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紫陽花





「目に関係する能力だろ。違うか?」


 サイバーの事務所に戻ってくるなり芽衣子はクリスに詰め寄って言った。そんな唐突な言葉にもクリスは慣れた様子で答えてやる。


「悪くない答えだが、それではまだ二十点だな」


「んだよ、ほぼハズレみてぇなもんじゃねぇか」


「目の付け所は悪くないぞ。おおかた柳にヒントでももらったんだろうが」


「センパイのヒントなんて角砂糖一個分くらいしかなかったぜ。見てればわかるーとか言ってさ」


 二人の目線が善一郎を刺す。クリスからは「桐生に甘すぎだぞ」、芽衣子からは「もっと分かりやすいヒントくれ」というものだ。上司と部下からの板挟みに、善一郎は両肩を軽く竦めて欧米風におどけて見せるしかなかった。


 ったく、と呆れながら芽衣子は善一郎の向かいのデスクの私物をまとめ始める。善一郎のデスク以外の三つは数週間前まで未使用であったが、芽衣子がその一つを勝手に私物化(荷物置き)していた。ナイロン製のスクールバッグに飲み物やスマホを入れ、本来なら肩から下げるであろうそれをリュックのようにして背負う。


「それじゃ、お疲れでーす」


 時刻は十八時半をまわっていた。芽衣子はアルバイトとしてサイバーで働き始めてから、平日は大体十八時~十九時の間には帰宅しており、本日もそれに漏れない予定であったが……。


「リューコちゃん、伊藤さんの件は明日報告ね」


 善一郎の言葉にギクッとした。そのギクリをクリスは見逃さなかった。


「桐生、また、なにかやったのか?」


「いやー、クリス、その、なんだ。あれだよあれ、あたしが活躍した話だよなセンパイ?」


「ほぅ、ならますます気になるな。十九時までまだ少し時間もあることだ、一緒に柳の口から聞こうじゃないか」


 芽衣子からは涙目で「うまく取り繕って話してくれ」、クリスからは鋭い眼光で「なにがあったかありのまま話せ」というような目線が再び善一郎に注がれる。どちらの気持ちを汲もうと、もう一方に後で愚痴を言われる結末が善一郎には見えた。


 そんな時であった。


 ピロンピロンとどこか間の抜けたような着信音が響き渡る。善一郎の胸のポケットからであった。


 ラッキーなタイミングだと思いながら社用の携帯電話であるそれを取り出して、ディスプレイを確認する。登録されていない番号だが、フリーダイヤルではなかったので出ることにした。


 その瞬間をついて芽衣子は玄関から逃走した。クリスは善一郎の電話の手前声を出してそれを制止することもできず、やれやれといった様子で椅子の背もたれに体重を預けた。


「はい、柳です」


『こ、こんばんわ、伊藤……伊藤奈々です』


「あー、伊藤さん。今日は急にごめんね」


『い、いえ、こちらこそ』


 電話の向こうの奈々は相変わらず恥ずかしそうにそう話した。


 伊藤さん、というワードで善一郎達が調査している伊藤奈々のことだと理解したクリスは耳を傾けていた。


「それでどうしたの?なにか聞き忘れてた事とかあった?」


『ちょっとあの場所では言いづらかったことがあって……』


「もしかしてリューコちゃんがいたからかな?ごめんね、あの子見た目とかしゃべり方程悪い子じゃないんだけど……」


『違うんです』


 奈々にしてははっきりと言った。


『あ、あの場所だと誰に聞かれてるかわからなかったから』


「誰かに聞かれたらマズイ話?」


 少し間をおいて電話の向こうから、はい、と聞こえた。


 何かに怯えるかのような奈々の声。善一郎が奈々に会った時の感覚は間違ってはいなかった。


『『紫陽花(アジサイ)』っていう会、知ってますか?』


「あじさい?」


「柳」


 善一郎は聞き直すかのように何気なくその言葉を繰り返した瞬間、クリスが静かにだがはっきりと彼の名前を呼んだ。


 クリスの青い瞳が何かを訴える様に善一郎を見ていたので、善一郎は携帯電話のマイクを手で覆って彼女の言葉が奈々に届かないようにした。


「どうしました?」


「紫陽花は『組織』絡みの案件だ。これを彼女には伝えずにできるだけ詳細を聞いてくれ」


 組織絡みの案件。すなわち、「強大な能力者」もしくは「重大な犯罪」に関与しているということだ。それを理解している善一郎の背筋に寒気が走る。なにせそれについて話しているのが伊藤奈々という女子中学生だというのだから。


