PSI bar (サイバー)
◇
善一郎は自室でボーっと海外ドラマを見ていた。ゾンビがはびこる世界を舞台にしたそのドラマは大変な人気で、シーズンいくつまで続くんだよと思いながらも最新シーズンまでしっかりチェックしていた。
昨日骨折した左腕にはギプスが嵌められており、その違和感にソファーの上で何度も体勢を変えしっくりくる位置を探す。そのたびに変に左腕を動かしてしまい痛みを思い出すというのを繰り返してもいた。
クリスに痛みが引くまで休みを取っていいぞと言われたものの、善一郎と言う男はそういう曖昧なものが気になって仕方ないたちであった。故にドラマもボーっと見てしまうし、それが落ち着きなく体勢を変えてしまう理由の一つにもなっていた。
「あー、ダメだ!」
そう言うと善一郎はドラマを一時停止し、スマートフォンに手を伸ばす。
時刻はちょうど昼の十二時であったので、昼食を取ろうとしているであろうクリスに電話をかけた。三コールの後に彼女は応答した。
『司馬だ。どうした柳』
「お昼にすみません所長。休みの件なのですが、はっきりさせましょう!」
『どういうことだ?』
「痛みが引くまでというのが漠然としすぎてるので、通院時にお医者さんから許可が出たらということでどうでしょう?」
『ん?まぁ、いいんじゃないか?』
「ありがとうございます!」
善一郎からすれば痛みというものを主観でとらえて良いものなのかを真剣に考えた挙句に出した「第三者」という答えであったが、クリスは別に感謝されることなどしていない。それでも彼らしいなとクリスは思う。
クリスから見た善一郎という人間は一言で表すなら「気にしすぎる」であった。よく分からないが今回も彼なりに気になるところがあったのだろうと、特に電話口で追及したりはしない。
『あぁそうだ。桐生芽衣子の件だが、君のお願いを聞くことにしたよ』
その言葉に善一郎は座ったままではあったが姿勢を正し、見えもしないクリスに対して深々と頭を下げた。
「ありがとうございます」
昨日、善一郎はクリスに三度連絡を取っていた。一度目は路地裏で芽衣子が能力を使った動画を送った時。二度目は暴漢のついでに救急車で運ばれた時。三度目は腕の処置が終わった時だ。
その三度目で自身の怪我の具合と暴漢の容態を報告するのと同時に、彼はあるお願いを彼女にしていた。
それは「どうか高校を卒業するまでは桐生芽衣子に普通の生活を送らせてあげてほしい」というものであった。
能力は上からS、A、B、C、アンノウンの五つに分けられ、その危険度や社会への貢献度によって区分される。SとAの一部はその稀少さからサイバーでは本部預かりとなり、行動の制限・管理・監視、ひどい場合には監禁に至ることもある。
桐生芽衣子の能力はほぼ間違いなくSだ。低く見積もってもAのその一部というものに入ってくる代物であった。
会社の方針に従い十七にも満たない少女を稀少だからと管理する。あまりにも酷だと善一郎は嘆いた。
大人だから、犯罪を犯したから、またはその予備軍だからというのであればまだ理解できる。だが彼女はそうではないのだ。
善一郎から見た彼女は「善良」であった。「良」という部分には些か引っかかるところはあるかも知れないが確実に「善」であると短期間で思い込まされたのだ。
だから善一郎はクリスに懇願したのであった。他者を思い、他者を救い、それを当然と思い行動する彼女にせめてあと二年普通の生活を、と。
『うちで働いてもらうんだ、我々が見守っていれば会社自体の方針に逆らったということにはならんさ。支部も人員を増やしておきたいところであったし、なんせ君が責任を取るとまで言ってのけたのだから私としても不安はないさ』
それでも。
「ありがとうございます」
自分のわがままで上司に会社のルールを破らせてしまったということに、謝罪と感謝の気持ちで頭が上がらなかった。
『そうだ柳、痛みがひどくなければ今日事務所に顔を出さないか?学校が終わり次第桐生が来るのだが、君に一言礼を言っておきたいそうだぞ』
善一郎はうーんと少し悩んでから答える。
「じゃあ夕方ごろに少しだけ伺いますね」
感謝されるというのは嬉しいことだが別に感謝されたくて行く訳ではない。桐生芽衣子と直接言葉を交わしてみたかったのだ。
