死神にも過去がありまして。
「死ね」とか「消えろ」だとか、他人の命を否定するような発言を容易にすることは、ハッキリ言ってとてもいけないことだと思う。そしてそれと同じように「死にたい」とか「消えたい」だとか、自分の命を粗末にするような発言をすることも、いけないことだと思う。老婆の説教のように聞こえてしまうかもしれないが、これはれっきとした僕の意見だ。この際「偏見」と称してくれても構わない。ただ、偏見だろうが戯言だろうが、僕は声を大にして今を生きる青少年たちに伝えたいのだ。
簡単に死にたいなんて言ってんじゃねぇ、と。
命を軽んじてんじゃねぇ、と。
つまらない理由で死のうとしてんじゃねぇ、と。
死んでしまった僕が言うにはやはり時すでに遅し感が否めないが、そこは「死神」の権限、ということでご容赦いただきたい。他人が死に瀕した時にだけしか僕は人前に登場できないのだ、喋れる時に喋っておきたいというのは、何もおかしいことではないだろう。
その結果、現世に戻った人もいるのだし。
僕は良いことをしているのだ——寿命がどうとか手続きがどうとか、そういう類の話は言ってしまうと全て嘘なんだけれども、それでも僕は少しづつ人々を現世に返すことができているのだ。
主犯の僕にもそれが良いことか悪いことかは言い切れない——わけがない。
僕は生を手放しに肯定する。
断固として命を素晴らしいものだと信じる。
だってそれは、僕が生きている間に出来なかったことだから。
もしかしたら、僕の未練を人々に押し付けているだけと、そう言いたい人も中に入るのかもしれない。
それは否定しない。
僕の一番の未練は「生きること」だ、確かにそれを他人に押し付けているとも言えよう。
何を言ってくれたって構わない、ただ、お前らは生きろ。天寿を全うしろ。悪事に手を染めたって、何度失敗したって、それでも足掻いてもがいて生きろ。
貴方の命は、どうやったって1つしかないのだから。
『僕は死神、ノエルです』——初対面の人に毎度告げるその決まり文句の情報不足加減を、今日改めて実感した。
女子のプロフィール帳の欄の多さを見てもわかるように、人間には名前やら容姿やら血液型やら、沢山の情報があるのだ。そしてそれは死神の僕も同じ。好きな色も好きな食べ物も、なんなら過去だって当たり前に存在するのだ。
死神の昔語りなんて誰が興味を持つんだ、と思うが、なんと今日提出する書類に昔のことを書かなければいけないらしいので、仕方なく思い出すことにする。憂鬱だ。
まずは容姿。こんな情報誰が欲しがるんだと思うが、どうやら証明写真に使うらしい。何でも、今の見た目と色の情報を合成して生前の証明写真をでっち上げるんだとか。
シャーペンの尻をカチカチを押し、シャー芯を出す......初めてこちらに来た時は人間界とあまり変わらない設備にひどく驚いたものだが、今となってはもうすっかり馴染んでしまっている。
細かく仕分けられた記入欄とこの後書くことになる文字の数に「うぇ」と声を漏らし、僕はペンを走らせ始めた。
髪色、と書かれた欄に「黒色」と記入する。意外かもしれないが、生前は普通に黒髪だった。気がする。白髪紅目というのが僕のトレードマークになりつつあるが、やはりそこは日本人、普通に黒髪だった。目も黒色。モブ感すげーな、と思わず呟いてしまうほどのカラーリングである。ちなみに今の白髪は死神になった時に自動的に授かったものである。なんでも死神というのは酷く概念的な存在らしく、自分の中で印象深い色がそのまま容姿に反映される、とのこと。そういえば、窓に映る白い雪が好きだったような気がする。目の色については知らない。最後に見た血の色が反映されたんじゃないのかな、と勝手に解釈している。目の色紅、と書きかけて糸偏のところで手を止めた。これは「赤」と書いた方がいいのだろうか、と気になったからだ。
個人的には紅という呼び方の方が気に入っているのだが、こういう改まった場では普通に赤と書いてしまった方がいいような気もする。
いいや、アイデンディティ。紅。
次は身長、覚えていない。体重、覚えていない。書いたところでどうせあの頃より伸びているのだろうし......いや、伸びないのか。死んだんだし。
誕生日、多分12月20日。血液型A型。年齢......は、14か15。どっちだろう。
名前。
名前?
