ゲーム好き
◇
「確認するよ?」
サイバーの事務所から車で二時間かかるとある高校の前で、善一郎は芽衣子と翠に言った。
翠は先日事務所に顔を出した時とは違う学校制服に身を包みながらうんうんと頷いていたが、芽衣子はというと暗い赤ベースのジャージを着て不機嫌な顔をしていた。おまけにトレードマークとも言えるような毛先の赤色は見当たらない。
「秋山勝人、高校一年の男子生徒。一年二組、美術部。写真は確認したと思うけど、少し背の低めでやせ型、長めの髪で目が隠れがち。性格は控えめでクラスでも目立たない方。今日は本人との接触は極力避けて、部活動中の校内で彼の周りから情報収集してもらう」
「はーい」
元気に素直に返事をする翠。それに対して芽衣子はというと――
「ざっけんな!なんでコイツがここの制服であたしが学ジャー(学校指定ジャージ)なんだよ!現役高校生に着させろよ!おまけにこんなウイッグまでかぶせやがって」
自分の頭を指さし、目立たないよう、しかしできるだけ大きな声で訴える。
「しゃーないやろ?ゼンちゃんかてここん制服二着も手に入れんかったんやし、運動部、文化部手分けするんに丁度ええやん」
「ならあたしでいいだろ制服!ダサいんだよここのジャージ!」
「あのねリューコちゃん、それにはワケがあってね……」
言葉を濁らせる善一郎に芽衣子は詰め寄る。
「なんなんだよその理由は」
「えっと、その、所長が制服調達したんだけどね、その……サイズが……」
「は?翠とそんな変わんねーだろ」
言葉に詰まり、あごに手を当てて何と言うべきか考える善一郎。それを見てピンときた翠はパチンと指を鳴らし、そのブツを指さしぶっちゃける。
「なんや、リューコちゃん意外とおっぱいデッカイんやね!着やせするタイプやな!」
凍り付く善一郎と芽衣子。
見る見るうちに芽衣子の顔が赤くなりプルプルと小刻みに震えたかと思うと、善一郎に背を向けて歩き出す。そんな芽衣子の背中が叫ぶ。
「も゛う行くぞ翠ぃ!!」
その気持ちはわかる。男である善一郎でも今のは恥ずかしいと理解できる。理解できていないのは恥を捨て、笑いを愛す女大和川翠ただ一人であった。
「制服貸そか?下だけでええなら」
芽衣子の怒りの背中に油を注ぎながらついていく翠。それを不安に思いながらも、特に根拠のない大丈夫だろうが頭に浮かぶ善一郎。何より校内での情報収集となると善一郎ではこうも簡単には入れないのだから二人に任せるしかないのだ。
二人の姿が見えなくなるまで見送った善一郎は路駐していた車へと戻る。位置的に目立たず、部活をせずに岐路に着く生徒たちを確認できる運転席で、万が一があった場合に連絡が来るスマホを握りしめる。
一番怖いのはなんの情報もなく対象と接触することだ。特に、学生および思春期の能力はタチが悪いことが多い。
能力はその人間の願望がそのまま、もしくは歪んだ形で再現される。大人になるにつれて願いというものは現実味を帯びていくものだ。そのため大人の能力者の能力は大抵の場合「現在の生活をささやかながら向上させる」というところに行きつく。
その点、思春期の願いは枠に収まることを知らない。動物的な欲望の昇華ももちろん存在するが、大人が考えもしない特異な能力が多い傾向にある。それがさらに歪んだ形で再現されるとなると本人の説明なしに能力を看破するのは至難の業である。
そう言ったタチの悪さが善一郎を不安にさせる一番の要因であった。
そんな彼の気持ちなどつゆ知らず、芽衣子と翠は校内を進む。
見ず知らずの学生たちが友人同士でだべっていたり、掃除当番がだるそうに箒を振り回していたり、岐路に着く生徒、部活に向かう生徒たちが入り混じって、さながら祭りの様だ。
そんな賑やかな雰囲気に少し飲まれ気味だったのは意外にも芽衣子であった。見知らぬ人に見知らぬ校内、その中で自分の素性を知られずに情報を手に入れるというミッションに、芽衣子は緊張でごくりと唾を飲み込んだ。
「なんや、緊張しとるんか?リューコちゃん意外とかわいいとこあんねんな」
いつの間にか芽衣子の前を歩いていた翠が振り向いて言う。
「だいじょーぶやって!自信もってやりぃ。ウチらならできるってわかってるからゼンちゃんも任せてくれたんよ?ほんならなんも心配いらんやん」