彼女をウチでアルバイトという形で働かせることを条件に本部への報告を誤魔化し、卒業までの二年という猶予をもらった。その間に能力が大っぴらになるような目立つ行動をさせないようにするのが自分の仕事になるので、桐生芽衣子という人間とどう付き合っていくべきかを見極めたいというのが理由だ。
『わかった。ではその時に昨日の件の内、私の方で片づけておいたこと話そう』
承知しました、と答え、それでは、と電話は切れる。
スマートフォンをテーブルの上に置き、無事な右手を挙げグッと背伸びをする。気がかりも消えてなんだかスッキリした気分になると腹が減ってきた。
「昼飯にしますか」
八畳一間のアパートに住む善一郎は、玄関と部屋の間にある廊下兼キッチンの冷蔵庫を開けてため息をつく。なにも入っていない。そもそも右手だけでまともに料理できるのかとこれからが少し不安になった。
部屋に戻り再びスマートフォンで電話を掛ける。
「もしもし?ピザの出前頼みたいんですけれど……」
大きいサイズと小さいサイズを一枚ずつとフライドチキン、コーラを注文する。
それらが届いてからはピザやコーラを片手に洋画を見て約束の時間まで過ごした。さながら想像上のアメリカ人のように映画にオーバーリアクションし、ピザのチーズをわざと伸ばして食べてみたりと。
そういったことが善一郎の一人で過ごす時の楽しみ方であったが、その普段とのギャップを知るものはいない。
十五時ごろには家を出て半にはサイバーの事務所に着く予定であったが、折れた左腕とそのギプスで着替えに手間取り到着した頃には十六時をまわっていた。
カードキーをかざしパスコードを入力して中に入ると、玄関には見慣れないオシャレなスニーカーが端に揃えて置いてあった。桐生のであろうと善一郎は確信する。
「おはようございます」
そういって善一郎がパーテーションの向こうを覗くように入ると、いつものように散らかったデスクの向こうにクリスがいた。芽衣子はというと善一郎の使っているデスクの隣のデスクで何やら書類に向かっていたが、彼に気付くと立ち上がり走るように近づいてくる。
あまりに急に近寄って来られたので善一郎は半歩後ずさってしまう。そんな善一郎はの顔をじっと見たかと思うと、芽衣子の目線はギプスを嵌め首から吊られた左腕へ。その後は何かを探すように右下左下に泳ぐ。
「えっと……その……ありがとう……ございます。すみません……」
尻すぼみに小さくなったその声には確かに謝罪の感情が込められていたし、反省のような恥ずかしさのようなそんな感情の色が善一郎だけでなく、その場にいたクリスにも見て取れた。
そんな彼女に対して反応に困ったが。
「そんなに重く考えなくていいよ。思ったよりは軽傷だったし。あの時は俺も焦っててさ、何か物を使って防げばよかったのにね」
と気を使う。それに対してクリスが割って入る。
「いや柳はよくやったよ。桐生、行動で彼に返すんだな。少なくとも彼の左腕が治るまでは」
「うるせぇな、あんたに言われなくてもわかってんだよ!」
売り言葉に買い言葉。彼女たちは仲が悪いのだろうか?少なくとも相性は良くなさそうだな、と善一郎は苦笑いした。
そんな二人の喧嘩(?)を発展させないように善一郎は話を切り替える。
「そういえば、所長から話は聞いてると思うけど、こうして面と向かって会うのは初めてだし自己紹介しとくね。俺は柳善一郎。よろしく桐生さん」
「あたしのことも知ってると思うけど、改めて、桐生芽衣子だ。『桐生さん』ってなんか先生に呼ばれてるみてーだからリューコでいいぜ、センパイ」
先輩、のイントネーションがなんとなくだが不良っぽいなと感じた善一郎であったが、片方の口角をあげて微笑む芽衣子を見て、同様にニッと笑って握手を交わした。ヤンキー感はあるが、行動や言動の中からつくづく悪い奴じゃないんだなぁと実感させられていた。
一方の芽衣子も、善一郎に対しては悪い印象は無かった。「庇ってもらった」という事実を除いても、清潔感のある短髪で髭も生やしておらず装飾品もつけていない彼を、ただただまっとうな人だと思った。
「ところで、所長って誰だ?」
「私だが」
芽衣子の問いにすかさず答えるクリス。
「所長って何番目に偉いんだ?」
「まぁここだと一番になるな」
「冗談だろ?あたしと歳もそう変わんないだろ?」
「君の二つ上だし、事実だ」
芽衣子は「マジ?」という顔を善一郎に送る。それに彼は頷いて答える。再びクリスの方に顔を向けたかと思うと、芽衣子はいろいろ考えた末に言葉を吐き出す。