なんだっけ。誕生日や血液型を覚えておいて名前を覚えていないなんておかしいと思うだろうが、こちらに来てから誕生日や血液型を記入することはあっても、名前は「ノエル」で通していたので、全く使うことはなかったのだ。
シャーペンを一旦置き、両腕を組んでうんうんと唸る。懸命に記憶の糸を手繰ってみるも、出てくるのはいらない情報ばかり。この間生き返らせた女の顔、自殺を止められなかった男の名前。
『死神のお前に、人の気持ちなんてわからないだろ!』
——駄目だ、名前を思い出すのはやめよう。余計なことまで思い出してしまう。死神にだって一応感情はあるのだ、嫌な気持ちにだってなったりもする。というかまず、「どうせ死ぬんだから今何を言ってもいい」という考え方自体がおかしいのだ。アイツ、あそこにいたのが僕だったから良いものの、普通にクラスメイトとかがいたらどうしていたんだ、全く。運良く(アイツにとっては運悪く、か)お前が生きていたら気まずさ半端ないんだぞ。
なんて今更言っても、アイツが死んだ事実に変わりはないのだけれど。
違う違う、何悔やんでんだ。
眼前には未だほぼ真っ白な提出資料と、湯気を出さなくなった真っ黒なコーヒー。切り替わらない思考を無理やり遮断しようとカップに口をつけるも、予想外の味に「にが」、と思わず顔をしかめてしまった。舌にじわじわと残る苦味に、どうしたものかと頭をひねる。僕は普段コーヒーに角砂糖を2つ入れるような奴なのだ、そんな奴にブラックコーヒーなんて飲めるわけがなかろう。しかし今更砂糖を入れたところで溶けないということもまた事実。
机の上には、沢山の角砂糖が入れられた白い容器がどこか寂しそうな表情でこちらを見つめている。いっそのことコーヒーを飲んだ後に角砂糖をかじってやろうかとも思ったが、流石ににそれはやめておいた。
仕方なくコーヒーをもう一口、やっぱり苦い。「あーあ、ついてねーな」と回転椅子の背にもたれうーんと伸びをした。ふいに目に入った時計の針に、今度は思わず目を見開く。
午後5時45分。
書類提出期限の実に15分前である。
もしかしたら、と期待して自分の目を擦ってみるも、やはり書類はほぼ空白。
嫌だなぁ、思い出したくねぇな。
——ったく、死神にも色々あるんですよ。
生い立ち、過去の友人関係、恋愛事情、思い出、死因——紙の上に並べられたその無機質な文字の羅列に、本当にその情報必要なのかと思わず苦言を呈したくなる。小綺麗に明朝体で印刷してはいるものの、かなりえげつないこと聞いてるんじゃないか、これ。第一死んだ後死神になり得る人材というのは、生前に大犯罪を犯しただとか、強い未練があるだとか、大抵何かしらの掘り返されたくない過去を持つやつらばかりなのだ。もちろん僕だってそのうちの1人である。それなのに、地位や権力を利用して他人の過去をほじくり返すような真似をしやがって、本当にどうかしているんじゃないかと思う。本当マジで何に使うんだよ、こんな情報。
ちっ、と小さく舌打ちをして置いていたシャーペンを持ち直し、姿勢を正して机に向き合う。ただでさえ不正(延命、詐欺など)ばかりしている僕だ、提出書類まで放ったらかしにしたら、今度こそ上にどうされてしまうかわからないのだ。あぁ権力怖い怖い。いっそ全部嘘の情報を書いてやろうか、とも思ったが、バレたら流石に怖いのでやめておくことにした。
まずは小学校低学年。
一言で言うと、結構楽しかった——ような気がする。もしかしたら人生で一番楽しい時期だったのかもしれない。こんな早くに「人生で一番楽しかった」なんて言うなよ、と思うかもしれないが、実際そうだったのだ。あの頃の僕は今の僕のようにひねくれた考え方もしていなかったし、ただただ無邪気で可愛い子供だったと思う。自分で言うのも何だが、あの頃はまだ純粋だった。とはいえ、何か大きな事件があったのか、と聞かれてはっきりと答えられないのも事実。それでもあえて特筆すべき事項があるとすれば——そうだ、隣の家のえみちゃん。あの子は可愛かった。中でも小学二年生の夏休み、2人っきりの秘密基地で遊んでいたことはよく覚えている。今思うと若干の不純異性交遊かもしれないが、まぁ、そこは若気の至りということで。