独特な理論を持ち出す翠であったが、堂々と自信をもって宣言する彼女に対して芽衣子は初めて年上の頼もしさを感じたような気がした。
「は、はぁ?別に緊張なんてしてねぇし」
強がって見せる芽衣子。だがその心中の緊張は心なしか軽くなっていた。
「そうなん?なら手筈通り二手に分かれよか。ウチは校舎内、リューコちゃんは運動部の活動場所頼むわ。後、はいこれ」
翠は一枚の紙きれを芽衣子に手渡す。
「なんだよこれ」
「リューコちゃん忘れてるかもしれんから、相手の事とこの学校の事まとめたヤツ。個人情報やし失くしたらクリスちゃんにどやされるから気ぃつけえよ?」
「お、おう。サンキュ……」
「これも必要やな」
今度はスポーツ用のエナメルバックを芽衣子に手渡す。
「中にいろんなスポーツの用具入ってるから状況に応じて使ってな」
翠のお世話の勢いに後ずさってしまう。出会って数日程度ということもあり、飄々とした翠の性格や考えを芽衣子は未だに掴めずにいた。
その点翠はというと、芽衣子の性格をこの短期間で大方掴めており、その正直な彼女を好ましく思ってもいた。もともとの世話好きという自身の性格も相まっている部分もなくはない。
「ほんならな。終わり次第連絡してな」
そう言って翠は生徒が流れてくる階段をその隙間を縫って登って行った。バッグと紙切れを手に持ったまま立ち尽くす芽衣子はその後姿を見送る。
しかしそこで芽衣子はあることに気が付く。
「あいつ、バッグなんてそもそも持ってきてたか?」
一瞬考えたものの、ま、いっかとすぐその思考を放棄する。バッグを肩に担ぎ、ほとんど忘れかけていた情報の書かれた紙切れを読みながら体育館へと足を向けた。
そのころにはもう芽衣子の緊張は消えていたが、芽衣子自身がそれに気づくことはなかった。
大和川翠は「お笑い」がなにより好きであった。
生まれ育った地域のせいもあってか幼いころからお笑い文化に触れていた翠は、誰かを笑わせるということをいつの間にか自身の幸福と捉えるようにもなっていた。
時には「当然」と呼ばれる選択肢をあえて選ばず笑いを優先する。先日のサイバー事務所訪問もウケを狙ってのことである。ただそれらは「当然」が存在して初めて成り立つものであることも理解していた。普段から突拍子もないことをしていれば異常者と思われかねない。翠はこの「当然」と「異常」のギャップをいかに自然に見せるかにこだわりを持っていた。
自分を知ってもらうこと。相手を知ること。その場の状況を読むこと。自身の知識。
その四つのカードで笑いを取ろうとする翠は、「異常」な笑いに執着する「当然」にありふれた常識人であった。
そんな彼女が高校の校舎内で一番初めに足を運んだのは美術部の活動場所である美術室である。
「こんにちは」
西の独特なイントネーションの挨拶に美術室内の目線が集まる。
大きなキャンバスに向かっている男女の二名、机を合わせ共同で何かしらの作業をしている男女四名の計六名が、部屋の四方に画材や作品が積まれた、とてもキレイとは言い難いその美術室内にいた。
「部長さんおります?」
六人の奇異の目線など気にも留めず、翠が問う。
「あ、はい。自分です」
キャンバスに向かっていたいかにも育ちのよさそうな顔立ちをした青年が答え、手にしていた画材を置き絵の具のついたエプロンを外すと翠の方まで歩み寄った。
「ウチまだ部活決まってのうて、ちょっと見学とかお話聞いてもええですか?」
「あー、あぁ。うん。大丈夫。いいよ」
六月も終わりを迎えようとしているこの時期の部活見学に一瞬違和感を感じたそぶりを見せた部長であったが、翠の制服の制服のタイの色が一年生のものであることを確認すると何かを察したようで、自分を納得させるかのような返事を返した。
「見学と言ってもほんとただ見ててもらうことくらいしかないんだけど……」
「ええよええよ。気ぃ使わんでも」
「簡単にウチの部の説明させてもらうけど、部員はだいたい四十人。ただ実際に活動してるのはその半数くらいで後は帰宅部の名ばかり部員なんだ。失礼かもしれないけど、この時期にここに来るってことは君ももしかしてなんだけど……」
「んん?」
少し訝しげな部長の目線に翠は一瞬疑問の声を上げたが、自身の中で合点がいく。先ほどの部長の曖昧な返答の答えが。
