侯爵令嬢は強くなりたい
フランシールはカトレーゼ侯爵家の唯一の子どもである。女性が爵位を継ぐ事は認められていない為、侯爵家を存続させる為には彼女が婿をとるか、養子を迎えなくてはならない。
そこで白羽の矢が立ったのが、同じ家格で婚約者もおらず実家を継ぐ事もなく、更にはフランシールと歳も同じであるオズウェル家の3男――レオナルド・オズウェルだった。
顔を合わせてすぐはぎこちなかった2人だが、レオナルドが帰る頃にはすっかり打ち解けていた。そのキッカケを作ったのは、剣術だったのである。
フランシールは強くなりたいとずっと思っていた。強さとは色々な種類があるものだから、と語る父親の言葉に従って様々な知識をつけていたが、それらはやはり彼女が求める強さではなかった。
――大切なものを守れる力がほしい。
何度も何度もフランシールは父親に懇願した。魔法でもなんでもいいから、戦う方法を学びたいと。けれど父親がそれに頷く事はなかった。
レオナルドが剣術を、それもあの“黒獅子”から学んでいると知った時に真っ先に浮かんだのは「羨ましい」という言葉だった。
たったひとりで戦況を大きく左右する“黒獅子”。彼の強さにフランシールは憧れた。戦場に立ちたいわけではなかったが、彼ほどの強さがあれば守りたいものをちゃんと守れると思ったからだ。
私が女だから戦う術を学ばせてもらえないのだろうか。フランシールのそんな考えは、レオナルドが語る“黒獅子”の話のおかげで飛んでいった。
レオナルドの目から見た“黒獅子”は吟遊詩人が語るものとは大きく異なっていた。食べるのが好きらしいだとか、言葉遣いは全然なっていないだとか、指導が感覚的でよくわからない事があるだとか。それでもやっぱり褒めてもらえると嬉しい、と悔しそうに、でも柔らかく微笑んだレオナルドにつられてフランシールも破顔した。フランシールがよく知る英雄譚の“黒獅子”とは全然違っていたけれど、レオナルドが語る“黒獅子”の方がよほど魅力的に思えた。
「……私も、共に剣術を学ばせていただけないでしょうか?」
意を決してそう言ったフランシールに、レオナルドは目を瞬かせた。
レオナルドが剣術を学ぶのは、15歳になったら通う事になるウェルディア王立学園で剣術の講義があるからだ。貴族の嗜みとして必須の科目なのだが、令嬢には剣術の講義はない。代わりに刺繍の講義があるのみである。
剣を学ぶ令嬢が全くいないというわけではない。数えるほどしかいないが、騎士団に入る事が決定している場合がそれだ。しかしフランシールは侯爵家のただひとりの娘で、婿をとって侯爵夫人となる事が決まっている。つまり、彼女が剣術を学ぶ必要は一切ない。
不思議に思ったレオナルドは、少し思案してからフランシールに問いかけた。
「……理由を聞いても構いませんか?」
「はい。私は強くなりたいのです。守られてばかりも、いざという時に選択肢が無いのも嫌なのです」
大きな黒い瞳が強い意思をたたえているのを見たレオナルドは、思わず息を呑んだ。花の話よりも星の話よりも剣術の話に強く興味を示したフランシールを変な御令嬢だと思っていたが、強くなりたいという言葉を聞いて更に変だと感じた。
守りたいものがあるのなら、強い護衛を雇えばいい。貴族であるフランシールにとってはそれだけの話のはずなのだ。
しかしフランシールは自分自身が強くなる事を望んだ。おかしな御令嬢もいたものだ、とレオナルドは苦笑した。
「わかりました。グレン殿……“黒獅子”殿にお願いをしてみます。もっとも、カトレーゼ侯爵が良しとするのならですが」
「そうですね……確かにお父様には却下され続けています。けれど今回は状況が違います! 私ひとりではないのですから! 婚約者となるレオナルド様が剣術を学んでいらっしゃるという事実を利用して、どうにか説得してみせます!」
「…………では、良い報告が聞ける事を楽しみにしています」
ハッキリと「利用する」と言ってのけたフランシールに、レオナルドは再度苦笑を浮かべる。兄に近づく為に利用しようとされた事はあったが、そんな事に利用されるのは初めての経験だった。
目的に向かって努力するフランシールの事をレオナルドは好ましく思ったし、フランシールもまた自身の「強くなりたい」という願いを真面目に受け止めてくれたレオナルドに対して悪い感情を抱く事はなかった。
そうして顔合わせを無事に終えた2人は、両家の承認をもって婚約者となった。フランシールとレオナルドが共に10歳の時の事である。
フランシールが父親に懇願し、レオナルドと共に剣術を学ぶ許可を得られたのはそれから数日後だった。家庭教師が教える座学で良い成績を収める事や無茶をしない事など、条件は色々とつけられたがフランシールは大人しく全てを呑んだ。それくらいの努力ができなければ強くなれない、そう考えていたから。
無事に許可を得られたフランシールは意気揚々と手紙を書いた。もちろん、レオナルドに報告する為である。
レオナルドがグレンと共にカトレーゼ侯爵家を訪れたのは、それから更に数日が経ったよく晴れた日の事だった。