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柳とリューコ



 肉が、骨が打ちつけられる鈍く沈むような音が空気中を伝わる。


 男が加減なしに振り下ろしたのは木製のバットだった。


 人の頭めがけてそんなものを振り下ろすとか頭のネジ外れてるでしょ、と柳善一郎は思った。


 見るからに固そうな木製バットが自分の頭を打ち砕いていないことに、桐生芽衣子は気が付いた。


「ぐッ……」


 痛みに声を漏らす男、善一郎はバットの男と芽衣子の間に割って入ったのだ。


 腕を頭の上で交差し、振り下ろされたバットを受けていた。上になっていた左腕には激痛が走っている。


 それでも善一郎は両腕でバットを跳ね除け、男に対し右肩でタックルを入れて体勢を崩しにかかる。男が尻もちをついたところで叫ぶ。


「危ないから下がってろ!」


 それは通りを歩いていた人間を含め、おそらく放心状態であろう芽衣子にも向けられていた。


 だが芽衣子は放心状態などではなかった。


 芽衣子はバットが振り下ろされた直後には確かに茫然としていたが今は違う。


 怒り。一言で表現するのであればそれだ。


 人の頭にバットを振り下ろす?普通に、誰が考えても、イコール「死ぬ」だろ。もしくは大けがだ。


 あたしに背を向けたままのサラリーマン風の男。肘のあたりまで捲られたYシャツから伸びる左腕は、赤を通り越し黒く腫れあがってきている。頭じゃなくてもこうなるってあのクソ野郎は理解できないのか?


 そんな怒りがまるで電気ケトルのようにあっという間に頂点に達し、その怒りを最早抑えることなどできなかった。


 一方、善一郎はあれこれ考えていた。


 叫んだおかげか、バットを持ったヤバい奴のおかげかはわからないが外野は蜘蛛の子散らすように離れていった。後は起き上がりつつあるこのヤバい奴をどうするかだが。


 だらりと垂らした左腕は真っ黒になり痛みは増していく。両腕あれば押さえつけるくらいはできたのにと、今更左腕で受けたことを後悔したりもしていた。


 その時。


「一歩下がれ」


 桐生芽衣子の声が聞こえ、服をグイっと後ろに引っ張られた。


 引っ張る力が意外と強く善一郎は二歩ほどよろける様に後退する。


「なにを……」


 言いかけた瞬間だった。




 目の前に車が突っ込んだ。


 そして、バットの男をドンッと跳ね飛ばしたのだ。




 一瞬、理解ができなかった。「どうなったか」は理解できていたが、「なぜ」こうなったかだ。


 通りの道路は車がギリギリすれ違える程度で、車道と歩道の間には低いが縁石もある。ましてやそんな道路に対し垂直の真横から突っ込んでくるなんてありえない。


 そう、ありえないのだ。運転席どころかその車の中に人が乗っていないことも。


 そこで理解する。桐生芽衣子がやったのだと。


 桐生芽衣子に目をやるとざまあみろと言わんばかりに、跳ね飛ばされ倒れた男を見て鼻をフンっと鳴らしていた。


 当の本人である芽衣子は怒りを発散させ少し気持ちがスッとしていた。怒りという大きな気持ちを路上駐車されていた車に変えてぶつけてやったのだ、発散されない訳がない。


「腕、大丈夫か?今救急車呼ぶよ」


 余裕もでき自分を庇ったリーマン風の男を気遣った言葉を述べたつもりであったが、男から返ってきた言葉は感謝という予想に反していた。


「俺のじゃない」


 そう言うと男は跳ね飛ばされた男に駆け寄った。


 倒れた男のあご下に指をあてた後、事故の音で飲食店から出てきていた野次馬に指示を出す。


「あんた救急車呼んでくれ!あんたはAEDを探してきてくれないか?そんで君そこのお店の人?止血用の清潔な乾いた布あるだけ持ってきてくれ!」


 矢継ぎ早にそう言うと右腕だけで心臓マッサージを始めた。


 その光景を芽衣子は立ち尽くして見ていた。


 怒りから覚めると同時に血の気が引いていく。そのくせバクンバクンと心臓が大きく跳ねるのが耳の奥で反響していた。


 野次馬のざわめきとフロントがへこんだ車のブザー音がその場にこだまする。救命措置が行われている場所を中心に人々の一体感があった。


 しかし、当事者である芽衣子はその空間に取り残されたかのように、ただただ茫然とその光景を眺めていることしかできなかった。


 そんな芽衣子を余所に時間は流れていく。


 救急車が来て倒れた男と善一郎を連れていき、パトカーも来て警察が突っ込んだ車の持ち主や目撃者から事情聴取を行っていく。その間に女学生が改めて芽衣子にお礼を述べて去っていったが、芽衣子は心ここになく返事を返しただけであった。


