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死神にも明日がありまして。

 明日世界が滅ぶとしたら、今一番すべきことはなんだろう。僕は今日という日をいつも通りに、明日を気にせずに生きることだと思う。何気ない日々は宝物だ、とまで言うつもりはないが、それでも今日という日を「明日の前日」というだけの存在にしてはいけないと思う。

 昨日は今日で、今日は今日で、明日だって紛れもなく今日なはずなのだ。僕たちがその日々を「今日」として過ごしたことは真実なはずなのだ。

 だからもし、貴方の大切な人が明日この世から去ってしまうのだとしても。

 どうか、今日という日を後悔しないように、大切な人と一緒に過ごしてほしい。


 それは、僕にはできなかったことだから。




 改めまして、中1の冬。

 平たくいうと、方波見沙良(かたばみさら)は入院した。病状は聞いていないが、その時はもう余命1週間、と言われていたらしい。ちなみに僕はそのことを後から知った。昔から体が弱かったとのことで、沙良自身にあまり驚いた様子はないように見えた。

 というか、沙良より僕の方が数倍驚いていた。

 真っ白な病室に一人たたずむ彼女を初めて見た時は、ひどく呆然としたものだ。初めて見る制服以外の姿、ゆっくりと本のページをめくる細い指。沙良は僕が最後に会った日より少しばかり痩せたように見えて、今にも消えてしまいそうだった。

 そして、立ち尽くす僕に気づいた沙良は本にしおりをはさみぱたりと閉じ、嬉しそうににこりと微笑んだ。


「えへへ、病気しちゃった」


 まるで「教科書忘れちゃった」とでも言うかのような、軽々しい口調。さらりと揺れるその黒髪も、華奢な肩も、どこか少し無機質なものに見えて。


「病気、しちゃったって———」


 僕は胸に疼く焦りを必死に誤魔化すように、無理やり口から言葉を発した。沙良の言葉をただ反復しただけの、知能指数の低さが露呈するような言葉になってしまった。何を言えばいい、どこに目をやればいい。白濁する思考の中で、僕は必死に考えた。


「えっと、その、さ」

「大丈夫だよ」


 沙良は僕の声を遮り、先ほどまでとは違った声色で冷たく言った。


「大丈夫。昔からこうだから」

「昔から?」

「うん。なんか体調崩しやすくて、病院が我が家みたいな感じなんだ」


 最近は結構調子良かったんだけどね———と付け足した沙良の笑顔は、どうしようもなくあの日の沙良の笑顔と重なってしまう。

 楽しそうに、無邪気に笑っていたあの日々の君は、今までずっとそんな苦労をしてきたのですか。

 勿論そんなことは本人に聞けるはずもなく、僕は苦し紛れに話題を変えることにした。


「その本、面白いの?」


 我ながら気の利かない話題だな、と思った。

 しかし沙良は笑顔で返してくれる。


「うん。これね、死神の話なんだ」

「死神?」


 僕はその単語に少しの違和感を覚えた。死神なんて、なんというか沙良らしくない話というか、読みそうにない話というか。てっきり沙良はファンタジーや恋愛小説を読んでいるものなのだろうな、と勝手に解釈していた僕にとっては、それなりに衝撃的な単語に感じられる。いや、場合によっては死神もファンタジーの部類に属することもあるのだろうけれど。

 死神と聞くと白色黒色を連想するが、どちらかというと沙良には桜色が似合うような気がしていたのだ。これも勝手な解釈だが。

 沙良は結構暗い感じの話も読むんだな、と思った。


「死神って言っても、人を殺すとか悪いことをするとか、そういう悪い死神じゃないんだ。嫌なことがあって死のうとしてる人にまた希望を与えて生きさせるような、そんな死神の話なの」


