初めての先生
グレン視点です。
オズウェル侯爵家に到着してすぐにレオナルドと共に馬車に乗せられた。
何故今から移動するのかと問えば、不思議そうな顔で「俺の婚約者の家に行くからですが」と返される。
決して忘れていたわけではないのだが、てっきりレオナルドの家に婚約者が来て、そこで2人一緒に指導するものだと思っていた。だから現状に少し驚いている。
素直にそういう意味合いの言葉を口にすると、レオナルドは「彼女の保護者に挨拶する必要があるでしょう」と苦笑した。それもそうだ。
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カトレーゼ侯爵から「くれぐれも怪我をさせないでほしい」と何度も念押しされた後、ようやくその婚約者と対面する事になった。レオナルドも会うのは2度目だという。
「初めまして、フランシール・カトレーゼと申します。よろしくお願いします」
緊張した面持ちで貴族の礼をする少女に、騎士としての礼を返す。それから自分の名を名乗れば、少女は小さな声で「存じ上げております」と呟いた。
これまでに出会った貴族は会って早々に「英雄の話を聞かせてほしい」だの「剣技を見せてほしい」だのと要求してきたから、少なくともそういう人種ではない事がはっきりとわかって安堵する。レオナルドの話からなんとなくそうなのだろうと察してはいたが、話に聞くのと実際に会うのとは違う。
「レオナルドから話は聞いている。剣を学びたいそうだが、今一度確認しておきたい」
「は、はい。私は強くなりたいのです。強くなる為に、ご指導お願いいたします」
本人の口から確かに「強くなりたい」と聞けた事に満足して、頷く。
思えばこれまで面と向かって「強くなりたい」と言われた事はなかった。剣を指導するのは相手が強さを望んでいるからだと思ってやっていたが、フランシールと名乗った少女の真剣な目を見ると果たして本当にそう望まれていたのかわからない。
わかるのは、少なくともフランシールは本気で強くなりたいと思っているという事だけだ。
「わかった、できる限り協力しよう。今日はひとまずどれだけ動けるのかを見させてもらう」
「よ、よろしくお願いします! 先生!」
「…………グレンで構わない」
「わかりました、グレン先生!」
フランシールの言葉で俺達のやりとりを見ていたレオナルドが吹き出した。
今まで何人も見てきたが先生と呼ばれたのは初めてだ。なんとも居心地が悪い感覚がするが、ここで無理に呼び方を変えさせるとやる気を削ぐ事に繋がりかねない。その内慣れるだろうと考えて、好きに呼ばせる事にした。
動きやすい服装に着替えてもらい、とりあえず庭をレオナルドと一緒に走らせる。
貴族の御令嬢というものはスプーンよりも重い物を持った事がない、屋敷の階段を上下するだけで息を切らすくらい体力がない。そう聞かされていたのだが、フランシールはレオナルドと共に軽やかに走っている。フランシールを気にかけながらペースを合わせて走っているレオナルドの方が辛そうだ。
走り終えて呼吸を整えている2人を見ながら、今後どうするべきかを思案した。
フランシールは元々ある程度鍛えられていたのか、想定していたよりも体力的な問題はない。今まで見てきた中で言えば体力がある方に分類される。もっとも本格的に鍛えるのなら足りないし、ありすぎて困る事はないだろうから体力作りは毎日してもらわなければならないが。
「後で毎日しておいてほしい事を紙に書いて渡そう。次は素振りだ」
そう言って訓練用の木剣を2人に渡す。ただの木剣だというのに目を輝かせながら受け取るフランシールとは対照的に、レオナルドは慣れた様子で手に取って構えた。
フランシールの反応が大袈裟なのは彼女が本気で強くなりたいと思っているからなのか、それとも単に女性だからなのか。木剣を楽しそうに受け取る奴は初めてだ。
並んで素振りをする2人を見ていると、少し面白い。レオナルドはただ真剣に振っているだけだが、フランシールはどこか楽しそうな雰囲気を纏っている。だからと言って不真面目だというわけではないが。その噛み合わない感じが面白く思えた。
カトレーゼ侯爵曰く、フランシールはもう何度も戦う力がほしいと父親に懇願していたらしい。それを毎回「危険だから」という理由ではねつけていたのに、今回は「婚約者と一緒だから危険はない」とか「お父様の事もレオナルド様の事も守れるようになりたいのです」とかなんとか、とにかくあの手この手で説得されたそうだ。
そんな愚痴めいた話を散々聞かされた後でフランシールを見ると、確かに強さを渇望しているのがわかった。却下され続けた後でようやく出た許可だから余計にそう見えるのだろうか。
指定した回数の素振りを終えた2人を呼び寄せ、今後の話をする。
次回からカトレーゼ侯爵家で指導を行う。これはレオナルドの希望で決定した。次に指導をする期間について話したが――こちらが一向に決まらない。
「学園に通う事を考えれば、最大で5年じゃないでしょうか?」
「でも……私は5年で先生に勝てるようになるでしょうか」
「5年では無理だ。断言できる」
「そりゃそうでしょう。先生はウェルディア最強の騎士ですよ? というか、最終目標が高すぎる」
いつの間にか先生呼びがレオナルドに伝播している。
好きに呼べと言ったのはこちらだな、と頷きながらフランシールとレオナルドのやりとりに耳を傾けた。
どうせ強くなるのなら目指すのは最高峰だと主張するフランシールに、そこまで強くなる必要がどこにあるのかとレオナルドが返す。議論は平行線を辿るばかりだ。恐らく剣を学ぶ理由が2人で違っているからなのだろう。
言い合う2人を眺めながらどうしたものか考えていると、ふいにフランシールがこちらに話を振った。
「先生はどうするべきだと思われますか? 先生のお仕事のご都合もありますよね?」
「……確かに騎士団の仕事で教えに来るのが難しい時もあるだろう。それでも、お前達が望むのなら可能な限り付き合いたいと思う」
「それはつまり、俺次第という事ですね……」
レオナルドは腕を組み、フランシールをじっと見つめて何やら考え込み始めた。フランシールには確か「レオナルドと一緒である事」という条件も出されていたと記憶している。要はレオナルドが了承しないのであれば、フランシールがどれだけ望んだところで指導は打ち切られる事になるわけだ。
意見を求めるように俺を見上げたレオナルドにただ頷きだけを返せば、眉をひそめられた。俺の考えはさっき言った通りなのだから、これ以上何も言うことはない。
やがて深いため息をついたかと思うと、「わかりましたよ」と何かを諦めたような声で言った。
「フランシール嬢の気の済むまで付き合います。戦う力を持つのは悪い事ではないでしょうし……放っておいたら1人でやりかねないですし」
「あ、ありがとうございます! レオナルド様!」
嬉しそうに顔を綻ばせるフランシールに対し、レオナルドはどこか遠い目をしている。
俺はその様子を見ながら、剣の指導を受けられるというだけでここまで喜ぶ奴がいるのかと改めて思った。指導をする俺が“黒獅子”だからなのか、そんな事は関係なく剣を学べる事に喜んでいるのか。恐らく後者だろうと特に根拠もなく思えた。
――いや、根拠ならあるか。強くなりたいと言ったあの時の目は確かに本気だった。
仕事とは言え、これからが楽しみになる。強さを求める奴が強くなっていくのを見届けたい、心からそう思った。