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「大きい目玉が来る。」
蛇足はかろうじて聞き取れるほどまでに声を潜めて言った。
「大きい目玉が…。」
私は繰り返し呟いて、顔をしかめた。大きい目玉には嫌な記憶しかない。前に来たのは一年ほど前だ。その時は、夜街の十数のお宿が摘発されてしまった。なかには名高い太夫がいたお宿もあったのだ。
「前回は馬鹿な客のせいで一斉摘発されたじゃろ?おかげさんでこの周期。よろしくない話やわ。」
蛇足は大げさにため息をひとつついて、一枚の紙を見せてくれた。大きい目玉、こと御役所様からの実態調査の実施予告で間違いなかった。
「待て待て…日が全然無いやないか。」
書かれてあるとおりに来るのならば、一週間先だということになる。何をどう準備すれば良いのだ。
「どの店が選ばれるかもわからへんからのぅ。いっそ、夜街への入りに制限をかけるのがエエのと違うか?」
騒々しい夜街へ目を向けながら、蛇足は案を出した。
「確かにな。それが一番手っ取り早いんじゃろうが…必ず、のちに響くじゃろ。」
夜街への入りの制限は、集客も収入も断崖のごとく落ちることを意味する。そうなると、遠方からの上客を取り戻すのが難しい。収入が減少すれば、遊女たちの接待の質が落ちることも確かだろう。
「決めるのは長男様やで。」
蛇足は私の膝の上から宵月を抱え上げる。構ってもらえたのが嬉しいのか、宵月は一声鳴いた。
「いやぁ…それはそうだがのう…。」
責任という言葉が重くのしかかり、最後を濁してしまう。天秤にかけてはみるものの、どちらを取るかを一目では決められない。
これだから長男というのは面倒だ。
「俺はしばらく手が開かん。評判記も細見も、下手なこと載せてちゃ二の舞じゃ。書き直さなあかんのが多々あるのよ。」
お互いに手が開かないとなると、本当に私が背負わねばならぬのだと痛感する。宵月にでも擦り寄りたいが、蛇足に取られている以上はそれも叶わぬ。
「そうさね…ちゃんと考えておくわ。」
これでまた仕事が増えた。自室の書類の山を思い出すだけで気分が沈む。それを察してなのか、宵月がこちらに顔を向けた。小首を傾げる仕草がなんとも可愛らしい。宵月をみている私を茶化すように、蛇足も真似て小首を傾げる。
「お前は可愛くなんぞないわ。」
「あれま、酷いのぅ。」
カラカラと笑われる。露骨に茶化してくるところも昔と変わらず嫌いだ。
「花魁会議で話に出せばええやないか。明後日にあるじゃろ?」
まだくすくすと笑いながら、蛇足は一度席を外し、花柄の布で閉じられた分厚い本を持ってきた。どさりと音がし、宵月が驚いて床へと降りた。
花魁をはじめとした夜街の情報がぎっしりと詰まった重要な本だ。
「新しいのに色々と書き換えておいたで。これを取りに来たんじゃろ。」
順々に紙をめくると、お香や花の匂いが変わる変わるに香っては消えていく。これを参考に、会議の間に花魁たちをもてなすのだ。
「あぁ、そうじゃな。助かる。」
重い本を両手で抱えて、立ち上がる。多少ふらつくが、帰れないほどではない。
宵月を呼ぶと、蛇足に礼を告げて案内所をあとにした。
暗い街は目が痛いほどに眩しい。だが、行先はほんの少し、陰りを見せているように感じた。