表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

無粋な魂

作者: life yell

 ナツキ、僕は今、君の事を考えながら自転車をこいでいるよ。車の免許もあるのになんでまた、なんて君から笑われそうだけど、理由は……特にないんだ。車に乗ろうとしたら、車庫の隅で埃をかぶっていたこいつが目についたからさ。

 僕が高校時代に乗っていたものだけど、さっと埃を拭いただけで出てきちゃったから、一こぎするたびに死にかけのじいさんの背骨みたいな音がしてさ、それを聞いてると、なんだかこっちまで歳をとった気がしてくるよ。こちとらまだ大学を出たての若造だってのにさ。

 それにしても、今日は温かくていい天気だ。空は高く、雲一つない。こういう日を、小春日和って言うんだっけ。ともすると、畑の畔にはつくしでも見つかりそうだ。人間は相対的なものさ、なんて家に居た頃のナツキはふざけて言っていたけど、当時の僕は何のこっちゃなんて思っていたよ。だけど、今ならわかる気がするんだ。寒い日の続いた後だからこそ、温かさが余計に感じられるっていうかさ。そんな感じ。

 ここの道を曲がって、少しいけば、ほら、鉄塔が見えてきたよ、ナツキ。小さな頃のナツキは、あの鉄塔にご執心だったね。薄汚れてて、埃だらけで、これといって面白味もない鉄塔だけど、小さなナツキはあの周りをグルグルグルグル回ってさ、最後はがばっと飛びついて、登りだそうとしたっけ。そのたびに僕が慌てて止めると、「お前は弟失格だあ」なんて叫ばりして、大変だったよ。まるでどっちが上なのか分からなくなったよ。だけど、その後の帰り道、汚れ切った僕らの服を見て、「大丈夫、私が守るから」なんていってくれた時は、頼もしく感じたりもしたが。

 ほら、土手が見えてきたよ、ナツキ。子供のころは一息で上までこぎ上がったものだけど、普段の車通勤でなまりきった体にはどうだろう。出来るだけ頑張ってみるから、ナツキも応援してくれ。

 ハンドルを握りなおし、足に力をこめる。立ちこぎをして、一こぎ、一こぎ、登っていく。そのたびに、ゴキゴキゴキゴキ、チェーンが五月蠅い、気が散る。だけど、これを聞いてると、また昔を思い出すよ。

 僕がやっと自転車に乗れるようになったばかりの頃だ。ナツキが土手の上まで自転車を降りちゃ駄目だよなんて言い出してさ、僕が何かを言う前に先に行ってしまった。仕方なく姉の背中について必死にこいだ。だけど、小さなやっぱり僕にはきつくてさ、今にも降りそうになったその時だった。「駄目!」そういったのは、自分の自転車を乗り捨てて、いつの間にか隣にいたナツキだった。おいおい、そりゃないぜ……なんて思ったけど、頑張れ頑張れなんて応援されると、そのまま降りてしまうわけにもいかなくて。

 でも不思議だったな、ナツキの声を聞いてると、どっからか力が湧いてくるんだ。だけど、頑張れのリズムくらいは合わせてほしかったね。頑張れ、頑張れ、の次はガンバレガンバレガンバレとなって、そうだと思ったら今度はガンバーレで、滅茶苦茶だ。あの時もこのチェーン同様、気が散って仕方がなかった。

 そんな次の瞬間、ペダルから足が滑り、ハンドルを握ったまま僕は倒れてしまった。自転車の下から這い出して、膝を見ると、血が出ていた。僕にはそんなことよりも、ナツキの思いに応えられなかったことの方がショックだった。そんな僕を、ナツキは何も言わず抱きしめた。汗や埃や血で服が汚れるかもしれないのに、そんなこともかまわずに。そして、「よく出来ました」といって、頭をなでてくれた。訳が分からずポカンとしていた僕だったけど、ナツキの腕の隙間から辺りを見渡して納得した。何てことはない、僕は土手を上りきっていたのだ。

 汗をかいてしまったよ、ナツキ。上着が一枚余計だったかもしれない。僕は自転車から降りると、枯草の上に座り、ミステリーのキャップを団扇代わりに息を整えた。目の前には畑が広がり、ところどどころ萌え出たように家が建っている。この場所は、あの頃から何も変わらない、ずっと同じ姿のまま、僕らを待ってくれているんだよ、ナツキ。

