嗟嘆/からだはうそつき
実に、居心地の悪い部屋だった。
四季映姫は、出された紅茶に口を付ける気にもなれないまま、ただじっと屋敷の主を待っていた。一見豪奢な椅子はガタついていて、座面の綿はすっかり潰れてしまっている。漂う獣の匂いはもはや隠す気すら感じられず、およそ快適とはほど遠い空間であった。極めつけには、部屋のあちらこちらに少女の姿絵が飾られている。同じ少女を描いたと思われる大小様々な絵画。それが壁を埋め尽くすようにびっしりと掲げられているのだ。壁と棚の僅かな隙間にまで手のひらほどの額縁がはめ込まれている様は、鬼気迫るものすら感じさせた。
ひとつ、咳払いをする。居づらい。早く帰りたい。
旧地獄の最奥部に位置するこの地霊殿まで、是非曲直庁からはかなりの長旅だ。長旅、と言ってもそれはあくまで映姫の勤務時間内における話ではあるが、今日一日の内勤時間が消し飛んでいることは確かである。閻魔たる彼女が出張することなどほとんど無いものだから、帰ったときに待ち構えているであろう決裁待ち書類の山やら審判待ち霊魂の束やらの量はえらいことになっていそうだけれど、映姫が泣き言を言ったりすることは無い。無いったら無い。
どこかで肉食獣の唸る声がした。それを合図にしたのかどうかは知らないが、ようやく古明地さとりが書斎へ戻ってくる。
「お待たせしまして。……匂いですか。こんなものは慣れればどうということはありません。生物は基本的に臭いものですので。あぁ、でも、無臭の霊魂を相手に仕事をする御方には厳しかったですかね? 一応、貴方様がいらっしゃるというので掃除はさせたのですけども」
「是非曲直庁も臭いますよ。確かに死は無臭ですが、裁く者には独特の臭いが付くものなのです」
「あぁ、それでお燐があんなにクシャミをしていたんですね。可哀想に」
自分の席に置かれていた茶を、さとりは腰掛けるや否やぐいと一息で飲み干した。それだけでは足らなかったのか、ティーポットからおかわりを注ぎ、再び一気飲みをする。そこそこに熱いはずだがよくやるものだ。
「っぷはぁ。いやぁ、すみませんね。灼熱地獄跡まであれを呼びに行っていたもので、喉が渇いて渇いて。ほら、おくう。入っていらっしゃい」
「はーい」
大きく、よく響く声が返事をした。
さとりの飲みっぷりに、自分も喉の渇きを思い出して、映姫は茶に口を付けた。なんだか酸っぱい。檸檬の入れ過ぎか、あるいは他の何かが混じっているのか。
「……あら、間違えて温泉の湯を使っちゃったのかしら。よくやるんですよ、うちのペット。沸かした湯と温泉の区別、何度教えても付けられなくて。それはそうと、これが今回の熱暴走主犯、霊烏路空です」
「空です。よろしくお願いします」
「ふふん、格好良いでしょう、この姓」
「……なんとまぁ」
映姫は目を見張った。そして頭の中で頭を抱えた。濡羽烏のごとき長髪を指先でくるくると弄り続けている空を一目見ただけで、説教するべき相手と理由が山と生じた。彼女の知る情報と照合すれば、この一件に関わったすべての者は黒である。そう、こいつらはあまりにも自由過ぎる。
二週間ほど前、映姫の元に風雲急を告げる報告が立て続けに舞い込んだ。旧地獄跡に異常な熱源が発生したこと。怨霊が所構わず溢れ、周囲に甚大な被害を与えていること。そして業を煮やした幻想郷の住人たちが、嫌われ者たちとの契約の穴を突いて巫女と魔法使いを異変解決のために送り込んだこと。そのいずれも、生と死の境界を踏み越える重大な違反案件である。
映姫は急ぎ、小野塚小町に事態への秘密裏の介入を指示した。任務は主にふたりの人間への助力だ。
旧地獄と地上の間には、遙か昔に交わされた「地上の妖怪は地底へ進入してはならない」という契約が確かに残っている。そこに人間が含まれていないのは、別に人間ならば入っても良いという意味ではない。入ろうとする人間などいるわけがないからわざわざ書き加えなかったというだけだ。いくら霊夢と魔理沙の両名が荒事に慣れていようと、地底世界はあまりにも危険である。しかし庁として大々的には動けない。旧地獄の住人たちとの関係はあまりにも拗れすぎており、強権を伴った介入に異を唱える慎重な閻魔も複数いたためだ。事態は膠着し、解決までは長い時間がかかるものと思われた。