 いい話でしょ?と沙良は笑った。

 なるほど、沙良が好きそうな話だ。前言撤回ということになってしまうが、そういった本を選ぶあたり、なんとも沙良らしいと思う。


「優しい死神なんだね」

「そうなの。でもやっぱり、世間からの死神に対するイメージっていうのはあんまり良くなくて、死神を嫌ってる人も少なくないんだ」


 それで嫌われ者ながらも人々を救う、というわけか。素敵な話じゃないか。


「なんか、報われないね」

「でもね、聞いて!この死神最後に......あ、これ言うとネタバレになっちゃうな......そうだ!もしよかったら××くんも読む?貸そうか!?」


 途端、瞳をキラキラと輝かせ、子供のような笑顔で迫ってくる沙良。その手に握られていた本は、気付くといつの間にかこちらに強く近づけられていた。視界に映る真っ白な表紙と、黒字の明朝体で書かれた本のタイトル。


「......スノードロップ?」


 白っぽい花の名前、ということはなんとなく知っているが、それ以外の情報が全く頭に浮かんでこない。スノーというからには冬に咲く花なのだろうか。というかまずなぜ死神の話に花の名前をつけたのだろうか。

 普段花には別段興味もなかったはずなのに、沙良から手渡されたというだけで、不思議と次から次へと疑問や興味が湧いてくる。

 存外僕もちょろいんだな、と思った。


「えっとね、待って、たしかこの辺りのページに挿絵が......あった!」


 ぺらぺらとめくられる、びっしりと文字の詰まったページ達。そして本の後半に差し掛かったところだっただろうか。突然、鮮やかな虹彩が僕の視界を彩った。


「うわ......」


 綺麗、という言葉は発せなかった。その前に全感覚が視神経に集中したからだ。まず、真っ先に目に飛び込んで来たのは、ページの中心部分に描かれた白い花弁。三昧の花弁は下を向くように吊られていて、根元には緑色の斑点が付いていた。ぼやけた緑色の背景では、草木から雨の雫か、溶けた雪が滴り落ちている。太陽の光に反射してきらきらと輝くそれらは、いかにも「幻想的」と言うような光景だった。


「きれい、だね」


 そして遅れて口から漏れる月並みな感想。今はそれしか言えなかった。僕にこの挿絵の美しさを表現できるような語彙があるとは到底思えないし、言葉にしてしまったらその純白を汚してしまうような気がしたから。しかしこんな平凡な感想しか言えないのでは、沙良に落胆されてしまうのではないかと、少し心配にもなった。


「でしょ、すっごいきれい。こういうのはね、変に考えたりせずに、ただ見て『きれいだな』って思うことが一番大事だと思うんだ」


 見透かしたような返答だった。勿論沙良は無意識でそんなことを言ったのだろうが、僕にとってはどうしても気遣われた優しさのようにしか聞こえない。捻くれた脳みそだということは重々承知してたつもりだが、この状況下でさえそんなことしか考えられないなんて。正直、自分で自分に落胆してしまった。

 病人にまで気を遣わせて、僕一人だけ優しくされて。

 このままじゃダメだ、と思った。


「ねぇ、方波見さん」

「なに?」

「この本、やっぱり借りてもいいかな」


 沙良は一瞬驚いたような顔をして、そしてすぐに花のような笑顔をぱぁっと咲かせた。


「いいよ!というか是非読んで!それでこの本について語り合おう!」


『語り合おう』。また次に会う約束ができたような気がして、純粋に嬉しかった。こんな一言で先ほどまでの劣等感がさっぱりと消え失せてしまうのだから、やはり僕は単純なのだろう。


「うん、あと、今度僕のおすすめの本も持ってくるよ」

「本当!?やったぁ、すごい嬉しい!」


 沙良の喜んだ顔が嬉しくて、思わず考えてもいなかったことまで口にしてしまった。しかしまぁ沙良本人は喜んでくれているので結果オーライ、ということにしておこう。

 僕は沙良から本を受け取り、「じゃあね、またすぐに来るよ」と彼女に向かって手を振った。今度は花でも持ってこようか、と柄にもないことを考える。すると沙良も嬉しそうに「うん、楽しみにしてる」と手を振り返してくれた。