次、小学校高学年。
あの頃から少しずつひねくれていたのだろうな、と思う。そうだ、あの頃確かクラスでいじめが起きていたんだっけ。毎朝女子たちがどろどろした空気を醸し出す教室に入るのは、とても気が重かったように記憶している。いや、これはただ僕が学校に行きたくなかったからそう感じていただけなのかもしれないけれど。案外みんな、表面上は上手くやっていたのかもしれない——仲良く明るく健全な小学生達を演じていたのかもしれない。どちらにせよ、その頃の細かい事情について僕はあまり把握していないのだ。黒ずんだ人間関係に足を踏み入れるのは怖かったし、正直言って面倒くさかった。そう言って僕はいつも教室の隅の方で1人本を読むようになっていたわけだが、もしかしたら周りからは僕が一番孤立しているように見えていたのかもしれない。他人の気持ちなんてわからないから、何も確かなことは言えないけれど。
そして一番の問題、中学生——と表記すると最初から不良の道を歩んでいたように聞こえるかもしれないから、まず初めに言っておく。
これでも、最初の頃は僕だってちゃんと中学生していたのだ。中でも、入学式の日のことはよく覚えている。着慣れない制服を何度も鏡の前でチェックし、初めて見る通学路や校舎に目を輝かせ、これから一年を共に過ごす仲間はどんな奴らなのかと胸を躍らせた。校舎の正面玄関に貼り出してあったクラス表を見ては、読みのわからない当て字に頭をひねったりもした。もう今となっては誰の名前も覚えていないけれど。それでもあのころの僕はまだ、純粋に馬鹿正直に、校内を満たす初々しい桃色の空気に静かに心を高揚させていた。
校舎の二階、右側奥の教室。僕の所属するクラスは、1年2組だった。
ガラガラとおそるおそる引き戸を開けると、目に入る灰色の壁。コンクリートそのままのその色に、少しの寂しさと無機質さを感じた。よく知っている「教室」が、全く知らない「教室」になったあの瞬間。小学校の頃から毎年体験してきた感覚ではあるが、環境の変化が影響したのだろうか、いつも以上の強い違和感を感じた。
自分の席を探して、とても軽いカバンを机の上に置いて、とりあえず椅子に座ってみる。
慣れない座り心地。小学校のものより、少しだけ椅子が高い気がした。
「おはよう」。
ちらほらと聞こえてくるその声に、やっぱり友達を作れるやつは最初から違うんだな、と少し自虐的な感情に浸る。僕なんて友達を作るどころか、目を合わせることすらままならないだろう。僕は根っからのコミュ症というわけではないのだが、小学校の後半で人とあまり話さなくなったため、他人への接し方がわからなくなっているのだ。変に粋がって話しかけに言ったって、距離感をつかめずに自爆するのがオチだろう。
それなら、また適当に本でも読んで過ごしていればいいではないか。幸い、本や文字を読むのは好きな方なのだ。この学校の図書室にある本を片っ端から借りてくれば、少なくとも暇をもてあますことはなくなるだろう。
——と、僕は登校初日にして捻くれた考え方をしていた。
「あ、おはよう! もしかして君が隣の席の人?」
アイツが声をかけてくるまでは。
「私、方波見沙良! 一年間よろしくね!」
僕を映す、綺麗な桜色の瞳。
なんだコイツ、急だな、隣の席じゃなかったらどうしてたんだ、いや、それでも関係なくコイツは友達になっていたんだろうな——言いたいことはたくさん浮かんできたが、どうも口がうまく回らない。パンクしそうな脳みそを無理やり動かし、なんとか僕は「おはよう」と(ぎこちなく)返すことに成功した。
彼女は嬉しそうに笑った。
春風みたいな奴だな、と思った。