3男坊は報われたい
本日2話目です。
第4次ウェルディア=ガルス戦役から5年。21歳となったグレンはウェルディア王国騎士団の副団長を務めていた。
ウェルディア王国騎士団は、身分は問わない完全実力主義の組織である。21歳という若さで副団長を務めるのは異例の事なのだが、グレンの実力は誰もが知っており反発の声は上がらなかった。誰かと足並みを揃えて戦うという事が難しいグレンに単独での任務を言い渡す理由として副団長の肩書きが与えられた、という実態が周知されていたからかもしれないが。
騎士団は貴族から剣術の指南を命じられる事も多い。中でも救国の英雄であるグレンを指名する家は多く、グレンは5年の間に20を超える人数の指導にあたった。
グレンは騎士団の仕事が忙しく、掛け持ちをして教えるという事ができなかった。それなのに5年という期間に20以上の令息に剣術の指導をする事になったのは、最長でも3ヶ月ほどで指南役を交代させられてきたからである。
グレンが父親から剣術の手ほどきを受けたのは3歳から7歳になるまでの期間だけで、それ以降は傭兵として剣を振るってきた経験しかない。そのため超実戦的な剣ばかりが身についていて、ろくに指導する事ができないのだ。
更に悪い事に、貴族が学びたい剣術は型にはまった美しい剣術である。つまり、魅せる為の物だ。しかしグレンの剣は戦いに勝つ為の剣。生き延びる為ならばどんな卑劣な手でも使う、その姿勢が貴族のお気に召さなかった。
それでもグレンを指南役に、と望む声は絶えない。彼らは自分の子どもに「“黒獅子”から剣を学んだ」という箔をつけたいのだ。騎士を目指す子どもであれば他人と連携して戦う事を得意としないグレンから学ぶわけにはいかないのだが、騎士にならない人間にとっては英雄から指導を受けたという事実のみが重要だった。
グレンは望まれるままに指導をしに向かった。相手が誰であれ、強くなりたいと望むのならば協力を惜しむつもりはなかったからだ。騎士団の仲間達に指導の仕方を聞いたり、貴族に対する言葉遣いを学んだりもした。
けれどもその努力はついぞ報われなかった。
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グレンが現在指導しているのは、オズウェル侯爵家の3男であるレオナルド・オズウェルだ。レオナルドに剣を教える事になってから早いものでもう2ヶ月になる。
騎士団の同僚達が、今回はどれくらいの期間で交代させられるか賭けているのをグレンは知っている。これまでの最長記録は3ヶ月。今回は今日で2ヶ月になるから、それよりも短い期間に賭けていた者は既に負けが確定している。
しかし、おそらく今日で終わりだろうとグレンは思っていた。何故なら今日の指導に入る前に「終わった後でお話したい事があります」とレオナルドから言われていたからだ。どうせ終わりにするのなら指導に入る前でいいんじゃないかと思ったが、それは口にしなかった。
鍛錬を終えたレオナルドに「今日はいつもより気合いが入っているように見えた」と言えば、レオナルドは少し胸を張って「俺も守らなければならないものがありますから」と答えた。その返答に、グレンはなるほど、と頷く。守りたいものがあるから気合いを入れて鍛錬に臨んだのであれば、それは良い変化だと思えた。
「守りたいものができたんだな」
「えっと……守りたいというか、婚約したので彼女を守らなければと思うのです」
「…………婚約? レオナルドは確か、10歳じゃなかったか?」
「グレン殿は元々平民だったそうですから馴染みがないかもしれませんが、貴族は生まれた時から婚約者がいる事も少なくないんですよ」
剣の道一筋に生きてきたグレンには、およそ理解できない世界の話である。
グレンにとってはレオナルドはどこからどう見ても子どもなのだが、貴族社会で言えば10歳はもう大人に近い扱いを受ける。外に出れば言動はしっかりと誰かに見られているのだ。
やはり自分には貴族社会で生きる事は難しいな、とグレンは眉根を寄せた。
「ああ、そうだ。その婚約者の事でお話があるんです」
「婚約者の事で?」
「ええ。俺が剣術を学んでいると言ったら自分も学びたいと言い出しまして……それで、可能ならば俺と一緒に彼女を指導してもらえないかと」
「指導する日を増やせと言われると難しいかもしれんが、2人まとめて見るくらいなら問題はないと思う」
「ありがとうございます! では、彼女にそう伝えておきますね。ああ、グレン殿の言葉遣いは気にしなくて大丈夫ですよ。彼女には憧れの“黒獅子”殿がどういう人か教えてありますから」
安心してくれ、という風に笑うレオナルドにグレンはいささか不安を覚えた。世間では“黒獅子”がどういう扱いなのかをよく知っている。だから“黒獅子”に憧れを持つ人間に会うのは勉強と同じくらい苦手だった。
グレンはこの5年の間に一応貴族への対応の仕方として丁寧な言葉遣いを学んでいた……のだが、剣を振るう事しかしてこなかった彼にはそもそも「学ぶ」という行為が難しかった。
丁寧な言葉遣いに不慣れである、と早々に看破したレオナルドは「こちらが教えを乞う立場だから」とグレンに普段の言葉遣いで接する事を要求した。元々口下手なグレンは言葉遣いを意識してますます口を開かなくなっていたのだが、その要求があったから2ヶ月という短い期間の中でもそれなりにレオナルドと良好な関係を築けている。
思った事をそのまま言葉にするグレンの事をレオナルドは気に入っていた。
3男である彼が侯爵家を継ぐ事はない。両親は長男ばかりを気にかけ、それ以外の兄弟にはほとんど無関心で最低限の教育だけ施して後は放置している。剣術の指南も最低限の教育の一環なのだが、その最低限の一端をまさか“黒獅子”が担う事になるとはレオナルドは露ほども思っていなかった。手が空いている騎士を指南役として向かわせてほしい、そんな依頼でどうして国最強の騎士が来ると思えようか。
普段から人との間に厚い壁を作っていたレオナルドだったが、それは指導が始まってすぐ、存外簡単に崩される事になる。
――お前は負けず嫌いなんだな。きっと強くなる。
頭を撫でられながら言われた、その一言。グレンの表情にはやはりほとんど変化はなかったが、それでもレオナルドには十分だった。何せそんな風に自分自身を見て評価してもらったのは初めてだったのだ。
長男だからという理由だけで甘やかし手間をかける両親も、その立場にあぐらをかいてロクに努力しない長男も、どうせ自分には目を向けてもらえないと被害者面で鬱々とした感情を隠そうともしない次男も。レオナルドは家族の縁をさっさと切ってしまいたいくらい嫌いだった。
レオナルドの周囲にいる使用人や教師はみんな、事あるごとに長男を褒めそやすのが仕事と言わんばかりの態度で彼に接する。実際の能力がどうかは関係なく、ただただレオナルドの両親である侯爵夫妻のお気に召すままに行動するのだ。
努力をしていればいつか外の人が認めてくれる。そう信じて努力を続けていたレオナルドの内心を見破られたような気がした。レオナルドは自分が置かれた境遇にも家族にも、誰にも負けたくなかったのだ。
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オズウェル侯爵家から騎士団の宿舎に戻る道中、グレンはふとレオナルドの言葉を思い出した。婚約者も一緒に指導してくださいと、彼は確かにそう言った。
「…………婚約者、という事は……貴族の御令嬢に指導する事になるのか……?」
その疑問は今更だった。