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きみだけはぜったいに孤独じゃない  作者: しじま うるめ
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奇跡/Close Encounters of the Third Kind

 匂い立つような熱気。

 飛び交う声援と怒号。

 人々は拳を突き上げて、空中の決闘に見入っていた。衆目を引きつけるための派手な弾幕が、連日空を埋め尽くしていた。一方が勝ち、もう一方は負ける。次の日には勝敗が逆転する。その度に各宗教の人気は移ろい、賭けによってちょっとした額の金が動く。

 希望を失い暴走し続ける世界。宗教戦争は終わりが見えない。

 こころは、人の流れに逆らって、あの少女を探していた。向こうの通りでは僧侶と仙人が、もう何十回目か分からない決闘の再戦を始めていて、人々はそれに夢中だ。きょろきょろしているこころになんか、誰も目を止めやしない。

 いや、ごく希に声をかけてくれるひとがいる。「応援しています」「頑張ってください」と握手を求められることが、少しずつ増えてきた。今のこころは決闘をあまりしていないから、人気は低迷しているはずなのだけれど、コアなファンというものはそれでも応援してくれるものらしい。暴走して迷惑をかけただけの自分に、なんとまあ優しいひともいるものである。

 こころが妖怪であることはいちおう秘密なので、人里からは退魔術も使える不思議な能楽師として通っている。

「……おのれ。どこに行った、我が宿敵」

 いつの間にか、人通りも疎らな道まで来てしまった。面泥棒は影も形も見当たらない。

 この宗教戦争を終わらせる方法を、こころはずっと考えていた。いろいろと試してはみたけれど、やはり希望の面を取り戻す以上の解決策は無いのではないか。それが現在の結論だった。

 とはいえ、今希望の面はこころの手元にある。豊聡耳神子に成敗された際、自分たちのもともとの製作者であるという彼女が、新しい希望の面を作ってくれたのだ。それはこころをも唸らせるほどに完璧な面だった。最初のうちはそれで万事解決だと思っていたのだけれど、やがて少しずつ違和感が拭えなくなってきたのである。どうにもしっくりこないというか、居心地が悪い。自分であって自分でないような感覚。それはいつまで経っても、こころにむず痒さを残した。

 そして新しい面を得ても、宗教戦争は終結していない。

 ならば、と次に考えた可能性は、自分の感情が未熟なせいではないか、ということだ。宗教戦争は、希望を失った自分の感情が暴走したせいで勃発してしまった。それが終結しないのは、自分が自分の感情を完全に制御できていないからだと、そう考えたのだ。だから彼女は命蓮寺の門を叩き、聖白蓮の元で修行を積んでみた。どんなときにも揺るがない、泰然自若の精神さえ手に入れられれば、事態は沈静化するとそう思った。しかし、何日経っても狂乱は収まらない。自分も何かが変わった気はぜんぜんしなかった。慌てて白蓮によくよく聞いてみると、修行とは一生を懸けて何十年も続けるものだというではないか。そんな悠長なことでは解決など夢のまた夢だ。こころは肩を落とした。

 だから、やはり元の面を取り戻すしかないのだ。

 そして、そのためには。

「……む」

 覚えのある気配に、こころは屋根の上へと跳び上がった。微かな、あまりにも微かな感情だ。普通の人間や妖怪の気配に、あっという間にかき消されてしまうほど。目を凝らす。見失いそうなそれを必死に見定める。

 いつもなら、すぐに消失してしまって、それ以上追えなくなるのだけど。

「そこか!」

 今日は、様子が違った。弱々しい感情の、けれどしっかりとした色が見えた。千載一遇のチャンスである。こころは屋根の上を跳び渡り、一目散にそこを目指した。

 そういえば、奴はおかしなことを言っていた。「自分には感情が無い」とか何とか、意味の分からないことを。いったいどうしてそんなことを言うのか分からない。感情を持たない生物だなんて、有り得ない。

 だって感情を持つからこそ、生命は生命たり得るのだから。希望を目指し、絶望から逃げる。そうしようとする原動力が、命を生かしているのだから。

 古明地こいしの感情が、私にはしっかりと見えている。虫けらよりも、雑草よりも弱々しい光だけれど、我が宿敵にはしっかりと感情が見える。

 きっと、それっぽいことを言ってこころを惑わせようとしたのだろう。自分が感情を操っていることを察知して、自分にはそんなものは効かないと、はったりをかましたのだ。猪口才な。そんな下らない作戦に引っかかるこころではない。今度こそ真正面から挑み、そして勝利する。希望の面を、取り戻してやる。

 鬼瓦を強く蹴り、目指す場所へと着地する。

「ようやく見つけたぞ、我が宿敵め!」

 獅子の面とともに長刀を構える。これが最も威圧的に見える組み合わせなのだと、彼女はいつしか学習していた。

 そこには数人の子供たちがいて、紙と棒を手に何やら遊んでいた。地面にはよく分からない模様が描かれている。大人は決闘と賭博に夢中だから、子供はこうして手持ちぶさたにしているのだろう。