「あぁー、ちゃうちゃう!ウチ親の仕事の都合で遅れて入学してん。ほんで先生に部活見てきぃ言われたんで今日ここ来たんよ」
すらすらと今考えた嘘を並べる翠。帰宅部という名目ではまともな対応を見込めないかも、という判断からであった。
「そうなのか?ごめんごめん。最近、そういう人が多くて疑っちゃったんだ。先生にいい加減部活に所属しろって言われる時期だからさ」
「かまへんよ。部長さんも大変やなぁ」
翠の労いに少し照れ臭そうに部長は頭を掻いたが、奥で彼とともにキャンバスに向かっていた女性がわざとらしく咳ばらいをすると途端にピシッと背筋を正した。おそらく部長と彼女はそういう関係なのだろうと翠は察した。
「と、ともかく部の説明に戻ろう。うちの学校の美術部は特殊でね、本来なら分かれている美術部、手芸部、漫画研究会の合同体なんだ。部費を多くもらうためって聞いたことがあるけど詳しくは僕も知らない。だから活動してる部員も三つのグループに分かれてるんだ」
「そうなんか」
「で、僕と向こうで油絵やってる彼女は美術部。向こうで集まってる四人は漫研。手芸部は週三の活動で今日は休みだから見学できないけど……どこか見たいところがあって来たの?」
「えー……と」
美術部の内部事情は事前資料にはなかったので対象がどこに所属していたのかまでは、翠を含めサイバーのメンバーにはわからない。
横目で教室内の生徒の制服を確認し、一年生がいないことを確認してから翠は勝負に出る。
「あーそうや!秋山クン!秋山勝人クンに紹介されて来たんよ!」
これは賭けだ。もし万が一にでも彼と仲の良い先輩がいて、自身のクラスの事や彼自身の事をペラペラと話しているようであれば、翠の嘘はいろんな角度からバレてしまう。それでも、事前情報での目立たない性格というところから翠は攻めた。
さらりと流してくれれば良いなと思う翠に対して、教室内にいる生徒たちが静かにではあるがざわついた。
しまった。
そう焦りを心中で感じた翠に、部長が神妙な面持ちで告げる。しかしそれは翠が予想した方向の言葉ではなかった。
「彼、大丈夫なのかい?」
大丈夫なのか。つまるところ秋山勝人は現状、「大丈夫」ではない状況に立たされているということ。
「大丈夫ってなんのことなん?ウチただ近くの席なだけやねん」
安牌であったクラスメイトという設定で可能な限り情報を集めることに決めた翠が問う。その問いに答えるかどうかを少し考えた後、少し小声で部長は答えた。
「さっきも話したけど、うちは名ばかりの部員がいるんだ。その中のガラの悪い生徒が秋山くんに目をつけててさ、聞いた話ではそいつらのいいように使われてるらしいんだよ。ほら彼気が弱そうだろ?嫌って言えないでいるんじゃないかな。そのせいか当初毎日来てた部活も最近サボりがちで……」
「そやったんか」
適当に相槌を打ちながらその後も続く部長の話を聞く。
話の中で大体の事情は掴めた。事前情報で知らなかったことは、秋山勝人が美術部の中の漫研に所属していたこと、漫画やゲームが好きであること、一部の不良生徒からいじめにも似た扱いを受けているということである。
部活見学という体を取りながら翠は他の部員から秋山勝人とその周りについてもさりげなく聞いたが、それ以上事前情報から得た以外の物は出てはこなかった。ただ――
「変わったことと言えば、秋山をパシってる不良達最近全然学校来てないよな。まあ、普段から遅刻多いし、授業によってはサボってるから変っていうほどじゃないけど」
一人の生徒のこの発言が翠の中に漠然とした形で残った。
後でその不良とやらをあたってみよ。そんなことを考えながら二十分程度の部活見学を終えた。
無難とは言い難いが、情報収集をうまくこなした翠。そんな翠に対して特段のイレギュラーが潜んでいた。
「今日はありがとう。入部も前向きに検討させてもらうわ」
美術部員たちに別れの挨拶をし、ひらひらと手を彼らに向けて振りながら教室を出る。閉じられた教室の扉を見て、ふぅと安堵のような疲労のような息を零す。
とりあえずはうまくできた。ただまだ一歩目。これから不良の情報も集めて、可能なら対象の机の中も漁りたい。リューコちゃんも心配やし、メールででも調子を聞いとこか?