 アナウンスが入ったよ、ナツキ。平日の駅は空いていて、僕のほかには、大荷物を抱えたおばさんがまっているくらいだ。これだったら快適な旅が出来そうだよ。僕はリュックからレイバンを取り出した。最近友達と出かけた時に買ったものだけど、ナツキがこんな姿を見たら、きっと似合わないといって笑うだろうね。そんなことは僕だって百も承知さ。だけど今の僕には、こんな色ガラス一枚分だって、世間との隔たりが必要なんだ。

 電車は住宅街を抜けると、橋を渡り、土手を並走する。あの向こうには、ラムサール条約にも登録された大きな湿地帯が広がっている。ナツキ、覚えているかな。君が大学への進学が決まり、家を出ていく日の朝の事だ。僕は十六歳で、君が十八歳。お互い思春期だったんだ。顔を合わすのも気恥ずかしくて、たまに交わす会話も短い物ばかりになっていた。そんな僕らは明け方、まだ薄暗い中を二人して散歩へ出かけて、ここまで来たんだ。もう四月だというのに肌寒くて、君は体を震わせた。僕が上着を貸してやると、ありがとうと言ってナツキは笑った。久しぶりに見る笑顔のような気がした。そのまま土手の上に立って、朝日が昇るのを待った。風が吹いて、ススキを鳴らし、鳥が群れを成して飛んでいくと、東の空が茜色に染まった。

 あの日の事を思い出したら、思わず笑ってしまい、まわりの乗客から変な目で見られた。こんな目にあいたくないから出かける時間をずらしたのに、これでは意味がない。まったく、まいるね。

 都心に近づき、徐々に人が増えてきたよ、ナツキ。僕はお婆さんに席を譲り、つり革につかまって、流れる街並みを眺める。何てことはない風景だ、人びとは行きかい、生活を営んでいる。こんなこと、前にもあった気がする。たしか……ナツキに誘われて、ナツキの通う大学の学園祭に向かう時だ。

 部屋で漫画を読んでいると、携帯電話がなった。出るとナツキだった。ナツキは口ごもり、僕が話しかけても曖昧な返事しかよこさない。どうしたんだと思っていると、ナツキはいきなり学園祭に来ないかと言い出した。学園祭? と聞きかえすと、どうやら来週開かれるらしい。その頃の僕は、まだナツキとも距離を感じていて、いきなりそんなことを言われても、はっきりいって困った。だけど、僕が断るよりも先に、君が電話を切ってしまい、断るにも断れなくなってしまった。そしてあの時もこんな気持ちで電車に揺られていたんだ。

 数時間かけて鎌倉駅へ着いた。観光客に混じってナツキに教えられた通り道を行くと、ナツキの通う大学があった。君は校門の前で待っていてくれて、僕を見ると駆け寄ってきた。ナツキは何も言わず僕の手を取ると、そのままにぎやかな中庭を抜け、片隅の喫茶店へつれていった。喫茶店には午後の日差しが差し込んでいて、店内を明るく照らしていた。僕らは湯気を上げるコーヒーを前に、テーブルの上で左手を重ね合っていた。片隅には君がポケットから出した春昼の文庫本がのっていて、なぜだか記憶の残った。おいおい、今は秋の昼過ぎだぜって心の中で突っ込んだからかもしれないし、それともナツキとそうしていたことが印象的だったからかもしれない。なんにしても、記憶力の悪い僕からしたら珍しいことだった。

 そして君は言ったんだ。私たち、昔の関係に戻れると思うの、と。僕は素直にうなずいた。あの時から、また僕らの時間は動き出したんだ。小さな頃のように、お互い笑いあうようになったんだ。

 電車を乗り換えるよ、ナツキ。東京は抜けたけど、まだまだ目的地までは遠くて、電車に揺られて、また電車を乗り換えて、それで……つまり、まだまだ時間はあるってことだ。

 あの日からよく連絡を取り合うようになったね、ナツキ。日々のたわいもない出来事から、些細な悩みまで、僕らは包み隠さず話し合った。ナツキの住む逗子が、君の好きな小説の舞台だと聞いて、意外とミーハーなんだねと僕がいうと、君は必死で否定してたっけ。ナツキも僕の失敗を聞いて、よくクスクスと笑った。だけど、失恋した時くらいは慰めてほしかったね。高校生の恋愛なんて、それこそ天地が引っ繰り返るくらいの大問題なんだぜ? 僕が拗ねて電話を切ろうとすると、ナツキは慌てたっけ。あの時は君を困らせようなんて気はなかったんだ、許してくれ。