 急に違和感を感じたノドをごくりと鳴らしてから、クリスの言われた通りに電話の対応をする。


「アジサイって花は知ってるけど、そういう会とか集まりの事は知らないなぁ」


『そう、ですか……良かったぁ』


 奈々の返事は安堵のものであった。


「そのアジサイって会について教えてもらってもいいかな?」


『は、はい。私もそれでお電話したんです。警察じゃきっと能力のことなんて信じてくれないし』


「警察って……なにか怖い目にあったの?」


『うまく説明できるかわからないですけど、紫陽花の人に会った時の事から話しますね』


「うん、お願い」


『ひと月前、ちょうど今日の柳さん達みたいに『超能力持ってるよね』って男の人から話しかけられたことがあったんです。その時の私は自分の能力を自慢みたいに思ってた、というか漫画の主人公みたいに思ってたんです。だから、特別な私に特別な人が会いに来たんだって舞い上がって、その人の話に聞き入っちゃったんです』


「どんなお話だったの?」


『私が選ばれた特別な人間だって。それで他にも特別な人たちがいるから、みんなで力を合わせて人のためになることをしようって。そういう人たちが集まったのが紫陽花。お花の名前と一緒だよって言われたのも覚えてます』


「うん」


『あの時は私変にテンションが上がっちゃってたんです。ほんとに漫画みたいだって。だから私、その人の話信じてしまって、他のメンバーに会わせたいって言われたからその週の日曜日に会う約束をしました』


 善一郎と奈々の会話をクリスはデスクで聞いていた。普通であれば電話の向こうの声などクリスの位置からは聞こえるものではないが、彼女の能力をもってすれば造作もないことであった。


『駅の西口でその人と待ち合わせをしたら私の他に六人いて、別にその人たちが紫陽花の人ってわけじゃなくて、私と同じで集められた人たちだったんです。そのみんなを集めてた人、あ、サイトウさんって人なんですけど、お茶でもしながら話しましょうって先導し始めたんです』


「駅の近くの喫茶店とかかな?」


『いえ、私も最初は喫茶店とかファミレスだと思ったんですけど、半分地下のバーみたいなとこでした。テレビとかでしか見たことないですけど、テーブル席とカウンター席があってその後ろにお酒みたいなボトルがずらーって。照明が薄暗くって、ちょっとおしゃれだなと感じました』


「そこに紫陽花の人たちがいたの?」


『二人だけいました。一人はそのバーが似合うような渋いおじさんで、長くて白い髪を後ろで一つに束ねてて、口周りの髭も真っ白でした。でもなんだか清潔感があるって感じです。もう一人はバーが全然似合ってない黒い学生服のお兄さんでした。生徒手帳に書いてあるルールみたいな髪型で、学生服みたいに髪も目も真っ黒でなんか怖かったです』


「ちなみにサイトウさんはどんな風貌の人だった?」


『背が高くて、手足も細長くて、目も糸みたいに細いけどニコニコした人でした。そのサイトウさんに言われてみんなテーブル席に掛けました。その後、サイトウさんがバーのカウンターに立ってみんなの飲み物を作ってたから、そのお店の人だったのかな?って』


 善一郎自身聞きたいことは山ほどあったが奈々の話の自主性を損ねたくなかったので、話が少し逸れても彼女が話しやすいよう相槌を打ち、時々修正するように疑問を投げかけるよう心掛けた。


『それからは白髪のおじさん、アラキって名乗った人がカウンター席に座りながら私たちに話し始めました。その隣に座ってた学生服のお兄さんはタチバナって紹介されてましたね』


 今のところ紫陽花のメンバーはサイトウ、アラキ、タチバナという三名の名前が挙がっており、善一郎はそれらを自分のデスクの雑紙にメモしておいた。偽名である可能性は高いが一応である。


『アラキさんの話してる内容は私がサイトウさんから聞いた話とほとんど同じで、能力を使っての社会貢献だ改善だっていうのでした。ちょっと難しくてあんまり話の内容は覚えてないんですけど、一通り話が終わって、一人が具体的に何をするのかって聞いたんです。そしたら権利を主張するって』


「権利?紫陽花としての?」


『いえ、能力者としてのです。そこからその場の空気がピリッとしたんです。今の能力者の権利は一般人と変わらないから、あらゆるメディアや手段を使って一つ上のステージに行く、と』


 いきなり話がうさんくさくなったな、と善一郎は思う。


『社会的地位とか進化した人類とかそこからもう私全然わからなくなって、怖くなってきて……。正直私はもうどうやって断ろうか、万が一はどうやって逃げようかってことしかもう頭にありませんでした。そうしてたら、質疑応答の合間にサイトウさんとタチバナさんがみんなの飲み物のおかわりを持ってきてくれて、なぜかタチバナさんが私を外に連れ出してくれたんです』