 どれくらい経っただろうか、いつのまにか野次馬に飲まれその中で佇む芽衣子の肩を叩く者が現れた。そこでようやく芽衣子はハッと現実に呼び戻される。


 振り向くとやや冷たい印象を与えるような美形の金髪外国人女性がいた。


 百五十八センチの芽衣子よりも十センチほど背の高いその女は、青い瞳で芽衣子を少し見下すようにして見ており、本能的に苦手なタイプだと芽衣子は感じてしまう。


「桐生芽衣子だな?」


 冷ややかな目線に、極限まで感情を殺したような口調、加えて自分の名前を知られているということに背筋がぞくっとするような恐怖を感じた。そんな芽衣子の返事を待つことなく金髪の女は続ける。


「事態が事態だ、単刀直入に言おう。君の『能力』と今回の件について話がある。ついてきなさい」


 そう言うと金髪の女はさっさと野次馬の隙間を抜けていく。


 芽衣子は悩んだ。正直いろいろありすぎて考えが一つもまとまっていない頭で悩んだ。


 自分を知っている女。自分の能力を知っている女。金髪碧眼の女。格好はドラマで見るような女刑事の様だが外国人。そもそもなんだかいけ好かない。


 普通ならついていく訳がない。しかし。


 今回の件。これが芽衣子には今一番重要であった。


 行動でケジメをつけなければならない。行動でしかケジメはつけられない。そんな芽衣子に今とれる唯一の行動が目の前にある。


「あー!もうなるようになれっ!」


 思考を放棄し文句を垂れる。その足は、金髪女の後を追う。


 繁華街を抜け大通りに出るとその路肩にタクシーが停車しており、金髪の女はその後部座席に乗り込む。芽衣子もその隣に腰を下ろした。


「先ほど乗せてもらった場所まで戻ってくれ」


 そう行き先を告げると高齢の男性ドライバーは、はいと小さく返事をした後後部座席の扉を閉め車を出発させた。


「さて、何から話したものか」


「まずあんたナニモンだよ?」


 勝手に話を整理して話を始めようとした金髪女に噛みつくように芽衣子は質問した。


「私は司馬クリスという。『PSI bar』(サイバー)という企業に勤めているのだが……詳しくは向こうについてからにしよう」


 ルームミラでドライバーと一瞬目が合ったクリスは言葉を一部濁らせたが続ける。


「人探しが私たちの主な仕事だ。と言っても依頼されて探している訳ではないのだが。それで今回は君だったんだ」


「あたし?それに今回って……まさかさっきのにあんたが関わってるっていうのかよ!」


「落ち着け。そこに私たちは関係ない」


 路地裏での事情や通りでの立ち回りを思い出して興奮する芽衣子をクリスは目線で制する。


「関係があるのは君を庇った男だ。名を柳善一郎と言う。彼に君の調査をお願いしていたんだ」


「調査ぁ?なんの?」


「これのだ」


 そう言ってクリスはスマートフォンに映し出された無音の動画を芽衣子に差し出した。


「!?」


 芽衣子は息をのんだ。


 そこには宙に浮く男、尻もちをつくファーの女、ズボンを必死で抑える男に、女学生の前に立つ自分が鮮明に映し出されていた。そう路地裏での事情が撮影されていたのだ。


 咄嗟に芽衣子は自分の能力でこのスマートフォンを破壊してもろともデータを消してやろうかと考えたが、クリスが何かを察したかのように口を出す。


「落ち着けと言っている。なにもこれをダシにとって食おうという話ではない。何せ……」


 クリスの瞳が芽衣子の瞳を力強く見据える。


「私たちも『同類』なのだから」


「同類だ?ならあんたにもこれができんのかよ?」


 芽衣子は映像を指さして言う。


「いや、不可能だ。だが君に不可能なことを私にはできるとということだ」


「なにができんだよ」


 クリスはスマートフォンを自身のポケットに戻しながら彼女の疑問に答えた。


「君を見つけた。それが私にできることの一つだ」


「あたしを見つけた?あの繁華街でか?そんなの簡単だろ、目立つんだから」


 自分が目立つことを芽衣子は自覚していた。別に目立ちたがりというわけではないし、自身の格好が一般的だとも思ってはいない。ただ自身の好みが他者とは少し違うことを理解しており、それを優劣に考えたことはない。


 そんな彼女の言葉をクリスは否定した。


「いましがたの出来事の話でも見た目の話でもないんだ。なぜ私が柳に君のことを調査させていたか、ということだ」


「回りくどいな。つまりどういうことだよ?」


「極端な言い方かもしれないが、全人類八十億から君という同類を見つけたということだ」


 なんとなくだが理解できた気がする。つまり自分のように特別な能力を持った人間を見つけられるってことか。


「そこまではわかった。で、あたしを調べてどうしようってつもりだったんだよ?」


「詳しくは後で話すが、最終的には君自身に申請と登録をしてもらう。役場の手続きみたいなものだな」


「なら最初からそう言って会いにくればいいだろ?」


「同類の中には『そう』であると自覚してない者もいるし、善良で安心安全な同類だけとも限らないからな。事前に調査しておくのさ」


 そうクリスが言い終えると同時に彼女のポケットからヴゥーヴゥーとスマートフォンが呼び立てる。さっと画面を確認してから応答した。


「司馬だ。うん。あぁ。そうだ」


 芽衣子には電話の向こうの声は聞こえなかったが、クリスが発する「大丈夫なのか」「どんな様子だ」という言葉から先ほどの柳という男と話しているのだろうと予想をつけた。心なしかクリスの表情もすこし安堵したように和らいでいる気もした。