そんな思考をしながら振り向いて歩き出そうとする翠。ただ、その行動は何かに軽くぶつかって妨げられる。
「あ、すんまへん」
ぶつかった感覚からそれが人であることを悟った翠は反射的に謝罪し、その相手の顔を見た。
秋山勝人、その人であった。
心臓が跳ね上がるほどに驚いた翠であったが、それを表にギリギリ出さずに済んだ。普段なら「どんなタイミング!?」と咄嗟にツッコんでいただろう。
一瞬、中での話を聞かれたのではと最悪のケースが頭をよぎったが、長い時間廊下に突っ立っていたとは考えにくい。たまたまタイミングよく部活に顔を出しに来たのだろうと解釈をするが、その場合でもここに長居するのはマズイ。中の部員に自分の話をされたら終わりだ。
「急いでたもんで、ほな」
踵を返し、そそくさと撤退を決め込む翠。
だが、腕を掴まれそれを阻まれる。
「君、だれ?」
翠は自分の腕をつかみそう尋ねてくる勝人の顔を見た。おとなしそうな見た目とは裏腹に、自分を逃がさないという強引さが感じられるが、その表情には不安が宿っていた。
「あー、ウチは部活見学やよ?」
極力刺激しないよう受け答える。
だが。
「でも、僕の紹介じゃないよね?」
最悪のケースであった。話を聞かれていたのだ。それも初めから。
危機を感じた翠は、自分の腕を掴んでいた彼の手を振り払い一目散に逃げだす。だがまたこれも何かにぶつかり妨げられる。しかし今度は人ではなく、明らかに人工的な物であった。
ぶつかった額をさすり、ぶつかったその壁らしき人工物を見る。扉だ。
一般的な一軒家の玄関のようなその扉には幾多もの施錠が施されており、明らかに校舎内にありふれているようなものではない。
それだけではない様々な違和感を感じた翠は振り返る。
秋山勝人が消失していた。
学校が消失していた。
翠は見ず知らずの民家の中に一人、額をさすりながら立っていた。
◇
「ああ、秋山君。西の新入生と入れ違いだね」
久しぶりに教室に顔を出した勝人に部長が言う。
勝人自身、西の新入生と言われても「先ほどの彼女」という記憶しかない。だがこの部の人間にはその彼女がでっち上げた勝人との関係が浸透している。
「あの子、僕について何か話してました?」
そんな部員の理解を利用して勝人もさりげなく聞いてみる。初めうちから話を盗み聞ぎしていたとはいえ、壁越しに複数人の話声の中からすべての翠の話を聞く能力は彼にはない。
「うーん、結構君のこと聞かれたかな。隣の席だしもっと仲良くしたいって言ってたよ」
なんて白々しい嘘だろうか、と勝人は思う。だが同時に不安が彼の心臓を高鳴らせる。
そんな嘘までついて自分の事を知りたがるということは、彼女は素性を知られたくない理由があるということ。それでいて僕の「何か」を知りたいということだ。
勝人には心当たりがある。
それは能力のことであり、自分をこき使い馬鹿にする輩を能力で消したことだ。先ほどの翠と同じように。
勝人の能力は『ゲームの中に入る』能力である。
趣味と呼べるものがゲームしかなかった彼は暇さえあればゲームをしていた。ジャンルにこだわりはなく、フィクション世界への憧れとクリアするという達成感を得るためのものであった。そんな彼がいじめという被害を受けて逃避した先はやはりそこであった。
手に入れた能力によって勝人は文字通りゲームの世界に逃避した。しかし、彼の理想の能力は現実の彼と同調した能力であり、制限があった。
①ゲームは一日一本まで
②クリアしたら終わり
この制限に勝人は矛盾を抱え苦しむ。世界観を楽しむ彼は同じ日に他作品に触れることは邪道とし、ゲームクリアに快感を感じる彼はクリアせずにはいられない。しかし実際問題、現実から逃れるためにずっとゲームの世界に閉じこもりたいし、その為には複数の作品に触れなければならない。
苦しんだ挙句に出した彼の答えは、気に食わない輩を現実から追い出すということ。ゲームの世界に閉じ込めるという結論であった。