「いい人、だったのかな?」


『……はい、多分』


 少し考えたような間があって奈々が答える。


『外に連れ出してくれて、もう帰りなって言ってくれたのはすごい嬉しかったんですけど、それ以上に怖くって……。タチバナさんの真っ黒い、吸い込まれそうな目が』


「そっか、大変だったね。それからは紫陽花から会いに来られたとかはないんだね?」


『はい。数日は怖くて友達か親と登下校してたのもあるかもしれないですけど。だから今日リューコさんに声をかけられたとき、もしかしたら……って逃げちゃったんです。ごめんなさい』


「謝ることないよ。そんなことあれば逃げて当然だもん」


 実害があったとは言えないが中学生の女の子がカルトじみた集会に参加させられるなど、その恐怖は計り知れない。本人に話したりはしないが、それが犯罪に関わっているなんて知ったら卒倒ものだ。


「そんな怖い経験をしたのに話してくれてありがとうね」


『い、いえ、私も誰にも話せないもやもやが晴れたので』


「その紫陽花についてはこっちで少し調べてみるから、もう少しだけ話聞いてもいいかな?」


『はい』


 その後十分程善一郎が奈々に質問するような形で電話が続いた。


 サイトウと出会った場所、名前の挙がった人間の人相、集まった場所とそこに集められていた人達のことなど、奈々の覚えている限りで細かく聞いた。


 電話の向こうで奈々の母親が夕食を知らせたところで、またなにかあれば電話してね、と通話を終える。ふぅ、と息をついてから、全てを聞いていたクリスに善一郎は尋ねた。


「どうしたらいいですか?」


「紫陽花の件は組織が関わっている以上、私たちが下手に手を出すべきではない。今の情報を組織側に提供して対応してもらうようになるだろう。私たちができることは柳がさっきしたように、彼女の気持ちに寄り添ってやることくらいだ」


 善一郎はわかっていた。組織が関わっていることを聞かされた時から自分たちが何も手出しできないということは。自分に助けを求めてくれた相手に対して何もしてやれないという事をもどかしく感じ、せめてもの彼の抵抗が「どうしたらいいですか?」であった。


 表情にそれを出すことはない善一郎だが、クリスはそれを微かにではあるが感じ取っていた。クリス自身も似たようなもどかしさを抱えていたからだ。本来ならば能力者絡みはサイバーが一番に行わなければならないが、国際関係や政治の関係でそれができていない。日本支部の長としての力不足を痛感していた。


 このままで良いとクリスは思ってはいない。しかし、今後のサイバー日本支部のためにも考えていることはあった。


「今の私たちにそういった案件はこなせない。だが『今は』だ」


「今は、ですか?」


「あぁ。いずれは私たちが組織の仕事を受け持つ。サイバーはそのために作られた企業で、そう在らねばならない」


 デスクに肘をつき顔の前で手を組むクリスの瞳が善一郎を見据える。


 考えていたのは今の仕事の内容を次のステージに上げることであった。それは即ち、より強力な能力者との接触である。


「柳、君は支部(ここ)の設立当初から共にやってきたな。もう少しで二年になるか」


「はい」


 善一郎も次の言葉を待つようにクリスの目を見る。そんな彼の目線に、一瞬悩んだかの様に目を伏せてからクリスは言う。


「これからは少し、危険が伴うかも……いや、もう危険な仕事だったな」


 発言しながら彼の左腕のことを思い出す。それだけではない。この二年近くの間、毎日が安全だった訳ではないのだから。特に仕事のやり方を模索していた設立当初なんかは善一郎の怪我が多かった。


 所長などと呼ばれてはいるが事務所にこもって能力者を探すだけ。実際に接触するのはほとんどが善一郎だ。そんな彼に「危険は増すがここで働き続けてくれ」なんて言えない。そもそも所長という立場で発言してもいいのだろうかとクリスは考えた。


 組んでいた手を解き、肘の代わりに手をデスクの上に乗せた。クリスが出せる答えは一つだった。


「お願いだ柳。これからもここで私を手伝って欲しい」


 頭を下げて頼み込むことだけであった。


 クリスの行動にびっくりした善一郎であったが、彼の答えは考えるまでもなく出ていた。


「もちろんですよ。所長には恩がありますし、伊藤さんみたいな人を助けられるなら望むところです。それにリューコちゃんの件がある以上、俺は辞めろと言われても辞めませんからね」


「ありがとう」


 顔を上げてそう言うクリスの柔らかい表情は所長としてではなく、年相応の少女のそれであった。


「しかし、辞めない理由が桐生とは……少し嫉妬のようなものを感じるな」


「いやそれは場を和ませるために出たというか……」


「ふふっ」


 冗談だよ、そう笑ったクリスの表情はいつもの所長としてのもので、善一郎はいろいろな意味で安心した。




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