 病気にかかって沙良はとても辛いはずなのに、悲しいはずなのに。

 そんなことすら忘れて二人だけの時間を楽しんでしまう僕が、僕の中には確かにいた。

 がららら、と引き戸を開けて、病室から出る。後ろ手で引き戸を閉めると、楽しい時間から一気に現実に引き戻されたような気がした。

 しかし右手に確かに感じられる、沙良から借りた本の感触。

 それは僕にとっての『明日』を、少しだけ彩ってくれた。




 それから3日後。


「んーっ......っと」


 時刻は夜中3時。やべ、寝なきゃと思いながら伸びをした。ここ数日は特に忙しく、やっと本を読む時間が取れたのが今日だった。家に帰って、晩御飯を食べて、風呂に入って、宿題をして。やっと沙良から借りた本を読めると思ったのが夜10時、それから予想以上に本が面白くて、夢中で読んでしまって現在に至る。


 普通に明日学校あるんだけどな、と呟くも、胸にこみ上げるのは焦りよりはるかに大きな充実感と満足感。

 登場人物の言葉の受け売りだが、スノードロップの花言葉は、慰め、希望といったものなのだそう。死者を慰め、明日への希望を与える死神。タイトルに込められた意味が、本の中で語られている「死神」のイメージとぴったり一致して、思わず「うわ、すげぇ」と声を漏らしてしまった。


 嫌われながらも人々に笑顔を与える。死神に限らず、そんな風にになれたならどれほどいいだろう。大勢に対してそんな存在になりたいなんてわがままは言わないから、せめて沙良の前だけでも、彼女に笑顔を与えられる存在になりたい。

 僕に笑顔を与えてくれた沙良には、同じように笑顔を返したいんだ。そのために僕は、何をすればいいのだろう。やはり花を贈るべきだろうか。全く性に合わないが、それで沙良が喜んでくれたなら、他のことはどうだっていい。よし、そうしよう。明日学校の帰りにでも花屋に寄って、いい感じの花を買って送ろう。沙良の体調が良くなってきたら、僕の財布が許す限り、どこかへ連れて言ってあげたいとも思う。沙良は何が好きなのだろう、遊園地などが好きなのだろうか。いや、でも病み上がりに急に激しい運動をさせてもダメか。映画館とか、いいかもしれない——


「ううん?」


 花、遊園地、映画館。

 これじゃまるで、デート場所を考える恋人のようではないか。

 あああああと脳内で叫びながら、自分の髪をくしゃくしゃとかき乱した。忘れよう、とりあえず忘れよう。うん。勘違いだ。きっと勘違いだ。だって別にアレだし、花言葉とかにこだわったりしないし。沙良が綺麗って言って喜んでくれたらそれで満足なだけだし。

 ってベタ惚れじゃないか、くそっ。

 八つ当たりにぼふんっ、とベッドにダイブ。

 明日の朝も早いのに、いくら目を瞑ろうと覚醒した脳みそは一向に休もうとする気配はない。

 その日は結局、布団の上で1時間ほど無駄にした。




 翌日。僕は学校帰りに花屋に寄り、綺麗な桃色の花を数本買って沙良の入院する病院へ向かった。無意識に昨日の夜のこと思い出してしまい、どうにも足取りがぎこちなくなる。

 意を決して病室のドアを開くと、

 沙良は腕に点滴を刺されていた。


「あ、××くん! こんにちは!」


 点滴を刺されていない方の右手でひらひらとこちらに嬉しそうに手を振る沙良。その笑顔はこの間のものと大差ないはずなのに、点滴を指しているせいか、どこか弱々しくなったように見えた。


「え、あ......こんにちは?」


 とりあえず挨拶を返してみる。語尾が不自然に上がってしまったのは、戸惑いと違和感のせいだ。それでもなんとか硬直しかけた手足を無理やり動かし、沙良の座っているベットの元へ向かう。そして背中に隠していた花達を沙良に渡すと、