勝人は気に食わない輩を一人残らず高難易度のゲームにぶち込んだ。つい三日前のことである。
ゲームに捕らわれた彼らがそこから脱出するには二通りしかない。そのゲームをクリアするか、勝人自身の意思で能力を解除するか。思惑通り現在誰もクリアなど出来ずに、現実に戻ってきてはいない。
ゲームの中で彼らが空腹や睡魔を感じることはないし、ましてや死ぬことはない。だが彼らがゲームのプレイヤーである以上、それらに対する恐怖は感じるだろう。それが勝人の目的でもあった。そうやって彼らが恐れ慄きその心が砕けて、二度と他人を貶めようなどと思わぬように、蔑まぬように。
だがそんな悪意が勝人を窮地に立たせる。
普段の臆病な性格が行動を逸らせた。自身の事を探る女を思わずゲームの中に閉じ込めてしまった。これでは関西弁を使う彼女がこの能力について探っていようがなかろうが、自分が特別な能力を使っていることがバレてしまう。
なら彼女もあのクズみたいな連中もゲームから解放して何もなかったとシラを切るか?いや、連中にはできるだけ苦しんでほしいから出したくはない。それに攻略に何日もかかるような高難易度のゲームなんてそうそうないのに、能力解除で出してしまったらそのゲームはもう使えない。それよりもあの女の子の素性を知るのが先か……
「秋山君、大丈夫かい?ずいぶん顔色が悪いけど……」
部長が勝人の顔をのぞき込むようにして言った。
「あっ……はい。ただちょっと用事を思い出したので今日は帰りますね」
「そっか。いろいろと……無理はしないでね」
いろいろ。そのなかには体調に関することもだが、勝人をいじめる不良についても含まれていた。
部長はいい人だ。部長だけではない。ここでしっかり活動している人たちはみんないい人だ。自分のためだけじゃなく、この人たちのためにもあいつらはゲームの中から出すわけにはいかない!
「ありがとうございます」
その言葉には勝人の決意が込められていた。
◇
『青老婆の回廊』は有志によって作られたPC用のフリーゲームである。ジャンルは脱出ホラーとされており、低予算ながらも作者の根気による作りこみが評価されている。
内容はいたってシンプルで、青老婆と呼ばれる悪霊が徘徊する日本家屋でキーアイテムを七つ見つけて脱出するというものだが、その難易度とボリュームがコアなファンをつけている。初見での平均クリアタイムは五時間とも言われているゲームであった。
青老婆の回廊というタイトルすら知らない翠はそのゲームの中であごに指をあてながら頭を働かせていた。
彼女自身ここがゲームの中であることと、このゲームをクリアする手段は知っていた。いや、正確にはほんの数分前に知ったのだが。
翠の正面、多種の施錠をされた扉の横に立つ男。彼が翠にそのルールを教えたのだ。
彼の名は「超霊能力者・丁」。このゲームにおけるプレイヤーの相棒であった。
長い黒髪を真ん中からピッタリと分けたその髪型と、ゾンビのように生気の抜けた表情がなんとも胡散臭い。そしてよく見ると男は小さなブロックの集合体で出来ていた。ドットというやつである。
そんなゲームのような彼から、青老婆の怨霊や七つのアイテムといったゲームのような話を聞かされた翠は現状それを信じるしか他に手段はなかった。
その上で翠はあえて玄関前から移動せずいろいろなことを試していた。
手始めには丁を思いっきりどついてみた。結果は不可能であった。彼に触れる寸前で手の勢いは死に、その後彼にやさしく触れる形になる。そして彼は言う『はやくアイテムをさがすのだ』。触れるたびに彼はこれを繰り返すだけ。
次に翠は大きな声で一人、しゃべくりを始める。
「この前、ハンバーガーショップでごっつ背の高い外国の人がおってな……」
五分ほどのそれは何に遮られることなく終え、発言と身振り手振りの自由を確認する。