「あたしはぜってーあんたに敬語なんて使わねぇかんな!」
「構わないよ。それに桐生、君が敬語を使っているのを私は聞いたことがないぞ?」
「センパイにさっき使ったろ!」
ちょっとした漫才でも見ているかのようなやり取りに再び苦笑いさせられる善一郎。まるでやたら吠える小型犬とそれをあしらう大型犬のほっこり動画のようだとも感じた。
その後、芽衣子は書類記入に戻り、善一郎はクリスから前日の報告を受けた。
昨夜芽衣子に襲われた輩は薬物取締法違反、売春斡旋により警察のお世話になったようだ。それによって善一郎への暴行がおまけになってしまったとクリスはひどく残念そうな顔をした。その代わりに芽衣子の路地裏での能力使用は薬物による幻覚として、彼らの主張は通らなかった。
無人の車が人を撥ねた件に関してもクリスは手をまわしていた。警察上層部から圧力をかけてもらい、所有者の整備不良と電子制御の不具合として処理をしてもらったのだ。もちろん遠回しにサイバーから車の修理費は払うがな、とクリスは付け加えた。
警察上層部から圧力をかけることが可能なには理由があったし、善一郎もそれを知っていたため特に驚くことはなかったがクリスに迷惑をかけてしまったと反省した。
サイバーは「全国連(ACI)」と呼ばれる現存する全ての国々が参加した国際機関に認可された民間企業である。超能力というものが認められ、その危険性に国が、人が脅かされないよう調査、管理、研究を行う企業だ。実際には超能力により各国のパワーバランスが崩れるのを恐れた各国が結成したものが全国連であり、認可をされる前からその研究を行っていたのがサイバーである。
超能力が認められたのは十年前だが、サイバー日本支部は設立されて二年と経っていない。その間、この国で超能力者を管理していた、否、現在もしている国直轄の組織がある。クリスはそこに今回の件のもみ消しについて頼み込んだ。
それが善一郎が反省する原因であった。
政治関係で表面上サイバーと国の組織は協力関係ではあるが、八年以上遅れてやってきた企業に組織はいい顔をしないし尻に敷かれているのが現状だ。
どんな条件を飲んで頼み込んだのかを考えるだけで善一郎の心は痛んだ。
「すみません。俺がもっとうまく立ち回っていれば……」
「柳のせいではないさ。それに向こうと良好な関係を築いていくのも私の仕事だ。今回の件はいい機会になったよ」
そんな二人のやり取りを面倒なことだと序盤から聞き流していた芽衣子が、特に空気を読むこともなく口を挟む。
「おーい、書類書き終わったぞ。こんなんでいいか?」
「どれ、見せてみろ」
クリスに言われ、芽衣子は善一郎の隣まで来て書類を彼女に手渡した。そしてクリップで留められた五、六枚の書類をパラパラと確認していく。
「うん、いいだろう。意外と字もキレイだな」
またこの人は無意識にリューコちゃんを逆なでして、と善一郎は思ったが、彼の予想に反して芽衣子はその言葉に乗ることはなかった。
「あー疲れた」
純粋に疲労で後半の言葉は聞こえていなかったようだ。
「よし、桐生今日はもう帰ってもいいぞ。柳も、休みのところわざわざすまなかったな」
「おいおいおい、あたしまだこの会社の事とか仕事の事とか能力の事とか詳しく聞いてないぞ?」
「そう焦ることもない。君のことは柳に一任してあるから安心しろ。彼が復帰したらゆっくり学べばいい」
「……そうか」
俺が絡むと一気にリューコちゃんの勢いがなくなる。やはり彼女なりに責任を感じてるのだろう。ただ、彼女自身の不安も少なからず伝わってくる。特別な力を持った人間は自分だけではないと知り、そういった人間とこれから関わっていくということに対しての。
「どうだろうリューコちゃん。近くの喫茶店でコーヒーでも飲みながらで良ければ質問聞くよ?」
「お!いいのか?」
パッと明るくなる芽衣子を見て安心する善一郎。
「もちろん」
その後、二人は近くの喫茶店でお茶をした。
芽衣子の疑問に善一郎が答える。善一郎は「高クラスの能力者の処遇」に関してはうまく誤魔化して説明をした。
いずれ彼女が辿り着くところ。
しかしそれは、いつかは善一郎が芽衣子に打ち明けねばならないこと。それが「お願い」を聞いてくれたクリスとの約束である。
ただそれは今ではない。