「わぁ、すごい!」


 と渡した花達に劣らないくらいに可愛らしい笑顔を咲かせた。その笑顔に僕は一瞬の安堵を覚えるも、またすぐに視界に入ってきた点滴に不安感を取り戻す。


「すっごい綺麗な花!ありがとう!」

「うん、どういたしまして。あとこれ」


 カバンの中をがさごそとあさり、紙袋に入れていた二冊の本を取り出す。片方は白い表紙の本、もう片方は星空が描かれた表紙の本。


「借りてた本と、この間言ったおすすめの本」


 ありがとうございました、予想以上に面白かったですと堅苦しくお礼を述べると、どうしたの急にかしこまっちゃって、と少し笑われた。


「別に。そういう気分だっただけ」


 我ながら素っ気ない返事だな、と思う。不器用か。


「そーですか」


 対する沙良はんふふ、と嬉しそうに笑いながら、僕が渡した星空の表紙の本をじっくりと眺めていた。


「これ、どんなお話なの?」

「えっと......遠くに住んでる恋人同士が、年に一度だけ星の降る夜に会えるっていう話」


 織姫と彦星みたいだね、と沙良はまた笑った。今日の沙良はよく笑う。点滴はしているが、もしかしたらいつもより体調がいいのだろうか。


「素敵。ありがとう」


 沙良はなぜか遠くを見つめてそう言った。夜空に浮かぶ星達を想像しているのかもしれない。僕の持っている本の中でも、沙良に気に入ってもらえそうなものを頑張って選んだつもりだったので、喜んでもらえたのなら何よりだ。


「読み終わったら、また色々話してくれると嬉しい」

「うん、絶対」


 その後、今日は面会終了時間が早いから、寂しいけどもう帰ってもらわなくちゃいけないんだ、と沙良は告げた。僕はまた明日来るよ、と約束して沙良に手を振った。沙良はとても嬉しそうに、少し寂しそうにまたねと言った。

 結局、全て嘘になってしまったのだけれど。





 昨日の面会終了時間はいつも通りだったし、今日僕が沙良の病院へ足を運ぶことはなかったし、またねという言葉はさようならに変換された。それは当然ながら方波見沙良の死を意味するもので、また僕の後悔を象徴するものでもあった。

 後悔の秋だ、絶望の冬だと格好つけて言ってみたはいいが、僕の脳内はそんな綺麗に整頓されたものではなかった。最初から最後まで、誤魔化しようもなくぐちゃぐちゃだった。僕が沙良に恋していたことに気づいたのは彼女が死んだ後だったし、貸した本が読まれずにそのまま帰ってきたことを悟ったのも、彼女が死んだ後のことだった。


 何もかも手遅れになった後に少しずつ真実に触れては、その重さに思わず手を引っ込めた。新しいことを知るたびに僕の愚かさが露呈していくようで、やっと沙良が教えてくれた色がまた白紙に戻っていくようで、言い表しようもなく心が痛かった。辛い。苦しい。寂しい。馬鹿らしい。嫌だ嫌だ嫌だ。信じたくない。こんなの嘘だ。こんな言葉だって僕が吐いたらどうしようもなく薄っぺらくなってしまう。


 きっと沙良は僕の何倍も辛かったはずなのに、弱音の1つも吐かなかった。それなのになんだ僕は、嫌われたわけでも喧嘩別れしたわけでもなく、最後まで彼女は僕に笑顔を向けてくれていたというのに。僕が悲しまないようにと、最後まで真実を黙ってくれていたというのに。結局その努力を全部ふいにして、中途半端な不幸の沼にどろどろ浸かって、今ではもう慣れてしまったから心地いいくらいだよなんて、馬鹿馬鹿しい戯言を吐き散らすのだろうか。反吐が出る。