それから翠は玄関先のあらゆるものを触ったり叩いたり投げたりし、現状できるあらゆる行動をし尽くした最後の最後で能力の確認をした。
そして答えが出た時、彼女はあごにあてていた指をゆっくりと離し、虚空へと伸ばす。
◇
キュッ、キュッ、と聞く人によっては嫌がりそうな体育館の床とバッシュの擦れる音が、ある種のリズムを持って小気味良く響く。その曲を奏でるものは演奏を終わらせるかのように宙に跳び、手にしていたオレンジのボールを撫で上げる様に優しく放った。弧を描いたそれは固定されたリングへと吸い込まれ、リングに付随したネットすら優しく揺れた。
ドンっ。バスケットボールが床に還った音が、その場にいた全ての人間に言葉を思い出させる。
「スゲー!!」
「経験者かよ!?」
「男みてぇなスリー!!」
男女の様々な歓声に芽衣子は体操服の襟で汗を拭いながら、誰が男だ、と心の中でツッコんだ。
「あんたすごいじゃん!絶対バスケ部入んなよ!」
芽衣子と同じチームでプレイしていた女子生徒の一人が言う。
「いや、あたしは……」
装飾品作りの文芸部にもう入ってるから、と言いかけて思い返す芽衣子。なにをやってんだあたしは。
翠と別れ体育館に来たはいいものの、どう情報収集したら良いものかと出入り口の脇でボーっと立っていた芽衣子は一人の女子生徒に声をかけられる。女子バスで練習試合したいんだけど一人足りないから数合わせで入ってくれないかと。話を聞くチャンスだと快く承諾したが、漫画ばりのムカつく先輩、自信のない一年生達、はやし立てる外野に中てられ、当初の目的など忘れ全力でプレーしていた。
結果目立ってしまった芽衣子は勝人の事を切り出せなくなってしまい、どうしたもんかと体育館の天井を見上げこの場を逃げる算段を立てる。
よし、これだ。
おもむろにビブスを脱ぎ捨て体育館の出入り口まで歩みを進め振り返りこう言う。
「お前らを全国で待ってる」
ざわめく体育館を足早に後にする。
は、恥じぃぃー!スポコン漫画みたいな空気に飲まれてたのはあたしの方じゃねーかッ!
自身の毛先よりも顔を紅くし、体育館と校舎を繋ぐ渡り廊下を伝い翠と別れた地点まで戻った。
学校に潜入してから四十分程が過ぎ、なんの成果も得られていない芽衣子であったがそんなことよりも恥ずかしさに悶え、下足置き前の腰掛に座り込み黒のウィッグの上から頭を抱えた。冷静さを取り戻したのはそれから十分後のことだ。
現在時刻は十六時半。善一郎には十八時には遅くとも戻って来るようにと釘を刺されている。そんな芽衣子は一度翠に連絡を取ろうとバッグにしまっていたスマホを取り出し、潜入前に聞いたばかりの翠の電話番号にコールしようとした。
その時。
別れ際に翠が登って行った階段から一人の生徒が下りてくる。何の気なしに目線だけで一瞥した芽衣子はスマホに一度目線を戻した後、ハッとしてゆっくりとその生徒に顔を向けた。
秋山勝人その人であった。
芽衣子は考える。どうする?追うか?いや露骨すぎる?てか今から帰るのか?あ、部活してたのか?居残り?掃除?友達とだべってた?一瞬で明確な答えは彼女には出せない。
「おい」
自分の下駄箱に手を掛けた勝人に芽衣子は自然に声をかけた。もちろん彼女自身の中での「自然」ではあるが。ビクッと反応した彼に続ける。
「関西弁の女知らないか?ツレなんだよ」
翠は校舎内を探って一時間になる。勝人もまた今まで校舎内にいたのだ。翠が接触しないように努めてもすれ違い程度は回避できないのではないかと芽衣子は考えた。もしかしたらこの辺じゃ珍しい関西の訛りを聞いているかもしれない。それに、出会ってなければ知らないの一言で済む話だ。
だから自然に聞いた。ピンポイントで地雷を踏んだことに気づかずに。
前髪で隠れた勝人の目が大きく見開かれたことにも、彼女は気づいていない。
「あ、あぁ……あの子ね……」