しかし事実は、映姫の予想の斜め上を行った。人間たちは幻想郷の妖怪の助力を受け、瞬く間に異変の元凶を叩きのめしてしまったのである。開いた口が塞がらないというのはまさにこのことであった。
いったい何が起こったのか。それを調査するために、映姫自ら旧地獄の首魁の許を訪れたのだ。もちろん、さとりの読心能力は十二分に警戒している。事前に自身へ思考制限を施し、重要機密事項は読まれないよう対策済みだ。
古明地さとりは鉛のように腰が重く、庁への呼び出しをのらりくらりと十年以上かわし続けていることで有名であった。そのくせ、旧地獄街をまとめ上げる能力を持つ者も、その仕事をしたいという者も、彼女をおいて他にいないというのだから質が悪い。彼女の機嫌ひとつで、地底世界は如何様にも動く。嫌われ者のくせをして、住民たちの心は文字通りに掌握済みというわけだ。ゆえに是非曲直庁は慎重な対応を迫られ、面識があるという理由だけでわざわざ閻魔本人を出向させたわけである。
そして、いざ赴いてみれば。
「あの、それで、えぇと、ヘッドハンティング? の話なんですけど」
空がそわそわしながら切り出し、映姫は首を捻った。何の話だ。
「悩んだんですけど、お断りします。私、やっぱり新しい地獄には行けません。お燐や皆とここで一緒に暮らしたいんです」
「殊勝ねぇ、おくう。泣けるわ」
「いや、そんな話をしにきたわけでは……」
「え、嘘だぁ。皆が『異変を起こしたくらいの大妖怪は、地獄の現灼熱地獄に引き抜かれるに違いない』って」
「あり得ませんので安心してください」
なぁんだ、と空は残念そうな顔をした。断ったくせに。
霊烏路空は、もとは地獄烏であったと聞いている。地獄烏は地底の闇が形を持った原始的な妖怪だ。冷気にも熱気にも強く光を苦手とする原生種。生命力は強いがただそれだけだ。それが少女を象ったとしても、力はたかが知れている。
しかし今目の前にいる妖怪は、とてもじゃないが地獄烏の持つ力の範疇には収まらない。胸元には強い太陽の神気を発する赤い宝玉。明らかに何らかの能力拡張を受けている。烏で太陽といえば候補はそれほど多くなく、よく見れば彼女の両足と片腕は脚の意匠を施されているようだ。
十中八九、彼女は八咫烏をその身に降ろされ、生ける神社兼巫女と化したのだ。
そんな芸当ができる者となると、かなり限られてくる。
「……犯人ですか。この子をこんなにしたのは、幻想郷の八坂神だそうで」
「そうそう! 凄く熱心に誘われて、熱くて痛くて死ぬかと思ったけど、気が付いたらこんなに強くなってました。皆も八咫烏様とひとつになればいいのに。八咫烏様の愛はとっても暖かいんですよ」
「それは誰にでもできるわけではないのよ。……あぁ、説教ならこっぴどくやっておいてください。ノリと思いつきだけで神の降臨事象を起こされたんじゃあねぇ。いくら旧地獄が何でもありの世界だと言ってもねぇ」
「の、ノリと思いつきで……」
「核融合で無限のエネルギー革命、とか聞きました! 凄いパワーみたいなんですよ、よく分からないんですけど」
一点の曇りもない満面の笑顔で、空は笑う。それは太陽のように眩しくて、映姫は思わず目頭を抑えた。
八坂神奈子とは、遷座直後に面会したことがある。休日に散策がてら守矢神社を参拝した際に挨拶したのだ。彼女はけっして悪神ではない。信者の健勝と発展を第一に考える態度は、人妖問わずその信仰を捧げるに足るだけの度量があると言えるだろう。しかし、突飛な策を少々好みすぎるというか、派手さを第一に考えるというか、平たく言えばパフォーマンスに走りがちなきらいがある。そしてその後々の影響まで考えている様子はあまり見受けられない。信徒が盛り上がること、何より自分自身が楽しいことが優先課題で、後始末は強引に地力でなんとかしてしまうタイプである。