 最初は、こんなことを考えたって沙良が生き返るわけでもないし、ましてや沙良が望んでいるわけでもないのだから、少し胸は痛むが早く忘れてしまおうと思った。大丈夫、僕は立ち直れる人間だ、と自分に過剰な期待をした。


 しかし無理だった。呆気なかった。

 沙良のいない学校に意味なんて感じられなかったし、沙良と会えない明日なんて捨ててしまおうと思った。前までは面白いと思えていた本だって、今では何も感じられなくなってしまっていた。白い紙にただ字が並んでいるようにしか見えなくなった。何も頭に入ってこなくなったのだ。本ってどうやって読むんだ?言葉ってどうやって理解するんだ?紙に敷き詰められた文字達を目で追ってみても、それは直線や曲線の塊をなぞっているだけにしか思えなくて、あぁとうとう僕の頭もイカれてしまったんだな、と思った。そのことについてはあまり驚かなかった。きっともうずっと前から精神の方は壊れていたのだろう。


 学校に行く理由が無くなったから、不登校になった。最初から理由なんてなかったはずなのに、間違えて一度理由を得てしまったものだから、もうそれなしでは成立しなくなってしまった。一度贅沢を知ってしまうと元の生活に戻れないのと同じで、一度春を知ってしまうと冬がとても長く感じるのと同じで、一度得たものはそう簡単には手放せないということを知った。それでも僕のように大切なものを無理やり奪われてしまった者はどうなるのか。

 答えは単純、ぶっ壊れるだけである。

 親の言うことを聞かなくなって、ろくに食べ物も喉を通らなくなって、教科書の内容も理解できなくなって、昼と夜の概念さえ失ってしまって、ほとんど一日中部屋には鍵をかけるようになった。普通の生活なんてとうに手放してしまった。


 戻れない、戻らない、戻る気もない。

 今となっては、何故沙良が死んだだけで僕がここまで壊れたのかは少し不思議にも思えるが、大方小学生の時他人を信じられなくなったことと、そこまで僕が沙良に惚れ込んでいたということなのだろう。無意識に。無自覚に。

 そして学校に行く理由が無くなったから不登校になった僕は、生きる理由が無くなったからついに自殺を決心した。いや、決心なんて綺麗なもんじゃない、ただ底なし沼に足を突っ込んだだけだ。

 台を用意して、天井から輪っか状にした縄を吊って。ありきたりな自殺方法だったと今では思う。まぁ確実に死ねたからいいんだけれど。

 死んで、意識が飛んで、この世から消え去ったはずの僕は、いつの間にか真っ黒な部屋で椅子に座らされていた。


『うっわ、黒。どろどろじゃん』


 その時僕を担当した死神は、出会い頭にそう言った。あの頃の僕にはまだ何が黒くてどろどろなのかわからなかったが、今の僕には痛いほどわかる。

 黒くてどろどろだったのは、他でもない僕の心だったんだ。

 死神の彼女は、面倒くさそうに僕に問いかけ続ける。


『ねぇ、あんたさ、なんで死んだの?』

『えー、自殺?』

『うわ処理だっる、あーでもそっか、もう完全に死んじゃってるもんな、現世に送り返せないわ』

『よっしいいこと思いついた。あんたも私と同じ死神になりなよ』

『え、拒否権とかないし?あんたの命は今私に握られてんのよ?』

『ってことであんたは今日から死神。よろしくね』


 かくして僕はこの身勝手な死神のせいで死神にされた、というわけである。




 死神と聞いてやはり一番最初に思い出したのは、沙良から借りたあの本の話だった。どうせ死神になるなら、あんな風な死神になりたいな、と思った。僕にしてはやけに前向きだと思っただろう、僕も思った。なんでも、一度肉体を手放したからか、記憶は残ってもその時の感情やら何やらはまるっとリセットされたらしく、なんとなく精神状態はそれなりに安定していたのだ。