 こいしは、その集団の隅にじっとしゃがんで、地面に何かを描いていた。なるほど、子供たちと一緒になって遊んでいたから、感情の波が消えなかった訳だ。

「ええい、こっちを向け」

 つかつかと歩み寄ったこころは、長刀の柄でこいしの帽子を引っかけて放り投げた。

「えっ」

「無視しやがって。もう頭に来たぞ。私がどれだけお前を探したと思ってるんだ。いざ尋常に勝負しろ、古明地こいし。私が勝ったら希望の面を返してもらうぞ!」

 無意識の少女は、口をぽかんと開けたまま、こころを見上げていた。

 周囲の子供たちは奇妙な反応をした。遊びの輪に見知らぬ者が混ざっていることにようやく気が付いたようだった。困惑しながらこいしを指さしては、誰この子? と不気味がっている。

 そしてこいしの反応も、また奇妙だった。勝負を挑まれているというのに、その自覚がまるで無いといった間抜け顔だ。

「――私を、探していたの? どうやって?」

「はん、おかしなことを聞く奴だ。良いだろう、折角だから教えてやる。私は感情を感知してひとを探すことができるんだ。里にいるお前を見つけることなんて訳無いんだ」

 実は数日間待ち伏せしていたけれど、そのことは黙っておく。

「私、感情なんて持っていないのよ。心を閉ざしちゃったから。それなのにどうして」

「だから言っただろう! 感情の無い奴なんていないんだ。私から逃げられると思うなよ。地の果てまで追い詰めて、お前にいつか参ったと言わせてやる」

「……私、貴方のこと、覚えているわ」

 ゆらりと、こいしが立ち上がる。まるで熱に浮かされでもしたような表情に、こころは猿面とともに一歩後ずさりした。

 やはりこいつ、相当変な奴だ。

「信じられない。私、覚えてる。何も覚えていられないはずなのに。全部忘れてしまうはずなのに。嘘みたい。貴方のこと、覚えてる! ということは、もしかして、貴方も私のことを覚えてるのね」

「当たり前でしょ……。忘れた奴のことを探せるわけないでしょ……」

「本当に? 本当に覚えていてくれたの? 私を探してくれていたの?」

 慌てて獅子の面を被り直す。

「しつこいなぁ! さっきからそう言ってるのに。いい加減に、怒りを我慢しているこっちの身にも」

 なってみろ、という言葉は続かなかった。こいしは何の前触れもなく、こころの胸に抱きついてきたのだ。

 獅子の面がぽーんと吹き飛んで、代わりに猿面がこころの額に貼り付いた。何が何だか分からなくて、とりあえず長刀を手放した。

 いよいよもっていかれた奴だ。勝負しろと言っているのに、どうしてこんなことに。

「離れて、離れてよぅ。……何? いったい何?」

「えへへ。嫌だよ、離さない」

「怖い……このひと怖いよぅ」

「ねぇ、今の私、どんな感情をしているか分かる?」

「えーと、貴方は今、嬉しいと感じている。……どうして? 怖い……」

「へへ、そっか。そう見えるんだ。じゃあ身体が心にぴったり寄り添えているってことだわ」

 こいしは妖精みたいにぴょんぴょんと跳ね回った。こころも、遊んでいた子供たちも、それを怪訝そうに見つめていた。この少女の言うことが、なにひとつ理解できなかった。

 やがてジャンプした頂点で、彼女はそのまま空中に留まると、ふわりとこころへ向き直る。

「決闘だったっけ? いいよ、何だって受けてあげる。私、今とっても気分が冴え渡っているの。こんなに良い気分なのは、ほんとうにいつぶりかしら」

「え、あ、うん。勝負してくれるの?」

「するよー、するする。貴方が勝ったなら、希望の面でも何でもあげちゃうよ」

「言ったな!」

 獅子の面がみたび額へ舞い戻る。

「二言は許さないぞ! っていうかもともと私のものだって言ってるだろう!」

「そんな些細なことはどうでもいいじゃない」

「良くない! ……ところで、お前が勝ったらどうするんだ?」

「どうするって、何を?」

「いや、私が勝ったときのご褒美だけ決めても駄目だと思う。貴方が勝ったときのボーナスも決めておかないと」

「そうなの?」

「そうそう。こういうことは平等にしておかないとね」

 いつの間にか、獅子面を押しのけて狐面がこころの感情を司っていた。それに気づいたこころは首を捻る。自分は今、楽しいと感じているのか。さっきまで怒ってばかりだったのに、いったいどうして。

「それじゃあねぇ――」

 俄に周囲が騒がしくなった。新たな決闘の気配を嗅ぎ付けた者が、見物客を寄せ集めだしたのだ。五人が十人に、そしてあっという間に二十人、三十人。子供たちも人垣の中へと下がっていった。こころとこいしを取り囲んで、人の輪はどんどん大きくなっていく。

「――もし私が勝ったら、お友達になりましょう!」

「えっ」

 聞き返す間もなく、こいしは高度を上げる。

 そしてすぐさま、赤と青のハート型弾幕が展開され、勝負の開幕を告げた。有無を言わさぬ急襲である。こころも慌てて長刀を構え直し、地を蹴る。能面たちに妖力を充填し、周囲に展開する。

 ふと、違う匂いの風が吹いて、こころは一瞬だけ気をそちらに向けた。

 御山の向こうに、巨大な鉄床雲が聳え立っているのが見えた。青い空の中を、どこまでも肥大化していく。際限など無いと言いたげな顔で、空を埋め尽くそうとしているかのように。

 夏が始まったのだ。こころはようやく気が付いた。今までずっと必死だったから、季節なんて気にしていなかったけれど。

 ハートと面が。

 接触し、弾けた。

 観客たちの歓声が上がる。それを合図に、こころは気合いとともに、こいしへ向けて脇目も振らずに突進した。

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