つまり、幻想郷へ遷った神が信仰のための手土産として核融合エネルギーの実用化を画策した結果、その結果として旧地獄に空という異常熱源が生まれ、地底の太陽の影響で各世界間のパワーバランスが崩れたり、地殻変動が起こったりしたということか。冥界を震撼させた大事件も、蓋を開けてみればなんとも間抜けな真相であった。
「……頭が痛い、ですか。えぇ、それには同意いたしますよ。まったく、地上人に殴り込まれた身にもなっていただきたい」
「それは八坂神も経験済みだったはずですけどね。まぁ、何が起こったのかは十分に分かりました。それはともかく。私は貴方がたに言っておかなければならないことがあります。まずは空とやら。そう、貴方は調子に乗りすぎた。力を持つ者は、それだけ強く自らを律する必要があるのよ。勢いに任せて地上へ攻め上がろうなどとは言語道断」
「? うん」
やたらとにこやかに空は頷いた。これまででもっとも説教の手応えが無い相手だった。
気を取り直し、その傍らの主人に向き直る。
「……続いて、古明地さとり。えぇ、そう、貴方は」
「監督責任ですね。はい。それについては反省しておりますとも。地霊殿には大小含めて五百を超えるペットが住んでおりまして、毎日増えたり減ったりしておりますがね。その一匹一匹に目を配れなかった、私めの落ち度でございます。今後はもう二度と、勝手な神様の拾い食いはさせませんよ」
「……おほん。それと、あの」
「出頭命令無視の件ですか。それも大いに反省いたしましょう。えぇ。私の不在の隙に旧地獄街を引っくり返しかねない者には、両手の指じゃ足りないくらいには思い当たる節があります。ありますが、それを放置してでも年始のご挨拶には伺いましょうか」
「……あのねぇ」
「貴方は卑屈になりすぎる、と。成る程、仰るとおりです。これは虐められ通しだった私の悪癖でしてねぇ。おや、説教もやりづらいと。そんなことを言われましても、読心を止めてしまえば覚妖怪としてのアイデンティティが消失してしまいますので」
「……帰ります」
「それはどうも」
さとりの笑顔は勝ち誇っていることを隠そうともしていなかった。もはや性質が悪いなんて言葉では済まされない。映姫とさとりは、混ざらない水と油を通り越して、反発しあう磁石のようであった。説諭とは相手の心根を変えるためのものだ。映姫はそう信じている。だが地底の主の精神は、磁石の同極どうしを近づけたときのように、閻魔のどんな言葉をも弾き飛ばしてしまう。
「あぁそうだ、お土産に温泉饅頭の今年の新作をどうぞ」
はいこれ、と放り投げるように渡された箱には、地底温泉街のゆるキャラ、皆大好き、世界の妹、こいしちゃんとやらが描かれていた。映姫は頬が引き攣るのを感じた。
「誰ですか、これ」
「これはですね」
そのときだけ、さとりの声から嘲りの色が消えた。そんなように映姫には思えた。
あの古明地さとりが素直な言葉を述べるだなんて、何かの間違いに決まっているけれど。どうしてだか、狼少年が狼に襲われている場面を、閻魔は想起した。
「――これは、私の妹です」
「え、貴方に、妹が?」
初耳であった。怨霊も恐れ怯む少女に身内がいたなど。
記憶を洗い直すも、是非曲直庁の資料にも、古明地にもうひとりの覚妖怪がいるだなんて記載は無かったはずだ。覚えがない。どうしても思い出せない。
傍らの鳥頭も、頭を捻っている。
「さとり様の、妹……?」
「まったく、おくうったら。ほら、額縁を見なさい」
そうして指さされた先を、映姫も見やった。この部屋に無数に掛けられた絵画の、最も大きな一枚。そこに描かれているのは、最も写実的な画風の油絵だ。若草色の髪、藍色の第三の瞳。手元の温泉饅頭を見る。成る程、確かに箱のイラストと同じ少女をモチーフに描かれているらしい。
さとりの書斎は、『妹』の絵で溢れかえっていたのだ。
「あ、そうだった。どうして忘れていたんだろ、こいし様のこと」
「ちゃんと思い出せたのね、偉いわ」