『え?他人を救う死神?うん、勝手にやりゃいいんじゃねーの?』


 その上先輩の死神はかなり適当な性格ということで、僕は結構自由な死神ライフを満喫していた。

 自殺した人を説得して、現世に返したり。

 病死した人に不正に寿命を与えたり。

 失敗することもあったけれど、少しずつ、少しずつ、僕は死神という役職に慣れていった。

 そして死に瀕した人々に毎日接する中、ついに思ってしまったのだ。

 ——あぁ、やっぱもうちょっと生きときゃよかったな、って。

 沙良が死んだ時は確かに辛かった。耐えられないと思った。しかし見てしまったのだ、現世に戻っていった人々の楽しそうな笑顔を。本当は生きるのに特別な理由なんていらなくて、ただ少しでも楽しいと思えることが、嬉しいと思えることがあればいいのだということを、知ってしまったのだ。

 好きなことをすればいい。好きなことを学べばいい。好きな人といればいいし、好きなものを食べればいい。がむしゃらに夢を追いかけたっていいし、自堕落に日々を過ごしたって、それはそれでいいものだろう。


 ただ、死という選択だけはしないでほしいのだ。絶対に後悔するから。絶対にやり直したくなるから。どんな理由でもいい、生きているだけで偉いんだ。何も成し遂げられなくたっていい、何度失敗したっていい。挫けたっていい。間違えたっていい。

 それでも明日に希望を持てるうちは、どうか生きていてほしい。

 だって、生きているうちに死にたくなったらいつでも死ぬことはできるけれど、死んでしまった後にどれだけ生き返りたいと思ったって、願ったって、それは絶対にかなわないのだから。死神になってしまった僕が言うのだ、間違いない。

 貴方が苦しんでいたって、話を聞いてくれる人は必ずどこか近くにいる。黙って寄り添っていてくれる人が、必ず貴方のそばにいる。

 諦めるな。

 好きを突き通せ。

 真っ直ぐでいい。

 今この瞬間、生きるという選択ができている貴方なら、きっと大丈夫。

 頑張って頑張って、やっと天寿を全うした時は、是非僕に貴方が過ごしてきた一生の話を聞かせてください。

 死神は、死にませんから。








 やはり死神という職は肩がこる。結局昨日の夕方5時に提出するはずだった書類は数時間ほど遅れて提出したし、そのおかげで上司からは説教を食らうし。

 気晴らしに地上の空気でも吸ってこようと思って現世に降り立ったわけだが、どうも今日はカップルが多いな。あーそうか、今日は12月25日か。普通に生きている人達に僕ら死神は見えないから、特にぼっちということを気にする必要は無いのだけれど、なんだ、まぁ、クリスマスという行事は必要ないと思うな、うん。

 なんとなく居心地も悪いし、やっぱり帰ろっかな。そう思い来た道を引き返そうとすると、偶然、見知った顔とすれ違った。


「——あ」


 少し前に現世に追い返した、社畜のお兄さんがいた。勿論僕の声は向こうには聞こえていないし、なんならぶつかりに行ったって僕の存在がバレることはない。死神は幽霊のように透けているのだ、その辺りの心配は無用である。

 それより僕が驚いたのは、お兄さんの隣に若い女の人が歩いていたこと。お兄さんはぎこちないながらも、嬉しそうに恥ずかしそうに微笑んでいる。お揃いの赤いマフラーと辺りに流れる幸せそうな空気が、二人の関係を何よりも雄弁に語っていた。

 ははーん、なるほど。


「なんだ、結構人生楽しんでんじゃん」


 現世に送り返した人間の幸せそうな姿を見ることは、何よりも死神冥利に尽きるものなのだと僕は思う。


 それでは、今日という日を生きる皆様。


 メリークリスマス。


初登校で、1話ごとの字数も描写量もそれぞれ違った死神シリーズ。

カクヨムではクリスマスに完結したのでちょうどいい終わり方をしたわけですけども、時間が経っても事項にならない、ノエルの皆様への願いをどうか当サイトでも感じていただけると嬉しいです。

それでは、ご拝読ありがとうございました。

よい人生を!

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