勝人は取り出しかけた外靴を再び下駄箱に戻し答える。
「結構大きな声でおもしろいことしてたから目立ってたよ?みんな集まって動画撮ってたし」
「あのバカ……」
翠と出会って数日程度しか経っていなかったが芽衣子は彼女のお笑いイズムを理解していたし、その言葉でなんとなくだがその状況を勝手に想像した。おおかた情報収集するつもりの話が脱線でもしてエピソードトークのワンマンショーにでも発展したんだろう、と。
善一郎に目立つなと言われたのにあたしより目立ってどうすんだと、先ほどの体育館での立ち回りを思い出しながらため息をついた。
「ほら、僕も動画撮ったから見てみてよ」
勝人はスマホを取り出し操作する「ふり」をして見せた。もちろんそんな動画などない。
彼の「ゲームの中に入る」能力は、自分以外の誰かをゲームに引きずり込む場合対象に触れなければならない。そのために芽衣子を近くに呼び寄せた。
心臓が高鳴る。相手をだましていることもそうだが、今日一日で自分を探る人間を二人もゲームに閉じ込めようというのだから。いったい何人のどんな人たちが自分を狙うのだろうと考えただけでこれからに恐怖しかない。
なんの警戒もしていない彼女がツレと呼んだ女に対するあきれ顔で近づいてくる。
あと三メートル。
二メートル。
一メートル。
画面をのぞき込ませる。今だ!
芽衣子に触れようとした勝人の左手は、芽衣子ではない「誰か」に搦めとられる。
左腕を背中に回され、膝裏を蹴られ、床へと押し伏せられる。
「がぁっ……」
情けなく痛みと衝撃に対して悲鳴とも嗚咽とも取れない声を漏らしながら、勝人はそうしてくれた犯人を睨みつけるように確認した。
「え……?な……んで?」
怒りや痛みは、驚愕により消える。
大和川翠が、ドヤ顔でそこにいた。
「いやー、危なかったなーリューコちゃん」
「え?は?」
突然の状況に何も理解できないでいる芽衣子。それもそのはず、芽衣子から見れば突然目の前に翠が現れ勝人を組み伏せたのだから。実際翠は何もない空間から突然現れていた。
「びっくりしたわぁ。エンディング終わったら目の前に二人がおんねんもん。しかもリューコちゃんが触られるピンチやーて時にな」
「いや、言ってること一つもわかん――」
「どうやってこの短時間で『青老婆の回廊』をクリアしたって言うんだよ!?」
芽衣子の言葉を遮り勝人は言う。
「RTA最速でも三十分はかかるんだぞ!たとえ君が経験者でもそれは無理だろう!?」
「まーウチあんまゲームとかせーへんからよーわからんけど、ジャンルが悪かったんちゃう?」
「ジャ、ジャンル?」
キリキリキリ、という音と共に翠は勝人の上から降りる。
すかさず勝人は逃げようとするが、起き上がれない。起き上がるための腕が使えない。彼の両手が背中の側で結束バンドによって縛られている。そんな彼の眼前で翠はしゃがみ込み、両の手のひらを広げてみせた。
「ま、こういうことや」
手のひらからガチャガチャと音を立てて何かが溢れるようにこぼれ出す。
プラスドライバー、ペンチ、ラチェット、ネイルハンマー、アイスピック、ニッパー、ろうそく、硬貨。
「わかるやろ?」
勝人は苦虫を嚙み潰したような顔で答える。
「……全部、『あの扉』を開けるための道具だ」
あの扉を開けること、は「青老婆の回廊」のクリア条件である。
「あの世界が持ち込んだものが使える設定で助かったわぁ。『たまたま』全部持ってな。てか持ち込み禁止の使用禁止ならみんなすっぽんぽんやしな」
「ズルだろ……そんなの……」
勝人は額を床に押し付けうつむく。
悲しいのか、悔しいのか、怒りか、はたまた安堵か。彼自身自分の感情がわからないまま涙をこぼす。
「能力を使ったのはお互い様やろ」
翠はポンポンと彼の頭を優しく撫でる。それからゆっくり立ち上がり、バッと振り向き芽衣子に向かって両手の親指をビシッと立てニカっと笑った。