さとりが空の頭を撫で繰り回すと、ペットは嬉しそうに目を細める。
心が騒つくのを、映姫は感じた。今自分は何を見ているのだろう。さとりはペットにおかしな芸を仕込んでいて、その成果を見せられているだけではないのか。そんな突飛な想像をしてしまった。
さとりが、たぶんその思考を読んで、笑う。
「……四季様におかれましても」
囁く声の甘ったるさが、ひどく頭に残響した。
「覚えておいてください。ぜったいに忘れないでくださいね、こいしのことを」
地獄牛車が宙を駆けだして十数分。映姫には往路よりも速度が速く感じられた。地霊殿は動物とだけは相性がやはり良いのか、牛も元気を取り戻したらしい。
いろいろな意味で頭の痛い会見だった。是非曲直庁には嘘偽り無く報告するつもりではいるけれど、正直に書いたところで何度も問い質されそうだ。ときとして事実は小説よりもくだらないものである。
何から報告書に記したものかと考えていると、飛行中の車の扉が音も無く開いた。そこからするりと入り込んだ人影が、映姫の隣へと難なく滑り込む。しかし映姫は驚くことはなく、逆に相手を労う言葉をかけた。
「良い働きでしたよ、小町。まさかこんな滅茶苦茶な事態になるとは私も思いませんでしたが」
「いやぁ、わざわざこんな場所までお疲れさまです。私も疲れましたけど」
「しかし随分と肌艶が良くなったわね。こちらの温泉はどんな具合だったのかしら?」
「そりゃもう極楽の一言。地獄なのに。ところで経費で落として良いんですよね?」
「内密にね」
密偵から受け取った領収書をざっと眺めてから、懐に仕舞い込む。あとで給金に適当な手当として混ぜ込む算段である。
小野塚小町、三途の川のしがない橋渡し。
というのは仮初めの姿で、その実は四季映姫の子飼いの私兵である。
是非曲直庁において、楽園の閻魔に課せられた仕事はあくまで魂を裁くことであり、武力行使は鬼神隊というまた別の部署が行う。しかし映姫は、管轄である幻想郷とその周辺が、一筋縄では行かぬ生者ばかりであることを身に染みて理解していた。ゆえに、荒事にも強い死神である小町を秘密裏の実働部隊として使っているというわけだ。庁にも報告していない、言わば裏仕事であるからして、その経費ももちろん公金ではなく映姫の私財である。
「でも、大事にならなくて良かったじゃないですか。万が一にでもあの八咫烏が地上に攻め上がりでもしてたら、地上は今頃火の海だ。本業の方が大忙しなんてもんじゃ済まない」
「八雲も上手くやったわね。本当、あいつはこういうところで悪運が強いんだから。いや運が悪いのかしら? いずれにしても、いつか痛い目を見る前にきちんと説諭してやらなければ」
「しかし、守矢の八坂神もあれで悪気が無いから凄い。おかげで地底世界の地図が文字通りに書き変わっちまったってのに、あの御方ときたら『それは済まないことをしました。しかし必ずや、我が神徳のもたらしたエネルギーが革新をもたらすでしょう。損失を補って余りある資源であるはず。これを機に私の下へ集い、我が加護を祈り求めなさい』だって。もはや面の皮がどうとか、そんなレベルじゃないですよ」
「大いなる神とは得てしてそういうものです」
「まったくもう。……ところで、その箱は何です?」
「あぁ、これは地霊殿で押しつけられた饅頭で……」
包装紙の上で笑うのは、皆大好き、世界の妹、こいしちゃん。
すると、映姫の手から、箱ごと彼女が奪われた。ぎょっとして小町を見るが、箱を奪った相手は彼女とは反対側だ。まさか、隙間妖怪が牛車の結界を破ったのか。
[Unconscious event begin]
「ほら見て、これ私!」
古明地こいしは、自分の顔の横に箱を掲げてみせた。イラストのスマイリングフェイスと、本当の彼女の空虚な笑顔が交錯する。
突然の闖入者に映姫は驚いたが、その正体が無意識の覚であることを知り肩から力を抜いた。
「まったく、そうやって驚かすのも大概にしなさい。いくら貴方が無意識に潜む者だからって」
「えへへ、いいでしょこれ。お姉ちゃんが考えてくれたんだって」
