死神にも色々ありまして。
僕はこれから方波見沙良という同級生について長々と語っていくわけなのだが、しかしどうだろう、ここらで皆さんは1つ大きな疑問を抱いているのではないのだろうか。
なんで自分の名前も覚えていない奴が、同級生女子の名前なんて覚えているんだ——と。生き別れの双子だった? これから彼女と異世界へ転生して世界を救ってくる?もしくはまさかのまさか、僕が彼女のことを好きだったとか?
正直に言うと、ご名答、その「まさかのまさか」、である。
僕は方波見沙良のことが好きだったのだ。
いやいや聴衆よ驚くなかれ。これでも僕は一応健全な男子中学生だったのだ、男女間の友情が恋愛沙汰になることなど、極めてありふれたケースだろう。
というか、入学初日突然声をかけてきた隣の席の女子を好きになる——なんて、ベタ中のベタ、ありふれ過ぎだ。もっとひねりのある人生を送ることはできなかったのかと、自分で自分に少し失望すらしてしまう。そうだ、僕は昔のことを思い出すと、否応無く嫌な気持ちになってしまうのだ。理由は簡単、そこにいい思い出が何1つ存在しないから。
嫌なことを思い出して笑えるほど、僕も図太く生きられるわけではないのだ。死んでるけど。
ちらりと時計に目をやると、針はもう午後4時55分を指していた。ちょうどいい頃合いだ、そろそろ回想も終わりにしよう。
——では、ベタ中のベタ、僕の王道を行く恋愛ストーリーのような中学生活は、この後どのような結末を辿るのだろうか。
答え、バッドエンド。
中一の春。入学式の日に方波見沙良から声をかけられて以来、僕は少しずつだが、日常的に彼女と話をするようになった。隣の席というのがやはり一番大きかったのだろうが、それでも方波見沙良はとても話しやすい人種だったような気がする。どんな話も興味深そうに聞いてくれるところ、くだらないことを楽しそうに話すところ、たまに幼い少年のように瞳をキラキラと輝かせるところ。いいところを挙げだすときりがなくなって、その度に、あぁ僕は本当にいい奴と友達になってしまったんだな、と痛感した。
そして同時に、方波見沙良と話していると、たまにこんな疑問が脳裏をよぎるんだ。
——方波見沙良に笑顔をもらった僕は、方波見沙良を笑顔にできているのか、と。
勿論答えはNOだ。考える間も無く完全にNOだ。僕は口下手だし、面白くないし、根暗だし、気の利いたことも言えないし、女子が何を言われて喜ぶのかも知らないし、彼女みたいに無邪気に笑うこともできない。
だから、方波見沙良を笑顔にできる方法なんて、何1つなかったはずなんだ。
それなのに、彼女は。
「方波見さんはさ、僕なんかと話してて本当にいいの?時間の無駄じゃない?」
「え、なんで?」
「だって僕ほら、何も方波見さんを楽しませられるようなこと、言えないし」
「でも私は××くんと話してて、すっごく楽しいよ?」
——いつも通りにこりと笑いながら、こんなことを平然と言ってのけるのだ。
すごい奴だな、と思ったし、好きな笑顔だな、とも思った。
今思えば、僕が方波見沙良に惚れたのは、この瞬間だったのかもしれない。
中一の夏。夏休みを目前にした、うだるような猛暑日。汗で髪が肌に貼り付いて気持ち悪い。あの空はあんなに涼しそうな色をしているのに、何故僕らはこんな思いをしなければいけないんだ。おい快晴、その青を分けろ——そう小さく呟いてみても、太陽は僕の額から汗を滲ませるばかり。
「ちょあっ!」
聞き慣れた声とともに僕の右頬を刺激する、異常なまでの冷気。よく冷たさの表現として「ひんやり」という語を使うが、コイツの冷たさはそんな生ぬるい言葉じゃ到底言い表せない。
例えるならばそう、北極から運ばれてきた氷山を僕の頬の体温で直接溶かしているような、そんな冷たさ。
「うわああぁ!?」
情けない悲鳴をあげ、瞬時に視線を右側に移すと、そこには銀色の筒があった——なんだ、缶ジュースか。そう気付くと頬に触れる冷たさも次第と平凡なものに感じられてきて、我ながら間抜けな声を上げてしまったな、と後悔する。
「あははっ、すごいびっくりして、んふふ」
「......笑いすぎじゃない?」
「だって、ふふっ、ただの缶ジュースなのに、うわぁぁぁって、あはははは」
方波見沙良は腹を抱えて笑っていた。
「そんなに馬鹿にすることないじゃんか......」
そう言って僕が頬を膨らませると、彼女はごめんごめんと軽く謝って、僕の隣に座って来た。学校帰りにふらっと立ち寄った公園、のベンチである。残念ながらペンキ塗りたてではない。何度も言うが僕はそんなに芸人気質な人間ではないのだ、そうぽんぽんと面白いことを連発できるわけでもない。
一般人に過度な期待をしてはいけないのだ。
「はい、炭酸飲める?」