 横浜についたよ、ナツキ。横浜のビルは妙に綺麗で、冷たく感じられるから不思議だ。こんな風景を見ていると、何だか五年前の冬を思い出すよ。その頃の僕は受験生で、勉強につかれて早くから寝ていたんだ。すると携帯電話が鳴って、誰だよ眠気眼でみるとナツキからだった。もしもし、といっても、ナツキは何も言わなかった。明らかにいつもと様子が違っていた。これは長期戦になるぞと、僕は布団の中で起き上がり、毛布をかぶったまま胡坐をかいた。僕は焦らずに待った。部屋はしんとしていて、まるで僕らを残して、世界中が無くなってしまったかのようだった。そのせいか、受話器の向こうからはナツキの息遣いが、妙に生ましく聞こえた。もしやと思い布団から抜け出して窓を開けると、雪が降っていた。

「……ナツキ、こっちは、雪が降ってるんだ。うっすら積りはじめていて、これじゃあ明日は大変なことになりそうだよ」

 僕は白い息を吐きながらいった。意味のない言葉をナツキに送り続けた。

 そんな僕の様子が不安になったのだろう、ナツキはやっと口を開いた。

「あのね……私、悩んでいて」

 ナツキは大きく深呼吸をすると、意を決したように喋りはじめた。

 時折相槌を打ち、耳を傾けながら、僕は心の中で安どのため息をついた。なんてことはない、恋愛相談だった。同じゼミの先輩に告白されたというのだ。

「とっても、いい人なの。私の事をいつも気遣ってくれるし、困ったことがあったら助けてくれるし……ねえ、どうしたらいいと思う?」

「そうだんだあ……」僕は薄荷の混じる空気を感じながら言葉をさぐった。「少しでも好意があるのなら、付き合ってみてもいいんじゃないかな。嫌いじゃないんだろ?」

「ええ」

「だったら、付き合うべきじゃないかな」

「そう……そうだよね」

 ナツキは有難うといって電話を切った。

 窓を閉めて布団に戻ると、温もりはどこかに消えていた。

 もうすぐ鎌倉につくよ、ナツキ。ここまで来ると観光客の姿がめにつく。地図を膝に広げて、あれこれ楽しそうに話し合っている家族を見ると、僕の頬もほころぶ。

 ナツキたちは上手くいっていた、と僕は思うんだ。ナツキが大学を卒業してからも交際は続き、オヤジやオフクロの口からも彼氏さんの名前が出たりした。だから、このまま結婚して、子供を産んで、家族になって……そんなことを僕は考えていたんだ。

 だけど、物事はそう簡単に運ばなかった。

 僕が仕事から帰って来ると、玄関ではオフクロが受話器を片手に怒鳴っていた。

「あんたね、そんないい加減でいいと思ってんの? 一度帰ってきなさいよ。ええ……だったら、こちらから行くわよ、いいわね、ナツキ!」

 僕は部屋へ行き、すぐに君と連絡と取ろうと思ったが、自分の馬鹿さ加減に気がついて携帯電話を放り投げた。だって、今なおナツキは母親とやりあっているのに、僕の電話に出れる訳ないじゃないか。いやあ、まったく、これには呆れたね。

 あれから……まだ半年だというのに、ろくに思い出せないや。きっと、その間にいろいろな事がありすぎたせいかな。何がきっかけだったか、ナツキが妊娠していると僕は知った。

 ナツキが母親と電話口でやりあっていた数日後、両親が居間で泣いていた。異様な空気に、どうしたんだよと僕が聞くと一言、「流れた」とオフクロはいった。すぐには何のことだか分らなかった。その言葉と男女関係を結びつけるには、僕には残念ながら男女の経験が乏しすぎたんだ。両親のすすり泣きだけが居間を支配していてさ、僕は訳も分からず、途方に暮れたよ。

 そのすぐ後だったね。ナツキは、遺書も書かずに、海へ飛び込んで、そのまま……

 今回の目的地、逗子へついたよ、ナツキ。泉鏡花ゆかりの地なんて言うから、もっと典雅な所だと想像していたけど、なんていうか、実際的な町なんだね。

 この前読んだ小説の主人公になりきって、何とかかんとかここまで来たけど、最後まで役を演じきれるかな。もう少しだけこの三文芝居にお付き合いを。


 目的の喫茶店はすぐに見つかった。

 ドアベルを鳴らし、案内されるまま窓際の席へ着く。昼の光が、店内を温めている。約束の時間まではまだある。相手はまだ来ていないようだった。

 僕はにコーヒーを注文し、トイレへ立った。鏡の前に立ち、キャップの位置を直し、ミステリーのロゴである割れたハートをそっと撫で、大丈夫だよな、と自分自身に呟く。

 コーヒーの湯気を眺めていると、自分の名前が呼ばれた。顔を上げると、スーツ姿の男が立っていた。酷くやつれ、青ざめていたが、それでも隠しようのない人の好さは、僕の想像していた通りの人物だった。一度ナツキの葬式であっているというのに、ナツキの彼氏であるシュウサクさんの顔を、僕はまるで覚えていなかった。