「そうみたいですね。しかし、いつまでもそうやって徘徊しているものではありません。さとりも心配するでしょう。そう、貴方は少し自由すぎる」
「そんなことありませんよーだ」
「おや、随分とボロボロじゃないか。どこかで喧嘩でもしたのかい」
「うん、守矢神社まで行ってきたの。私にもおくうみたいな『かみさま』パワーが欲しいなぁ、って思って。そしたら別の神社の巫女に出くわしてねー。えぇと、何て神社だったっけ」
「博麗神社?」
「そうそう。その娘にこてんぱんにされちゃった。強いねー、あの娘」
きゃらきゃらと笑って、こいしは温泉饅頭の包み紙を乱雑に破くと、中身を行儀悪く取り出した。
「もぐもぐ。一個ちょうだい」
「食べてから許可を取ってどうするんですか。まぁ、良いんですけどね。どうせ貴方の姉から貰ったものですし」
「ねぇ、私も『かみさま』のパワーがあれば、強くなれるかなぁ?」
「神とは、なろうと思ってなるものではありません。周囲が認め、誰もが求めるからこそ、そこに在るものなのです。言うなれば、希望あるいは絶望の具現。そして神は求められるからこそ強く、また神を求める者もそれゆえに強い」
「じゃあ、じゃあ、私は私の『かみさま』を探せばいいの? 強くなれる?」
「……どうしてそんなに強さを希求するのかは分かりませんが、確かにその通りでしょう。貴方が自分にとっての神を見出すのであれば、貴方はまた違う自分をそこに見るはずです」
「おぉー」
こいしはぱちぱちと手を叩く。小町の溜息がそれに合わさった。
「まったくもう、古くからの神だかなんだか知りませんけど、もうちょっと大人しくしていてくれてもいいのに。おかげで仕事が貯まりっぱなしだ」
「貴方の渡し仕事が終わらないのは、時間効率を気にしないからでしょう。霊魂の話を聞くこと、無駄とは言いませんが限度はありますよ」
[Unconscious event end]
「いやいや、あれで結構面白い話が聞けたりするんですよ。あ、そういえば四季様に報告しようと思っていたんだった。ついこの間、酒の飲み過ぎでくたばったって鬼の霊からの情報ですけどね、鬼の至宝である打出の小槌が――」
「……おや」
映姫は傍らの土産箱の惨状に気が付いた。
いつの間にか包装紙が破かれ、中の饅頭が一個消えている。
「小町、行儀の悪いことを。別にひとつくらい、言ってくれればあげるのに」
「へ? いやいや、私じゃないですよ」
「嘘おっしゃい。この車には私と貴方しか乗っていないのよ。貴方以外の誰がやるっていうのよ」
「四季様が食べちゃったんじゃないですか、無意識の内に」
「そんな馬鹿な。からかうんじゃありません」
「いやいや、こんなどうでもいいことで嘘吐くと思います? しかも閻魔様相手に」
往生際の悪い部下に業を煮やした映姫は、先ほど受け取った領収書の一枚をつまみ上げて、小町の眼前に突きつける。するとその端からぶすぶすと煙が立ち始めた。同時に小町の悲鳴も上がる。
「ああああぁぁぁぁ! 分かりました、分かりましたから。私が悪かったです。私がやりました。もうそういうことでいいですから。勘弁してくださいよ、経費を見込んで一番良い部屋取っちゃったんですから」
「貴方のそういう自分に正直なところ、私は好きよ。それで、鬼の小槌がどうしたんですって?」
「うぅ、横暴だ、パワハラだ……。あ、小槌がですね、どうにも久方ぶりに起動された痕跡があるみたいで」
小町の報告を聞きながら、映姫はびりびりに破かれた包装紙を広げ直し、丁寧に畳む。地底のゆるキャラは首と胴が分かたれて可哀想なことになっていた。皆大好き、世界の妹、こいしちゃん。そういえば、別れ際にさとりが「けっして忘れるな」とか何とか妙なことを言っていた。あれは変な女ではあるが、意外とこういう営業努力はしっかりやるものらしい。ただのゆるキャラを自分の妹などと吹聴するその手段は置いておいて、仕事に精を出すのは良いことである。
ひとくちかじった饅頭は、やたらとぼそぼそしていた。




