「クソッタレ。嘘だ。嘘に決まってる」


(ここから通信に正体不明の存在が介入し始める。これを今後Xと仮称)


[08/08/20XX 13:21]

η「来るな。近づくんじゃない。動けば撃つぞ」

(七秒後に三発の発砲の記録あり)

η「何だ……何なんだお前は」

X「それが君の意志か」

(二秒後、ηの生体反応が消失)


[08/08/20XX 13:25]

(カメラに向かって、Xと思われる存在が接近してくる。βが転倒したままのために膝から下しか撮されていないが、それは人間の裸足のように見える)

α「何が起こってる? 誰も応答しないぞ。様子を確認しに行こう」

X「その必要は無いよ」

α「な……誰だ、いったいどうやって」

(映像記録が途絶。同時にβの生体反応が消失)


[08/08/20XX 13:29]

α「ヒューストン、アンノウンからの接触を受けている。マリウス孔へ調査に向かったアンナとヴァンスの応答が消失した。至急の対策が必要だ。アンノウンの正体に心当たりはあるか? 聞こえているか、ヒューストン?」


(これを最後にクルーからの音声記録は途絶。なお地上管制側にはこの発言の記録は残っておらず、衛生軌道上に残った本船残骸のブラックボックスから取り出されたものである)


[08/08/20XX 13:47]

(着陸船の昇降口にセットされた、船外方向を向いた固定カメラの映像。αとγが地形図を挟んで打ち合わせている。行動計画を見直しているものと思われる)

(突如、αの背後に、Xと思われる正体不明の人物が出現。映像記録にスーパースロー処理を施しても出現の瞬間を捉えたフレームは存在せず、移動の方法は依然不明である。対称は人間の女性のように見えるが、頭頂部に一対の長い兎の耳のようなものが付属しており、また衣服を着ていない)

(αとγが人物に気づき、拳銃を構える。警告をしているようだが、Xは気にかけることなくゆっくりとふたりへ歩み寄る。αが複数回発砲したと思われる行動を示すが、対象に影響は見られない)

(Xが右手を掲げる。直後、その手に拳銃が出現。その瞬間を捉えたフレームも、対象本人の出現時と同じく確認できていない。なお出現した銃は、クルーが携行していたマグナムと同型のものに見える。Xが発砲と思われる行動を示し、αとγが倒れる)


[08/08/20XX 13:48]

(δが本船から出てくるも、即座にXが発砲と思われる行動を再び示し、δは倒れる。しかしこのとき、銃口はδのほうを向いておらず、倒れた理由が銃撃を受けたためであるかは不明)

(その後、Xは本船へ侵入。エアロックが解除され、船内大気の酸素濃度が0%まで低下。またこれ以降、あらゆるセーフティシステムは起動せず)


[08/08/20XX 13:50]

(Xが不明な方法で生体認証を突破。本船は衛星軌道帰還シーケンスを開始。これを受けNASAは非常事態を宣言し、対策班が組織される)




[08/09/20XX 02:13]

(衛生軌道上に残った本船のブラックボックスから取り出された音声記録。以下の発語はすべて日本語で行われており、詳細不明。なお記録の冒頭にはおよそ八分間の無音が記録されている)

X「不思議な気配がすると思ったら、なるほど、地上の民も面白いことを考える。確かに槐安通路に侵入して航行するこの船になら、夢の人格を忍び込ませることも容易いだろうね」

(二十三秒間の無音)

X「見ての通りさ。私は月の兎。ツクヨミの兵士」

(十二秒間の無音)

X「レイセン、懐かしい名だ。彼女のことならよく知っているよ。しかし君も、槐安通路を認識できるだけのことはある。月の裏側のことまで知っているだなんて、地上の民にしてはずいぶんと夢に親しんでいるようだ。けれどね、私と彼女はもう違う存在だし、彼女はとっくに私とは違う存在になっている」

(四十二秒間の無音)

X「そうだろう、当然の疑問だ。しかしその問いには答えない。答える必要が無い。いずれ君も、すぐに目にすることになるだろうから」

(九秒間の無音)

X「下された命令は遂行する。何に換えても、必ず。そのように作られて、そのように生きてきた。それが兵士だ。私がここにいる理由だ」

(一発の銃声の後、十七秒間の無音)

X「これは驚いた。科学世紀の人間に、ここまで幻想の力を使いこなすことができる者が残っているとは。僅かでも私の銃弾を逸らすことができたことを、君は誇っていいだろうね。けれどひとつ、万が一次の機会があったときのために教えておこう。心臓を真っ直ぐに撃ち抜かれていれば、君は痛みを感じる間すらなく死ねた。だが君のささやかな抵抗のせいで、いま撃ち抜いたのは肺右葉だ。これではまったくの無意味じゃないか。君は最期の時間を無為に苦しむだけだ。呼吸のすべてが銃創から漏れ出て、君は自分自身の血で溺れ死ぬ。こんな回避をするくらいだったら、初めから何もしなかった方がましだったんだ。意味の無い行動はそれこそ無価値だ。君は潔く、銃弾を心臓か、あるいは脳髄に受け入れるべきだった。そして私には、ひとの断末魔を鑑賞する趣味は無い」

(一発の銃声の後、二十一秒間の無音)

X「成程、そう簡単に達成できる命令ではないらしい」

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