 失礼しますと言って、向かいの席へ座った。僕なんかに気なんて使わなくていいのに、律儀な人である。

 シュウサクさんは僕と同じものを注文した。僕らは会話が続かず、しばらく黙っていた。僕としては何を話していいのか分からなかったし、それは相手も同じだったのだろう。シュウサクさんはただ疲れた笑みを浮かべ、テーブルの上に組んだ自分の指を眺めていた。

 店員がコーヒーを持ってきて行ってしまうと、シュウサクさんはなにかを言おうとしたが、首を振って、そのまま諦めたかのようにまた笑みを浮かべた。そして鞄から封筒を取り出すと、愛おしそうにひと撫でした。

「電話でも話しましたが、形見で貰ったナツキさんの本に挟んであったものです、こういうのは、持つべき人が持っているべきだと思って」

 あなたがナツキさんにあてて書いた手紙です、と僕は心の中で付け足す。当然そんなものを書いた覚えはないけど。

 皴一つない封筒を受け取ると、僕は出来るだけ乱暴に二つ折りにし、ポケットの中に突っ込む。そのまま怒って席を立ってくれるだろうと算段していた僕だけど、シュウサクさんはただ疲れた笑みを浮かべるだけで、どうやら当てが外れたようだ。

 こうなったらこちから共犯者の微笑みを浮かべようかとも考えたが、馬鹿な僕にそんなものは想像出来なくて、だから、ただ、無難に、黙っていることにした。

「私はその手紙を読んでいませんが……いや、ここは素直にいきましょう。読んでしまいました。すぐに私にあてられた手紙ではないと気づいたのですが、どうにも止められなくて。やっと、ナッチャンの心に触れられたような気がしたんです」

 そう言って思い出話を語りだすシュウサクさんの姿に、この人は本気で姉の事を愛してくれていたのだな、と僕は感謝した。だけど、その想いが、今の僕には、重い……

「御足労をかけました。本当は、私が届けるべきだったのに」

「いいえ、取りに行くと言いだしたのは俺ですから」

 頃合いだなと見た僕は、伝票を掴むと席を立った。そのまま会計を済まし、店を後にした。

 僕は胸を張って歩き、切符を買うと、改札をくぐる。

「あなたは心根の冷たい方ですね」

 登りのホームへいくと、僕は呟いた。

 レイバンをはずし、バックに突っ込む。

 さて、これで僕の役割はすべて済んだ。心の重荷が一つおりたよ。

 ねえ、ナツキ、ここまで僕は君をファン・ルイスに例え、君は僕の中に春昼を見続けていた。思えば、僕らの道が重なることなんて、最初から最後までなかったんだ。

 さて、ナツキ、そろそろお開きだ。幕は閉じて、君は眠り続ける。

「馬鹿野郎。いや、馬鹿な奴、だったかな」

 ……それでも、ねえ、ナツキ、一つだけ告白させてくれないか。学生時代、授業中に一度だけ、無性にノートに〇□△と書きたくなったことがあったんだ。教授の言葉そっちのけで、僕はノートに〇□△、〇□△と書いていたよ。そのことを、何か特別なことだと考えてしまうのは、君が亡くなったあとに春昼を読んだ僕の感傷に過ぎないのかな?

 隣に並ぶおばさんが、僕の顔を見ると慌てて目をそらした。そこではたと気づいた、まいったことに、夕立が降りだしたのだ。もう一度レイバンを掛けるべきだろうか? いや、いい、降るにまかせとけ。

 アナウンスが入った。

 僕はもう一度君をファン・ルイスに見立て、残された時間を使い、ナツキからの手紙を引きちぎると、滑り込んできた電車の風に散らす。その、季節外れの桜吹雪は、海風に運ばれて君が幻想を抱いて飛び込んだ逗子の海岸へ運ばれると思うんだ。

 ねえ、ナツキ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