突如視界に入る白くて細い指、手渡された缶ジュース。彼女の手に触れないように気を付けながらそれを受け取ると、今度は手で感じるひんやりとした冷たさ。
「飲める。ありがとう」
よかった、と呟いて方波見沙良——もうそろそろ沙良でいいか。沙良がカシュっと缶のプルタブを開ける。続いて僕もプルタブを押し開けた。飲み口から漏れる甘い香りに、キンキンに冷えたその液体に、思わずごくりと唾を飲む。
期待に胸を躍らせながら、僕はジュースを口に含んだ。瞬間、舌を刺激する冷たさ。炭酸の泡がパチパチと舌の上で弾け、じゅわりと喉に染みながら通っていく。
こういうものを痛快、と言うのだろうか。
「ふー、火照った体に沁みますなぁ」
「何歳ですか」
風呂上がりの老人みたいなこと言うなよ。
「え?私ね、まだ12歳なんだー」
「へぇ、誕生日まだなんだ」
すると話題は予期せぬ方向へ。そういえば僕は沙良の誕生日を知らないな、と気付くも、そりゃそうだ、ただのクラスメイトの男子にわざわざ教えようなんて思わないだろう、と勝手に納得した。
「いつだと思う?」
「え、わからない、ヒント」
「ヒントはねー、冬......の、終わりというか、春の始まりというか......そんな感じのところ!」
うん、これは?まさか僕に誕生日を教えようとしてくれているのだろうか?僕の方も勢いでヒントを求めてしまったものの、まさか本当に当てることになるなんて思っていなかったのだ。
うん?当てろと?マジで?当てていいの?
「ちょっと待って考える」
僕はジュースを一旦ベンチに置き、思考を一方向に集中させることにした。沙良の誕生日。奴の発言からして、春と冬の間ということは間違いないのだろう——じゃあ、3月か?よし、とりあえず3月ということにしておこう。問題は日付、こちらは全くのノーヒントで当てなければならないので難易度が急激に上がる。というかもう完全なる勘で当てるしかない。
「......3月3日」
「え、うそ」
「え?」
途端、沙良は意外そうな表情をして目を見開いた。お、これはまさかのまさか、当たったパターンなのか?と期待するも、僕の中の良心が「変な期待をすると外れた時に余計に落胆するぞ」と現実的な警告をして来たので、やっぱり外れだろう、うん外れだ、ハズレ。と勝手に納得した。
「正解、すごいね××くん!」
「はぇ?」
「あたりあたり!私3月3日産まれ!うっわぁすごい、すごい!あたったよ××くん!」
「う、お、うん、よ、よかった」
「ハイターッチ!」
「は、ハイタッチ?」
必要以上に興奮し歓喜する彼女の手に、僕は遠慮しながらそっと右手を添えた。
ジュースで冷えたはずの両手が、また熱くなった気がした。
中一の秋。沙良は1ヶ月に1、2回のペースで学校を休むようになった。回数的にはそれほど多くはないのだろうが、僕にとっては唯一の友達だ、気にならないわけがなかった。
しかし「どうしたの?」と聞くこともできなかった。今思えば、この時彼女に事情を聞けていたら、残りの時間をもう少し大切にできたような気もする。それと同じくらいに、聞いたところで僕に行動は起こせないだろう、という気もする。どちらにせよ、展開は変わらなかったのかもしれない。
食欲の秋でも、芸術の秋でもない。
僕の秋は、紛れもなく後悔の秋、だった。
その時沙良と積み重ねた思い出が、もしも彼女の無理の賜物なのだったとしたら、
僕は、結局沙良のことを何も理解できていなかったのだろうな。
冬。思い出したくもない冬。秋が後悔の秋なら、冬は絶望の冬だ。
そして今までこの話を聞いてくれている人ならわかると思うが、僕は楽しかった思い出は長く、嫌な思い出は短く話す主義だ。楽しいことは長く思い出していたいし、嫌なことはなるべく思い出したくないというものだろう。少し思い出しただけでも気が滅入るし、一度思い出すとまた1週間はぐるぐる胸に残るのだ。全く、何年も前のことだというのに情けない。引きずりすぎだろ、と自分でも思う。
しかし僕の昔語りを長々と聞いてくれた皆様だ、ここまで引っ張っておいてエンディングがあっけないものでは申し訳ない。
どうせなら、最後まで喜劇的に悲劇的に語り尽くしてやろう。道化師のように自らの人生を嘲笑し、見世物にしてやろう。
死神だってピエロだって、他人に怖がられる嘘つきだという点においては何ら変わりないのだ。ならばいっそどちらにもなってしまえばいい。
それでは皆様お待ちかね。
死神ノエルの、真っ白で真っ黒な嘘と後悔と罪の物語、最終章の幕開けだ。
とある少女を好きになった少年は、何を思い、何を失うのか。
やっと見つけた一筋の光明は、どこへ向かい、何色に輝くのか。
公演時間は月が登るまで。
バッドエンドを望む方だけ、舞台にお残りください。