 しばらくそんなクリスと電話とのやり取りは続いた。電話が終わるころにはタクシーはすでに目的地に到着していた。


 クリスが支払いを済ませている間に芽衣子は開いたドアから降り、目の前の雑居ビルを見上げていた。


 三階建てのそれの一階部分の大きな窓には「PSI bar」と独特なデザインでペイントされており、一見では何をしている場所なのかはわからない。明かりのついた窓の中にはまるで不動産屋のような受付と三人ほどのOL風の人影が見て取れた。


「事務所は二階だ」


 後から降りてきたクリスはそう芽衣子に告げ、ビル脇の外付け階段に続く扉を開いて進んでいく。


 二階、三階の窓や壁には特別なにも貼られてはいなかったが、彼女がそういうのだからそうなのだろうと深く考えず芽衣子は後に続く。


 二階の扉はやたら厳重にセキュリティが掛けられているようで、何桁かの数字のパス入力、センサーへのカードタッチをした後にシリンダーにカギを差し込み解錠した。


「靴は玄関に脱ぎっぱなしで構わない」


 そういうクリスに続いて部屋に入る芽衣子。


 目の前はちょっとした応接間の様な空間。簡易的なパーテーションで区切られた向こう側はクリスの言っていた通り、見るからに事務所というやつであった。


 職員室の先生が使っているような事務用デスクが二つずつ向かい合うようにならんでおり、その四つのデスクを見守るかのように大きめのデスクが配置されていた。その大きなデスクの上は書類やパソコン、本屋やファイルなどでやたら散らかっている。


 そんなデスクの椅子に腰をかけたクリスを見て芽衣子は初めてこの女の人間味を見た気がした。


「好きなところに座ってくれ」


 そう言うクリスであったが、いやいいと芽衣子は断りデスクを挟んで彼女の正面に立った。


 芽衣子を見据えながらクリスは、まずと話を切り出した。


「君が能力を使って車で撥ねた男だが、薬物による過剰な興奮状態と撥ねられたショックでの一時的な心肺停止状態だったらしい。命に別状はないそうだ」


 ほぅっと胸をなでおろす。自分が殺したという最悪の展開は免れた。薬物というワードも芽衣子の罪の意識をだいぶ軽くした。


「そして柳だが、左前腕骨骨折だ。尺骨だけらしいが全治二か月ほどだそうだ」


 それに関して芽衣子は素直に申し訳ないと思った。自分が直接折ったわけではないが、事の発端は自分にあるし、なにより自分を庇ってくれたのだから。


 報告しながらもクリスは芽衣子の表情の変化が気になって仕方がなかった。彼女自身は無意識なのだろうが安堵や反省の色が手に取るように分かってしまう。先の件といい喜怒哀楽がはっきりとしていてすぐ行動に移してしまうタイプなのだろうと察する。


「その……柳さんって人には後日直接会わせてくれよ」


「あぁ、そのつもりだ」


 今度は少し恥ずかしそうな顔を見せた芽衣子だが、何が恥ずかしがる必要があるのかと思うクリスは無視をして本題に移ることにした。


「さて、タクシーでの話を軽くおさらいするが、私たちは君のような能力者を見つけて調査、接触、能力者として登録の同意までを行っている。それで今回は君だった。ここまではいいか?」


「あぁ。そんでその能力者ってのはあんたの能力で見つけ出されてるってわけだろ」


「大方その理解で合っている」


 だが、今回は特別なケースであった。芽衣子に話したところで余計に混乱させるだけだろうと、クリスはそれについて今は黙っておくことにした。


 芽衣子の能力はその在り方も、能力自体の強大さも群を抜いていた。


 本来であれば本部に報告しなければならないレベルであり、もしそうなれば彼女は身柄の拘束や行動制限を余儀なくされるであろう。上の決まりである以上、クリスもそうするべきだと考えていた。


 しかし、クリスはそうしなかった。


 なぜか?それは「柳善一郎にお願いされた」からだ。


 クリスは彼のささやかな願いを叶えるために覚悟を決めた。


「君にももちろん能力者としての登録を行ってもらうが、それとは別にやってもらうことができた」


 すぅ、と息を吸ってからはっきりとクリスは告げる。


 それは物語の始まり。


 それは運命の交差。


 そしてそれは二人を変えることになる出来事。





「桐生芽衣子、君には柳の相棒としてここで働いてもらう」




 


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